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とある女の過去


 貴族として生まれたその時から……いや、より正確に言えば、両親の言うことが絶対だと決めつけたその時から、彼女の運命は決まっていたのかもしれない。


『お前は我が侯爵家の跡取りとなるのだ。弱音を吐かず、しっかりと励むように』

『他の家の子供たちが親に甘えているから自分も……などと考えてはダメよ。女の身で当主を継ぐのだから、むしろ他の家の子息たちの何倍も頑張りなさい』


 グローニア王国では男児に恵まれない貴族は例外的に女児が当主を継ぐことを認められている。

 しかしそれも全体的に見れば少数派だ。理不尽極まりない話だが、悲しいことに男社会である貴族の当主間での交渉において、女というのは舐められる要因にしかならない。


『疲れたなどと言って休んでなどいられないでしょう? 一日レッスンを開ければ、取り戻すのに三日は掛かるのよ?』


 だからだろうか? 彼女は幼い頃から遊ぶことも覚えず、毎日毎日朝早くに起きては夜遅くまでレッスンを繰り返すだけの日々を送っていた。

 小さな指には大きなペンだこが出来上がり、手にはインクが染みついて取れなくなり、過度なダンスレッスンや立ち振る舞いの練習として延々と姿勢を正しながら歩かされた結果、ヒールで擦れた足から血を流した回数は数えきれない。女だてらに剣だって学んだ。

 休めたのはせいぜい病気にかかった時くらいだろうか……寒気に反した発熱という相反する感覚と腸がひっくり返りそうな吐き気に不安になっても、両親からの優しい言葉はなかった。


『全く情けない。体調管理がなっていない証拠だ。治ったらレッスンの時間を倍にするからな』


 ただ一言、大丈夫かと心配してほしかった。たった一度でもいいから、頭を撫でて苦しむ自分を慰めて欲しかった。

 他所の貴族の子なら、きっと苦しい時には母や父が優しく抱きしめてくれるだろうに……。そう何度も思い、ときには思わず口から出てしまった時、父は決まってこう言うのだ。


『他所は他所、ということだ。お前には、領民たちを導く使命がある。それを努々忘れるな』


 正論なのだろう。領民の金で領民よりも豊かな暮らしをしている自分たちには、領民たちの暮らしを守る義務がある。手厳しく教育係に教えられてきたから、彼女も知識としてはそれを知っていた。

 だが、理性と本音とでは話が違う。本当は他所の家の子が……厳しくても、確かな愛情を受けていると分かる子息たちが、父母に笑いかけてもらえる彼ら彼女らが羨ましくて仕方が無かったのだ。

 同じ年ごろの娘たちは父親に頭を撫でられ、母親に抱きしめられ、誕生日になれば大きなクマのぬいぐるみを与えられて心底幸せそうな表情を浮かべる中、彼女だけは常日頃、両親から厳しい言葉を浴びせられ、一度でも失態を犯せば激しく叱責される。誕生日を祝われることもなければ、与えられるプレゼントは教育に関する物ばかりだ。ぬいぐるみなど、終ぞ手で触れたことすらない。

 どうして自分だけが……そう何度も思い、何度も陰で涙を流したが、両親の態度は決して変わることはなかった。


『ただただ励み続けろ。お前は跡取りなのだ。甘えなど許されない』

『お願いだから私たちを失望させないでちょうだい。貴方なら出来るわよね?』


 生まれたその時から晒され続けた、有無を言わさぬ両親からの圧力。本当は逃げ出したくて仕方がない。 


『……はい。お父様、お母様。私、立派な当主になれるように精一杯精進いたします』


 しかし、それでも彼女は、下手をすれば王族としての教育の数倍は厳しいであろう教育に逃げることなく向き合うことにした。

 女の領主は多数を占める男領主に舐められる。それで苦労するのは娘だ。きっと両親はそれを知っているからこそ、一人娘の自分に厳しく接しているのだ。

 あの異常なまでの厳しさは深い愛情の裏返し。娘が可愛いがゆえに、両親は厳しく指導しているに違いない。いつしか彼女は、そう思うようになった。


『私が立派な領主になれば、お父様やお母様だってきっと……』


 ……そして何より、両親が求める立派な当主になることが出来れば、きっと二人は自分を褒めてくれる。「よく頑張ったな」と、「流石自慢の娘、偉いわ」と、微笑みかけてくれるに違いない。

 生まれてから両親が自分に微笑みかけてくれた記憶のない彼女は、そんな未来を思い浮かべてはそれを慰めとし、辛く厳しい教育にも歯を食いしばって着実にこなしてきた。

 やがて侯爵家の才女などと呼ばれるようになり、何時も夢想した未来を疑うことなく過ごしていたある時……彼女の失墜が始まった。


『お母様が懐妊した。お前は姉となるのだから、妹や弟の模範となれるようにも励め』


 母が妊娠したのだ。それを聞いた時、最初は何となく嬉しくなったのは覚えているが……厳しい教育の結果、十歳にして既に聡明とも言える彼女は、すぐに不安な気持ちが押し寄せてきた。


『……もし、生まれてくるのが、弟だったら……?』


 男児が生まれた以上、侯爵家の相続は弟が継ぐこととなる。そうなったら今までの自分の頑張りはなんだったのだろう……?

 言い表しようのない不安の中でもより一層教育に励み、母の胎の中で育つ弟妹を忘れるように過ごすこと十月十日……母が子供を産んだ。

 …………生まれてきたのは、元気な男の子だった。


『見て。目元とか貴方にそっくりよ……なんて可愛いのかしら』

『あぁ、よく頑張って産んでくれたな。お前もよく頑張って産まれてきてくれた。二人とも、偉いぞ』


 その事に両親は大層喜んだ。何せ貴族としては待望せざるを得ない男児が生まれてきたのだ。

 歓声や喜びで賑わう侯爵邸の中で……ただ一人、先に生まれた娘だけがどす黒い感情に囚われているとも知らずに。


(何で……? どうしてお父様もお母様も、あの子にあんな笑顔を向けているの……?)


 弟が産まれてしまった以上、自分はどうなるのだ? ……という不安もあった。しかしそれ以上に、彼女は不満だったのだ。

 だって自分は両親に優しく微笑んでもらい、褒めてもらうために今まで頑張ってきたのだ。なのになぜ、産まれたばかりで何の積み重ねもしていない弟が、自分が何よりも求めていたものを与えられているのだ?

 単なる醜い嫉妬からくる考えであるというのは理解できる。そんな自分が嫌であるとも。しかし、それでも彼女は心の奥では弟を疎ましく思わざるを得なかった。


『い、今まで少し家庭教師を付けすぎたわね。これからはレッスンの時間を減らして、プライベートの時間を持つと良いわ』

『う、うむ。そう……だな。お前も令嬢らしい生活というのを覚えていった方が良いだろう』


 胸の奥が掻き毟られるような気分を延々と味わいながら日々を過ごす内に、急に両親が何かに気が付いたように優しくなり始めたのだ。

 弟が産まれて性格が丸くなった……という訳ではないということは、自分に向けてくる引き攣った笑顔を見てすぐに分かった。

 

(あれだけ求めていたお父様たちからの笑顔と気遣いの言葉なのに、ちっとも嬉しくなかったのはなぜだろう……?) 


 その答えは、両親の笑顔が愛情からくるものではなく、プライドが邪魔して謝ることも出来ない申し訳なさからくる、今までの仕打ちを誤魔化すものであるということを聡い彼女が理解してしまったからだ。

 そして両親の言ったとおり、彼女を次期当主として指導していた者たちが次々と離れていき、最低限の指導役だけが残された。……まるで普通の令嬢のように。

 

『お父様! お母様! 私はまだ頑張れます! 立派な当主になれるように頑張ります! だから……!』


 男児が産まれれば、必然的に当主の座はその者のものとなる。それを知っていた彼女は、離れていく指南役に強い恐怖を覚えた。

 これまで必死になって目指していた当主の座。両親から心の底から褒めてくれる未来。それら全てが、手の届かない場所まで遠ざかってしまうのを理解したから。

 彼女は初めて両親に縋りつきながら懇願した。まだ頑張れる、立派な当主になって見せると。……だからこれまでの私の努力と苦しみを無駄にしないでほしいと。

 しかしそんな娘を見る両親の顔は実に痛ましそうで、父は恐る恐る彼女の肩に両手を置いて、今まで聞いたことがないくらいに優しい声色で告げた。


『……次の当主はお前の弟となる。だからもう、無理をして厳しいレッスンを受ける必要はないんだ』


 優しい声で語りかけて欲しかった。……なのに、今はその優しさが何よりも怖い。


『い、今までよく頑張ったな。もう、普通の令嬢に戻りなさい』


 それは今まで一番欲しかった言葉なのに……その言葉は、彼女の心の奥底まで深く傷つけた。




(あー……気持ちわりぃ。まだ吐き気がする……)


 モウドクワカアユを軽率に食してしばらく悶え苦しんでいたゼオは、フラフラと蛇行飛行しながら高山の近隣に位置する森の上空を駆ける。

 時間経過で徐々に苦しみを和らいでいったので、毒への耐性に何らかの向上があったのだと思うので、この苦しみも無駄ではないと思いたいが……如何(いかん)せん、実利感情以上に気分が悪い。


(とりあえず、食料がありそうなのはやっぱり森の中だよなぁ)


 木の実に獣。異世界に転生してから散々お世話になった森は、元生粋の都会人であっても、今やホームグラウンドみたいなものだ。ベールズの樹海のようによほど質の悪い魔物がうじゃうじゃと居なければ。


「グオオオオオオオオオオオオッ!」

「ギィイイイ!?」

「ギャアアアアッ!?」


 上空から大きな河を見つけ、広めの岸に着陸すると同時に、辺りに居た魔物が一目散に逃げだす。人間にとっては狂暴な魔物たちがゼオとの力量差を本能で測り、これは勝てないと悟ったのだ。

 その様子から見て、大した経験値を持っていないと悟ったゼオは、逃げる魔物を無視して川に口を突っ込み、ゴクゴクと冷たく透明な水を飲み続ける。


(ぶっへぇぇえ!! あー……ちょっとは気分マシになったな)


 口元を腕で拭って辺りを見渡す。規模と豊かさは、グランディア王国の森と同じくらいだろうか。何となくベビーキメラ時代に見覚えのある果実や魚が見受けられる。


(でももし仮に、ここがグランディアの森と同じくらいの食料があるとしたら、まだ足りないんだよなぁ)


 体の小さかった頃はまだ良い。この森でも成人男性が生活できるくらいの食料があるだろう。しかし、この巨体となってからでは話が別だ。

 バーサークキメラになってからはギガントラビットのような巨大な獣が生息し、食べられる果実や野草が山のように生えている樹海に居たので食糧には困らなかった。

 食糧問題は、自分が想像するよりも深刻かもしれない。ゼオは人知れず溜息を吐いた。


(まぁ無いよりかは全然マシだ。熊とかデカい鹿とかもいるかもしれないし、とりあえず食料集めでも――――)


 そう思った途端、森が揺れるような地響きを感じた。地震ではなく、ズーン……と、ゼオが居る場所からやや遠く……鉱山の方角から重たい何かが地面に落ちたような音と共に。

 

(一体なんだ……? 足音に聞こえたけど……もしかして結構デカい魔物がぶふぉっ!?)


 気になって上空へ飛翔し、鉱山に向かってみると、荒涼とした山頂を乗り越えるように、巨大な魔物が姿を現す。ゼオは咄嗟にスキル《邪悪の樹》を発動、時間を止めながらその魔物のステータスを暴いた。



 名前:■■■■

 種族:ルキフグス

 Lv:20

 HP:21468/21468

 MP:∞

 攻撃:17991

 耐久:18000

 魔力:17900

 敏捷:18210


 スキル

《拒絶の王権:Lv4》《制止の魔眼:Lv5》《黒炎破:Lv7》

《闇鋼の体:Lv6》《蹂躙走破:Lv6》《狂化:LvMAX》

《母心:LvMAX》


 称号

《狂気の輩》《拒絶の果樹》《レベル上限解放者》



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