狂気の怪物に女神の加護を(閲覧注意)
今回、またしても閲覧注意な場面になってしまうことを深くお詫びします。特に食事中の方、本当に申し訳ありません。
こんな作品ですが、お気にいただければ評価や登録、感想のほどをよろしくお願いします
そこは、臨死の世界なのか、はたまた精神だけの世界なのかは分からない。
何もない、ただ真っ白なだけの空間が広がる中、ポツンと置かれたテレビとそれに繋がれたゲーム機を前に、黒髪黒目で学生服を着た平凡そうな男子が立ち尽くしていた。
画面には真っ赤な血の海に沈むキメラと、進化の是非を問う【はい】と【いいえ】の選択肢。彼はゲーム機の前に座り、コントローラーを手に取ってカーソルを【はい】に合わせる。そしてそのままボタンを押そうとしたその時、後ろから女の声がかけられた。
「本当にそれでいいの?」
その女は異様な姿だった。ボロボロの法衣も、床に引きずる髪も、何年も日の光を浴びていないかのような病的な肌も、全てが白で統一された女。唯一彼女の体を雁字搦めに縛る、床に楔が撃ち込まれた十本の黒い鎖だけが女を彩っている。
「誰だか知らねぇけど邪魔すんな。これでいいんだよ」
「人としての意識も無くなってしまうのに?」
「あぁ」
「もう絶対に人間になることも、人に化けることも出来なくなるのに?」
「あぁ」
誰の言葉にも耳を貸さない様子の彼を見て、女は悲痛に表情を歪ませると、最後に一つだけ問いかけた。
「怖くないの?」
ボタンを押しかけた指が止まる。しばらく沈黙が白い空間を支配し、彼は震える声で静寂を破った。
「怖いよ……怖いに決まってるだろ……? よしんば理性を取り戻してもさ、このまま一生人間になれずに野で生きろって言われてんだぞ? ほんの少しの間だけでも寂しさでどうにかなっちまいそうだったのに、それが一生続くなんて言われて怖くないわけないだろ?」
だからヒューマンキメラに進化したかった。誰にも憚れることなく、堂々と人の世でもう一度生きていきたかった。そうすれば、一人の男としてシャーロットの手を取ることも出来たかもしれないのに。
「ならどうしてそこまでするの? 絶対的に不利だってことは戦う前から分かってたんでしょう? 一つの要素が生存を致命的にしかねないって。戦いに行く前に逃げてしまえば、もう一度やり直すことだってできたかもしれないのに」
「ホントだよ。俺自身馬鹿なことしたなって思ってる。自分も助けられないような奴が他人を助けるなんてできるわけねぇのにって…………でも無理だ。そんな選択は出来ねぇ」
彼は死と、人としての自分を捨てることに対する恐怖に震える涙声で告げた。
魔物の身で許される願いではないとはわかっている。相手の事を想うのなら決して表に出すべきではないし、相応しい相手が現れれば潔く身を引くと決めてもいた。
……それでも、初めて出会ったあの日から今日に至る日々を通して気付いてしまったのだ。彼の人間としての心は……。
「だって俺……自分が死んでも惚れた相手が幸せになってくれた方が良いって、バカなこと考えちまってる……! お嬢が不幸なまま死ぬなんて、何を引き換えにしたって我慢できねぇんだよ……!」
もっと自分勝手に生きていたかった。そうすれば、どれだけ楽な生だっただろう。
だがそんな道は、〝ゼオ〟の生き方にはない。笑いたければ笑えと、そう言い残して彼はボタンを押し、テレビとゲーム機、そして女しかいない空間から姿を消した。
「そう……それが貴方の生き方なのね。……ならきっと、貴方をこの世界に転生させたのは無駄ではなかった……!」
女は悲しみとも喜びともつかない涙を一筋流す。頬から零れ落ちた雫が黒い鎖の内の一本に当たると、その鎖は甲高い音を立てて砕け散った。
恩義も信念も抱えて愛に殉じる覚悟……その力が、弱虫な魔物を勇敢な怪物へと姿を変えさせた。
ゴキリと、凄まじい音と速度で骨が変形し、肉が盛り上がる。音の発信源であるプロトキメラの変化はまさに劇的だった。
女の腕に収まる体は大きめの小屋ほどの巨体となる。竜の上半身に生える鱗は硬質化し、顎は大地を呑み込まんとするほどに開く。失われた翼はより逞しい王鳥の翼となって再生し、爪牙は鉄杭のように太く鋭いものとなった。大地を踏み締める獣の足も異常に発達し、硬質な皮で覆われた尻尾の先端にはスパイク状の突起がいくつも生えている。そしてその頭部には、後ろに向かって生える二本の角と、額から前へ突き出す一本の角が威圧を示していた。
「ゴルルルルゥ……!」
「ひ、ひぃっ!?」
「……ゼオ? 貴方は、まさか……!」
蒸気のような熱い息を吐き出し、爛々と輝く血のような赤い瞳で周囲の騎士を睥睨する。思わず怯える騎士たちだったが、ただ一人アレックスだけは平然としていた。
「落ち着け。魔物の進化を目の前で見るなど珍しい事ではあるが、それで急激に力を増すことなどない。この剣に愛された俺様が居る限り……」
その言葉は、重々しく空気を引き裂く音に続いて響く肉と金属を叩き潰す音と、幾人もの短い断末魔に掻き消される。ゼオの大きな背中から突然生えた一本の太く逞しい触手が、シャーロットを取り押さえ、傍にいた騎士を纏めて薙ぎ払ったのだ。まるで玩具の様に吹き飛ばされて石造りの街に転がる彼らの腕や腰は、一様にあらぬ方向へ折れ曲がっていた。
「き、貴様ぁああっ! 魔物風情がよくもぉっ! 《火炎斬》っ!!」
怒りで我を失ったかのように跳躍し、両手で持つ剣に業火を走らせる。攻撃スキル、《火炎斬》だ。斬撃と共に血肉を焼く必殺技で目の前のデカブツを切り裂いてやろうとしたアレックスだが……その両腕は一瞬で両断された。
「……え?」
飛び散る鮮血に何が起きているのかも分からず、茫然としたまま地面に墜落したアレックス。その少し後に、カランと自分の両腕が付いたままの剣が地面に落ちてきたのを見て、彼の脳はようやく痛みを認識する。
「ひ……ひぎゃぁあああああああああっ!? う、腕がぁあああああああ!! 俺の腕がぁあああああっ!?」
見れば、ゼオの左腕が巨大な蟷螂に似た腕に変化していた。その鎌の刃は磨き抜かれた業物のように鋭く、アレックスの血が滴っている。
「腕がぁ……俺の腕……ぁぁぁあ……!」
剣神に愛された男。そんな名声を欲しいままにした彼の剣士としての人生は終焉した。その絶望を整理する間もなく、ゼオは右腕を黒い剛毛が生えた大猿の腕に変化させる。
「ひっ!? ま、待て……! に、《肉体硬化》っ!!」
握り締められた大猿の拳を見て、体を岩のように硬くするスキルを発動させるが、化け物はそれに構わずその剛拳をアレックスに叩き込む。
スキルの影響など無視しているのではないかという衝撃が全身に走る。体格差も合わさり、枯れ枝のように吹き飛ばされたアレックスは、建物を三つばかし突き破り、四つ目の建物の壁を大破してようやく止まった。
「ア……アレックス様がぁっ!?」
「に、逃げろぉっ!! 化け物だぁっ!!」
「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
逃げ惑う騎士を追いかけるように動き出すゼオ。圧倒的な力の差があったはずのアレックスを蹂躙した彼のステータスがこれだ。
名前:ゼオ
種族:バーサーク・キメラ
Lv:1
HP:1502/1502
MP:1489/1489
攻撃:1001
耐久:1000
魔力:1002
敏捷:1001
SP:914
スキル
《ステータス閲覧:Lv--》《言■理■:Lv■》《鑑定:Lv--》
《進化の軌跡:Lv--》《技能購入:Lv3》《火炎の息:Lv1》
《電撃の息:Lv1》《凍える息:Lv1》《透明化:LvMAX》
《嗅覚探知:Lv2》《猿王の腕:Lv1》《妖蟷螂の鎌:Lv1》
《触手:Lv1》《飛行強化:LvMAX》《毒耐性:Lv1》
《精神耐性Lv:3》
称号
《転生者》《ヘタレなチキン》《令嬢のペット》《反逆者》
《狂気の輩》《魔王候補者》
スキルは増えたり変化したりし、ステータスも大幅上がっているが、それを確認する者はいない。それは彼自身もまた同じ。
「く、来るなぁ! 来るな化けもぐぎゃっ!?」
「ひ、ひぃいいいぶげぇぇっ!?」
向かってくる者も、逃げ惑う者も、騎士も民間人も関係なく彼を刺激した全ての生物が悉く鏖殺されていく。大鎌で身を裂かれ、巨椀で粉砕され、強化された火炎や電撃、冷気に身を包まれて死にゆく人々と、巨体とブレスに薙ぎ倒されていく街はまさに地獄絵図に相応しい光景だ。
「な、何なのだあの化け物は!?」
「き、騎士たちよ! 一刻も早くあの化け物を倒すのだ!!」
「な、何よ……何なのよあれ……!」
その恐怖は貴賓席にまで及び、先ほどまで余裕すら滲ませる悪辣な笑みを浮かべていたリリィすら、怯えに震えて遠くで暴れ狂う化け物を見ることしかできない。いかなる謀略も全て暴力で薙ぎ払う、まるで嵐の如き災害の前には、小賢しいだけのリリィなど無力な小娘に過ぎない。
「グルルルルルル……!」
「ひ、ひぃっ!?」
呆然と目の前の惨劇を見ていると、不意に化け物とリリィの目が合った。その鮮血のような瞳に渦巻く狂気の中に、一つの感情が浮かび上がるのをリリィは直感する。
「ガルァァアアアッ!!」
「あ、あああああああああああああああっ!?」
「こ、こっちに来たぞ!? どうしてよりにもよって!?」
それは「お前を殺す」という、言語無しでも雄弁に伝わる殺意。それに中てられたリリィは惨めったらしく悲鳴を上げ、腰を抜かして尻餅をつく。
狂気に呑み込まれたゼオだが、根本に刻まれた感情は消えてはいない。現にゼオの傍にいたシャーロットには傷一つなく、リリィを見たゼオはもう他の騎士や人間など目に入っていない。
煉瓦を砕きながら向かってくる化け物を見て、貴賓席は騒然とする。ハイベル公爵夫妻や宰相が騎士に連れられて逃げていく中、リチャードとエドワード、ロイドやルーファスといった面々はリリィを連れて別方向へと逃げ始めた。
「お、王子!? そっちは危険です! 王子!!」
騎士の制止も耳に入らず走り出すリチャードたち。それが故意に増幅された感情によるものだとしても、真の悪女を守ろうとする彼らは哀れであり、滑稽でもあったが、ゼオはそんな思考を浮かべることすらなく、ただひたすら憎いリリィを追いかける。
「化け物が……どうしてこんな……! くそっ、来るなぁあっ!」
「と、とりあえずリリィを連れて逃げぎゃあああああっ!?」
「エ、エドワードっ!?」
彼らの敏捷値とゼオの敏捷値は比べ物にならない。すぐさま追いついて嬲るように振るわれた触手は、エドワードを縛り上げて、その整った顔を地面に擦り付けながら投げ飛ばす。大きな擦過傷を顔に刻まれたエドワードは背中から建物を突き破り、そのまま気絶した。
「あぎゃあああああああっ!? ボ、ボクの足がぁあああっ!?」
次に犠牲となったのはロイドだ。かつてはシャーロットや家族の為に……今はリリィの為に強くなろうとしていた騎士志望の少年の右足は大鎌で両断され、その未来ごと断ち切られた。
「あっ!? ご……がぁあああああああっ!?」
一人、また一人とリリィの守りが剥がされていく中、次に犠牲になったのはルーファス。躓いて転んだところをゼオの爪先が彼の治りかけた股間を抉り、その機能を永遠に停止させる。
「ひ、ひぃいい!?」
「ま、回り込まれた!?」
そして残ったリチャードとリリィは広場を出る前に回り込まれる。周囲の騎士は皆怯えて使い物にならない。逃げ出す気力がなくなってリリィは座り込み、リチャードはそんなリリィを守るようにして立ち塞がるが、彼の尻から異臭が放たれているのにリリィは気が付く。
「リ、リチャード様……?」
「おごぉおっ!?」
眉を顰めて臭いの正体を問いかける間もなく、ゼオの触手がリチャードの腹を強かに突く。化け物はリチャードの事を羽虫程度にしか認識していない。手首であしらうかのような一撃のおかげで命を繋ぐことは出来たが、それでもリチャードには耐えきれない衝撃が腹を突き破り、彼は白目をむいて泡を吹きながら、オムツやズボンを突き破りそうな勢いで脱糞。そのままリリィの顔に座り込んだ。
「いやぁあああああああああっ!? 臭いっ! 汚いっ!!」
汚物を顔に塗りたくられて悲鳴を上げるリリィは、両手で気絶するリチャードを押しのけて四つん這いになりながら逃げ出そうとするが、そうはさせまいとゼオは触手でリリィの足を砕く。
「ぎゃあああああああああっ!? 痛い痛い痛いぃぃぃい!?」
狂気に呑み込まれて本能がむき出しになっても……否、本能がむき出しになったからこそ、獲物を効率よく仕留める行動をとり続けた化け物。その口腔の奥から炎が燃え始める。
「くそぉっ!! 何なのよ! 何だっていうのよ、この化け物は! 私の邪魔ばっかりしやがって! アンタみたいな化け物、生きてる価値はないのよ! 死ね、この化け物が!! 死ね!! 死ねぇえええっ!!」
激痛と恐怖で本性を現し、屈辱に塗れた怨嗟の声を張り上げることでしか抵抗する術がないリリィは喉が裂けんばかりに叫び続ける。それが波紋となったかのように、周囲に人々はゼオに向かって罵倒を放ち始めた。
『何なんだよあの化け物は!? 俺たちの街を滅茶苦茶にしやがって!!』
『何してんだ騎士団! 早くあの悍ましい化け物をぶち殺してくれ!!』
『天よ! あの化け物に裁きを下してくれ!!』
化け物。そう浴びせられる呪詛の数だけ、ゼオの怪物性は高められていった。先ほどまでシャーロットの無残な死を望んでいた彼らは、今度は自分たちの死が間近に迫ると諸々を棚に上げて喚きだす。汚らわしく醜い魔物は倒されるべきであるという願いを込めて。
「ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
凶魔の化生は天地を揺るがさんばかりの咆哮を上げる。もはや彼が人の心を持っていた時の想いすら消え失せようとしたその時、巨体の足腰に縋りつく温もりを感じた。鮮血色の瞳で捉えたのは金の御髪。
「大丈夫……! そんな悲鳴を上げなくてもいいから……貴方は化け物なんかじゃないから……!」
この世界でただ一人、怪物の咆哮の意味が人心の欠落に痛む悲鳴であると理解していたシャーロットの精神は肉体を超越し、病魔に蝕まれた体を無理矢理動かした。瓦礫と化した道を何度も何度も転びながら、それでも足を動かしてここまで辿り着いたのだ。
失いたくない。この世界で何もよりも大切なものを。今ここで動かなければ、ゼオは一生手の届かないところへ行ってしまう。シャーロットは失われた怪物の心を掬い上げようと、万感の想いと共に叫んだ。
「だから何時もの優しい貴方に戻って……! ゼオォォォォォォォォォォッ!!」
ともすればゼオ自身に無残に引き裂かれて死に絶える。今この国で最も危険な場所に飛び込んだ彼女に対し、耳に聞こえぬ天啓が降り注ぐ。
【条件達成により、スキル《無神論の王権》が解放されました。称号《女神の加護》を獲得しました】
リリィは内心、ひたすら他者や理不尽に対して罵っていた。目障りなシャーロットを排除するため、わざわざ義理の家族やリチャードに階段から突き落とされたと嘘を言ってまで展開をここまで持ってきた。幸いにも宰相が追い打ちをかけるような冤罪を義姉に被せたおかげで最高に気分の良い末路を味わわせることが出来たと、そう思っていた。
それがなんだ? 急に魔物が出てきたと思えば、突然化け物になって盤上を全てひっくり返さえれた上に、取り巻きの美男たちを悉く叩き潰し、こうして自分を追い込んでいるではないか。
私は物語のヒロインのような人生を歩む者なのに! この世界はそうするための舞台なのに! あんな化け物に引っ掻き回された挙句、どいつもこいつもまるで役に立たない!
どこまでも傲慢で、どこまでも自己中心的な思考に囚われ、因果応報という概念を知ろうともしないリリィの頭の中に、懐かしい声が響く。
【まさかこうなってしまうとは……少々博打になるが、致し方ない】
(この声は……神様!? また私を助けに来てくれたのね!?)
以前スキルを授かって以来一度も語り掛けなかった〝神〟の登場にリリィの心は浮きたつが、その声色に込められた酷薄さに気付かないまま、神を名乗る何者かはリリィの話を聞かずに一方的に告げる。
【哀れで愚かなリリィ。君はもう十分楽しんだろう? だからそろそろ、私の為の駒になってくれ】
(神様? 一体何を……?)
その真意を確かめる暇もなく、突如リリィの脳内に義務的な音声が響く。
【条件未達成のまま、スキル《王冠の神権》が解放されました。ペナルティにより、リリィ・ハイベルは《メタトロン》へ変成します】
先に言っておきますけど、リチャードとかアレックスとかへのざまぁがこの程度の描写で終わるわけではないのでご安心を。
とりあえず、リリィとかその他へのざまぁの仕上げは後一話かそんくらいを挟んで開始します。これまでお付き合い、ありがとうございました。




