剛力怪盗聖女☆シャーロット
「お勤め中失礼いたします。私、大司教様の代理で侯爵閣下の治療に訪れた者ですが……」
「あぁ、話は聞いている。どうぞ中へ」
大司教の代理人としてルキウスの治療に訪れたシャーロットが門番に話しかけると、どうやら話が通っていたらしく、すんなりと屋敷の中へと入ることが出来た。
大貴族特有の大きな庭が見える玄関前通路を通り、扉を開けて恭しく頭を下げる家令と思しき男性に軽く会釈すると、そのままルキウスが待つ寝室へと通される。
「旦那さま。ご加減は如何ですか?」
「い、良い訳が……いたたっ!?」
天蓋付きの大きなベッド。そこに俯せになって寝転がる金髪の男性。間違いなく、彼がルキウスだろう。仰向けになって寝転がるのは相当痛むらしく、声を張り上げるだけでも響いているあたり、傷は深そうだ。
「これまでの経過は如何でしょう? 大司教様が応急処置を施し、本格的な治療は高レベルの治癒魔法スキルなどが使えるもので行うから、その役目を私にと仰せつかったのですが」
「はい、その通りです。それで……どうでしょうか? 治りそうですか?」
「昨日までの怪我の具合は聞き及んでいます。そこから患部を刺激されるようなことは無かったのですよね? それならば……侯爵閣下、失礼いたします」
シャーロットはルキウスの尻辺りに手をかざし、スキル《再生魔法》、レベル2で習得する《リヴァイブ》を発動させる。皮膚の下にある断裂した括約筋に送り込んだ魔力を適正細胞に変換し、繋げるという、治癒能力の活性化とは一線を画する、いわゆる移植手術染みた魔法だ。
「どうでしょうか? まだ痛みますか?」
「…………痛くない。痛くないぞっ」
スキルの発動を止めて具合を窺うと、ルキウスは何度も自分の臀部に手を当てて、今にも飛び跳ねそうな歓喜を露にし始める。
「千切れていた筋肉を繋ぎ合わせる形で治療を施しました。しかし、まだしばらく安静にしていてください。繋いだ筋肉がきちんと安定するまで激しい運動などをしては、また同じ目に遭うことになってしまうので」
「承知いたしました。……シスター、旦那様の代わりにお礼を申し上げます」
礼の一つもせずに自分の尻をひたすら撫で回して、回復を実感するルキウスに冷たい視線を密かに送る家令に、シャーロットも苦笑いを溢した。
「いいえ、どうかお気になさらず。…………ところであの、少々お願いがあるのですが」
「はい、何でございましょう?」
シャーロットはモジモジとしながら顔を僅かに赤くし、両手で口元を押さえながら小さな声で問いかける。
「お、お花を摘みに行きたいのですが、よろしいですか」
「……えぇ、勿論。メイドに案内をさせましょう」
その後、メイドに案内された個室トイレに入って、用事を済ませると、シャーロットはそれ以外の行動をすることなく、そのまま屋敷を後にした。
そしてその日の深夜。誰もが寝静まった時間帯。メイナード侯爵邸の個室トイレに、突如としてシャーロットは姿を現した。
「セネルさんには感謝しなくてはなりませんね」
小さな声で呟きながら、シャーロットは便座の裏側に手を伸ばし、そこに張られていた魔法陣が描かれた一枚の布を剥がすと、その布は瞬く間に黒く染まって崩れ去った。
これはベールズを発つ直前、セネルから譲り受けた魔道具の一つで、転移という希少な力を有する使い捨ての小型巻物である。それをシャーロットはトイレに行く振りをして設置しておいたのだ。
魔道具は《道具作成》のスキルなどを用いて自分、または他人のスキルを物に複写することで作り出す道具で、今回シャーロットが使用したのは貴重な転移系スキルを二つの巻物に分けて作り出したものらしい。
簡単に言えば、巻物①を開いた状態で何処でも良いので置き、遠くから巻物②を使えば、どれだけ距離があっても①がある場所まで転移出来るという代物。ただし、魔道具として活用できても一度使用すれば付与された物が壊れてしまうスキルもあり、転移系のスキルもその内の一つ。
(不法侵入になりますね……正直、罪悪感が……)
しかし、ルアナに繋がる手掛かりがある可能性がある以上調べておきたい。ゼオは意味もなく人を傷つける、本能任せの魔物とは違う。彼が人と戦うのは、大抵が正当防衛かよほどの怒りを覚えた時、もしくは人を助ける時ということを経験則から判断するシャーロット。
そんなゼオが屋敷に忍び込んでまでルキウスに危害を加えた以上、ルキウスはゼオが攻撃をしなければならないことをしていた可能性がある。気を取り直して、シャーロットは長い髪を結い上げ、セネルから譲られた魔道具を更に活用する。
「顔隠しのマフラー……でしたね。これを被ってと……」
首に巻くだけでマフラーに付与された《光学迷彩》のスキルが顔周りに効果を発揮し、肉眼で容貌を認識されなくなる魔道具だ。効果は既に実証済みであり、それに加えてシャーロットは土作業などの際に汚れても良い私服として黒を基調とした動きやすい服を着ている。
今の彼女はどこからどう見てもシスターには見えない。さながら闇夜に紛れて貴族の館に盗みに入った女怪盗と言ったところだ。
(不謹慎ですが……少しだけワクワクしてきますね)
《ゼオニールと二柱神伝説》を愛読書とするシャーロットは音を立てないようにトイレから出て、暗い廊下に溶け込むように移動を開始する。平民には意外に思われることも多いのだが、貴族出身の令嬢の読書傾向というのは恋愛ものの小説よりも、冒険活劇や浪漫譚といった小説の方が人気だったりするのだ。
貴族として定められた将来、その抑圧からのガス抜きなのだろう。シャーロットもそう言った気持に覚えはある。悪徳貴族の屋敷に忍び込み、盗んだ財宝で貧しい人々を助ける義賊が主人公の怪傑浪漫はお気に入りの作品だったし、いつか貴族として隠居をすれば世界中を旅してみたいとも思っていた。その夢をゼオを探すという目的で果たしているのは皮肉というべきだろう。
(友好国なだけあって文化体系が近く、グランディアの貴族邸と建築法も酷似しているのは助かりますね)
周囲の音に気を配り、慎重に進んでいく。時折手持ちランプを持って見回りをするメイドや執事も見受けられるが、それも一時間以上に一人が眠い眼を擦りながら適当に歩いている程度。元々外に衛兵を配置している屋敷の中を警戒する者は少ない。暗さも有利に働き、シャーロットの侵入は気付かれてはいないようだ。
そしてシャーロットは長年の貴族としての生活から、貴族の屋敷の構造というのを大まかに予想を建てることができる。主家の者たちが暮らす本館に使用人などが暮らす別館。厨房に稽古場、ダンスホール……そして独房。
もしもルアナがこの屋敷に閉じ込められていると仮定した場合、監禁場所としては最有力となる場所だ。
(グローニアやグランディアの貴族は捕らえた犯罪者を裁判機関の兵が正式に逮捕に訪れるまでの間、一時的に屋敷内に閉じ込めることが認められている。そしてその法に伴い、貴族たちは屋敷内に独房を用意することが義務付けられています)
それは生活圏となる一階から上に用意されることは殆どない。一階どこかから繋がる地下にあるの主流。どこかに地下へ通じる扉があるはずだ。
だが貴族の屋敷は、その機能美や構図を楽しむ一個の調度品として扱われる。地下牢などマイナスイメージがある場所へ続く扉は目立たないところにしたいだろう。だからと言って、緊急時に行き来や出入りに手間の掛かることにもしたくはない。それは高位貴族の屋敷にありがちな傾向だ。
それらを踏まえて地下牢へ通じる扉がある場所を探し、幾つかそれらしい小さな扉を幾つか見つけたが、結果は芳しくない。大抵は掃除道具などが入っている小さな倉庫だったり、食材庫だったりだ。そもそもシャーロットが狙いを付けた扉は、重要性の低かったり、頻繁に使用人が出入りするから鍵を掛けない場所の条件でもある。
見方を変えて、探す場所の目安を変えるべきかと悩んでいると、シャーロットは階段の影に隠された小さな扉を見つけた。屋敷中央辺りで、位置的にも部屋への扉や非常用出入り口という訳ではないだろう。
(ここだけ鍵が掛かっていますね)
中に入るには専用の鍵が必要となるわけだが……シャーロットはおもむろにヘアピンを取り出し、それを鍵穴に差し込んでカチャカチャと弄りだす。すると扉の鍵はガチャリと音を立てて開いた。
「昔、怪盗小説の主人公に憧れて身につけた鍵開けですが……意外な所で役立つものですね」
シャーロットが十四才くらいの時である。あの時は母に『令嬢とあろう者がはしたない』と叱られてしまったし、実際に使うこともなかったのだが、手は技術を忘れていなかったらしい。
何はともあれ、扉は開いた。シャーロットは扉を閉め、魔力の光を灯り替わりにして暗闇を照らすと、下へと続いていく階段があった。
(もしやここが……!)
緊張で早鐘を打つ胸を押さえながら階段を降りていくと、地面を直接掘って建設したと思われる、松明で照らされた土の部屋に辿り着く。そしてその中には、何か鋭利なもので切り裂かれたような大きな隙間の空いた鉄格子が設置されており、その向こうに一人のクォーターエルフの女性が鎖で両腕を壁に繋がれていた。
「だ、誰……?」
拷問の後なのか、全身に鞭打ちなどの後が目立つが、意識はハッキリとしている。シャーロットはまず鉄格子の向こう側から問いかけた。
「貴女はもしや、ルアナさんで間違いありませんか? ルアナ・リヒテナウアーさんで」
「そう、だけど……どうして私の名前を……? それに家名まで……」
見つけた。仮定こそしたものの、本当にルアナ本人が閉じ込められているとは本気で考えていなかったシャーロットは、逸る気持ちを押さえながら、何故か切り裂かれている鉄格子に出来た大きな隙間から中に入る。
「貴女のご息女の願いで、貴女を探しに来ました」
「ルル……? ルルがっ!? あの子は無事なんですか!?」
「今は王都にある女神教の教会に匿ってもらっています。詳しい事情は後で聞くとして、早く私と一緒に行きましょう」
彼女がルアナ本人であることは、教えてもいないルルの名前が出たことでほぼ確信した。シャーロットは彼女を縛る拘束具を見やる。
「……以前ママさんから教えていただいた、囚人を拘束する類の魔道具ですね。この手の魔道具は……」
スキル《浄化魔法》、レベル2から使える《カースブレイク》という呪いの類を解呪する魔法を発動すると、ガチャンと音を立てて拘束具が外れた。何度も脱出しようとしたのだろうか、ルアナの両手首は擦り剝け、血が滲んでいた。
拷問による怪我を癒すためにもシャーロットは《再生魔法》を発動。ルアナに刻まれた生傷を全て塞ぎ、衰弱してふらつきながら立ち上がろうとする彼女の腕を、シャーロットは自らの肩に回して、支えながら立ち上がらせる。
「あの……本当にルルは無事なの? それに貴女は……」
「説明をしたいところですが、この場に長々と留まるのは危険です。百聞は一見に如かずと言いますし、私の言葉が真実であるか確かめるためにも、早くここから脱出しましょう」
とは言ってもどうしたものか……侵入に使った転移の魔道具はもうない。弱っている上に足が不自由だというルアナを支えながら、衛兵に囲まれたこの屋敷を脱するのは無謀だ。
「あ……あそこ……」
その時、ルアナは牢獄部屋の隅を指さす。そこには、妙に綺麗な円形を描く凹みが見られた。
「あそこから魔物が出入りして……奥様の弟が塞いで……」
「魔物?」
やはりここにゼオが来たのだろうか。思い返せば、ゼオは腕を大鎌に変化させ、元婚約者であるリチャードの側近、騎士団長子息アレックスの両腕を切断していた。ゼオが進化に伴い、その刃の鋭さが高められているのなら、鉄格子を切ることも出来るかもしれない。
「いえ、今はそれよりも……あの凹んでいる部分には本来穴が開いていて、穴を塞ぐ土をどうにかすれば、外と出入りできる可能性があると?」
「えぇ。……で、でも魔法スキルで埋められたし、何の道具もないんじゃどうしようも……」
そんな言葉を聞きながら、シャーロットは辺りを見渡す。確かに使えそうな道具はない。ルアナも、シャーロットの細腕ではどうしようもないと思うのも無理はないだろう。
「少し、壁にもたれていてくださいね。……後、これから見るのは秘密にしておいてくれると嬉しいです。一人の女性としては恥ずかしいので」
可憐な仕草で羞恥を表現し、シャーロットは塞がった穴の前に両膝を付く。そして息を吐きながら右拳を振り上げて――――
「いきますっ。女神教秘伝、愛のゲンコツ!」
穴を塞ぐ分厚く固められた土を、衝撃が真っすぐに貫き、粉砕した。




