悪意はまるで地層のように
決断をすれば行動は早めに移した方が良い。そう考えたシャーロットは、ルアナとルルに事情を説明し、至急エレキシュガル聖国へ向かうことにした。
だがルキウスたちがそう易々と見逃すとは思えない。恐らく、街道などを通っていこうとすれば検問に引っかかるだろう。
(そうなると、道は一つ。平原を進んでいき、別の町で馬車に乗るしかありません)
危険がある最終手段だが、それしかない。シャーロットはその事を二人に話し、了承を得て早速準備を始めた。
ルアナもルルも、このままここにいては危険だということを前々から理解していたのだろう。思ったよりも簡単に過酷な旅路を行くことを同意してくれた。
最初に目指すのは 王都から北へ離れた場所に位置する、聖国行きの馬車が往復している街だ。幸い、大司教が教会保有の馬車を貸し出してくれると言っている。
数多の人の行き来で均された街道とは違い、激しく揺れたり、車輪が溝に嵌ることもあるだろうが、子供のルルと足が不自由なルアナを連れていくには、もうそれしか手段はない。
そして時は過ぎて三日後の夜中。シャーロットは野営道具や食料を詰め込んだ大きなカバンを持ち前の怪力で背負い、ルアナとルルを連れて王都の裏門へと向かう。
「待ってたぞ、シスター。馬車の用意はしてある、気付かれる前に早く」
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
今日の王都の門番は、大司教の計らいで極秘裏に話が通っている、敬虔な女神教信徒だ。如何に侯爵家といえども、王都の憲兵や門番の全てを管理できているわけではないので、協力者の確保には困らなかった。
街を守る外壁の出入り口に設けられた馬車の駐留所に留めてある女神教保有の馬車に荷物を放り込み、ルルとルアナを乗せて、シャーロットは御者台に座る。
無言で送り出してくれた門番に軽く頭を下げ、シャーロットは手綱を握って街道から逸れながら平原を進みだした。
「幾つかの町を経由して進んでいきますが、進行方向上にある一番近い町でも徒歩で半日以上は掛かるでしょう。二人とも、揺れますが大丈夫ですか?」
「うん」
「用意してくれた毛布がたくさんありますから、それをクッションにすればそこまで気になりませんし」
本来、こんな夜更けに街の外に出ようとする者はそうはいない。魔物を含め、危険な生物は夜に活動することが多いからだ。
恐らくルキウスたちにとって、シャーロットたちがこの時間帯に王都を出るのは予想外のはず。例え魔物が出たとしても、《結界魔法》のスキルを持つシャーロットなら、よほどの危険地帯でも行かない限りは安全だ。
「お二人は、エレキシュガル聖国に着いたらどうするつもりですか?」
「そうですね……大司教様の紹介状がありますが、やはり見知らぬ土地ですから。食と住居が安定するまでは、また教会のお世話になる予定です」
「……新しい場所にも、学校てある?」
そう聞いてきたルルに、シャーロットは穏やかな笑みを浮かべる。
「ルルは、学校が好きですか? 鉱山の町では教会が週に一度開く週末学校に通っていたと聞きますが……」
「好き。勉強も楽しいし、友達もいるから」
「そうですか。偉いですね」
「お姉ちゃんは学校好き?」
そんな無垢な問いかけに、シャーロットは思わず黙り込んでしまった。
故郷の貴族たちが通う学校では、シャーロットはきっと誰よりも励んでいただろう。自惚れなどではなく、客観的な事実として。
だが思い入れがあっても、好きかどうかと問われれば悩まざるを得ない。リリィが現れてからは針の筵だったし、多くの友人も失ってしまった場所だ。楽しいこともあったはずなのに、最後の最後に悪い思い出に全て塗り潰されてしまった気分である。
「えぇ……。エレキシュガル聖国は大きな国ですからね。地方の町々にも教育が行き届いていると聞きますし、もしかしたらちゃんとした学校があるかもしれません。そうなったら、毎日のように通えますよ」
「ほんと?」
何気ない会話を楽しみながら、馬車は月と星の灯りと、ランプの光を頼りに夜の平原を行く。そんな中、ルアナが鉱山の方を無言で見続けていることに気が付いた。
「ルアナさん? どうしました?」
「あ……いえ……」
言い難そうに唇を動かすルアナだったが、やがて意を決したように口を開く。
「今更なのですが、この地を離れるのに少し心残りもあるんです」
「心残り……ですか? 今からでも何とかできそうなら――――」
「いえ、シスターにそんな手間を掛けさせるわけにはいきませんし、今更戻れる状況でもないので。ただ、あの山にはまだあの方が……」
「それは……」
その時、シャーロットの前方に強い影が生まれた。それは馬車の後ろから迫ってくる、巨大な発光体によって作り出される影だと察した時、シャーロットは咄嗟に振り返って《結界魔法》を発動する。
「く……ぁあああっ!?」
「きゃあああああああああっ!?」
凄まじい衝撃が結界越しに伝わり、青白い半透明の障壁が砕け散り、防ぎきれずに貫通してきた魔力の塊が馬を叩き潰し、馬車に傷を残した。
咄嗟に張ってMPもあまり込められていなかったとはいえ、今のシャーロットの結界を砕ける者はそうそう居ない。その事実に、シャーロットは警戒心を最大まで高める。
「二人とも、馬車から下りず、私の後ろからも出ないでください!」
一体何者による襲撃かと、シャーロットは御者台を降りてルルたちを庇うように襲撃者の前へと躍り出た。
「見かけによらず大胆な行動をするシスターだな。それに、思った以上に出来るらしい」
「カーネル・ローレンツ侯爵……それに、ルキウス・メイナード侯爵まで……っ!?」
スキルで攻撃したと思しきカーネルと、その傍らに立つルキウスは、教会で見せた外行きの表情などではなく、本性を剥き出しにしたような鮮烈な悪意に満ちた、まるで悪魔のような笑みでこちらを見据える。
「まさか……こうも早く気付かれるなんて思いませんでした」
いずれ気付かれることは想定内だった。追いかけられることも同様。だがこれは幾らなんでも早すぎる。
救出以降、ルアナとルルは教会から一歩も出さず、出発の準備も不自然だと悟られないように慎重に進めてきた。だというのに、出発から半刻も経たない内に見つけ出されて追いつかれるとは、流石のシャーロットも想定していない。
「ふん……やはり女神教の信徒はこういう時には信用できん。常に正義感面をしてこちらの都合の悪いことばかりをしようとするのだからな」
「もう隠す気もありませんか」
「どうせ、気付かれているのだろう?」
「えぇ。貴方たちが彼女たちにしてきたこと……その全てを聞きました」
保護から今に至るまでの間に、シャーロットはルアナから一通りの事情を聞いている。ルアナの本当の父母が、どうなったのかも含めて。
「まさかメイナード侯爵までこの場にいらっしゃるとは思いませんでしたが」
大方、ありふれたスキルである《身体強化》でカーネルがルキウスを担ぎ、何らかのスキルで移動してきたのだろう。だがどうしてこうも早く出発と進行方向が割れたのがは未だ謎……そう思った時、何かの羽音のようなものが上空から聞こえてくる。
勢いよく見上げてみると、そこには翅の付いた石の目のようなものがこちらを見下ろしていた。
「まだ軍で極秘開発中の小型監視ゴーレムだ。逃げ出すであろう君たちの動きを捕捉するには丁度良いと思ってね」
魔道具の技術は日進月歩。宮廷魔術師という、直属の魔術師たちを抱える国の魔道具の進歩は早いと聞くが、まさかあんなものまで開発されているとは……それも、本来門外不出であるであろうそれを持ち出してまで追いかけてくるとは思っていなかったシャーロットは、内心で痛烈な舌打ちをする。
「……今頃、戒律に厳しい女王陛下が動いているはず。開発中の魔道具の私的な持ち出しも暴かれるでしょう。貴方たちが罰せられるのは時間の問題です。今からでも引き下がり、女王陛下の慈悲に縋っては如何ですか?」
それは打開策を思い付く時間を稼ぐための問いかけだった。少しでも時間を稼ぎ、どうにかしてる穴とルルをこの場から逃がさなくてはと、シャーロットは必死に思考を巡らせる。
「それがどうした? どうして女王に縋る必要がある?」
「……っ!?」
全く怯んだ様子のない返答にシャーロットは思わず言葉が詰まる。二人の様子はまるで、シャーロットたちの口を封じるから問題が無いと言わんばかりではなく、女王の権威など全く恐れていない者のそれだったのだ。
「冥土の土産に教えてやるが、いずれ我々は女王の首を取り、この国を手に入れようとしていた。それをこれから死ぬお前たちに知られたところで痛手はない」
「なにより、僕たちはその娘を手にしなくてはならないのだからね」
そう言って、二人の視線がルルに向けられていることを悟ったシャーロットは、咄嗟に自分の体で視線を遮る。
「正直、国とかそう言うのは二の次で、究極的にはどうでもいい。あの二人が残した希望を、その生涯をかけて絶望を刷り込み続ける……それが出来るのなら、他人が……この国が……この世界がどうなろうと知った事か」
まるで濁り切った沼のような四つの目。この時、シャーロットはカーネルとルキウスの根底にあるものの一端を見た気がした。
それはまるで、地層の様に幾星霜の時を経て積み重ね続けてきた妄執。たかが数十年しかない人の生では決して生まれることのない、底知れない悪意の積み重ねだ。二人はそれに操られ、正気を半ば失っているようにも見える。
「さて……こうして姉上の娘を連れてきてくれたからには、もう君たちに用はない。何も成しえず、何も守れないことに絶望しながら……死ね」