エピローグ
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黄金と白磁の残骸の中で目を覚ました和人は、傷付いた重い体を引きずって、必死に町から遠ざかっていた。
「痛い……! 畜生……! あの魔物、覚えてろ……! いつか絶対、殺してやるからな……!!」
折れた左腕を抑えながら右足を引きずりながら平野を歩くその姿は実に痛々しいが、その口からは元気に怨嗟の声を漏らしている。最強のチート能力を授かった勇者として、妄想の中で思い描いた主人公に相応しい力を身につけた自分の戦歴に泥を塗りつけたキメラへの憎悪が、痛みと怪我を超越して和人の足を突き動かす。
あのキメラには必ず無残な最期を迎えさせてやると誓った。全身の皮という皮、鱗という鱗を剥ぎ、肉を削いで骨を粉々にしてやる。頭の中で思い浮かぶ限りの残虐な行為を口にしながら荒ぶる心を慰撫するが――――
「なのに……なんでだよ!! なんでスキルが使えなくなってるんだよ!!」
意味のない悲鳴に似た叫びが木霊する。本来ならば、キメラが居なくなっている時点で逃げる必要性はない。ストレス解消に町を焼き尽くしてやろうとさえ思っていたのだ。
しかし、それは出来なかった。これまで腕を動かすように発動させていたスキルが全て使えなくなっていたのだ。魔物がうろつくこともある危険な平野で、戦う力もなくさまようのは自殺行為に等しい。
それに加えて身体能力の大幅低下。体の怪我だけが理由ではなく、異世界に来てから羽のように軽かった体がまるで地球に居た頃の、運動がまるでダメだった時の自分の体のように鈍重なのだ。
「くそっ……! くそくそくそぉ……!」
それは和人にとって、あまりに耐え難い屈辱であった。地球に居た頃は、表層上では自分は特別な人間であるのだと思っていたが、自分自身すら目を背けていた本音の部分では、自分は何一つ特別なところはない、それどころか周囲と比べて劣っている人間であると分かっていたのだ。
故に和人は今の状況を許せない。異世界にきて正真正銘、本当に特別な力を宿していたがゆえに、それを失ってしまったことが耐えられないのだ。
「今に見ていろ……絶対に……絶対にこんなところで終わらないからな……!」
粘着質な薄暗い感情を瞳に宿し、和人はとにかく町から遠ざかる。行く当てはない、手がかりもない、頼れる者も居ない……自業自得ではあるが、実に哀れな少年は地平線に向けて歩き続けた。
聖男神教が召喚した勇者の一人はこうして表舞台から姿を消した。彼が再び裏から表へ現れるのは、しばらく経っての事である。
所変わって、ベールズの大樹海。シャーロットのスキル《結界魔法》で飛び掛かってくる魔物を退けながら、太腿に届くくらいの高さまで育った大きな木の根を懸命に乗り越え、シャーロットはセネルに先導されて樹海の奥へと進んでいた。
「ふぅ……私もこの半年で体力がついたとは思っていましたが、整備されていない獣道を越えるのは、中々大変ですね」
「まぁ、今通ってる場所はかなり開けた場所ではあるけどな。その分木も成長している」
……ゼオとラファエルの戦いから、既に一月が経過していた。天を覆いつくした極光は町に強い衝撃と突風を与えながらも、住民含めて怪我や損壊以上の被害は受けなかった。恐らく、ゼオがまた町を救ったのだろうと、シャーロットは考えている。
それでも、彼女の気持ちは優れない。ようやく再会できると思っていたゼオが、光に呑み込まれたかと思いきや消息不明となったのだ。落ち着いて行動できる理由は、死体が一切確認できていないということと、光の中心からゼオと思われる影が南の空へと吹き飛ばされていったという町の目撃者の証言だけだ。
またしても旅支度が必要になった。本当ならばすぐにでも探しに行きたいが、近隣の町で起こった惨事に道具屋を含めた住民たちは勿論のこと、オルバックに拠点を構える女神教の聖職者たちも、巨大な魔物の死体処理や建物の復旧、住民たちの治療に駆り出されることとなったのだ。
本来この町は聖男神教の教会が構えられているのだが、町に被害を与えたのが聖男神教と密接な繋がりがある勇者、和人であると大勢の犠牲者たちが証言。非難を恐れた聖男神教の関係者たちは小動物の如く真っ先に逃げ出してしまった。
結果として町の教会は無人となり、治癒スキルの持ち主を始めとする人手が不足した町を見かねて、オルバックの女神教徒たちが手を差し伸べたのだ。シャーロットも女神教の信者として手伝わないわけにはいかず、気が付けば一ヵ月も経っていたというわけである。
「でも驚きました。まさかアルマさんの探し人がこの危険な森の中で……それもゼオと共に暮らしていただなんて」
「正直、俺だって今でも信じられない気分だよ。やけに人間臭い奴だと思っていたけど、まさか本当に中身が人間だったなんて思わなかったし」
「私も然るお方に聞くまでそう思っていました。でも、言われてみれば反論できないんですよね。私が教えたわけでもないのに食事を取り入れたり、水桶とタオルで看病をしてくれたりしていましたし」
「あー……分かる。信じられないんだけど、否定できる根拠もないっていうか。あいつ、魔物なのに暇になればいっつも何か作ってたしな。石像とか壁画とか、台所とか」
「まぁ! それは見るのがとても楽しみですね」
ゼオの事で気を揉み続けながらも復興活動を続ける中、シャーロットとセネル、共に人間臭いキメラと共に過ごした二人が邂逅したのは、ある意味必然だっただろう。そして無事に復興作業が終えた今、二人はゼオが暮らした洞穴へと足を運んでいたのだ。
「そっか……あいつ、ゼオっていう名前があったんだな。俺、そういうの全然知らなかったな」
そして道中、セネルはようやく自分を救った魔物の名を知ることになる。その表情は穏やかなれど、どこか惜しむような目だ。
「カズトたちに復讐してやることで頭が一杯になって、そういう事を知ろうともしなかった。利用してやるつもりで近くに居ただけで、あいつが何を伝えようとしてた理解しようともしなかったな」
今なら分かる。きっと、今までさんざん謎の踊りと思っていたあの仕草は、セネルに何かを伝えようとしているジェスチャーだったのだろう。セネルがもっと真摯にゼオと向き合っていれば、もっと分かりあうことが出来たのだろうか。セネルは首から下げられた細い鎖と金属細工で仕立て直された蒼琥珀と紅琥珀の首飾りを指でいじる。
「あいつ……こんな友達甲斐のない俺の事を友達って言ってくれたけど……次また会えたら、後ろ暗いこともなくあいつと向き合えるのかな?」
「…………未来の事は私には分かりません」
セネルの言葉に、シャーロットはゆるゆると首を左右に振る。
「ですが、もしも貴方の良心があの子への罪の意識で苛まれるというのであれば、次また会う時まで忘れないで上げてください。貴方の不義を許すのは女神でも私でもなくゼオ自身……少し厳しいことを言うようですが、個々の関係に立ち入れる者など誰も居ないのです。人と人というには少し語弊がありますが……二人が互いに友人だと胸を張るには、たとえ互いを傷付け合うことになったとしても、想いを口にするしかないと、私は思います」
後ろめたさに対する告解は教会でもできる。しかし、それを乗り越えるには偽らざる気持ちを露にし、諦めることなく前へ進み続けるしかないのだ。人の気持ちなど口にして行動に移さなければ他人には分からない。今回の事はそこに踏み込むことで傷付く覚悟をしなければならないと、シャーロットは告げた。
「ですが……えぇ、根拠は何一つないのですが」
艱難の道に思わず俯いてしまうセネルに、シャーロットは何処までも優しい笑みを浮かべる。
「あの子とセネルさんならきっと大丈夫なのだと、不思議と思うのです。貴方が真の意味でゼオと友人になるために諦めなければ、きっとあの子は応えてくれると……何があっても大丈夫なのだと、確信しています」
セネルは何とも言えない気持ちのまま微笑む。確かに前置きされたとおり、何一つ根拠のない話だ。…………しかし、不思議なことに、シャーロットがそう言うのならそう思えてしまう。彼女の言葉には、経験と信頼からくる重みのようなものを感じて、不安に浮ついていた心がゆっくりと穏やかなものとなった。
「……っと、着いたな。ここが俺たちが暮らしていた場所だ」
そうこう話している内に、二人はゼオが住みかとして居た洞穴へと辿り着いた。シャーロットは洞穴の左右に置かれた不格好な竜の石像や、洞穴の壁に刻まれた落書きのような壁画を指で優しく撫でる。
そこに確かにいたゼオの痕跡……その光景を想像しながら、共に居られなかった互いの時間に思いを馳せていると、セネルは洞窟の奥から大きな爪を持ってきた。
「それが例の……?」
「あぁ、ゼオの爪だ。あいつは壁画とか石像を作ってる時に爪も使ってたんだが、酷使しすぎて一回折れたことがあるんだよ。それを何かに使えるかと思ったから取っておいたんだが…………これをこうして、使うことになるとはな」
爪が折れた時、微妙に泣きそうな顔をしてこちらを見てきて、何とも言えない沈黙が流れたことを思い出しながら、セネルは苦笑する。
セネルの姿を隠す外套しかり、魔物の体は魔道具の材料としても非常に有用だ。セネルは予め作っておいた、やや太めの鎖の首飾りを取り出す。その首飾りには、装飾の要である宝石類がはめ込まれていない大きめの台座が取り付けられていた。
これは魔道具だ。完成に必要な〝魔力を宿した〟物が欠けた状態。それに強大な力を宿す魔物の体の一部……ゼオの爪を台座に嵌め込むと、爪はぼんやりと輝きながら南の方角を独りでに指し示す。
「これは探し人の体の一部を装飾に使うことで、常に探し人が居る方角を指し続ける魔道具だ。これからゼオを探そうっていうシスターには、丁度いい代物だろ?」
「はい。これ以上の贈り物はありません。…………これが光り、独りでに方角を指し示しているということは……」
「あぁ……この手の魔道具は探している相手が生きていて初めて効果を発揮する」
それはつまり、ゼオが生きているということだ。それを知った途端、シャーロットはここ一ヵ月の間、心を縛り続けた鎖から解き放たれるような感覚を味わった。
「あぁ……良かった……」
首飾りを胸に抱きしめ、心から安堵の表情を浮かべる。セネルの眼には、その姿が何よりも尊いものに見えた。
「強く発光し始めたらそれはゼオの命が危機に陥っている時と思ってくれ。そして光が消えれば……」
「……分かっています。ですが、まずはお礼を言わせてください……これでようやく、雲を掴むような旅から、果ての見える旅になりました」
首飾りを首に下げ、南を指し続ける爪の台座を服の下に仕舞う。
「いつか必ず、ゼオを見つけ出します。その時には必ず、貴方の元を訪れましょう」
「あぁ……その時を楽しみにしてるよ」
二人はそう、固い約束を交わしてその場を後にする。優しい怪物の痕跡を多く残した洞穴に、後ろ髪を引かれる想いを感じながら。
そして夕方、ようやく町へ戻ってきたセネルとシャーロットは聖男神教の教会へと戻ってきていた。無人になった教会を怪我人用に町長が病院代わりに解放し、シャーロットを含む女神教の治癒術師たちが拠点にしているのだ。
その中には帰る場所の無い者も寝泊まりしている。家を失ったセネルがまさしくそうであり、そしてもう一人、身寄りのない重傷者。
「今戻ったぞ、アルマ」
「あ、二人とも、お帰りなさい」
教会の一室。そのベッドの上でシャーロットとセネルを出迎えたのはアルマだった。患者用の服の隙間から覗く包帯が痛々しいが、事件当時と違って血色も良く、苦しんでいる様子もない姿を見て、セネルは何度目になるかも分からない安堵の息を吐く。
「どうだった? 目的の物は見つかった?」
「あぁ。ちゃんと魔道具の効果も発揮できた」
「よかったぁ! これで何時でも旅に出れますね、シスター!」
心底嬉しそうなアルマの笑顔に、シャーロットは何とも言えない、曖昧な表情を浮かべる。
結論から言って、アルマの両足は動かなくなった。半身不随というものだ。背骨にまで到達する裂傷こそ癒したものの、今のシャーロットのスキルでは後遺症を防ぐことも治すことも出来なかったのである。
これから彼女は車椅子での生活を強いられることとなるだろう。シャーロットはいつも元気に動き回っていた、快活なアルマの姿を思い返し、巡礼の再開に戸惑いを感じる。ゼオを追いかけることは絶対だが、ここでスキルを磨き、アルマの足を治したいというのも本音だ。そしてそれを実現できるだけの潜在能力が、シャーロットにはある。
「アルマなら大丈夫だ、シスター」
しかしそんなシャーロットの悩みとは裏腹に、ベッドの傍らに立ってアルマの肩に手を置くセネルは、真っすぐな目で力強く告げる。
「さっき約束したばっかだろ? あいつを連れて戻ってくるって。その為には、この町に何時までもかまけてたらダメなんだよ」
「セネルさん……」
「もしアルマの足が動かないことを気にしてるなら心配するな。これでも俺は魔道具職人の端くれだからよ、こいつが前と同じように……いいや、前以上に自由に動けるような魔道具を作ってやる。だからシスターはあいつの元へ行ってやってくれ…………人好きな魔物のあいつには、あんたが必要なんだ」
「あたしからもお願い、シスター」
セネルの言葉に追従したのは、自身の肩に置かれた彼の手に自らの手を重ねたアルマ。
「あたしの足を治せなかったことを後ろめたく思ってるなら、治すのは今じゃなくてもいい。シスターが探して、セネルを助けてくれたキメラを連れて戻ってきた時で良いんです。……ううん、あたしの足が治るなら、今じゃなくてその時が良い」
「アルマさん」
「命あっての物種っていうでしょ? 確かに最良の結果とは言えないけど、シスターたちが居たから町の皆は誰も死ななくて済んだ。シスターたちが居たから、あたしとセネルはこうして再び巡り合えることが出来た。あたしはそれだけで嬉しいんです!」
それに……と、アルマは犬の獣人なのに、どこか悪戯好きな猫を思わせる笑みを浮かべる。
「あたしも早くそのゼオっていう魔物と会ってみたいですし? セネルを助けてくれたお礼もしなきゃだし、シスターの大切な想い人ですもんね~?」
「そ、それはその……っ! ……あぅ」
顔を真っ赤にして俯いてしまうシャーロットにアルマは更なる追い打ちとして、耳元でこっそりと囁く。
「種族の壁なんて、あたしたち犬獣人みたいな種族の成り立ちを考えれば大した問題じゃないですしね? 人同士じゃなくても、見つけ出せば後は……分かりますよね?」
とうとう何も言えずにただ俯きながら、顔をさらに赤くすることしかできないシャーロットを見かねて、セネルが助け船を出す。
「あんまり揶揄うのは止めてやれって。お前だって今から背中の傷の経過を診てもらうんだろ?」
「そうだった。あんまりイジメてたら手抜きされそうで怖いもんね」
「あ、いえ、大丈夫です。……私も気にしていませんから」
教会に所属してからは世俗を歩いてきたが、シャーロットは貴族の娘として生まれ、人生の殆どを上品な世界で育った。明け透けな物言いにはいまだ慣れていないが、不思議と不快な気分にはならない。セネルやアルマに悪意を感じないからだろう。
「それじゃあ、俺はちょっと買い物に行ってくる。男の俺がいたらアレだしな」
「あ……セネル」
男が居たら服を大きく捲し上げるわけにはいかないだろう。そんな当然の気遣いとしてこの場を後にするついでに買い物でも行ってこようとしたセネルの背中に、アルマは咄嗟に手を伸ばす。
しかし、呼び止めたのは良いものの言葉が出てこない。用があった訳でもなく呼び止めてしまったのだ。どんな言葉を告げればいいのか……しばらくの沈黙の後、セネルはアルマから視線を外し、頭を掻いた。
「あー……その、何だ。ついでに果物かなんかを買ってきてやるけど、何が良い?」
「え? え、えぇっと……リ、リンゴ?」
「リンゴな。分かった。それじゃあ、買うもの買ったらすぐ帰ってくるから待ってろ。約束だ」
今度は居なくなったりしない。そんな意味を言外に告げて、セネルは少し赤くなった顔を隠すように早足で教会を後にした。
樹海の奥を根城とする、人の手に余る強大な魔物の解体や撤去、素材の売買に賑わう故郷の町は、今までにない活気を見せていた。人間というのは案外図太い生き物で、壊滅の恐怖の後でも、前向きに生きていけるらしい。
それはきっと体を張って町を守ったシャーロットが、諸悪の元凶を倒したゼオが居てくれたおかげだろう。復興作業にも女神教の聖職者たちが協力してくれ、彼ら一人でもかければこの活気はなかった。
改めて良かったと、そう思う。両親の仇を討てなかったことや、無暗に和人を刺激して取り返しのつかないことをしてしまいそうになったことに関しては忸怩たる思いがあるが、今はこうして誰もが前を向いて生きている。
こんな最低な自分の傍にいてくれると、そう言ってくれた少女がいる。
(ならきっと、こんな結末で良かったんだ)
しかし、光差すところに陰が生まれるように、この活気の裏で落ちぶれる者たちもいた。そんな物たちの代表がセネルの行く手を遮ってきて、思わず顔を顰める。
「セ、セネル……」
全身薄汚れた、リアとハンナだ。それなりに上等だった服はすっかりみすぼらしくなり、両親が死んだ日に見た、自信と加虐心に満ち溢れた表情は見る影もなく、卑屈な臆病者の顔をしている。
「……何の用だよ」
この一月で最も変化があったと言えば、リアとハンナ、ストラウス夫妻だろう。勇者の力によって巨万の富を得た彼女たちが、たった一月でここまで落ちぶれてしまったその姿こそがその証左。
小さな町のしがない商人であった彼女たちの両親だったが、和人のスキルによって生み出された兵器と、勇者としての権威で大きく成り上がった。しかし、和人を失ったことで、彼が生み出した兵器は全て消滅してしまったのだ。
スキルには、治癒スキルのようにスキル保持者が死んでも効果が残り続けるものもあれば、スキル保持者の死、もしくはスキルの消失と共に因果ごと消滅してしまうものもある。シャーロットを始めとした女神教の聖職者たちの見解では、和人のスキルは後者であるという。
それによって肝心な新企業の商品を全て失ったしまったストラウス家。そして兵器や奴隷の取り扱いを生業とした者の宿命というべきか、契約相手には堅気の者が居ない。物騒な裏の世界を生き抜いた悪党たちが、後ろ盾であった勇者が居なくなり、裏社会に片足を突っ込んだ大金保持者を放っておくはずがなく、恐喝や詐欺といった無茶な方法であっという間に有り金をむしり取っていったのだ。
「用がないならどいてくれないか? 道を遮られると迷惑だ」
住む場所すらも奪われ、身ぐるみだけで放り出される羽目になった四人。しかも彼女たちはこの町で傍若無人に振る舞っておきながら、大勢の怪我人を出した勇者と懇意にしていた。特にリアとハンナに至っては、和人とは婚約者同然の恋人関係にあったのだ。
諸悪の元凶が責任を取らずに居なくなったのなら、たとえ罪がなくともソレと懇意にしていた者に責任を取らせたくなるのが人間の心理。町の住民はストラウス家を惨殺せん勢いで糾弾したが、それを諫めたのが女神教の信者たちである。
別にリアたちに同情してのことでは無い。ベールズでも当然殺人は重罪であり、勇者のような下手に権威を持つ相手ならともかく、平民が殺人を犯せば問答無用で罪に問われる。そうなっては遅いからこそ、女神教徒たちは体を張って怒り狂う町民たちの矛を収めたのだ。
元々街の復興にも手を貸してくれる女神教徒たちを無碍にも出来なかった町民たちは怒りを収めたものの、だからと言ってストラウス家には一切手を貸さないことに決めた。返り咲くのは邪魔しないが、返り咲く手助けも一切しない。この町から逃げるもよし、野垂れ死ぬのもよし、そういうスタンスを取ることにしたのだ。
そんな彼女たちに対し、ある意味で最大の被害者であったセネルが冷淡な反応を示すのは当然のことだろう。それを知ってか知らずか、二人は何かに怯えるような、引き攣った笑みを浮かべてセネルに擦り寄る。
「そ、そんな邪険にしなくても良いじゃない……? ほ、ほら……私たちって幼馴染なんだし」
「そ、そうですよ、兄さん。家族なんですから、困った時こそ助け合わないと……ね?」
一体どの口がほざくのか……両親を殺し、和人から貰った力で自分を危険な森へと吹き飛ばしたのはどこのどいつだ。怒り任せに怒鳴りたくなったセネルは奥歯を噛みしめながらそれを押し殺し、二人を無視して通り過ぎようとする。
「ね、ねぇ待って! お願い! パパもママも借金しちゃって……家を売ってもまだ足りなくて……このままじゃ私たち、娼館に入れられることになっちゃうの!」
「お願いします、見捨てないでください兄さん! 何とか逃げてきましたけど、お金を返さないとまた連れ戻されるんです! もう兄さんしか頼る当てが……!」
最近強面の男たちがこの町で何かを探すように歩いているのを見かけたが、それが原因か。セネルがこんなのがかつての幼馴染と義妹だと思うと心底情けなくなってきた。
教会で待って居るアルマの笑顔と優しいシャーロットの存在が心底恋しい。少し前まで穏やかな雰囲気の中で心が清められているようだったのに、外に出てみればこの状況。まさか保身目当てに捨てた男とよりを戻そうとする女たちと出くわすことになろうとは。
「もう一回セネルと婚約してあげる! ううん、そうしましょう! だって子供の頃に結婚するって約束したものね! だから私だけでも……!」
「な、なにを昔の口約束で自分だけ助かろうとしてるんですかこの売女! そんなの無効です、無効! に、兄さん! 実は私、義理とはいえ妹だったから言えなかったけど、本当は兄さんの事が……!」
明らかに嘘であると分かる、保身に塗れた媚び笑いにセネルは怒りを抱くよりも先に疑問を抱く。二人とも、以前は此処まで腐った人間ではなかったはずなのだ。それは仮にも幼馴染で義兄であったセネルが一番よく知っている。ならなぜこんなにも心が醜くなったのだろうか……その疑問はすぐに解けた。
恐ろしい話だが、人なら誰しも持っている欲が膨れ上がった結果だろう。和人に授けられた恩恵という強い光が生み出した影……より良い今を維持し、更に上を目指す為なら何を犠牲にしても厭わない。そして絶頂から底辺に墜ちない為なら、かつて貶めた相手にも平然と縋りつけてしまう。
「な……何黙ってるのよ? 何とか言ってよ、このままじゃ私たち、どこの誰とも知らないおじさんに汚されちゃうのよ?」
「兄さんだってそんなの嫌ですよね……? お金さえ……お金さえ出してくれればそれで良いんです」
ただただ哀れだ。欲に歪められた性根によって親しみのあった人たちからは遠ざけられ、上手くいかなければ全てを失う。今となっては忌々しくても、かつては確かに輝いていた思い出を持ち出されても怒りも湧いてこない。
セネルの中の憎しみが消えたわけではない。何せ彼女たちが本当の意味で許しを請うべき相手はこの世にもう存在せず、当の本人たちは謝るどころか自分たちが助かることで頭が一杯で、こちらの心情を窺おうともしない。心の奥底に潜む黒い感情が、この娘たちを無残に殺せと囁いている。
「もう喋るな」
それでも……セネルは縋りついてくる二人の手を払い除け、本音を理性で捻じ伏せる。
「え……あ……え?」
「…………両親を殺したも同然のお前らに、俺はもう復讐しようとは思わない」
ゼオとシャーロットが時間を与えてくれて、アルマが気付かせてくれた。本当に守らなければいけないのは戻ってくることのない死者の無念を晴らすことでは無く、今を生きる大切な誰かなのだ。それの為にこそ、命を懸けるべきなのだ。きっと女神の御許にいる両親も、それを望んでくれている。セネルは仇を討てないことを内心で詫びながら、訣別の言葉を放つ。
「だからもう俺と……アルマの前に現れないでくれ。お前らが居るとあいつの笑顔が曇る」
どんなに過去を振り返っても時間は戻らない。だから今、ここで、こんな自分と共に生きてくれるという少女と前を向いて歩く第一歩を踏む。遠ざかるセネルの背中を屈辱と怒りに震えながら立つ尽くす二人は感情のまま獣のように吠えた。
「……何よ。何よ何よ何なのよそれぇっ!?」
「あんな……あんな家族でも何でもない獣人の方が大事って言いたいんですか!?」
「絶対に認めないわよ……こうなったら、アルマをぶっ殺してでも……きゃあっ!?」
そんなことを騒いでいる二人の背後から、強面の男たちが声も音もなく忍び寄り、素早く両手で拘束する。
「ようやく見つけたぞ。手間取らせやがって……お前らはこれからその体で借金分を稼いでもらわないといけないんだからな」
「ひっ!? ま、まさかもう追いついてきて……!?」
「いやっ! 離して! に、兄さん助けてください! 妹が……妹が襲われてるんですよ!? 見捨てるなんて家族のすることですか!?」
背後から聞こえる会話から察するに、十中八九リアとハンナを娼館に売ろうとしている借金取りだろう。しかしセネルはそんな彼女たちを一瞥もせずに背を向けたまま歩き続ける。誰にでも伝わる、決して助けないという意思を背中に乗せて。
「何で!? 何でこうなるのよ!? 私はただ幸せになりたかっただけなのに!!」
男たちに拘束されながら遠ざかる二人の悲鳴をセネルは最後まで聞いていた。過去と未来はともかく、少なくとも今のリアとハンナはクズだ。復讐する価値もない。そんなことをして捕まるようなことがあれば、ゼオとシャーロット、アルマの献身まで汚してしまう。
娼館というのは決して楽な場所ではない。これから二人には苦しい生活が待っていることだろう。しかし、苦境の中でこそ悔い改められることもある。いつの日か二人が自由を得られた時、少しでもかつての二人に戻ってくれるようにと、セネルは最後の慈悲として静かに祈った。
そして三日が経ち、再出発の準備を終えたシャーロットは街の入り口まで来ていた。周りには見送りに来たセネルと、彼に押される車椅子に乗るアルマ。そして子供を中心としたこの町の住民たちに、宗教的な拠り所としてこの町に在住することとなった女神教の聖職者たちがいる。
「シスター、もう行っちゃうの? もっとゆっくりして行けばいいのに……」
「そう言ってくれるのはありがたいですが……私はどうしても行かなければならないのです。大丈夫、いずれまたこの町を訪れますから、その時までどうか待っていてくれますか?」
「むー……!」
腰に抱き着いてくる、自分の半分ほどの身長しかない幼い少女の頭を苦笑しながら撫でるシャーロット。聞き分けない少女をどうにか宥めようとしている隙に、他の子供もよってたかってシャーロットを引き留めようとする。
「いーじゃん! もっと居てくれよ! こないだの冒険の話の続きまだ聞いてないぞ!」
「ねぇいいでしょ? シスター行っちゃヤダ」
シャーロットは故郷の孤児院を思い出した。自慢ではないが、孤児院では子供に人気だったシャーロットは残してきた子供たちとこの町の子供たちを重ねてしまい、どうにも悪い気がしなくて無理に振り解けずにいる。
「コラ! あんまりシスターを困らせるんじゃない!」
そんなシャーロットの体をぐいぐいと町の方へと引っ張ろうとする子供たちを諫めるのは、彼らの保護者たちだ。あからさまに不満そうな顔をしているが、親に諫められれば流石に諦めがつく子供が大半で、それでも駄々をこねる子供は無理矢理引き剥がされた。
「すみませんね、シスター。うちのバカ息子が困らせて。綺麗なお姉さんだからか、どうもシスターを気に入ったみたいでねぇ」
「いいえ、そんな。子供たちはどこに行っても可愛いものですし、こうも懐かれると嬉しいものです」
「そう言ってくれると……。でもまぁ、気持ちは分からんでもないんですけどね。何せ聖女様が旅に出ちまうんだから」
「さ、さすがにその呼ばれ方は畏れ多いと言いますか、面映ゆいのですが……」
元々この町は聖男神教の宗教圏内あったものの、ベールズという二つの宗教が対立しあう国柄もあってか、熱心な信者はいなかった。そこに自分たちの危機や町の苦難から逃げ出したとなれば町民たちも聖男神教に見切りをつけ、他の街から善意で支援に来た女神教を受け入れるのも当然だ。女神教の在り方に感銘を受けて信者になった町民も少なくはない。
そんな町におけるシャーロットの株だが、実はこれ以上にないくらいに高まっていた。町の魔物の大群から結界で守ったのも、和人に重傷を負わされた町民を癒したのも、その後の復興活動にも精を出したのは紛れもないシャーロットなのだ。
外見と内面は両方とも美しく、滞在中は病や怪我で苦しむ町人を幾人も癒し、子供たちの面倒も見る彼女は、この町ではもはやちょっとした聖人扱いである。シャーロットとしては自分の良心に従っただけのつもりなのだが、あわや住民共に町が殲滅されるといった危機的状況を救った姿を大勢が見ていたので、無理もない話だ。
「お嬢さん、そろそろ南行きの馬車を出すよ」
「あ、はい。今行きます。…………それでは、後の事はお任せします」
ゼオが消えた南行きの馬車に同乗させてもらうこととなったシャーロットは、女神教徒、街の住民、そしてセネルとアルマに視線を合わせて別れの挨拶を済ませる。
「何度も言うけど、本当にありがとな。あんたたちのおかげで、アルマも俺もこの町に戻ってこれた」
「またいつでも遊びに来てください。あたしたちも、二人がこの町に来るのをずっと待ってますから。だからその日まで、どうか元気で」
馬車に乗り込むシャーロットの手を握るアルマの手を、シャーロットは祈るように包み込む。
「二人もどうかお元気で。たとえ時が流れても、私は今日までの日々を決して忘れません。…………病める時も、健やかなる時も、二人の道がずっと続いていきますように」
それは紛れもない祝福への祈りだった。例え想いを通じ合わせていない不確かな関係であったとしても、共に歩まんとする男女への祝福の言葉。しかし、ニュアンスに込められた意味に気付いた時、アルマは顔を赤く染めた。
「ふふふっ」
「今まで同じネタで揶揄った仕返しだなぁ……もうっ! 行ってらっしゃい、シスター!!」
悪戯成功。口元に人差し指を当てて珍しい側面を見せたシャーロットに唸りながら、アルマは以前のような不安の入り混じった笑顔ではなく、太陽のように快活な彼女本来の笑顔と共に、シャーロットを力強く送り出した。
「そうだ、シスター。これ持ってってくれよ。俺だけじゃなくて、親父が作った魔道具を幾つか詰めといた。これからの旅に入用になる時もあるだろうし」
「そんなものを……これほどのご厚意、何と言えばいいのか」
「よしてくれよ。それだけじゃ足りないくらいの事を、あんたはしてくれたじゃねーか」
魔道具が詰まった大きめの皮袋を受け取り、頭を下げるシャーロットにセネルが照れ臭そうにすると、馬は嘶きを上げて歩み出す。
馬車に揺られて遠ざかっていく町に手を振るシャーロットを、大勢の人が同じく手を振りながら見送る。互いの姿が見えなくなるまで。
「さようなら」ではなく、「いってらっしゃい」。故郷を出るときは誰一人として見送りに来なかった。薄情だからではなく、きっと罪悪感で見送りに来れなかった。だからこれが、シャーロットが初めて経験する清々しいまでの別れ。いつか来る再会を約束する別れだった。
「……どうか彼らに、祝福があらんことを」
ただ馬車に揺らされて時間を持て余したシャーロットは両手を組んで祈りを捧げる。セネルやアルマ、町の住民たち……そして人知れず彼らを救ったゼオへの想いを祝詞に込めながら、シャーロットは再びキメラを探す旅に出た。
他の書籍化作品、「元貴族令嬢で未婚の母ですが、娘たちが可愛すぎて冒険者業も苦になりません」もよろしければどうぞ。




