とある犬獣人の願い
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「ゆ、勇者たちなら今、この町に居ると思うが……」
アルマがシャーロットの助けになってくれそうな人が居ないか、門番の男に尋ねた時、彼はアルマの気迫に押され気味になりながら答えた。
それを聞いた時、彼女は思わず二の足を踏んでしまう。勇者和人は間違いなくアルマのトラウマだ。そんな輩に救援を頼みに行くなど、理性よりも先に本能が拒否感を出してしまう。
それでも、アルマは歯を食いしばり、恐れる本能を捻じ伏せて駆け出した。このまま自分が逃げれば、シャーロットだけではなく、彼女が守ろうとしている町の人々にまで多大な犠牲が出てしまうことが分かりきっているから。
「でも、一体どこに……!?」
恐慌に囚われた人々の流れに逆らうように進み、首を左右に振りながら勇者の姿を探す。
本来ならば、この町の危機に現れても可笑しくはなさそうなのだが、結界に張り付く大量の魔物と戦おうとする者が見当たらない。
「リアの家なら……!」
いるとすれば婚約者の家が一番可能性が高そうだ。その結論に至って見知った家屋へ向かおうとしたのだが、パンッという聞き覚えのある音と甲高い哄笑と共に、より大きな町の人々の痛みに喘ぐ悲鳴が聞こえてくる。
「この音って……まさか!?」
忘れもしない……セネルが居なくなったあの日、アルマはこの音に導かれて、森に吹き飛ばされたセネルと、物言わぬ遺体となった彼の両親を見たのだから。
息が切れ、ズキズキと痛む横腹の悲鳴を無視してアルマは走った。それは「今すぐ音がした方に向かわなければならない」という本能的な直観によるものだ。
「勇者……そ、それに……!?」
足を抑えて呻く人々と、それに囲まれる和人。その足元には、か細い息を吐きながら血を流し、ボロ雑巾のような無残な姿になった、愛しい男の姿があった。
「……っ!」
万感の想いを込めて名を叫びたい衝動に駆られた。今までどこに行っていたのか問いただしたい気持ちがあった。すぐにでもその胸に飛び込みたかった。
しかし、それ以上に今、男がどうしようもない危機に晒されていることが分かってしまう。身動き一つとれない男に、勇者が残忍な笑みを浮かべながら片刃の剣を振り上げているのだ。
「セネルっ!!」
アルマは駆け出す。その行動には、難しい理屈などありはしなかった。そんなもの、必要なかったのだ。
あるのはただ、純粋で強い一つの願い。それを叶えようとする強い思いが、アルマの足に力を与える。
少女の体に流れる聖獣の血が目覚めたのかと錯覚してしまうほどの速さで勇者とセネルの間に割り込んだアルマの背中に、灼熱に似た痛みが走った。
見知った藍色の髪が舞うのと一緒に飛び散る赤い飛沫。そして自らの体に覆いかぶさる少女の姿に、セネルは瞠目する。
「お、お前は……!?」
「ア……ルマ……?」
「……っ!!」
彼女は誰に声にも答えなかった。ただ歯を食いしばり、セネルの手を掴みながら首から下げられた玉石のネックレスを握る手に力を込める。
以前と同様、所有者の危機に反応して遠くまで所有者を運んでくれる魔道具は遺憾なくその力を発揮し、手を握られたセネルともどもアルマを和人から離れた場所へと移動させるが、今回ばかりは本当に運が悪かった。
実に皮肉なことに、シャーロットが魔物の侵入を阻むために張った結界が邪魔をして、町の外には出られなかったのだ。
シャーロットが立ち塞がっている町の入り口の丁度反対側……町を二つに分ける大通りの端まで移動した所で魔道具の効果が終了し、血を流しながら横たわるセネルとアルマ。
「お前……どうして……!?」
激痛の走る四肢に鞭うって起き上がり、セネルは血濡れたアルマの体を抱き起す。手を小さな背中に回した時、セネルは彼女が負った傷が深すぎることに気が付く。
致命傷であった。少なくとも、このまま放置し続ければ死ぬということは、医学の素人であるセネルにでもわかるほどに血が止めどなく流れ続けている。
「え、へへ……やっちゃったなぁ……。今思えば……もうちょっとまともな庇い方が……あったんだけど、なんだか居ても立っても……いられなくって……」
どんどん血の気が引いていく顔に無理矢理笑みを浮かべるアルマを見て、セネルは悔恨に眉を歪めた。
もっとやりようがあったはずなのだ。少なくとも、アルマが犠牲にならないようなやり方が。しかし、怒りと憎しみに眼が眩んだセネルはその選択肢すら頭から追いやっていた。
(先にアルマに会いに行っていれば何かを変えられていた……たった一言でも声をかけていれば、何かを変えられていたはずなんだ……なのに、どうして……!?)
理由など分かりきっている。これは紛れもない、セネルが犯した罪悪だ。
自分だけで全てを成し遂げようとし、心配する周囲には何も告げずにいた結果が、保険も取り返しも効かない状況を生み出してしまった。
……それでも、運命を司る何者かが居たとして、その者がセネルに天罰を与えたというのなら、この仕打ちはあんまりではないか。
「……俺が……俺が招いた結果がお前を……!」
毒の中和による和人の復活……それは恐らく、誰にも予想できない出来事だった。しかし、他人が巻き込まれる事態は予想すべきことだったのだ。それが招いた結果が、よりにもよって家族同然の少女の命を奪おうとしている。
背中から手を伝って、地面に滴り落ちる生暖かい血の感触が、そのままアルマの命が零れていっているかのように感じた。
「やだよ……セネル。そんな顔しちゃ……」
零れ落ちそうになる涙を堪えるようにきつく瞼を閉じるセネル。その表情をどこかぼうっとした表情で見上げていたアルマの声は、どこまでも穏やかだった。
背中を深く切られ、もう恐らくまともに手足も動かないのだろう……それでも微笑さえ浮かべて、左手を上げて力なくセネルの頬を釣り上げようとする。
「あたしね、死にたかったわけじゃないけど……これでよかったって、思ってる……」
「何を言って……!」
「だって……ずっと心のどこかで、こうしていたいって思ってたんだもん……」
最初の時は間に合わなかった。気が付けば既にセネルの両親は殺され、セネル自身もどこ知れず吹き飛ばされてしまっていたのだ。
あの時ほど後悔した覚えはない。どうしてもっと早くに恩を返せなかったのか……どうしてもっと早くに想いを伝えられなかったのかと。
「セネルがしてくれたこと……小父さんと小母さんがしてくれたこと……あたしは忘れてないよ……? だからね、自分を盾にしても良いから、セネルが困ってる時は助けたいって思ってて……」
「……もういい、喋るなよ」
「色々と間に合わなかったし……色んなものを、失くしちゃったけど…………最後の最後で、貴方を守れたことだけは、ただ本当に、良かった……」
「もうそれ以上……喋らなくてもいいからっ!」
意識も朧気でどこか要領を得ない死に際の言葉……それ以外の何物でもないアルマの言葉を、セネルは縁起でもないと言わんばかりに叫ぶ。
それでも彼女は止まらない。どこまでも穏やかな笑みを浮かべたまま、優しく諭すような声と共に、アルマは右手をポケットに入れた。
「こんなの柄じゃないって……笑われるかもだけど、あたしを暗い奴隷の道から救ってくれたセネルは……物語に出てくるヒーローみたいな人だけど……何処にでも居そうな普通の男の子で……あたしの一番好きな人だから……」
「……アルマ? それって……」
「そんなセネルがこの先ずっと悲しいままなんて……そんなの嫌だから……」
残酷なことを言っている自覚はある。残される者に、もし死に逝く者を哀れに思うのなら泣いてくれるなと言っているのだ。
それでも告げなければならない。このまま愛する人が泣き暮らして終生を過ごすことになれば、救われた甲斐も、救った甲斐もないではないか。
アルマは残された力の全てを振り絞り、ポケットの中から紅琥珀のネックレスを取り出し、セネルの首にかける。
「大丈夫……セネルなら、あたしが居なくなっても……生きてれば、何度でも立ち上がれるって信じてるから……」
愛した男の首元に輝く宝玉を眩しそうに眺めながら満足そうに微笑むアルマは、最後の我が儘を口にした。
「ずっと……見守ってる……だから泣かないで……どんなに苦しくても、立ち上がって……前を向いて」
それは、一人の娘がただ一人、愛した人へと捧げる願い。
「あたしは……いつでも笑って前に進む……そんなセネルの姿が……大好き……」
頬を撫でる冷たい指が、遂に地面に落ちる。その落ちた手を握りしめながらも、セネルは何も言えなかった。
ただ、確かに死体になりつつある女の体に温もりを分け与えようと抱きしめることしかできずにいると、堂々と迫りくる悪鬼が一人。
「何だよ、死んだのか? せっかく俺のハーレムに入れてやろうと思ったのに」
「…………」
「まぁいいや。死んだってんなら、そんな生ゴミはいらねぇ。…………それよりも、だ。今お前が後生大事に抱えてるゴミをバラバラに吹き飛ばしてやったら、どんな顔するんだろうなぁ」
同時刻。
町の門の前で迫りくる魔物を懸命に結界で阻むシャーロットの額には脂汗が浮かんでいた。
(町が静かになってきている……避難が着実に進んでいると考えてもいいでしょう)
地面を掘った地下式の避難所があることは、以前この町を訪れた時に確認している。町は壊されるだろうが、人的被害が出る可能性は低いはずだ。
(ですが、先ほどの火薬か何かが炸裂したような音……妙な胸騒ぎがします。アルマさんは無事なのでしょうか……? それに……)
胸騒ぎ……それは精神的にというわけだけではなく、実際に心臓が暴れるように鼓動を加速させているからに他ならない。
どうも先ほどから今いる場所の正反対の方角から妙な魔力を感じるのだ。神聖でありながら、どこか悍ましい……つい半年ほど前に感じた覚えのある気配。
(これはそう……王都で変貌したリリィから感じたのと同じ気配……! 気のせいならそれに越したことはありませんが、もしあの時と同じことがこの町でも起きようとしているのなら……!)
先ほどの炸裂音を考えれば、大勢の怪我人が出ている可能性も否定できない。そしてその中にアルマが居る可能性も。
本当ならば今すぐにでも駆け付けたいところなのだが、まずこの結界全体に張り付く魔物たちをどうにかしなければ動くことすらままならない。
打開策が浮かばないまま苦境に立たされるシャーロット。……そんな彼女の視界に、あるものが映り込んだ。
(? ……あれは、巨大な獣……?)
森の中で堂々と佇むのは、三本の長い鼻を持つ、遠く離れた場所からでも確認できるほど巨大な獣。初めはあの魔物も、街に侵攻してくる内の一体と思ったのだが、どうにも様子がおかしい。
狂気に取りつかれたかのように襲い掛かってくる魔物たちとは違い、まるでこちらの様子を俯瞰しているようにこちらに視線を向けているのだ。
「一体何を……」
その瞬間、超巨大な破城槌のような突風が結界を纏わりついていた魔物ごと粉々に粉砕した。
アルマを生かすべきか、このまま殺すべきか、どちらにするか悩みどころですね。
書籍化作品、「元貴族令嬢で未婚の母ですが、娘たちが可愛すぎて冒険者業も苦になりません」もよろしくお願いします。




