尻の破壊が証拠である
ルアナの失踪にはメイナード侯爵家が何らかの形で関与している。それを確信したシャーロットは、グローリア王国女王、エーデライトが毎日通う王城付近の教会にルルを預け、単独行動をとることにした。
想像していたよりも大きな権力が関与しており、今は一介のシスターでしかないシャーロットが単独で連れて歩くには危険と判断したからだ。敬虔な信者である女王が治める国の教会ならば、貴族だからこそ手出しは出来ないだろう。
シャーロット自身も巡礼も兼ねてその教会を拠点とし、普段は懺悔室の担当や教会主導の奉仕活動に精を出しながら、空いた時間でルルや教会に遊びに来る子供たちの話し相手。そしてメイナード侯爵や、ルルの実母と思しきアメリアに関する情報を集める。
幸いにも、メイナード侯爵やアメリアの生家であるローレンツ侯爵家は王城に頻繁に出入りする名家で、王都やその近辺で暮らしている。情報は集めやすい。
……巡礼活動にルルや子供の相手。その合間を縫っての積極的な情報収集。かなりのハードスケジュールだが、そこは元公爵令嬢で元次期王太子妃。レッスンや教養で寝る間も休む間も削って活動するのには馴れている。
(両家共に民衆からの評判は当たり障りのない……よく言えば安定している、悪く言えば進歩がない、ですね)
王都に最も近い場所に広大な領地を持つ故に、王都を拠点として活動出来るメイナード家は、マティウスが存命の頃は貧困層に対して職を斡旋し、経済的に豊かになるような政策を試みていたそうだが、ルキウスの代に移ってからはそう言ったコストのかかる政策はしておらず、現状維持。
代々王都に屋敷を構え、王城に文官や宰相、宮廷魔術師と幅広い分野で仕えてきたローレンツ侯爵家は、現在は宮廷魔術師であるカーネルが最も強い影響力を持ち、彼を軸に女王に仕えている様子。ちなみに現当主であるアメリアとカーネルの実父は出世街道から外れてしまったのか、文官長という中間管理職に長年就いている。
(私の予感が正しいものと仮定した場合、少なくとも彼らは積極的に罪を犯すことなく、水面下で誰にも気づかれないように行動している。そんな彼らの裏を読み取るには……)
まさか正攻法で行くわけにはいかない。幾ら世界的に影響力がある女神教の関係者でも、自分のような末端には高位貴族の内実に真っ向から探りを入れられるほどの権力はないのだ。
「主よ……罪を犯す私を、どうか見届けてください」
つまり影からこっそりと強硬手段。有体に言えば、違法行為を用いた情報収集だ。故郷での一連の出来事から、公爵家を出奔してから女神教での下積み期間に世話になった枢機卿のオカマ……ラブもこう言っていた。
『どうしても正攻法じゃ解決できないって時は、悲しいことだけど無理を通すしかないのよねぇ。まぁ、バレなきゃいいのよ、バレなきゃ。ただし、それをする時は我欲の為にしちゃだめなんだからねぇん? そして自分が悪いことをしているって、ちゃんと自覚し、懺悔することを忘れないこと』
悲しいことに、今の世は正攻法だけではなく非合法な手段も用いなければならない荒れた時代だ。でなければ何時までも人一人が失踪したままなどという状況が見過ごされるはずもない。ラブ自身も、かつてのシャーロットの義妹であったリリィに半ば無理矢理自白剤を飲ますという非合法を犯さなければ、グランディア王国は今も荒れていただろうし、シャーロットもここには居なかった。
なのであえて罪を被り、女神に対する懇願は許してほしいでも見逃してほしいでもない。因果応報を受けても構わないから、これからの行動を見届けてほしいと願うだけ。
(とは言っても……どうしましょうか)
高位貴族なだけに常日頃から警備があるので、生半可な手段では未然阻止されてしまうのは目に見えている。しかしいつまでも手をこまねいている訳にもいかない。これといった手段は思いつかないが、とりあえずメイナード家の屋敷の中の様子を探れないか、行動に移すことにした。
宮廷魔術師を擁するローレンツ家を単身で探るのは、本職でもないシャーロットには危険だ。片目で覗く小さな望遠鏡を購入し、少し離れた高い場所に登って窓から中の様子を窺うが、大したことは分からない。
「困りましたね……何か手掛かりが欲しいのですが」
もし自分が誰にも怪しまれない、飛ぶことのできて姿も消せる生物だったなら幾らでもやりようはあっただろう。シャーロットは首から提げた爪のペンダントを服の下から出して手のひらに乗せる。
ベールズで知り合い、ゼオと一時期樹海で暮らしていた魔道具職人、セネルがゼオの爪を用いて作り出したペンダントは、相変わらずグランドホールの方角を指し示していた。
(ゼオ……貴方が居てくれれば)
居場所が分かっているので幾分か不安は薄れているが、グランドホールは人類にとって未知の領域であり、悪魔を思わせる巨大生物が出入りしている場所でもある。そんな場所で一体何をしているのかは知らないが、それでも無意味にそこにいるわけではないだろうとシャーロットは考え、この場にいない魔物を頼るような弱きをみせるわけにはいかないと頭を振った。
結局、今日はこれといった進展はなく教会まで戻ってきたシャーロット。裏口から中に入ると、ルルがクマのぬいぐるみを抱きしめながら廊下の端に座っていた。
「おかえり、お姉ちゃん。…………あの、お母さんは?」
「……いいえ。残念なことに、まだどこにいるのか」
「……」
首を左右に振ると、ルルは無言のままシャーロットの服にしがみ付き、項垂れてしまった。そんな少女の頭をシャーロット慰めるように撫でる。
(早く見つけてあげたいですね)
自分自身の為にも、ルルの為にも、何よりも命の危険に晒されている可能性があるルアナの為にも。そう考えていると、廊下の奥から足音が近づいてきた。
「おお、シスター・シャーロット。ここに居たのですね」
「これは大司教様。ただいま戻りました」
「……こんばんわ」
「うん。ルルも挨拶が出来て偉いですね」
この王都の教会を女神教の総本山から任される大司教だ。余談だが、女神教は信仰圏の各所に教会を建てているが、人口の少ない町や村では助祭が、人の多く規模も大きい街には司教が、そして王都のような主要都市は大司教が着任することが多い。ちなみに鉱山の向こうの町を任される神父は助祭である。
「実はあなたにお願いしたいことがありまして……」
「はい、何でございましょう?」
「実は明日、王都の有力者を集めた会合に私も招かれることとなったのですが、その日はメイナード侯爵の治療に赴く予定でもあったのです」
「まぁ……治療とは、どういう事でしょう?」
シャーロットは内心で心臓が跳ねるような感覚を味わったが、それを表情に出さないように努めて冷静に問いかける。
「最近、メイナード侯爵は館に忍び込んだ魔物に襲われ怪我をされたのです」
「魔物が屋敷まで? 警備の目があった筈では?」
「その魔物は姿を消すスキルを有していた……というのが、向こうの考えですね。その魔物は依然として捕まっておらず警戒はしているのですが……」
姿を消すスキル。それを聞いてゼオの関与を思い浮かべるのは無理もない話だが、シャーロットはどちらかというと違うのではないかと考えていた。何せ今のゼオは巨体だ。姿を屋敷に忍び込める体格ではない。
(ですが多種多様な生物の特徴を持つキメラは幅広いスキルを覚えると聞きます。もしかして、私が知らない内に新たなスキルを会得したのでは……?)
そう考えるとゼオの可能性も出てくる。そして大司教の口から決定的な根拠が飛び出した。
「それでメイナード侯爵の容態ですが、攻撃を受けた際に壁に直撃して出来た頭の傷は最初の治療で治りました。ですが、その……角か何かで突かれたのか、攻撃を受けたのはお尻の穴だったそうで、そちらの方が怪我の具合が酷いんです。……筋肉が、断裂するくらいに」
「お、お尻の…………そ、そうなのですか……それは何というか……」
「…………痛そう」
シャーロットは元婚約者のリチャードを思い出した。彼もゼオによって徹底的に肛門を破壊されたのだ。魔物という、本来人間とはまるで異なる行動原理を持つ生物で、同じような手口を使われれば、それだけでもう犯人がゼオであるという確たる証拠だろう。
(あ、あの子は本当にもう……)
無性に恥ずかしくなってきて顔を赤く染めるシャーロット。ゼオもゼオで、まるで尻に恨みでもあるかのようだ。
「怪我をされてからは毎日私が通って治癒スキルを使っていたのですが、明日の会合は前々から頼まれて参加するもの。私が欠席するわけにも行かないのです。しかしメイナード侯爵の怪我も放置はできない。シスター・シャーロットは確か、高レベルの治癒スキルが使えましたよね? 書状を書くので、私の代理として明日はメイナード侯爵の治療に赴いて頂けないでしょうか?」
シャーロットが憶えているのは治癒ではなく、失った腕すら生やす再生のスキルだが、問題はない。むしろこれは好機だ。
「承りました。それでは明日、メイナード侯爵邸へと訪問することとします」
内部を探る絶好の機会。明日一日が勝負だと、シャーロットは気合を入れ直すのであった。




