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第5話・ひさかたぶりにぞくりとした物を感じた

 扇・スタン・フリジアーノは、その少女を見た瞬間、ひさかたぶりにぞくりとした物を感じた。

 強敵を前にした高ぶりではない。それは、はっきりとした情欲の高ぶりであった。

 その少女とともに画紙に納められるのであれば、矢に貫かれて落ちてくる鳥すらも、人々が悩むべき価値のある大きなテーマを感じさせそうな美しい少女である。


「今更だけど、あたしはクランです。ご飯ごちそうさまでした」


「俺はスタンだ」


 本当に今更だ。

 鍋の底の底まで食い尽くした所で、クランはぺこりと頭を下げた。

 無言で佇めば女神もかくや、口を開けばチンピラか山猿……のようでいて、どこか育ちの良さが垣間見える少女だ。

 飯を食う前の不機嫌な表情はどこかへ消え失せ、にこにこと幸せそうに笑っている。


(あと三百歳若けれりゃヤバかった)


 情欲はいつの間にか、庇護欲へとすっかり変化していた。

 若いエルフに手を出すのは、大人のエルフにとって不道徳で、とびきり不名誉なことだと思っているし、きいきいと甲高い声で喋り倒す若いエルフと話すのは、八百歳を超えて九百に足を突っ込んでいるスタンにとって億劫以外の何物でもない。


「おい、クラン。お前も若い娘なんだから、少しは俺に気を使え。いつまでベルト緩めてるんだ」


「えー……いいじゃん、腹いっぱいなんだよ……」


 ぽこんと膨れ上がった真っ白な腹に、驚くほど綺麗なへそが見えた。

 この娘はなんというか……小生意気な猫と遊んでいるようなものだ。

 こちらのすることにいちいち好奇心を持ち、それを隠しているつもりなのか不機嫌そうな表情を浮かべ、そのくせ侮られることは許せない、とばかりにやるべきことはテキパキとこなそうとするところになんとも可愛げがある。


(ジジイ殺しだな、こいつ)


 いかにも旅慣れない様子で、こっくりこっくりと眠りに落ちそうな少女の姿は危なっかしく、枯れたエルフならなんやかんや言いながら手を貸してしまいそうな有様だ。

 暑かったのか胸元を緩め始めるクランの頭を、スタンは思い切り引っ叩いた。


「いてえ!?いきなり何すんだよ!?」


「俺は男で、お前は女だ。気を付けろ!」


「む、ぐっ……わかった……」


 果たして本当にわかっているのだろうか。

 眠たげに膝裏まである長いマントを外すと、自分の身体に巻きつけ、ごろりと横になってしまった。

 少しでも平らなところを探しているのか、しばらくもぞもぞと動いていたが、いい場所が見つかったのか、ぐーすかと寝息を立て始める。

 危険なんてどこにもない、と言わんばかりの寝方である。

 マントの裾からズボンに覆われた形のいい尻が覗いていて、それがどうにも落ち着かないスタンは自分のマントをかけてやる。


「なんだかなー……」


 ぼやきは夜空に消え、スタンはちびちびと酒を飲み続けた。






「それでスタンのジイさんも、エンシェント落としに行く途中なのか?」


「ああ」


 と答えたのは、朝靄あさもやも濃い時間帯だ。

 まだ肌寒く、だが歩いていればちょうどよくなる気温の中、クランはあれもこれも珍しいとばかりに目を移しながら、スタンに話しかけてくる。

 何か言うまでもなく、この少女はスタンと一緒に来るつもりらしかった。

 一体、何故こんなに懐かれているのかと、スタンは内心困惑していた。


「あたしは初めてなんだけど、スタンのジイさんはエンシェントと戦ったことあんの?強い?」


「戦ったことはないが、強いな」


 当たり前の話だが千年以上の寿命があるからといって、誰もが千年生きられるわけではない。

 なにかの機会で戦うことがあり、病気にかかり生活苦に陥る時もあり、事故に巻き込まれる時もある。

 エルフは三百歳を超える辺りから、途端に数を減らしていく。

 その中で千年近く生き延びるエルフは、なにかしらのしっかりした力を身に付けているものだ。


「俺が見たのは九百いくつかのエルフだが、人間の軍を一人で斬り込んで蹴散らしてたな」


「へえ、そりゃすごい!」


 目をまんまると見開くクランは、何年生きるのだろうか。

 今は確か五十二歳(この美貌とクランという名、さすがにどこの誰かくらいはわかっている)の子どもだ。

 それが大人になり、幼い蕾が咲き誇る大輪の花となれば、摘まずにいられる者がどの程度いるのだろう。

 今、この時点でも、こうやって無防備にてくてく馬鹿面引っさげて歩く少女が生きていることが、スタンには信じられない物を見ている気分に陥らせてくれる。

 九百を過ぎ、枯れたと思っていたスタンの情欲に火を付ける少女に、不名誉で、不道徳な行いを望む者達は数え切れないほどいるに違いない。

 心を手に入れられずとも、身体だけでも。そう考える若者だって、絶対にいる。それも相当な数。

 クランの身のこなしは、それなりだ。

 五十かそこらの若い者の平均からすれば、多少はマシだ。

 それでも百のエルフには勝てない。

 幸運が彼女に微笑めば勝ちの目はあるだろうが、絶対的に勝利を収めるほどでは断じてない程度か。

 スタンは、この少女のことをすっかり心配になっていた。


「しかし、あれだよな。エンシェント落としって若い連中がやるもんだと思ってたよ」


「ああ?そりゃルディ王に胸をお借りするあれだけだろ。普通はその辺りのエルフが勝手に行くもんだ」


「ほー、そうなんだ」


「そうなんだよ、時代は変わったもんだなあ……。まぁ今回は知り合いがエンシェントになったから行くだけで、普段はめんどくせえから俺は行かないがね」


「知り合いなの?」


「ああ、昔の馴染みでなあ。どうせなら最後は俺が叩き切ってやろうと思ってんだ」


 一方のクランと言えば、警戒心をどこかに落としてしまっていた。

 おそらく鍋の中に落として、たらふく平らげてしまったか、昨日の寝床にでも落としたに違いない。


「詳しく話してくれよ!な!」


 なんて面白そうな話なんだ、と目を輝かせ、クランはスタンのたくましい腕にすがり付く。

 胸が当たっているとか、男の腕に、だなんてちっとも考えていない。


「うるせえ、離れろ暑苦しい!」


「話してくれるなら離すぞ!」


「ええい、飯食わすんじゃなかった、ちくしょう!懐きやがってからに!」


「な!な!聞かせてくれよ、どういう関係なんだよ!?」


「ああもううるせえなこのやろう!話してやるから離れろバカ!」


 バカとはなんだよバカとは、と思いながら、クランはうきうきとスタンの腕から離れた。


「あー……初めて会ったのは……なんだったかな。どっかの戦場だったような」


「敵味方に分かれて戦い合ったとかそういうのか?」


「いや、違う。その頃は百歳かそこらで、二人で飯炊きしてたな」


「なんだよ、つまんねえ」


「若いの戦場に突っ込んでも死ぬだけだろ。相当追い詰められてねえと、二百は超えないとなかなか戦場に出してもらえねえよ。まぁ若いのは俺とあいつだけで、俺の巻き添えであいつもしばらく戦場に出させてもらえなかったがね」


 戦うことに躊躇のないエルフだが、若いエルフを戦場に出すことはあまりない。

 実力のない若いエルフを無駄死にさせるのは、年の行ったエルフにとって不名誉なことだ。


「まぁその頃は金がなかったからな、俺達はあちこちの戦場でちょいちょい一緒になったもんよ」


「相手は女?」


「ちげーよ、男だよ」


「ふーん」


 恋の話は、クランの大好物である。

 恋の話でないのは、少し残念だ。


「まぁ十年くらい飯炊きばっかりしてたんだがよ。ある時、俺達のいた部隊がまんまと人間達の罠にハメられちまって、俺達は敵中に孤立してしまった。今でも夢に出るくらいヤバい状況だ」


「ふむふむ」


 とはいえ戦場の話も大好物であった。


「ビクビクしながら逃げるあいつは突然、茂みから出てきた雑兵に斬りかかられて悲鳴を上げた。『あひゃあ!?』と今でも夢に見るくらいの情けない悲鳴だったな、ほんと」


「夢に見るってそっちかよ!?」


「あんまりに情けなさすぎて、ビビってた俺も大爆笑だ。ひとしきり笑って落ち着きを取り戻した俺は、その雑兵どもを斬って逃げた。あの『あひゃあ!?』って悲鳴は、言うなら命の恩人だな」


 そこからも、二人は話をした。

 あの戦場で、あいつはあんなにも情けなかった。泣きながらクソを漏らしていた。ムカつく上官の秘蔵のワインを盗む大冒険の話だった。いっそ清々しくなる敗北の話だった。苦さしかない勝利の話だった。二人で同じ娘に惚れて殴り合いの喧嘩までしたら実はもう別な男と結婚が決まっていて、やけになって店一軒飲み尽くした話だった。

 勇敢で、間抜けで、颯爽としていて、失敗を繰り返し、戦い続けた男の話だった。


「日和・ダルニア・アスイドは、そういう男だ」


 そういう話だった。

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