ゼオニール物語
ゼオは全身に冷や汗を掻くのを感じながら地下水路を飛翔する。
(あっぶねぇー。SPは消費したけど、何とか逃げられたな)
基本的に何事もなければ人間との敵対行為はしたくないゼオにとって、あの場で姿を晒すのは勿論のこと、《透明化》スキル発動中であっても居座ることは得策ではなかった。
結果としては有用そうで今まで持っていなかった系統のスキルを覚えたので問題無しとしたが、気掛かりなのは牢に繋がれた女の事だ。
(流石に見ちまったからには知らんぷりって言うのは気分的にちょっとなぁ……。でも、どうやって助け出そう)
侵入自体は問題ない。増築か改築かの影響で土に埋もれていたが、恐らく元は緊急用の脱出通路だったのだろう。そこからもう一度入ればいつでも行ける。
しかし問題は魔道具でもあるあの手枷。力尽くで引き千切れないならゼオにはどうしようもない。必要となるのは恐らく僧侶とかが得るスキルだろう。
だからと言って魔物のゼオの訴えを、人である聖職者たちが聞き入れる可能性が低いことくらいは分かる。哀しいことにそれが現実だ。全ての人間が、こちらの事情を察してくれるとは限らない。
(せめてお嬢か、もしくはラブさんが居ればなぁ)
二人を女の元まで連れて行って解除……までは出来なくても、伝手でどうにかしてくれるかもしれない。
とりあえず、明日から食い物を持って通うことにしようとゼオは心に決める。やつれていたようなので食事もまともに与えられていないかもしれない。逃がす算段は未だ立っていないが、何をするにしても体力は必要だ。
「ガァ?」
そのまま地下水路を脱して夕焼けの空を駆け抜ける。森に戻ってグリーンゴブリンたちの遺跡に戻ろうとすると、何やら遺跡の辺りが騒がしい。
「ゴブゴォオ!!」
「ゴギャギャ!!」
少し急いで戻ってみると、遺跡に前で松明を焚きながら整列しているグリーンゴブリンたちの姿。ゼオが戻ってきた事を確認すると、楽しそうに楽器を掻き鳴らしながら踊ってキメラを出迎えてくる。
(……だからどうしてお前たちは俺を見た途端に踊りだすんだい?)
本当に意味が分からない。グリーンゴブリンたちの行動の意図も考えるべきか悩んでいると、ゼオはあるグリーンゴブリンたちを見つけた。
何やら踊り子らしき衣装を身に纏い、他のグリーンゴブリンたちと比べても一際キレのある踊りを披露している個体群。それを見ていると、どうにもあの個体たちが他のグリーンゴブリンたちを纏めているように感じた。
【ゴブリン・ダンサー】
【グリーンゴブリンの進化系の一種。嬉しくなると踊りだす性質を持ち、それに周囲のグリーンゴブリン系統の魔物を巻き込むスキルを持っている。雌のグリーンゴブリンは大抵ゴブリン・ダンサーに進化するので、永い時を掛け、グリーンゴブリンは歌と踊りを愛する種族になったとか】
(お前が原因か!?)
よくよく考えれば、他のグリーンゴブリンからすれば傍迷惑な存在だ。しかし、それ以上に気になることがあった。
(……状況から考えて、俺という存在がゴブリン・ダンサーたちを喜ばせているってことなんだろうけど……結局、それは何でなんだ?)
推測に間違いはないと、ゼオは半ば確信している。でなければあれほど熱烈な接待を受け、ゴブリン・ダンサーが連日踊ることになるとは考えにくい。
ならばその原因があるはずなのだが……と、ゼオが考えに耽っていると、遺跡の奥からゴブマルが姿を現して手招きをしてきた。
「ゴブゴブゴ」
恐らく『付いてこい』……と言う事なのだろう。遺跡の奥へと戻っていくゴブマルの後を付け、最奥へと辿り着くと、そこには今日出掛けるまでは確認できなかった、大きな通路が出来ていた。
(これはもしかして……隠し通路か!? こんなのあったのか)
意外な通り道の登場に呆然としていると、ゴブマルが奥へ進むように促してきた。慌ててゴブマルの背中を追いかけると、そこには幾つもの松明で明るく照らされた、大きなドーム状の部屋になっており、壁一面には壁画が彫られている。
(これは何の絵だ? 抽象的でいまいち分からん)
現代日本で暮らし、写真やキャラクターイラストに慣れ切った前世を持つゼオに、どこぞの古代文明並みの絵など何を描いているのか理解できるわけもない。
(でも何だろ? どっかで見た……というか、どこかでこの絵に似た感じの話を聞いたことがあるような)
「ゴブゴ。ゴブ」
既視感と言えばいいのか……自身が抱いた感覚をどう表現すれば悩むゼオだったが、その正体はゴブマルが指し示すある一点によって明らかにされることとなる。
(あれは本か?)
壁画ばかりに目を奪われ気付かなかったが、部屋の中心には台座に置かれた一冊の本があった。恐らくゴブマルはこれを読め……そう言っているのだろう。それに従い本の前まで歩み寄り、タイトルを眺める。
装飾も絵もない表紙には、《ゼオニール物語》と簡素に記されていた。
(俺の名前の大元になった本だ)
シャーロットがつけてくれた、この世界で自分が存在していることを証明するための大切な名前。そのモデルとなった物語の主人公。恐らく、以前見た《ゼオニールと二柱神伝説》と何らかの関りがある本なのだろうが、なぜそんなものがここにあり、ゴブマル……というか、グリーンゴブリンたちが自分に見せようとするのか……ゼオは首を傾げた。
【ゼオニール物語原本の一部】
【稀代の童話作家、ラテアス・メイプルが執筆し、聖男神教によって焚書にされることを恐れてグリーンゴブリンに預けられた、女神教の宗教圏で古くから語り継がれる叙事詩、《ゼオニールと二柱神伝説》の大元となった本の一部。状態を維持する幾つもの魔法が施されている】
《鑑定》で調べてみても特に怪しいところはない。とりあえず読んでみようとページを捲り、異世界でも見たことのない文字を目で追っていくにつれて、ゼオの表情は次第に凍り付き始める。
ライトノベルに慣れた彼からすれば、まるで古文のような文章や言い回しで読みにくかったが、大まかにはこのような物語だった。
冒頭部分は以前見聞きした《ゼオニールと二柱神伝説》と同じような内容だ。この世界に古くから存在する女神を、同じ時から存在する男神が虐げ、女神の十人居る友にまで呪いを掛けた後、勇敢で心優しい若者、ゼオニールが女神の嘆きに応えて男神を倒し呪いを解く旅に出る……しかし、問題はここからだ。
旅の最中、とある王国に立ち寄ったゼオニールが迫害されていた聖女と出会うこと。
孤独だった聖女とゼオニールは共に過ごし始め、絆を育むようになったこと。
幸せを取り戻し始めた聖女を周囲の人々が許さず、その怒りが男神の御使いを呼んで聖女を攻撃し始めたこと。
ゼオニールは何とか御使いを倒すが、その戦いによって巻き起こった嵐によって聖女と離れ離れになってしまったこと。
嵐に飛ばされた先で異界より現れた傲慢で強欲な魔人に家族も恋人も奪われた職人と出会ったこと。
人里から離れて職人と隠れ住むようになったが、職人は魔人たちへの復讐の念を忘れられないこと。
復讐に赴いたものの、返り討ちとなった職人を救うために獣の王の助力を得たゼオニールが助けに向かうこと。
魔人は倒したが、魔人の最後の抵抗によって引き起こされた津波によってゼオニールが遠くまで行ってしまうこと。
そこで物語は終わっている。というか、背表紙が引き裂かれてそこから先が無くなっていると言った方が正しいだろう。
しかし、ゼオにとってそこは最早どうでも良い。問題なのは、どうしてこれまでゼオが体験してきた出来事が、こんな古い本に記されているのかということだ。
(勿論、細かいところは違ってる。でも大まかな所は俺のこれまでの異世界生活と殆ど同じなんだが……!)
ゼオニールをゼオ。聖女と職人をシャーロットとセネル。御使いと魔人をリリィと和人とすると、この本にはこれまでのゼオの戦いの記録が記されていたということだ。少なくとも、この遺跡が出来上がってであろう数百年以上も前に。
(予言か、未来予知のスキル……? それで俺たちの事を知って物語にした……? ダメだ、分からん。分からんけど……)
ゼオは本が置かれていた台座そのものに目を向ける。そこには本に記されていた文字と同じに見える文体でこう記されていた。
――――今この本を読んでいる、異世界から来た君に祝福があることを切に願う。 ラテアス・メイプルより。
(この本を置いた奴が、遺跡を作ったと思われる奴と手を組んで、グリーンゴブリンたちにこの本を俺に読ませるように仕組んだってことは何となくわかったぞ)
意図は相変わらず不明のままだ。しかし、確証はないが確信に似た推測がゼオの中で組み立てられる。
(俺がこの世界に転生した理由と、《ゼオニール物語》は何らかの関係がある……少なくとも、作者はあの白い女と関係があるんじゃないのか?)
でなければ、異世界から来たなどと、ゼオという魔物の真実、その核心を突くような文字を前もって掘るようなことはしないだろう。現状、このヴァースでゼオが異世界から転生してきた魂の持ち主であるということを知って居そうなのは、白い女ただ一人だけのはずだ。
(これはデカい前進だ。とりあえず、ゼオニール関連の物語を繋ぎ合わせていけば、俺が何でこの世界に転生したのか、その理由が分かってくるかも)
無駄足という可能性を理由に行動に移さないという選択肢はあり得ない。そうと決まれば明日に備えて休息と腹ごしらえだ。寝床も食料もグリーンゴブリンたちが用意してくれるので、現状野生で生活しておきながらニート気分を味わえている。
(それに……ちょっと気になることもあるしな)
ゼオはゴブマルを伴って壁画の部屋を後にすると、ふと通路の入り口の脇に置かれたレンガの山を視界に映す。
(あぁ……この隠し通路、レンガをセメントとかで固定せずに敷き詰めて塞いでたのか。それで壁に見せかけて…………あ)
ゼオはピンッ! と、豆電球が浮かびそうな勢いで、ある事を閃いた。




