シャーロットとルル
「お母様が帰ってこられない? 半年近くもですか?」
プロムテウス鉱山麓の町に建てられた女神教の教会。その一室で年配の神父から話を聞いたシャーロットは僅かに瞠目する。
「えぇ。もう半年以上も前になりますか……。ルルの母親……名前をルアナというのですが、彼女が突然姿を晦ましまして。ルアナさんが仕事の間、まだ幼いルルを教会で預かっているのですが、普段なら夕方頃には迎えに来るのに、夜になっても深夜になっても迎えに来ず、彼女の仕事場に足を運んでみたのですが……」
「既に退勤していたのに、戻ってこなかった……そういうことですね?」
神父は重々しく頷く。
「真面目な方で、裕福ではありませんでしたが、貧困に苦しんでいる訳でもありませんでした。借金をしている様子もありませんでしたし、お勤め先では今でも大変心配されているので、仕事関連のトラブルもなかったようなのです。だというのに突然の失踪となると……正直、最悪の可能性が頭から拭い切れません」
この時世、半年も失踪すれば、それは死んでいると同義だ。魔物に食われたか、犯罪者に襲われたという仮説が有力だろう。まだ比較的マシな可能性としては、ルアナがルルを捨てたということも考えられる。
シャーロットは思わず、空いた扉から見える礼拝堂の長椅子に座り、小さな足を所在無さげに揺らすルルに視線を向ける。その表情は何とも暗いもので、シスターたちが棒付き飴を持って何とか慰めようとしているが、母が心配で食欲どころではないのか、受け取る様子も見られない。
「我々の方でもルアナさんの行方を捜してはいるのですが……それも一般人で探れる範囲内。この町には冒険者ギルドもないですし、あるとしてもアルストの方。手紙を通じて依頼は出したものの、今のところ受諾の返事はありません」
冒険者は慈善事業で無ければ、捜査組織でもない。女神教の僧侶たちの数は全体から見れば少ないので、解決できる見込みの少ない半年も前の失踪者の捜索など、大抵の冒険者はやりたがらないだろう。
「ふむ……そうですね」
シャーロットはしばしの間思案し、やがて神父に問いかけた。
「ルアナという方の情報を出来る限り教えていただくことは出来ますか? 最後に会った時の事、普段何をされているのか、どんな些細な情報でもいいので」
「……もしや、シスター・シャーロット」
「私はしばらくの間、アルストとこの町を拠点にしてプロムテウス鉱山付近を探索する予定なのです。それと両立する形になりますが……」
「捜してくださると!? えぇ、えぇ、それでも構いません! ギルドに所属している方の協力を得られたとなれば実に心強い!」
シャーロットは冒険者の資格を持っているので、神父が出した依頼を受けることが可能だ。ギルドの方には事後承諾となるが、依頼主の許可を得たという事情を話せば問題ないだろうし、アルストに向かうための通行許可書が届くのもまだ日数があるので、町で話を聞いてから鉱山でゼオを探すこととルアナの捜索を両立することも出来るだろう。
一般人が立ち入れない場所という点では、あの広大な鉱山……その人気のない場所も十分条件に当てはまるのだ。
「では早速ですが、初めにルアナという方の人物像について教えていただけますか? 分かる範囲の来歴も」
「分かりました。ひとまず、こちらに」
神父は話声がルルの耳に入らない別室にシャーロットを招き入れると、二人は向かい合うようにテーブルに着席した。
「ルアナさんがこの町に来られたのは今から大体八年ほど前……ルルが産まれたばかりの頃です」
「物心がつく前に……と言うことは、お二人は地元の方ではなかったということですね?」
「はい。なんでも安定して住める場所と務められる仕事場を求めて来たらしいのですが、それ以前のことは分かりません。こちらも詮索などはしませんでしたから」
引っ越してきた者が、その地の者に経歴を明かす必要性はない。目に見えた害やあからさまな問題でもない限り、神父たちの対応は当然のことだろう。
(なぜわざわざこの町に訪れたのか、少々気掛かりですね)
だが言ってはなんだが、アルストという大きな都市と山道で繋がっている割には、不思議なことに客観的に見てもこの町は辺鄙な田舎だ。元から暮らしていた者が永住するのならともかく、外から来た者がわざわざこの町を選んで住む理由があるとは思えない。
(この町でなければならない理由があったのか、この町でもよかったのか……それとも、この町しか選択肢がなかったのか)
家賃や物価といった経済的理由から、痴情のもつれといった人間関係的な理由までシャーロットは視野を広げる。しかし、教会への道すがら露店などを軽く覗いてみた限り、同じ野菜や果物、肉類でも他の町と値段が大差がないので、少なくとも経済的理由でこの町に居たという可能性は低くなった。
「後、ルアナさんは昔左足を怪我されていたみたいで、今でも杖を突き、足を引きずりながら歩くほどの後遺症が残っていました。それで普段は座り作業の機織り仕事をされていて……」
「…………この町では、織物が盛んなのですか?」
「いいえ、特にそういう事はありませんが? この町の機織り場も、平民向けの服飾店に卸される物を作っているようですし」
つまり何処にでもある極々普通の職場だ。仮にルアナが機織り仕事に憧れでも持っていたとしても、この町で無ければならないという理由があるとも考えにくい。
「無い可能性の方が高いのですが、知人の方……ご友人がご親族がこの町にいらっしゃって、その伝手を頼ってきた……そういうことを言っていたことはありますか?」
「無いですね。むしろ、最初は住める場所もなくて親子共々教会に身を寄せていたくらいです」
これは予想通りだ。そもそも頼れる知り合いがいれば、ルルは教会ではなく、その知人の家に預けられただろう。
「あと……ルルとの関係はどうでしたか?」
家庭の内情や親子関係を探ることに、シャーロットは少し聞き難そうに問いかけるが、その後ろめたさを感じ取った神父は特に気にすることなく答える。
「良好ですね。祈りを捧げに来ることもあれば、仕事の関係上、納期で忙しい間はルルを教会に預けることが偶にあったので、あの二人の事はよく知っているのですが、ルルもルアナさんによく懐いていたし、ルアナさんも娘自慢が長くなるくらいで」
「そうですか」
シャーロットは内心、ホッと溜息を吐いた。少なくとも、ルアナはルルが疎ましくなって捨てたという、色々と救われない事情がある訳ではなさそうだ。
「となると、ますます嫌な予感が当たっていそうですね」
「……はい」
神父もシャーロットも苦々しく表情を歪める。魔物か、それとも殺人犯か誘拐犯か、居るところには居る脅威に晒された。この未だ不安定な時代を生きる者ならば、そういう結論に至るだろう。
「ですがこの町に入る直前、魔物除けの魔道具を見かけましたが、半年前からこの町で魔物を見たという方は居ないのですか?」
「それはないです。安全に関わることなので、町全体で魔道具の整備費を出し合って管理していますから」
つまり致命的な故障をしていないという事だ。そうなると、足を悪くし、町内を移動することすら一苦労であろうルアナが、町から外に出るとは考えにくい。仮に出るとしても、ルルを預けた教会に一言も無しというのはあり得ない。
となると残るは人的な被害だが、殺人犯に遭遇したというなら不審者の目撃情報も死体も見当たらない可能性は低い。
しかしそれは愉快犯ならという話。かつて一国の中枢に近い場所に居たシャーロットは、高い階級にいる者たちは暗殺者の伝手を得られることが出来ることを知っていた。……が、それでもまだしっくりとこない。
仮に暗殺者がルアナを狙ったとしても、それは何故? ということになってしまう。基本的に殺人を手の職としている輩は利益が無ければ動かないし、動かさない。小さな町の一平民であるルアナを狙う理由が無いのだ。
(誘拐犯……も、似たようなものですね)
誘拐犯の目的の大半は身代金。裕福では無い平民を狙う理由が無い。仮にルアナたちを狙うとしても狙うとしても、攫うなら支払い能力のないルルだ。
あとは余り考えたくは無いのだが、利益も利権も含まれない、個人的欲求でルアナが連れ去られた可能性もあるが、いずれにせよ、ルアナの人物背景が分からなければ、どれも推測の域を出ない。
「せめてルアナさんの出身地はどこなのか……ということだけでも分かれば、調べようがあるのですが」
「そうですね………………あ! そう言えば昔、彼女は方言を直そうとしていた時期がありました!」
「方言……ですか?」
今、シャーロットたちが会話で使用しているのはヴァース全体で使われる共通語だ。しかし、国ごと地方ごとに広がる文化で共通語にもそれぞれ変化が生まれ、同音異義語の反対である、同じ意味を持つ言葉なのに発音が違ったり、言葉が訛っている方言が使用されることが多い。
「それ、どのようなものか覚えていますか?」
シャーロットは王妃教育の一環として、グランディア王国のみならず、他国の方言に関しても少々学んだことがある。その中には、今シャーロットが居るグローニア王国の方言も含まれているのだ。アルストから離れた地方なら面倒なことになるが、そうでない可能性だってある。
「覚えていますよ。初めて聞いた時、意味も聞きましたから。確か……かーてぃ、と言っていました」
その言葉を伝えられた時、シャーロットの頭の中に広がる知識はある一つの答えを導き出した。そして神父から方言の意味を伝えられた時、推測は確信へと変わる。
「…………そう、ですか。もしそれが事実なら、ルアナさんの手掛かりが掴めるかもしれません」
「それは本当ですか!?」
「勿論確証はありませんが……恐らく」
シャーロットは神父と共に部屋を後にし、礼拝堂に居るルルの元へと向かう。何をするでもなく、ただ所在無さげに母を待つ少女の姿に、シャーロットは以前の自分を幻視した。父母から見放されたかつてのシャーロットも、きっとルルと同じような表情を浮かべていただろう。
自分の時は状況を理解できるくらいには歳を重ねていたし、何より傍にゼオが居てくれた。あの小さな魔物が、シャーロット支えとなってくれたのだ。
しかし今、ルルに必要なのは支えではなく希望なのだろう。ほんの僅かにでも母が戻ってきてくれる……そんな光明こそが、生きながら萎んでいく少女を導くのに必要だ。
「ルル。もし貴女さえ良ければ、なのですが」
「……お姉ちゃん?」
シャーロットは長椅子に座るルルの前で膝をつき、その小さな手を白い手で包み込みながら、見る者全てを安堵させるような微笑と共に告げた。
「私と一緒に、お母様を探しにアルストまで行ってみませんか?」