ルキフグス
(でっか……!)
その魔物を見て、ゼオが真っ先に抱いた印象はそれだ。
体高こそゼオと大差はないが、全長は段違いだ。恐らくゼオの二倍以上はあるだろう魔物は、蒸気のような熱い息を吐き散らした。
「カロロロロロロ……」
その外見は、一見するとワニに近い。しかし地球に生息するワニとは大きく異なる点が三つばかり存在する。
第一に、クモのように長い八本の脚だ。長い八本脚をワシャワシャと巨体に似合わぬ速さで動かし、岩を踏み割り、魔物を押し潰していく。ステータスやスキルから察するに、ただ歩くだけでも脅威となるのは明らかである。
【スキル《蹂躙走法》。踏みつけや蹴りに、筋力値を二倍にした威力が宿る常時発動スキル。スキルレベルが上がるごとに威力の倍率は上がっていき、ただ走り、歩くだけで災害となる】
第二に、眼球が二つではなく、額部分に巨大な一つ目になっているということ。遠目からでも分かる瞳孔をギョロギョロと動かし、何かを探しているようにも見える。
そして最後に、まるで女のように長く、くすみ、老婆のように傷み切った亜麻色の髪が生えているということ。その髪が意味するものを、ゼオはスキルの中から読み取る。
【スキル《拒絶の王権》。第三権能の片割れ。一定条件下で、ステータス超上昇と大悪魔ルキフグスへの進化、スキルの増加が発生するのに加え、レベルが上がる際にステータスの上昇率にボーナスが働く。初期のステータスやスキルは進化前のステータスに反映される】
(王権スキル持ちが、何らかの理由で進化したんだ。……ビッチやカストみたいに)
神権スキル持ちも、何らかの条件を満たせばメタトロンやラファエルのような天使に変成する。ならば対極の王権スキルにだって、同じような力があっても何らおかしくはない。
(名前は潰れて見えなくなってるけど、きっと元々は女だったんだろうな)
そう思うのは、長い髪だけではなく、最後のスキルによるものだ。
【スキル《母心》。■■■■が生き様の果てに得た、何物にも代えられない個人の力。信念と精神に根差された楔によって、激しい精神汚染の中にあっても指針を見失わなずに行動することが出来る】
スキル名から考えれば普通に元が女だと分かる。しかし、今はそれが肝心なことではない。
(王権スキルに神権スキル……多分これらが、俺が転生させられた理由に関係している可能性が高い。またとない機会だ……じっくりと《鑑定》させてもらおう)
つい先日決めた今後の方針を頭の中で反芻しながら、ゼオは《透明化》のスキルによって姿を隠してから《邪悪の樹》で時を止め、じっとルキフグスの観察を開始する。
(今思えば、今までは暇がなくてレベルが表記されるようになった王権スキルの詳細を初めて見てみたけど……これチートなんじゃね?)
未だ詳細の全てが明らかになってはいないが、内容は大体ゼオが想像していたとおりだ。元の素体に能力に応じてステータスが凄まじく上昇し、全く別の存在に進化。スキルも増える。これまで神権スキルを解放した敵と二回に渡って繰り広げた死闘の果てに得た推測に間違いはなかったが、中でも予想外の力が混じっている。
(レベルたかが20で俺のステータスを完全に超えられてるんだけど……。レベルアップ時にステータス上昇にボーナス働くって、なんか狡くない?)
仮にこのルキフグスの初期ステータスが、リリィが進化したメタトロンと同じだとすれば、ステータスの上昇値は大体800以上。ゼオの八倍だ。しかもスキルレベルが頭打ちになっていないことを考えれば、まだ増える可能性すらある。
(……進化したてでレベル1の神権スキル持ちと戦ってたのは、実は運が良かったんだな)
もしも和人がラファエルとなって一回でもレベルを上げていれば、勝敗は逆転していた可能性すらある。ゼオはもはや意味のない仮定を想像してゾッと身を震わせた。
(よし。この際、今まで確認できなかった事を出来る限り調べ尽くすぞ)
続いて、種族としての説明を確認する。
【ルキフグス】
【プロムテウス鉱山に顕現した邪悪の化身。拒絶を司る悪魔。地獄の覇者の一角。全生命を脅かすモノ。ルキフグスはそういった人類の恐怖や悪感情より生まれ出た存在。全てを掌握する権能の一部としてスキルという力そのものに変化し、組み込まれた大悪魔。一度でも依り代となった者の肉体を乗っ取り顕現すれば、無制限に成長を続け、やがて世界の全てを破壊しつくすだろう】
(怖いわ! …………しかし、全てを掌握する、ねぇ)
《王冠の神権》や《無神論の王権》などの説明に記された権能という言葉。その言葉の意味が漠然と浮かび上がるくらいの情報ではあったが、依然と情報不足過ぎる。
(俺もしかして、何かとんでもないことに巻き込まれたんじゃ……。いや、それ以前に……お嬢やセネルは本当に大丈夫なのか?)
一定条件を満たしてしまえば、王権スキルを持つ二人はあのような姿になるということだ。
平穏に暮らしていれば多分大丈夫だろう。しかし、条件が不明となると一体何が切欠でああなるのかが分からない。つまり対策のしようがない。
(何とか進化条件とか戻す時とか、色々と見極めておきたいな)
万が一の場合、戻す時の対策は思い浮かんではいる。メタトロンを倒してリリィに戻したように、ラファエルを倒して和人に戻したように、悪魔に進化しても倒せば元通りになるかもしれない。
しかし、やはり確証と保証がないのだ。本当に倒しさえすれば元に戻るか分からない上に、下手をすればシャーロットたちを殺めてしまう結果になる。過去二回、それも対極に位置する天使での体験談では、不安が残りすぎる。
(後もう一個分かったこと……というか、思い出した事と言えば、王権スキルや神権スキルは、皆セフィロトの樹に何らかの関係があるってことか)
地球でいうところの旧約聖書、エデンの園に生えるという命の樹の事だ。
神秘思想のカバラにおいては十個の丸を二十二本の線で図式化されたもので、それが反転したクリフォトの樹というものもある。
これまで見てきた《無神論の王権》や《王冠の神権》。そしてセフィロスやルキフグスは、皆セフィロトやクリフォトに記されたものに関連深いものばかりなのだ。
(……まさか、十四歳の時の黒歴史がこんな役に立つとは)
中学二学年から三学年の間……高校になってから思い返しては悶絶していた期間の間に図書室に通い詰めて神話とか神秘学とかを読み漁って得た知識が役に立つとは思いもしなかったゼオは、凄く複雑な気持ちになった。
あの時はノートに必殺技とか設定とか色々書いてたなぁ……と思いつつ、少し落胆する。
(うっ……! 心に妙なダメージが……しかも大したことが分かってないし)
むしろ謎が増えた。もしゼオの推測が正しければ、なぜ地球の神秘学の概念が異世界にあるのかという話になってしまう。
(やっぱりまだ、突っ走るみたいに行動するには情報が足りないよ、情報が)
とはいっても、ステータスを閲覧したり、種族としての詳細を鑑定したりしても、得られる情報はもう無い。全てを詳らかにするには、《邪悪の樹》のスキルレベルが足りないのだろう。
(それでもルキフグスそのものを観察することに意味もあるにはあるけど…………あれ? そういやコイツ、どうやって20レベルにまで上がったんだ?)
この世界では、ステータスが上がれば上がるほど、高いステータスを持つ相手からではないと効率の良い経験値を得られない。今まさに、ゼオが直面している悩みの一つだ。
昔から居て、地道にレベルを上げてきたという可能性もある。しかし、種族の説明ではこの山で進化したのだろう。この大した魔物が一匹も居ない山で。
(もしや、近場にどこかレベル上げに良い穴場があるんじゃ……?)
だとすれば、こうしてはいられない。まずはこのルキフグスがどこに向かい、どこに戻っていくのか、それを知る必要がある。ゼオは《透明化》を維持し、空腹で鳴る腹を抑えながら上空からルキフグスの行動を観察する。
しかし、日が高くなり、やがては沈んでいくが、数時間経ってもそれらしい場所に行く様子がない。
(あぁ……あんなくそ不味い魔物も食えて、食料に困らなさそうで羨ましいな)
最終的には当初の目的とは関係のないことまで考え始めるゼオ。
一体何が目的なのか、山道を割り、道中の熊型の魔物といった大型の生物を食い散らかしながら鉱山全域をグルグル回る姿を見ること十時間以上は経っただろう。夕日は落ちて辺りがすっかり月と星の明かりだけが頼りの夜闇に包まれた頃、ルキフグスは来た道を戻り始めた。
(帰るみたいだな……一体どこに向かおうっていうんだ?)
結局、今日はルキフグスの散歩らしきものに延々と付き合っただけのゼオは、精神的に疲労しながらその後を付ける。ルキフグスは最初にゼオが見つけた場所から更に奥に進み、高山の中心辺りに辿り着く。
(うわっ!? 何だこれ!?)
辿り着いたのは、まるで大地に東京ドーム並みの太さを誇る串か何かで貫かれたような、大地に開く巨大な縦穴。恐らくそこを巣にしているのだろうか、ルキフグスは爪を岩に突き立て、クモのように壁を伝いながら底の方へと進んでいった。
(地球ならこの穴一つで自然遺産にでもなりそうだな……。早速探索に……とでも行きたいところなんだけど)
もしも仮にこの縦穴にルキフグスのレベルの秘密があるのなら、この奥に居るのは高ステータスの魔物の可能性が高い。無策で空腹な状態で乗り込むにはリスクが高いと判断し、ゼオは一旦森の方へ戻ることにした。
「ガァアアア……」
グゥ~と、盛大に鳴る腹にゼオは情けのない鳴き声を出す。結局、今日一日はスナック菓子感覚で毒魚とかザリガニとかしか食べていない。
経験値よりも先にこっちが本題だろう……ゼオは高い経験値が得られそうな縦穴の発見にひとまず満足しておき、明日こそ食糧問題の解決に勤しむと決めるのであった。