魔物はただ、恩人の為に空を飛ぶ
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太陽が昇り、普段学院に通う時刻を完全に過ぎた頃になって、シャーロットは目を覚ました。熱に浮かされて痛む頭に眉根を歪め、昨日何が起きたのかを思い出す。
(私は眠ろうとしたら倒れて……そういえば、ゼオは……?)
いつも目が覚めた時には傍にいるゼオの姿が見えない。代わりに、いつの間にか額に乗せられた濡れタオルとベッドの脇に置いてある水桶、そして床に広げられた薬草図鑑を見て、あの小さな魔物の行動を察してしまう。
(そうですか……あの子は、薬となるものを……)
つくづく変わった魔物だと、シャーロットは小さく笑う。人の言葉を介するばかりか、病に倒れた者への対処まで知っているなんて、まるで人間のようだ。
そんな彼が今、シャーロットの為に野山を駆け巡っている。願望に近い、根拠もない想像だが、そう考えると自然と胸の内に得も言われぬ感覚が込み上げてきて、シャーロットは胸の中心を両手で掴むように服を握り締める。
(ずっと忘れていましたが……誰かが私の為に行動してくれるというのは、面映ゆくもあり、泣きたくなるくらい嬉しくもありますね)
幼少の頃から女神教の信者として、王太子の婚約者として生きてきた。民の血税によって恵まれた生活を送る自分には、見知らぬ民草の日々に奉じる義務がある。
だからこそ、幼き日の彼女は「良い人になろう」と決意した。人に優しくされたのなら、人に施しと慈悲を与える人間になろう……そんな誰でも知っているような道徳をこれ以上にないくらい実践してきた。
思春期の頃は自分の在り方が偽善なのではと悩みもしたが、良心に従うということは決して間違いなどではない。初めは意志の力で、やがてそれはシャーロットの性格になった。
苦しむ者が居るのなら、自分が真っ先に手を差し伸べられる……そんな聖女じみた生き方は周囲からも称賛されてきたが、それが彼女には何よりも面映ゆくあったのだ。
(私の意思に関わらず、利己が混じった時点で聖者は聖者足りえない。だからそう呼ばれるのはただひたすら畏れ多かった)
もし仮に、シャーロットにもステータスを閲覧できるスキルがあり、自分の称号に《聖女》などと記されているのを知ったら、恥ずかしさ等で赤面は必至だ。
そもそも人である以上無欲ではいられない。どんなに悟りを開いた者であっても、こう在ってほしい、こう在りたいという願いからは逃れられない。
シャーロットの普段隠された根幹にあるのも正にそれだ。しかし、女神の教えはそれで良いという。願いと欲を抱くのが人の振り払えない業であるというのなら、せめて他者を想い、愛することを忘れないでほしいという主の願いを聞いて、彼女は信仰の扉を開いたのだから。
結局のところ、真の聖者というのは何処にもいないのだ。どれほど徳を重ねた者であろうと、善行を行う自分が好きで、悪行を為す自分が嫌いだからそうしている部分がどうしてもあるのだから。そういうどうしようもない事は気にせず、ただ良心の訴えに従って謙虚に善行を重ねるのみ。
……ただ、リリィが現れてからというものの、シャーロットの中の教義が揺らぎつつあった。
どんなに真摯に問いかけても、どれほど誠実に対応しようとも、これでもかと言うほど良き人であろうと行動してみても、リリィに魅了されてから突然のように態度を急変させた家族や友人、婚約者には届かなかった。
シャーロットとて、清濁併せ持つ一人の人間だ。自分がどんなに彼らの事を想っても、何の理由も無く蔑ろにされて何も感じるなと言う方が無理がある。
両親は王太子妃の座をリリィに譲らせ、シャーロットは二回りも年の離れた獣の如き男に嫁がせようと画策していたことを知っている。
使用人たちはシャーロットの身の回りの仕事を放り出し、わざと冷えて不味くなった食事に異物を混ぜていたことを知っている。
兄や弟が何かにつけてシャーロットの為すことに道理が伴わない不満を零し、作業の邪魔をして評価を下げようとしていることも。
リチャードに至っては、正面から堂々と自分を嫌悪し、リリィを愛していると告げられたのだ。
(どうして……と、これまでの思い出を無にしてまで謗る彼らに思うところを抱かないのは、それこそ人では無いでしょう)
愛しているからこそ負の感情は強くなり、そんな自分が嫌で嫌で仕方が無かった。いっそのこと心を持たない人形にでもなれれば、こんな苦しい思いはしなくても良かったのではないかと、いつか全てが元に戻るのではというか細い希望に縋りながら生きてきたのだ。
(でもそんなある日に、ゼオと巡り合ったのですね)
あの日、余裕を無くしていた自分の意思を押して、彼を助けてよかった。シャーロットが苦しい時や悲しい時、必ず優しく寄り添い、その小さな手で出来る何かをしようとするゼオは、シャーロットの救いとなった。
善行とは他人の為だけではなく自分の為にもすること。行いには行いで返ってくるという教えに反する現状の中で、ただ一匹だけシャーロットの為に怒ってくれたゼオの存在が、彼女には泣きたくなるくらい嬉しかったのだ。
(その結果、私が愛している人たちが傷ついているのに……なんて醜くて浅ましく……そして尊いと感じる想い……)
これのどこが聖女なのだと、シャーロットは自嘲する。しかし、そんな彼女の良心によって救われた者が大勢いるからこそ、彼女は聖女の称号をステータスに認められたのだ。
聖者などとは程遠い、愚かな偽善者であることは自分自身でも思っている。しかし、今までの善行の全てが報われた気がしたのだ。そのくらい自分を大事に想ってくれる者が居てくれたことを考えていると、無償にゼオに会いたくなった。
熱と頭痛で重く感じる頭をゆっくりと起こし、ベッドから離れてゼオを探しに行こうとしたその矢先、突然部屋の扉が荒々しくこじ開けられた。
「そこを動くなっ! 大罪人シャーロット・ハイベル!!」
仮にも貴族の娘の部屋に無遠慮に入り込んできたのは鎧に身を包み、帯剣した一団。彼らが犯罪に対する抑止を旨とした王国政府お抱えの騎士団であるということは、鎧の胸の部分に刻まれた花の紋章で一目で見抜くことが出来た。
「貴様が敵国アインガルドと密通していることは調べがついている! この売国奴め……貴様を王都裁判所へ連れて行くために逮捕する!」
「なっ……!?」
全く身に覚えのない冤罪に熱で痛む頭が真っ白になり、力の入らない体は傷跡が残りそうな強さで乱暴に縛り上げられる。倒れそうになっても無理矢理立たせて引きずるように連行されるシャーロットが、心底忌々し気にこちらを睨む家族やリチャード、そしてなぜかこの場にいる澄まし顔のオーレリア宰相、そしてそんな彼らの陰に隠れて口を三日月のように醜悪に象るリリィを見て、ようやく諸悪を確信する。
冤罪を被せられたシャーロットだったが、彼女の心の中にあるのはただただ声の届かない場所にいる者への祈りだけだった。
――――ゼオ、来てはいけません……!
あの小さな魔物は、きっとまた戦うことを選んでしまうだろう。しかし騎士団を相手に勝てるなど到底思えない。今彼がこの場に現れれば、待っているのは魔物の討滅という大義名分を得た騎士の蹂躙のみ。
シャーロットは、ゼオの無事だけを願っていた。
モンドラゴラの根を握りしめ、《透明化》を維持し続けたまま館の隅から隅、街の隅から隅、果てには街の外まで当てもなく、寝食すら忘れているのではないかといった様子でシャーロットを探し続けたゼオだが、三日後の夜になっても見つけることが出来なかった。
(お嬢は明らかに無理矢理どこかに連れ去られている……! 館の使用人とかはいつも通り仕事してるから強盗とかじゃねぇ。なのに、どう見ても体調の悪いお嬢にそんな事をすんのは、ビッチとかバカ王子の仕業に違いねぇ……!)
しかし、シャーロットどころかリリィの姿もリチャードの姿も見えない。彼らだけではなく、公爵家一家やリリィの取り巻きをしているエドワードもだ。
(やべぇ……! 俺、この街の地理すら明るくないのに、他の街がどこにあるかなんて知らねぇぞ……!? もしかして……人目の付かないところで始末……)
途方もない嫌な想像が頭に浮かび、それを振り払うように首を左右に振る。まだ確信を得たという訳ではないし、もしかしたらどこかに無傷で捕らえられているのかもしれない……そんな0%に近い楽観を必死に思い浮かべていると、街を駆けまわっている一人のオカマを見つけた。
(ラブさん!)
「! この思念は……良かった、そこにいるみたいねぇ! やっと会えたわぁん!」
スキル《思念探知》によってゼオの声にならない強い呼びかけに答えたのはラブだった。透明になっているゼオの方に顔を向け、深く安堵の息を吐いている。
「ワタシもアンタに伝えなきゃいけないことがあって探してたのよぉ。ここじゃあ人目について話しにくいわ。一度教会に行きましょう」
急いで教会に移動し、人が居ないことを確認したラブ。そんな彼と対話するために、ゼオは《透明化》を解除した。
「まずは何があったのか聞かせてもらえないかしらぁ? アンタが知っていること、全部ね」
その瞳には、知り得る全てを話せという強い意志が込められている。今は少しでも情報が欲しいのはゼオも同じなので、彼はラブの意思に従うことにした。
ゼオに他人のスキルや物の詳細を知る力があるということ。リリィに《感情増幅》というスキルがあり、それで好き勝手しているということ。普段はシャーロットの身の回りに潜んで護衛しているが、不運にも彼女がデスコル風邪に患ったため、その特効薬となる生のモンドラゴラの根を採取しに行って帰ってきたら、シャーロットは既にどこかに連れ去られてしまった跡であるということ。そのすべてを彼は強い思念に乗せてラブに伝えた。
「……正直、疑いたくなるような荒唐無稽な話が混じっていたけれど、信じるわ。アンタはこんな状況で嘘を言うようなのに見えないしねぇん」
(それより教えてくれ! お嬢は何処にいるんっすか!?)
「そうね……とりあえず、冷静に聞いてちょうだい」
やや言い難そうに顔を歪めたラブだが、それも一瞬のこと。次の瞬間には真剣な眼差しでゼオを見据え、残酷な事実を彼に伝えた。
「シャーロット嬢は明日処刑される身として、今は王都にある地下牢にいるわ」
(…………は?)
何を言っているのか理解できなかった。いや、正しくは理解したくなかった。たった半日ほど傍を離れただけで、なぜそうなるのだ……ゼオは視界がグニャリと歪むをの体感し、何とか我を保とうとしていると、その思念に気付いたラブはさらに続けて告げる。
「時間が無いの。呆けている暇すらないほどにね。何とか正気を取り戻しなさい」
(……だ、大丈夫。もう大丈夫っす)
そうだ、今はそんな暇は一切ない。ゼオは一発自分の顔を殴って喝を入れる。
(どういう事なんっすか。お嬢が居なくなったのって、三日四日前の話っすよ? 貴族の令嬢やってるお嬢が、何でそんなすぐに死刑宣告されなきゃなんないんっすか?)
「ワタシもそう思うわぁ。ここ最近、調べ物があってこの街から離れていたのだけれど、帰ってきてみればシャーロット嬢が敵国との密通罪を犯して王都に連行されたって話で持ちきりになってて驚いたもの。急いで王都に行ってみれば、もう明日には処刑されるっていうお触れが出てたし」
敵国との密通になれば、それは確かに処刑されてもおかしくはない大罪だろう。しかし、身分のある貴族の娘を処刑するとなれば、相応の時間が掛かるものではないかとゼオは考えているのだが、ラブの表情を見る限りその通りらしい。
一般人の極刑でも裁判に重なる裁判で、刑が決まらないまま何年も牢獄で暮らすことなど珍しくもないのだ。王侯貴族の処刑が、そんな簡単に決まって簡単に執行されるなどありえない。
「シャーロット嬢が罪を犯した証拠があるのかどうかは分からない。でも誰がそうなるように仕向けたのかは予想できるわ」
(それってもしかして……!)
「お察しの通り、そう仕向けたのは完全に暴走したリチャード殿下とリリィ嬢。そしてこの一年の間、聖男神教の信仰が深い敵国の信者と密会していたと思われるオーレリア宰相が怪しいわねぇ。一体何が目的かは分からないけど」
オーレリアという名前に聞き覚えがある。あの陰険で生徒会の仕事サボりまくっているメガネ男、エドワードの父親なのだろうとゼオは確信した。
「時間が無いから手っ取り早く話すけれど、現国王は今病気で意識不明。シャーロット嬢の処刑は国王の代わりに国の舵取りをする王子と、何を考えているか分からない宰相閣下を止める者が居ないからこその暴挙と言えるわぁ。宰相閣下が根回ししたのか、リリィ嬢のスキルでそうなったのかは分からないけれどねぇ」
すなわち、グランディア王国そのものが敵になったということ。これまでざまぁをしてきた、一目で全容が分かる敵とは大違いだ。
「女神教としても出来る範囲で説得しようとしたのだけど、まずは交渉の席に立つことすら出来なかったわぁ。この一件に口出しすれば、すぐさま女神教と対立するって宰相閣下自ら脅しに来られたら、ね。ワタシも今の肩書全てを捨てて無理矢理シャーロット嬢を助けに行こうと思ったけれど、そうしたところで既に発生した問題が解決するわけでもないしねぇ」
ラブはその奇抜なスタイルも相まって有名な枢機卿だ。その場で枢機卿を止め、女神教からも脱退したと宣言したとしても、周りはそう捉えない。間違いなく大勢の信徒を巻き込んだ対立となるだろう。
そうなれば、きっとシャーロットは自分を責める。自分の為に枢機卿が全てを投げ捨てるだけではなく、何の覚悟も決意もないグランディア王国と関わりを持つ信者たちが大勢何らかの被害を被ってしまう。それでは、シャーロットの身は救えても、心を救うことは出来ないのだ。
「いい? よくお聞き! 今、牢獄で苦しんでいる彼女をあらゆる意味で救える可能性があるのは、アンタしかいないのよ! 何の肩書もしがらみもない、魔物であるアンタしか!」
ラブは片膝を床につけ、力強く言い切る。それはどこか、ゼオの覚悟を試す問いかけのように聞こえた。
「アンタに覚悟がある!? 敵は膨大、まともに歯向かえば命はない! それでも、一国を敵に回して命懸けで一人の女の子を救い出す、そんなヒーローになる覚悟が!!」
それは途方もない戦いだ。そんなことが出来るのは、漫画やゲームの中にいる主人公の特権のようなもの。ステータスなどの敵の情報は分からないが、一介の魔物に過ぎないゼオには、一国全てが相手など荷が重すぎる。
「ガウッ!!」
それでも、彼は迷わなかった。力強く、高らかな鳴き声を上げてラブを見返すと、彼女は二ッと漢らしい笑みを浮かべる。
「なら、その命を燃やして戦ってきなさい! ワタシもただ手をこまねいているつもりはないわ。モンドラゴラの生薬はワタシに任せなさい。アンタは、どうにかしてシャーロット嬢の身柄を確保してちょうだい」
(でもどうするんすか? いくらお嬢の身の安全を確保しても、死刑囚を匿ったとなったら、国の威信とかそういうのの為に追っ手を出してくるんじゃ……?)
「言ったでしょ? 手をこまねいているつもりはないって。アンタから聞いたリリィ嬢のスキルの詳細が本当なら、ワタシにはシャーロット嬢を取り巻く現状を覆す切り札を用意できるわ」
(マ、マジっすか!?)
果ての無い戦いを覚悟していたが、ここにきて希望が見え始めた。要は戦う必要はない、シャーロットを連れてラブの所まで逃げ切ればいいのだ。
「ただし、準備に時間が掛かるわ。モンドラゴラの生薬と一緒に作って、出来次第私もアンタたちと合流しに行くから、それまで逃げるか耐えるかしてちょうだい」
勝ち筋が見えた。否、勝ち筋など無くてもきっと挑んでいた。そんな熱い滾りを胸に抱き、ゼオは窓を開けて翼を大きく広げる。
「王都はこの街の西門から真っすぐ進んだ先よ! ワタシも後から続くわぁん! さぁ、囚われのお姫様を助けに行きなさいっ!」
「ガァアアアッ!!」
風切り羽が一枚宙を舞う。窓の縁を踏み砕く勢いで飛び去ったゼオは、あっという間に空の彼方へと消えていった。
補足なのですが、シャーロットは自分の事を聖人だなんて欠片も思っていません。どんな善人であろうとも我欲があり、それでも誰かに対する愛を忘れない事こそが信仰の道であると考えるタイプです。敬虔な信者であると同時に、公爵家の令嬢として生きてきましたからね。上手いこと融和させてみたつもりなのですが、どうでしたか?この回はいろいろ悩みましたので、皆さんのご意見を聞いて上手く改稿していくことも視野に入れております。
本当はもっと引っ張りたかったところなのですが、皆様ざまぁが見たくてじれているみたいですし、可能な限りは端折っています。20話くらいで第一章のざまぁが完結する予定なので、どうかお付き合いください。




