第4話・早朝の門は、ひどく賑わっていた
早朝の門は、ひどく賑わっていた。
それも朝早くから商売に励もうという商人でもなく、近隣から野菜を持ち込む農民たちでもない。
武装した旅人達である。
若干いる他種族の者たちは、これから戦争でも始まるのか、という怪訝な表情を浮かべているが、聞かれもせずにわざわざ説明する話でもない。
これから一人を斬りに行く、などとわざわざ説明する必要を、エルフの誰もが認めなかった。
名誉、不名誉の問題ではなく、「何故そんな当たり前の話をいちいち説明しなければならないんだ?」ということである。
他種族から見たエルフは、とびきり謎の多い種族だ。
自分たちがわかっていることを、いちいち他に説明しようとはしない生き物だった。自分たちの行いを、はっきり理解しているのかもよくわかっていないが。
クランは旅装を軽くしておいた。
左右二剣、合計四剣。鞘の先端を結びつけ、歩いても揺れないようになっている。
この揺れ、というやつは馬鹿になるものではない。
足を止めて疲れを自覚した時に、驚くほどに差があるのだ、と教えてくれたのは、静宮殿に出入りする手練れの老エルフだった。
下着も下半身の玉が揺れないようにするべきだ、とも教わったせいで、この有益な知識を思い出すたびにげんなりするクランである。
だが確かに足腰を練り上げるため、長距離を駆けるたび、揺れる重量物の有無は相当の差が出たものだ。
背中の背嚢も、しっかりとした作り。
胸の前でバッテンを描く肩紐も、いざという時は即座に外せる工夫が凝らされている。
上半身はしっかりとした皮鎧、重量軽減に追い風の魔術。
下半身はただのズボンとロングブーツだが、クランが鎧の作成に手を出し始めたのが最近でそこまで手が回らなかった。
とんとん、と石畳の街道を踵で打つ。ブーツにおかしな具合はちっとも感じない。
背嚢には三日分の食料、水はなく、少しの乾燥果物が入っている。おやつは大切である。
金銭もそれほど必要ないだろう、と思っていたが、アンジェリカに押し付けられた金貨がそれなりだ。
これが意外とずっしりと重く、姉流のいやがらせの一つなのか、本当に優しさなのか、クランにはわからなかった。
そして、マント。
マントと幅の広い帽子は大事だ。
雨具と寝具にもなるし、なにより格好いい。
大事だ。
「さて」
じっくりと身体の隅々まで柔軟し、手足を解したクランは、空を見上げた。
朝の、どうということもない晴空だ。
何度も何度も見上げた、普通の空だ。
それでもどこか心浮き立つのは、旅の空だからだろうか。
長い時を生きるエルフは、旅に出る。
故郷に帰ってくるか、それともどこか遠くで根付くのかはわからない。
ただ、どんなエルフでも一生に一度は旅に出るのだ。
それは、クランにとって憧れでもあった。
蝶よ花よと花の園で暮らすのは、どうにも性に合わなかった。
姉のアンジェリカは言葉と法で焼き合う戦場に自分から望んで飛び込んだが、それにしたってクランよりも圧倒的に自由だった気がした。
年上だから、というわけでもなく、下の妹や弟達はしていることを許されず、宮殿の誰もがクランを花園に閉じ込めようとしていたように思う。
そんな口の利き方をしてはいけません、食事はもっと優雅に、木に登るなんてありえません!
くそったれであった。
そんなつまらない何かを踏み付けるように、クランは力強く踏み出した。
ここからだ、と思う。
綺麗な花園で微笑んでいろ、と言わんばかりの連中は背に置いてきた。
そういう他人からの望みを踏みつけるように、好んで荒々しい無骨なエルフとばかり接してきた。
彼らは旅の話をする。
それは遠い遠い、異国の話だ。
一年中、雪が降り止まない土地。雨の降らない砂漠。見上げるように巨大な魔獣。その土地の食べ物。
人物の話だ。
誇り高い敵があって、卑小な敵もいて、美しい魂の発露があり、汚濁に満ちた屈辱もあり、そして恋があった。
粗野で、聞くに耐えないくそったれたジョークの中に、喜びと悲しみがあった。
そうでもしないと話せない、とてもとても大きな感情があった。
彼らは生きていた、力強く。
それは、憧れだ。
お色直しした太陽の日差しは、すっかり昼の強い光へと変わっている。
同じ方向へと向かうエルフ達に遅れることなく、一定の速度を維持して歩いていたクランの視界には、まだ一面の麦畑が広がっている。
夏を迎える準備がすっかり整った麦の葉が、青々と繁っていた。
魔法で生み出した水を、クランは飲んだ。
冷たく、すっきりとした飲み口は歩き続けてぼんやりとしていた頭をしゃきっとさせてくれる。
畑の手入れをするエルフや人間、数は少ないが獣人達もゆるゆると辺りで休み始めていた。
「お話の中ではそろそろ山賊とか魔獣とか出てくるんだけどなー」
と呟くクランだが、エルフが行き交うことが多い静宮殿の近くで、そんな危険があるはずがない。
魔獣であれば、それなりに力のあるエルフであれば行きがけの駄賃とばかりに肉と毛皮にするために狩り尽くす。
山賊だって、山賊の事情がある。
見た目に強さがあまり出ないエルフを襲うのは、相当なリスクがある。
弱々しい獲物だと思って襲いかかったら、それが軍隊を一人で相手にするような老エルフだった、などという話は結構あるのだ。
人通りの多い街道の脇の麦畑から、百人の山賊が現れる様を想像しながら、クランはだらだらと歩く。
いつしか麦畑は終わり、森の入り口へとさしかかろうとしていた。
よく管理されているのか、適度な間隔の空いた木々からは木漏れ日が降り注ぎ、なんとも心地いい空間となっていた、名も知らない小さな花が風に揺れ、栗鼠が木の実をかじり、鳥達が頭上を見事な編隊を組んで颯爽と飛んでいく。
あんな風に飛んでいきたいなあ、なんて思って見物していたら、その中の三匹が突然身動きを止めて落ちてくるではないか。
「…………」
空に心踊らせていたクランのいい気分は、すっかり台無しされてしまった。
血の臭いか、鏃の鉄の臭いか。そういう生臭さと共に目の前に落ちていく鳥の喉首には、正確に矢が刺さっている。
どさどさと地面に落ちる鳥、その先には一人のエルフがいた。
しばらく、見つめ合ったところでそのエルフが口を開いた。
「おう、なんだい嬢ちゃん。あんたも狙ってたのかい?」
「……ちげーよ」
「わはははは!悪いな、こういうのは早い物勝ちだかんなあ」
その鳥を拾い上げたのは、髭を生やしたエルフの男だった。
入念に手入れをされた顎髭は胸元まで伸び、そのくせ年季の入ったマントはひどくボロボロな、そんなちぐはぐさを感じさせるエルフだ。
「ったくしゃーねーな。嬢ちゃんにも鳥を食わせてやる。それで機嫌直せ。な?」
「違うって言ってんだろ」
と言いながらも、クランはそれ以上に声をかけることなく落ちた鳥の一羽を拾い上げた。
二人の行き先は、街道の横を流れる水路だ。
「嬢ちゃんもエンシェントかい?」
「……そうだよ」
清らかな水の流れる水路が、赤く染まる。
ナイフで首を断たれた鳥の首から、血が流れ出て行く。
狩った獣はこうしてすぐに血を抜かないと、身体の中で血が燃えて食えたものではなくなってしまう。
「若いのになかなか手際いいじゃねえか」
「……どーも」
クランが鳥の内臓を抜いて、毛を抜き始めた頃には髭のエルフはすでに二羽の処理を終えていた。
今は内臓を捨てる小さな穴を掘っている。
こういう小さな手際の差に、エルフの年は出るのを、クランは知っていた。
「……火使うのか?」
「おう、ちょっと薪集めてきてくれや」
髭のエルフは何やら背嚢をごそごそと漁り、取り出した小袋の中身を混ぜ合わせていた。
なんだろう、という好奇心は、さきほどまであった不機嫌さをすっかりと吹き飛ばしている。
しかし、何も出来ない若いエルフだ、と思われるのがいやで、クランは森の中に早足で駆け込んでいった。
「……もういいんじゃねーの?」
「まだだ」
クランを笑う軽い声とは断じて違う、真剣な声だ。
石を重ねた竃の上では、鍋がぐつぐつと煮えている。
茶色の汁から立ち昇る香気は、
「ごくり」
と唾を飲む代物。
見て嗅げば、これは美味いとわかる代物だ。
「おい」
「味見は料理人の特権だ」
おたまで味を見る髭のエルフは、ほうっと、ゆっくりと深い息を吐く。
「まぁまぁだな」
と言いながら、にやりと片頬を歪めて満足げに笑う様はまるで暗躍する悪人のようですらある。
「おい」
「まぁ待て。若いエルフはせっかちでいかん。まだ仕上げが出来ていない」
髭のエルフは真剣な表情で、小袋の中を漁った。
それを覗き込むクランの目には、赤と黒が混ざり合った粉。それを鍋の中に、ぱらぱらと一振り。
「よし、椀を出せ」
軍隊で訓練されたエルフもかくや、といわんばかりのスピードでクランから差し出された椀に、髭のエルフは鍋の中身をたっぷりとよそった。
「……いただきます」
「おう、食え」
味噌と、なにかスパイスの香りだ。
ねぎと白菜の鍋である。
軟骨と骨の髄ごと砕かれ、すっかりつみれと化した鳥肉は処理がよかったのだろう。
血生臭さは思っていたほどではない。
骨の中の旨いところがぎゅっと詰まっていて、同時に脂をよく吸ったねぎと一緒に食うと、これがまた美味い。
次は白菜だ。
しんなりした白菜は味噌とよく合う。不味いはずのない組み合わせである。
だが、そこにピリリと効いたスパイスが合わさることで、これがまた、
「美味え」
のであった。
あっという間に一杯食べ尽くしたクランは、勢いよく顔を上げた。
「いい食いっぷりじゃねーか」
「……うるせ」
人の食いっぷりを肴に、ちびちびと酒を飲む髭のエルフに、クランは恥ずかしさを覚えた。
これでは食い意地の張った奴のようではないか、と思いながらも、手にした椀の盛りは縁まで並々と盛っている。
「若い奴が遠慮なんてすんじゃねえよ。おら、もっと食えもっと食え」
「腹減ってたんだよ、遠慮しねーからな」
髭のエルフがちびちびと、クランががっつりと(二羽と半分くらい)食った鍋は、あっという間に姿を消そうとしていた。
「く、食い過ぎた……」
「よく食ったな、お前。あと二、三日は困らんだけの量だったんだが」
「か、金は払う!」
「いらねえよ。年食うと若いのに食わすのが趣味になってくもんだ」
にやにやと笑う髭に少しばかり気恥ずかしさを覚えてはいるが、下手なことを言えば口から中身が飛び出してしまいそうなほどに食ったクランは沈黙を守る。
辺りはすっかり日が落ち、ちろちろと燃える焚き火の灯りが辺りを照らしていた。
予定していた旅程は、半分ほどか。初日から何やってんだ、と一瞬考えたクランだったが、後悔はなかった。
それだけ満足した。おなかいっぱいである。
「さて、メインディッシュといこうか」
「あ?」
「まずはこいつだ」
と、困惑するクランをよそに、いやらしげに笑った髭は残った汁へと、焼きおにぎりを二つばかり投入した。
表面がかりかりに焼かれたおにぎりは、冷えて固くなっていたが、見る間に温かな汁を吸って柔らかく、そして焼けた醤油の香ばしい匂い。
「次はこいつだ」
「おい。おい、待てよ」
背嚢から出てきたのは、二つの卵だ。
剥き出しのまま出てきた卵は、それなりに歩いてきたはずなのに傷一つない白い姿。
その卵を髭は剣たこが目立つゴツい手でありながら、魔術的器用さをもって片手で割った。
中身が落ちる先は、鍋の中である。
「最後にこいつだ」
「て、てめえ……!」
鍋に使った小袋とは違うスパイス。黄色が鮮やかな、乾燥柚子の粉末である。
それを一振りすれば、爽やかな柚子の香気が立ち昇る。
ごろごろとした大ぶりの鳥つみれは、すでにクランの胃の中に消えていて、残っているのは細かいかけらだけだ。
それがまた米と混ざり合って美味そうな雑炊だった。
腹一杯食わせておいて、その後にまた美味そうなもんをこしらえるとか、なんてひどい奴なんだ!
クランは憤慨した。この無法をタダで済ませるべきではないと強く、強く思った。
「俺は鍋の締めはこれだって決めてんだ。お前も食うか?ん?」
「く、くそっ……!」
すでにズボンのベルトは緩められている。これ以上はどうやったって入りっこない。喉の下まですっかり詰め込んでいる。
そのはずであった。
だが、この雑炊の前には、その現実を屈服させるしかないのだと、クランは悟った。
それだけの魅力があった。
「食うぞ!あたしは食うからな!」
「あっはっは、そうこなくっちゃな!」
にやにやと笑う髭に抱いたクランの殺意は、雑炊の前にはあっさりと消えてしまうのだった。