大聖堂の女王
「これは……随分大きな街ですね」
鉱山で巨大な魔物と遭遇してから更に日数が経ち、通行許可証も無事に届き、整備された山道をルルを伴って通り抜け、王都アルストに辿り着いたシャーロットは、その隆盛の発展に故郷グランディアの王都を思い返した。
鮮やかな煉瓦で建築された建物の造りから、その計算しつくされた並びと道々。行きかう人の往来はまさに一国の首都に相応しい、誰かと連れ立って歩けば、すぐにはぐれてしまいそうなほどの人の波だ。
「ルル、しっかりと私の手を握っていてくださいね。はぐれては大変ですから」
「……うん」
キュッと自身の指を握る小さな手のひらを包み込むように握り返し、シャーロットはルルの歩調に合わせながらゆっくりと、向かいの通行人を避けるように端の方へと移動して目的地方面へと向かう。
「丁度お昼時に到着しましたね……ルル、まずは昼食にしましょう。あそこに食事処の看板も見えますから」
「…………」
ルルは無言で首を左右に振る。それの意味するところは、やはり母親の不在による不安なのだろう。
「ルル。今はまだ貴女のお母様が何処にいるのか、その手掛かりが一つもありません」
そんなルルの前にしゃがみ、彼女の両手を握ったシャーロットは、彼女の眼を真っすぐ見つめる。
「貴女がお母様と会いたい気持ちは良く理解しています。初めて会った時から毎日、お母様の行方を町行く方々に尋ねているのを見ていましたから」
「……うん」
「ですが、だからこそ食事を摂って力を蓄えましょう。無理をして倒れればお母様の顔を知らない私には見つけることも出来ません。それに、ルルのお母様は貴女が倒れることを望むような方ですか?」
「……ううん」
静かに、優しく諭すシャーロットに観念したのか、ルルは不承不承といった感じで頷く。そんなルルに内心で苦笑しながら、シャーロットは務めて明るく告げた。
「食事が終わればすぐにお母様を探しに行きましょう。大丈夫、きっと見つかりますよ」
単なる鼓舞であることは明白。しかし、時には気休めでも希望を持ち続けることも重要だ。その方が踏み出す足と意志にも力が入る筈だから。
こうして食事処に入ったシャーロットは軽食を済ませ、子供に人気という肉料理を慌てながら食べるルルを急かすことなく見守りながら、頭の中で情報を整理する。
(この大都市で闇雲に聞き込みをしても見つけられる見込みは無いでしょう。とりあえず、ギルドに人探しの説明と依頼を申し込み……の前に、教会に行くべきですね)
シャーロットは三年以上前に知り得た情報を頭の中で思い返す。
(あの方なら、ルルのお母様の事を存じている可能性は高い)
食事を終えてルルの手を引きながら、王城からもすぐ近くの場所に位置する大聖堂に辿り着く。木製の大きな扉の両側には腰に剣を提げた男が二人、両手を後ろで組みながら立っている。
「そこの娘、止まれ」
聖堂の中へと入ろうと真っすぐ向かってくるシャーロットたちに、男たちは声を掛ける。
彼らは門番と言えば門番。しかし、それは正式に女神教が雇った門番ではない。女神教は占拠や立て籠もりといった犯罪目的を理由に襲来する武装者などの悪漢を除き、遍く全ての者に対して扉を開いている。正式な理由も無く来訪者を追い返すようなことは禁止されているのだ。
それでもなお、門番は存在してシャーロットたちを追い返そうとしている。その理由はただ一つ……大聖堂の扉に門番を置くことが出来るほどの人物が、中に居るということに他ならない。
「女神教のシスターと見受ける。すまないが、今は中に入ることは出来ない。これは教会上層部も認めたことだ。しばしの間待たれよ」
「はい。存じております。……それにしても、お久しぶりでございますね」
「久しぶり? どこかで会ったことがあるか?」
男たちは首を傾げる。下手なナンパのような台詞に聞こえるが、その手の言葉とは違い、シャーロットは本当に門番の一人と面識があるのだ。
「片方の方は存じませんが、そちらの方とはお会いしたことがあります。グランディア王国の王城で」
「グランディアの……王城? ……あっ!?」
男は目を白黒させながら瞠り、困惑した様子で、無礼と知りながらも思わずシャーロットを指さす。
「シャ、シャーロット・ハイベル公爵令嬢? な、何故アルストに!? その恰好は……え!?」
「良かった、覚えていてくださったのですね」
「……? お姉ちゃん、知ってる人?」
「ええ。昔顔を見合わせた程度で、会話はありませんでしたが」
両手を合わせて少し安堵の息を漏らすシャーロットに困惑した様子のルル。その頭を撫でながら軽く補足する。公爵家令嬢で次期王太子妃であったことなどを言い出したら事情の説明に切りがないので割愛だ。
「とは言っても、貴方方が私に対して畏まる必要は一切ありません。今の私は家を出奔して一介のシスターとなった身……身分制度に照らし合わせれば、貴方方の方が位は高いでしょう。それでも、お願いがあるのです」
両手を前に組んで深く頭を下げる。平民階級における最敬礼でありながら、その姿勢や仕草の美しさは貴族女性の最敬礼にも匹敵する気品を漂わせていて、門番たちは目の前に居るのが今なお貴族籍に身を置く極めて高貴な令嬢であると錯覚した。
「今中に居られる御方に、私の名を出して問い合わせていただけませんか? 『三年前の約束は、今も有効ですか?』……と」
「は、はい。ただいまっ」
完全に気圧された様子で慌てて中に入っていく門番。その姿に苦笑しながら少し待つと、大聖堂から出て来るや否や、もう片方の門番に耳打ちをし、二人は扉を開けながらシャーロットとルルに道を譲った。
「どうぞお通りください。陛下がお待ちです」
礼と共に再度頭を下げて、シャーロットたちは大聖堂の中へと入る。入り口から入った正面、その一番奥にある礼拝堂に向かう最中、元々この大聖堂に勤めていたであろうシスターを捕まえてこれまでの事情を軽く端折りながら説明すると、シャーロットはルルの手を放し、安心させるような明るい笑みを浮かべた。
「ルル、少しの間こちらの方と待っていてもらってもいいですか? この奥に居られる方と大事な話があるので」
「……うん」
ルルは少し不安そうな顔をしていたが、聞き分けよくシスターと来客室へ向かう。その姿を見送ってから、シャーロットは礼拝堂へと入ると、そこには一人の貴婦人が両膝を床につけて熱心に祈りを捧げていた。
中央奥に設置された十字架と、それを囲むように飾られたステンドグラス。大聖堂そのものの規模もさることながら、そのステンドグラスもまた見事という他にない。
オルバックの教会でもそうであったように、女神教の教会では女神に係わる伝承などをモチーフとしたステンドグラスが飾られることが多い。ここアルストの大聖堂では、巨大なドラゴンと対峙する女神と、彼女に従う騎士の姿が表現されていた。
「《鋼の英雄》……古来から数百年周期でこの地に現れては災厄をまき散らすという竜の王を、女神から遣わされた鋼の騎士がグローニア王国を守るために現れるという、我が国で広く語り継がれる御伽噺ね」
祈りを妨げないよう、静かにステンドグラスを眺めていると、貴婦人はゆっくりと立ち上がりながらシャーロットの方へと振り返る。
蜜色の髪を団子状に纏めた四十半ばといった中年の女性だが、その目に宿る活力は体力が衰え始めた者のそれではなく、十代や二十代の若者にも決して劣らない気力のようなものを感じられた。
「久しぶりね、シャーロット。三年前の訪問以来かしら……ますます綺麗になって」
「……ご尊顔拝謁叶いましたこと、恐悦至極にございます。エーデライト女王陛下」
グローニア王国現国主、エーデライト・グローニア・アインベルツ。十年以上前にグランディア王国との友好関係と交易条約を取り持った他にも、様々な政策で国を発展させてきたことで知られる女傑である。
「三年前、亡き王妃殿下の代わりに貴女が立派に対応していたものね。その時、世間話程度に少し話した私の日課のことを覚えていたのかしら」
「私も女神教の信者にございます。貴女の敬虔さには感銘を受けましたから、それが印象的であったというだけです」
その一方で熱心な女神教信者としても有名だ。大聖堂からも近い王城住まいであることもあって、ほぼ毎日、この時間帯に祈りを捧げに行くことを日課にしていると少し話していたことをシャーロットは覚えていた。
どれだけ良き治世を敷く賢君であったとしても、人にはとても言えない後ろ暗いことをしなくてはならない時もある。そんな己が少しでも赦されるためか、国家元首には女神教の信者である者も多い傾向にある。
「グランディア王国で起きた事、私の耳にも届いているわ。ベールズで起きた事もね。半年前の段階で我が国の王太子が貴女を次期王妃として迎えに行こうとしたけど、貴女は既に旅立った後で空振りに終わったのよ? 知ってた?」
「そんな……お戯れが過ぎます」
クスクスと口元を手で隠しながら笑うエーデライトに、シャーロットは何とも言えない困った表情を返す。
「別に冗談を言っている訳じゃないわよ。王都を襲った魔物を退散させ、危険区域から飛び出してきた魔物の軍勢から町の住人を守ったこと……それを聞いた人々は貴女を聖女と呼んだことでしょうね」
「……私には過ぎた称賛です」
「その謙虚さもまた民衆の人気を集めるのよ。シャーロットも分かっていると思うけど、神的権威というのは決して馬鹿に出来るものではないわ」
女神教の宗教圏では、民衆の殆どが信者という形で関わっている。公爵や王族の関係者が女神の信者として善行を繰り返せば、それは民衆の感心を買い、支持を集めて政的な力となるのだ。
「そこに加えて次期王妃として長年培った確かな教養と能力。たとえ平民になったとしても、貴女を養女として高位貴族に迎え入れさせて後ろ盾を作ってから王妃にしたいと願う王族も多いわ。何処の国とまでは言わないけど、グローニア以外でも貴女を探していた国はあったようよ?」
困った笑みを外せないシャーロット。もはや上流階級としての厚遇など彼女にとってさほど意味のあるものではない。そんな彼女の心証を察してか、エーデライトは苦笑を一つ零してから話の方向性を変えた。
「まぁいいわ。本題に移りましょう。察するに貴女、私に聞きたいことがあるんじゃなくて?」
「はい。三年前にお会いした時、陛下からは『悩みや分からないことがあるなら何時でも訪ねて良い』というお言葉を頂きました」
「私としては、グランディアの亡き王妃殿下に変わって、王宮における女の立ち回りを教えるつもりで言ったのだけど……まぁ、何を教えるか具体的には言っていないし、口約束でも約束。良くてよ、内容にもよるけど、聞かれたことには答えましょう。話してごらんなさい」
「ありがとうございます。実は……」
シャーロットはこれまでの経緯を事細かにエーデライトに伝えた。