子供大人の癇癪
遠ざかるゼオの背中を眺めながら、シャーロットは倒れそうになる足の力を込め直し、ゴブマルを見下ろす。
「ありがとう……貴方のおかげで、私はまだ戦える……!」
このグリーンゴブリンは一体何なのか……そんなことは、今の彼女にはどうでも良い事だ。ゼオと行動を共にしていた、非常に知能の高く温和な性格をした種族……それだけで信頼するには足りる。
(走らなければ……走って、あなたの元に……!)
もう二度と、ゼオにだけ戦わさせはしない。故国を離れたあの日、何時か彼との再会を果たした時には必ず自分が彼を助けると、そう決めていた。
そして今がその時。シャーロットは解けた髪をそのままに、ルルたちが乗っている馬車へと向かう。
「シ、シスター……? い、今の大きな魔物は……?」
「大丈夫」
危機的状況に乱入してきた巨大な魔物。その存在に怯えた様子と二人に、シャーロットは誰もを安心させるような穏やかな笑みを携える。
「あの魔物は味方です。だから少しだけ……少しだけ待っていてください」
それだけ言い残すと、シャーロットは馬車に載せていたカバンの中から魔力の回復薬を取り出して一気に煽り、ルルとルアナが魔物に襲われないよう、馬車の周辺に結界を張ってから走り出した。
初めに仕掛けたのはカーネル。迎え撃つのはゼオ。……振るわれる巨大な魔力の刃に対し、キメラは巨大な蟷螂の腕で迎撃した。
激しい火花を散らしながら拮抗する鍔迫り合い。ステータスや体格差を考慮してみれば、有利なのは明らかにゼオに見えるが、実際のところは違う。
(コイツ……! 俺の鎌を……!)
咄嗟だったとはいえ、ゼオの最硬防御手段である《鋼の甲羅》と《回転甲羅》の合わせ技ですら貫く魔法攻撃を《妖蟷螂の鎌》で受けに行ったのは失敗だった。
鋼すらも寸断する鎌は罅割れ、魔力の刃が食い込んでいる。カーネルの魔法攻撃を真っ向から受けに行くのは危険……そう判断したゼオは、《妖蟷螂の鎌》を解除。すぐさま腕を引いて《重力魔法》を発動させた。
(《リパルション》を食らえ!)
魔法の発動と同時にゼオを中心に発生する強力な斥力場。見えない力に押されて、地面に靴裏を擦り付けるようにしながら後退するカーネルに向かって、ゼオは口を開き、喉の奥に強烈な光を収束させ、一条の閃光を吐き出した。
速度、威力、範囲。三種のブレスの長所を取り入れたゼオの最大火力、《ドラゴンブレス》だ。直撃すれば、カーネルの耐久なら一撃で仕留めうる。
(あれほどの勢いが乗った一撃は《マナブレード》でも捌けねぇだろ!)
MPを上限一杯まで込めた。場合によっては《マナシールド》も貫通出来るであろう一撃は……杖に触れた途端に霧散した。
(何だ今のは?)
あのようなことができるスキル、カーネルは持っていなかったはず。考えられるとしたら杖そのものの力……ゼオはスキルで杖の詳細を詳らかにする。
【レティシエルの杖】
【万能のクリエイター、エドワード・クランチが手掛けたローレンツ家に伝わる宝杖。持ち主の意思に応じて、先端に触れた如何なる魔法攻撃をも消し去る力を持つ】
厄介な装備だ……ゼオは杖の詳細を確認して苦々しく眉根に皺を寄せる。
ブレス・キメラに進化したゼオにとって、魔法攻撃であるブレスは最大火力。相手も遠距離攻撃が豊富である為、近接戦のみで戦うには相性的にも不利。そんな中で遠距離攻撃を封じられるのは痛い。
「無駄だ。無駄なんだよ!! この僕に逆らったことを後悔しながら死んでいけぇ!!」
雨あられと降り注ぐ巨大な火球と電撃、吹き荒ぶ嵐。ゼオは《鋼の甲羅》と《回転甲羅》を組み合わせた、いなすような防御で受け流すが、分厚い甲羅越しに伝わる灼熱と衝撃に苦悶の声を漏らす。
(いってぇえ……! 耐えられない程じゃないけど、モロに食らうのはヤバいな……!)
避けるに越したことはないが、巨体が仇となってそれも難しい。防御は甲羅系のスキルを活用しまくるしかない。
(とはいっても、突破口が無い訳じゃない筈)
物理攻撃は《マナシールド》。魔法攻撃には宝杖。その鉄壁の守りから連射される魔法攻撃は火力が高く、更には《回復魔法》まで備えている、紛れもない難敵だ。
だが宝杖の力が及ぶのは先端部分のみ。全ての魔法攻撃を打ち消すという強力な効果の分、実に限定的な性能だし、《マナシールド》だって物理攻撃で破れないわけではない。
問題は超火力の弾幕の合間を縫って相手の守りを貫かなければならないという事だが……魔法を使えるのは何もカーネルだけではない。
「ガァアアアアアアアアアアッ!!」
雄叫びと共に《大地魔法》を発動し、尖った無数の巨岩が隆起させる。本来ならば地面から敵を貫いたり、打ち上げたりする魔法だが全身を魔力の壁に守られたカーネルには通用しない。
「愚かな……この僕にこんな粗末な魔法が通じると……!?」
当然、そんなことは織り込み済みだ。
MPを多めに込めて、すかさず《重力魔法》を発動。上空に強力な引力場を発生させ、周囲の岩を地面ごと引き上げる。
グランドホールで鍛え抜かれたゼオの《重力魔法》のレベルは既に最大値。辺り一面の地面を円状にくり抜いて、上空に丸い岩の塊を作り出したが、術者として引力場の範囲外から発動したゼオはともかく、巻き込まれていたカーネルは上空の岩塊と一体にならなかったのは、レティシエルの杖の力によるものだろう。
(だが本番はここからだ!)
強力な引力から、斥力へ。上空でバラけて降り注ぐ巨大な岩の雨は容赦なくカーネルに襲い掛かった。そこへ更に、カーネルを中心とした超重力を発生させ、岩石は更に加速しながら降り注ぐ。
「ぐああああああああああああああああああっ!?」
杖の力で重力場は無効にできるかもしれないが、降り注ぐのは凄まじい重量を誇る物理攻撃だ。
《マナシールド》が破れなくても、圧し掛かる重みは途方もなく、更に継続して超重力を維持しているために、下手な魔法では脱出すら困難。
(このまま防御ごと押し潰してやる!)
もはや小山と表現してもいい岩の塊を、中心にいるカーネルごと押し潰しにかかる。地面は深く陥没し始め、岩山も押し潰されていく。まともな生物ならこの時点ですでに死んでいるだろう。
「グガァアアア!?」
だが相手は、まともな生物の範疇には収まっていないらしい。
あまりにも長大すぎる光の刃が岩山を貫いたかと思えば、そのまま一回転して岩を全て吹き飛ばした。
出てこられた……苦々しい顔でゼオが睨む先には、全身から強烈な光を奔流を噴出させながら、怒りで真っ赤に染まった顔でこちらを見据えるカーネルの姿があった。
「何なんだ……?」
「…………?」
静かな低い声で呟くと、カーネルは心底苛立っているか、血が出るほど激しく頭を掻きむしり始める。
「さっきの女といい、お前といい……どいつもこいつも僕の邪魔をするばかりか、僕を痛い目に合わせてさぁああああああああっ!!」
全身から噴き出る光は爆発的に広まり、夜闇に包まれた平原を強く照らす。
「なぁにそれぇえええ!? なぁんなのそれぇえええええええええええええっ!? こんなので僕を殺せるとでも思ってるわけぇえええええええええっ!? 無理に決まってるでしょぉおおおおおおっ!! 僕はお前らなんかと違って選ばれたんだからさああああああああああああっ!!」
先ほどまでと明らかに様子が違う……その原因に心当たりがあったゼオは、今の状態のカーネルを鑑定する。
名前:カーネル・ローレンツ
種族:ザフキエル完全体(状態:魂縛・臨界突破)
Lv:23
HP:48991/50987
MP:∞
攻撃:15354
耐久:15345
魔力:40000
敏捷:25581
ステータスが大幅に上昇している。これではまるで、疑似的な第二形態だ。
(そして……やっぱり使ってきたか。《臨界突破》を!)
その名の通り、ステータスを一時的に大幅上昇させるスキルだ。デメリットと言えば制限時間後はステータスが一時的に下がるくらいだが……正直なところ、ゼオが今のカーネルの猛攻を時間切れまでしのげるかは分からないくらいの上昇率だ。
「どうして僕の邪魔をするのぉおおおおっ!? 僕はただ、姉さんが妬ましくて憎たらしくて苛めたいだけなのにさぁああああああっ!! ねぇどうしてぇぇえええええっ!?」
(な、何だコイツ……!? なんかヤバくなってないか……!?)
《臨界突破》を使ってきた途端、言動がどこか幼児退行しているように感じる。
調べた限り、そういう効果があるスキルではないのは確かなのだが……。
「…………っ!?」
ふと、ゼオの脳裏に見覚えのない光景が頭に浮かぶ。
両親に甘やかされ、常に家族から蚊帳の外に置かれた姉を見てきた、病弱な少年の姿。
常に格下の存在として優越感に満ちた目で見てきた姉が、何時の頃か外と繋がりを持ち、充実した日々を送るようになってからというもの、自由に外に出ることも儘ならぬ自分の体を呪い、姉を妬むばかりの日々を送った、哀れな少年の姿。
(…………いや、どちらかというと……素が出た?)
我が儘な癇癪持ちの子供……突如脳裏に浮かんだ記憶の中の子供とカーネルの姿が重なった時、ゼオはカーネルの言動の変化をそう捉えることが出来た。
「僕には姉さんを苛めていい権利があるんだ!! そんな僕の邪魔をする奴は皆死んじゃえば良いんだぁあああああっ!!」
一体、何がカーネルをそこまで駆り立てるのか……ゼオは目の前にある、あまりに無垢で醜悪な悪意に思わずたじろいだ。