ゴブリン・ダンス
遺跡の最下層ではグリーンゴブリンたちによる宴の音楽が響く。《物作り》のスキルによって生み出された骨と骨を打ち鳴らせる打楽器に、動物の皮を張った太鼓。
ゴブリンたちの両腕で抱えられるくらいの大きさの石を骨や木の枝で叩けばカッカッカッと軽快なリズムが鳴り響き、盛大に焚かれた篝火の中で、グリーンゴブリンたちは鳴き声を歌声に変えて祭囃子を奏でていた。
「ゴ~ブゴブゴブゴ~ブ、ゴブゴブゴ~ブブ~」
「ゴ~ギャゴギャゴギャギャ~ギャ~、ゴ~ブゴギャゴギャゴギャゴ~」
そんな宴の中心には供え物である山盛りの果物や焼き魚。その正面に座る、小さなキメラが居た。人の成人、その半分よりも少し低い程度の伸長しかないグリーンゴブリンよりも、さらに半分。子猫や子犬ほどの体高しかない、青白い炎の翼が特徴的なキメラだ。
「ゴギャゴ! ゴギャゴブ!」
ゴブリンヒーローのゴブマルがキメラの隣に乱暴に座り、水で満たされた木の実の殻の器を片手にキメラの肩を叩きながら何かを語りかける。すると近くに居たグリーンゴブリンたちも一斉にその様子を注視し、竜のそれに似たキメラの口から放たれる言葉を待ちわび始めた。
「……ギャ、ゴギャ?」
しかし、出てきたのはくぐもったゴブリンの声真似。そもそも種族が違い、声帯の作りからして違うキメラがゴブリンの言語など放てるわけがない。そういうスキルがあれば話は変わるが、このキメラにはそれもないのだ。
『『『ゴーブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゥウウウ!!』』』
しかし、当のグリーンゴブリンたちは大喜び。肩を組み合ってスタンディングオベーションだ。両手を頭上で打ち鳴らし、鳴り響く音楽はより力強く、勢いのあるものへと変わり、小鬼たちは踊り始める。
一斉に踊りだすグリーンゴブリンたちのステップは、一切の淀みのないムーンウォークだ。思わず惚れ惚れしてしまいそうになる。
キメラは自身に献上された食料の山の中から果物を一つ掴み、その牙で齧り、ゆっくりと咀嚼しながら思う。
(…………何でこいつらこんなに大喜びしてるの……?)
当のキメラは、ゴブリンたちの熱狂的なまでの歓喜に、完全に置いてけぼりにされていた。あまりに意味不明過ぎる状況にちょっと泣きたい気分だ。
「ゴブゴ、ゴブゴブ?」
そんなキメラを他所に、ゴブマルはキメラが持つ木の実の殻で出来た水杯に水を注ぎながら何かを聞いてきた。しかし、当然のごとくキメラにはゴブマルが何を言っているのか、微塵も理解できない。
「ゴギャ、ゴ」
『『『ゴーブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゥウウウ!!』』』
とりあえず親指をビシッと立てながら意味など無い声真似を出してみれば、これまた大喜び。グリーンゴブリンたちは喜びのあまり、しまいにはキメラを中心に円陣を組み、さながら櫓でも囲んでいるかのように盆踊りを音楽に合わせて踊りだす始末だ。
(何でだよ。何で俺を囲んで踊り始めるんだよ?)
ゴブリンたちが何を喜んでいて、何を言っているのかがまるで分らず、キメラは頭を抱えて項垂れる。
このままでは何時まで経っても事態が把握できない。キメラは試しに、「どういうつもりなのか」という意思を込めて声真似を発してみた。
「ギャゴ、ゴ、ギャ」
『『『ゴーブゴブゴブゴブゴブゴブゴブゥウウウ!!』』』
しかしこれにもグリーンゴブリンたちは大喜び。今の言葉をどう受け止めたのか、ドンドコ太鼓を鳴らし、キメラの正面で三匹同時にリンボーダンスを披露し始めた。
そんなグリーンゴブリンたちの舞踊を死んだ目で眺めながら、小さなキメラ……もとい、アビス・キメラのゼオはただただ頭に疑問符を浮かべるしかなかった。
(なぜだ……なぜ何を言っても踊るんだ……!?)
何を言っても大喜びするグリーンゴブリンたちに囲まれ、ゼオは途方に暮れる。
ここにはキメラの意思を把握できるオカマも居なければ、スキルの言語もなく意思疎通できる相手も居ない。悲しいことに、ゼオの疑問に答える者は、誰一人として居なかった。
翌日。宴の跡をそのままに、鼾をかきながら眠るグリーンゴブリンたちの中心で、ゼオはのそりと身を起こし、昨日までの記憶を振り返る。
(スキルオーブでスキルを習得したと思ったら、ゴブリンたちが一斉に俺に懐いた。言葉は通じないから確かなことは言えないけど、何か懐いたっぽい。以上)
端折っているようにも聞こえるだろうが、それ以外に言いようがない。《鑑定》スキルを使っても情報らしい情報が出て来ず、先ほどまで敵対意識を持たれていた相手に一斉に慕われるようになったのだ。こんなもの、困惑する以外にない状況だろう。
(でもまぁ、悪いことじゃないな)
理由は分からないが、歓迎されているということは分かる。こちらに害意がないのだし、元々魔物でもいいから共に暮らせる相手でも欲しいと考えていた。グリーンゴブリンたちの対応は、ゼオにとって好ましいものだった。
(しばらくこの遺跡を拠点にしよう。これだけ賑やかだと寂しいとか思う暇もないし)
……グリーンゴブリンたちの態度に関する疑問は全くもって尽きないが。後、何を言っても踊りだす理由も。
(それはそれとして新しいスキル、《収縮》……外れスキルって言われてどんなのかと思ったけど、これは良いものだ)
ゼオはつい先日手に入れたばかりのスキルの力を反芻しながら、ステータスを開く。
名前:ゼオ
種族:アビス・キメラ(状態:収縮)
Lv:92
HP:1632/1632
MP:1630/1630
攻撃:1310
耐久:1309
魔力:1310
敏捷:1303
SP:3698
これが《収縮》スキル発動時のゼオのステータスだ。人間相手なら大抵の敵は倒せるが、危険地帯の魔物を相手にするのならあまりに心許ない数値。
そもそも、技量というものが強さに反映されやすい人間とは違い、魔物の接近戦の強さはステータスの他にも体格に強く依存する。ゼオにとって、この状態のまま戦いに臨むのは自殺行為に等しい。レベルを上げるために強い敵と戦うのなら尚更だろう。
戦いにおいては何の役にも立たないどころかデメリットしかないお遊びスキル……まさにスキルの説明文通りの性能だ。
(だが、これが俺が一番求めていたスキルでもある!)
体が小さくなるということは、それに伴って胃袋を含めた内臓器官全てが小さくなり、体を動かしたり維持したりするのに必要なエネルギーが減るということ。最近もっぱら問題視していた食料問題が一気に解決したのだ。
(それに何故かグリーンゴブリンたちがご飯くれるし、一番の悩みが消えて本当に良かった)
危うく餓死するところだったゼオは内心安堵した。
体が大きければ戦いでは有利になるが、日常生活では不便極まりない。小さな洞窟を見つけても寝床に出来ないし、狭い通り道も通れない。何よりプロトキメラ時代まで重用していた《透明化》が、巨体のせいで半ば死にスキルと化していたのだ。
だか《収縮》と併用して発動すれば、人で溢れる街中ですら移動できるだろう。活動範囲は大幅に広がったと言ってもいい。
(やっぱり人間を見ないとね、心まで魔物になりそうだし)
メリットは思った以上にあった。とは言っても、やはりデメリットは大きい。《収縮》スキルの発動中に不意打ちでも食らえば耐えられる可能性は著しく下がるし、例えば同じ威力の斬撃を受けたとしても、巨体の時に受ければかすり傷程度の浅さに感じても、小さい時に受ければ致命傷になり得る深さなのだ。
(気配探知系のスキル……これの習得が必須だな)
これから戦闘時以外は体を小さくした状態で過ごすことになるだろう。その時に即座に敵に対応するためには、危険を事前に察知できる類のスキルが必要不可欠だ。
(……それにしても……はぁ~~~……)
ゼオは深い溜息を吐いた。
(もうちょっと早くにこのスキルを習得できれば、お嬢の所に残れたかもなのになぁ)
王都で大暴れした以上、グランディア王国の住民たちはキメラに対して強い忌避感を持つかもしれないが、体を小さくした状態で森にでも隠れ住みさえすれば、シャーロットと密かに会い続けることだってできたかもしれない。
元々隠れて公爵邸で暮らせていたくらいだ。今思えば、あの令嬢らしからぬ小さく質素な部屋での暮らしが、異世界生活の中で一番幸せだった。
(あああああああ……! 後悔が押し寄せてきやがった……!)
あれから半年以上経った今でも鮮明に思い返せる。頭を撫でるシャーロットの手のひらの感触。顎下をくすぐる白魚のような指。太ももの上に乗せられた時に感じた柔らかさ。同じ布団で眠った時にゼオを包み込んだ、芳香剤の数百倍良い香り。絶世の美少女の体を思う存分堪能できる幸せペット生活。
(分かってるよ……あの時は俺がお嬢から離れるしかなかった。……でも、あの生活を手放すのは、本当に惜しいことをした……!)
食事など質素なものでいい。住む場所が狭くても文句はない。ただ、シャーロットと共に愛欲双方交えた暮らしを、ゼオは送っていたかったのだ。
そして何より、抱きしめられた時に感じ、シャワー室で直に拝んだ巨大な双丘。男のロマン。アレは本当に素晴らしいものだった。《鑑定》で覗いたサイズや詳細も鮮明に覚えている。忘れるわけがない。
トップ九十二㎝のアンダー六十七㎝のGカップ。年齢を考えれば、今頃更に大きくなっている可能性も否定できな――――。
【有罪】
どこかで聞いたことがあるような言葉が頭の中で響いた途端、本人の居ないところで好き勝手に不埒なことを考えていたゼオに天罰が下る。
「ゴ……ギャ~」
「ガブゥウウッ!?」
隣で寝ていたゴブマルが寝相と共に裏拳をゼオの顔面に叩きこんだのだ。《鎧通し》のスキルも合わさって凄く痛い。
(ま、まぁお嬢が居る方角も分からないし、今は建設的なことを考えよう。《収縮》スキルも手にしたことだし、行動範囲を広げたいところだな)
これ以上同じことを考えるのはちょっと危険だと何となく感じ、鼻を抑えながら思考を切り替えたゼオは、探索に出る場所の候補地を頭の中でリストアップしていく。
(そう言えば、鉱山の上空から周りを眺めた時、人が住んでそうな場所があったな)
プロムテウス鉱山を挟んだ大きな都市と小さな町だ。どっちに行っても体を小さくした状態で透明になれる今のゼオなら人にバレない様に探索することが出来る。
(…………よし、今日は大きい方の都市の探索をしてみるか。特別急ぐ用事でもないだろうし、レベルアップとルキフグスの調査は、知的好奇心を満たした後にしよう)
……しかし、この時のゼオは予想だにしていなかった。この選択が、新たな〝ざまぁ〟の始まりであったということに。




