プロローグ
性懲りもなく新連載ですが、お気にいただければ評価や登録のほどをよろしくお願いします。
金糸を束ねたかのような長い髪を後ろで編み、蒼天のような色の碧眼を持つ美しい令嬢……シャーロット・ハイベルは、自宅でもある大きな屋敷の片隅に位置する質素で狭い部屋……自室の机の前に座って小さな溜息を吐いた。
大陸西部に覇を唱えるグランディア王国、その建国より代々名門として王家を支えてきたハイベル公爵家に生まれた彼女には全てがあった。
王国の白百合とまで称される美貌と次期王太子妃としての見識と人望。
自分を厳しくも慈しんでくれた両親や、幼少の頃から共に育った幼馴染に十全の信頼を寄せていた従者たち。
公爵家の後継ぎとして研鑽を積む傍らで可愛がってくれた兄に素直で実直な弟に、共に笑いあった友人たちや慕ってくれていた領民たち。
次期王妃として期待を寄せてくれた国王に、共に支え合い国の為に尽くすと信じていた愛する婚約者。
何の疑いも無い、愛する人たちと歩んでいく未来を、シャーロットは持っていたのだ。
あの少女が現れるまでは。
リリィ・コナーという平民の少女がハイベル公爵家に引き取られ、シャーロットが通う貴族院に編入してきたのはたった一年前のこと。
始まりは攻守援護に優れた希少な光属性の魔術を使えることで注目を浴び、後にリリィが現ハイベル公爵の弟……つまりシャーロットの叔父の子であることが判明した。
叔父は若い頃に家を出奔しており、平民の娘との間にリリィを産んで細やかに暮らしていると聞いたことはあるが、その叔父夫婦家に強盗が押し入ってきたことによって亡くなり、孤児となったリリィを哀れんでハイベル公爵は姪を養子として公爵家に迎えたのだ。
しかし、シャーロットの幸福はリリィ・コナーが・リリィ・ハイベルに改姓するのを機に陰を落としていく。
学院に通い出したリリィは多くの貴族男性を魅了していった。それは有力貴族だけに留まらず、婚約者の居る男性……シャーロットの婚約者である王太子、リチャード・グランディアや書類上は兄弟であるはずの兄ルーファスと弟のロイド、シャーロットの従者であるアーストまでもがだ。
彼らはリリィの気を引くために競うように贈り物をし、突然貴族の世界に放り込まれた彼女に夜会のルールや貴族の作法を教えるという名目で遊びに連れまわした。
シャーロットも初めは両親を亡くした不憫な義妹を慈しんでいたが、未来の重役であり学院の生徒会執行部だった王太子とその側近たちはその役目を放棄し、教師たちまであからさまにリリィを贔屓し始めたのだ。
両親や兄弟、従者やメイドはシャーロットに見向きもしなくなり、リリィにばかり構うようになった。
そんなリリィに時間と富をつぎ込まれる事で生まれる問題の尻拭いをこなすのは、全てシャーロット。
『私は公爵家に引き取られてから日々充実しているのに、貧困街の人たちが毎日食べるものにも困っているなんて可哀想!』
その上、王太子たちはリリィへの貢ぎ物だけに留まらず、彼女の無計画な炊き出しによって国庫を食いつぶし始めたのだ。
持つ者はより持たざる者へ施しを与えるというのが貴族の義務だが、何でもかんでも施しを与えていては国の運営は破綻する。
それを諫めるべき国王は運悪く病魔で床に臥せ、シャーロットの愛する自国を守るための戦いが始まるのであった。
食いつぶされる国税を財務大臣に相談し、山のように積まれた書類に忙殺され、増税に苦しむ国民や溢れかえる失業者達に仕事を紹介したり、婚約者たちのリリィとの浮気に傷ついた令嬢たちのフォローをしたりと、立ち行かなくなりつつある国の為に奔走する美しき令嬢。
これだけ聞けば、シャーロットは自分も辛いのに献身的で健気な理想の淑女と言う評価を与えられるだろう。
しかし……彼女に与えられたのは言われも無い誹謗と中傷、そして過剰なまでの依怙贔屓だった。
『わ、私……お義姉様に凄く怖い眼で睨まれて……ただ仲良くしたいだけなのに……うぅ……っ!』
そんな涙混じりのリリィの言葉に、周囲の人間はシャーロットを手のひらを返したかのような非難の眼を向ける。
一体どうしてそんな結論に達したかは分からない。少なくとも、シャーロットは忙し過ぎて話す暇もなかったというのに、何時の間にか彼女は健気で愛らしい妹を苛める性根の悪い姉と言う評価を押し付けられていたのだ。
慈しんでくれた両親も、自慢の妹だと鼻高々に語ってくれた兄も、純粋に慕ってくれていた弟も……そして、愛する婚約者までもがシャーロットを疎み始めた。
『シャーロット、一体どうしたというんだ? 何時もの君ならそのような愚かな言動をしない筈だ』
『一体姉上はリリィ姉様の何が気に入らないというのです? あんなにも健気で純真な方だというのに』
『あんまり私を失望させないでくれ、シャーロット。君は一応次期王妃なのだから』
初めは、そんな全く持って身に覚えのない言動に対する注意喚起。
しかし、そんな言葉を納得できるはずもない。シャーロットは何とか誤解を解こうと言葉を重ねたが、それも全て醜い言い訳と捉えられ、彼女への風当たりはますます強くなっていった。
そして彼らのシャーロットに対する態度や言葉は行動となって現れる。愛娘の為にと日当たりが良く程よく華美な自室はリリィが使うからと明け渡され、代わりにシャーロットに新しい自室としてあてがわれたのは、日当たりが悪い屋敷の片隅にある小部屋。
家族の態度は日を重ねる毎に冷たくなり、親しい友人からも遠巻きにされ、信頼していた使用人からも侮蔑の視線を送られるようになった。
最もリリィに入れ込んでいるリチャードの態度の変化は尤も如実で、以前まで愛を語らった事実などなかったかのように、怯えるリリィを背中に隠し、蛇蝎を見るかの如くシャーロットを睨んでいる。
「どうして……どうしてこんな事に……!」
正に異常ともいえる周囲の変化に置き去りにされ、屋敷の一角に位置する薄暗い部屋に追いやられたシャーロットは、今でもまだ愛している人たちを想い、宝石のような瞳から一筋の雫を流す。
幾ら貴族として、次期王妃として教養を積んできたと言っても、彼女はまだ十七の少女だ。その上、これまでは多くの愛情に囲まれて過ごしてきた分、それらが一斉に反転したとなればシャーロットの苦しみは推して知るべし。
「ずっと……このままなのでしょうか……?」
愛する両親、兄弟、婚約者に信頼する友人、使用人、領民からも疎まれ続ける日々が先に広がっているのかと思うと、目の前が真っ暗になったかのように感じた。
押し寄せる不安に潰されそうになったその時、窓から見える藪から物音が聞こえた。
揺れ方や音の大きさから言って蛇や虫の類ではない。野犬や野良猫ならまだマシだが、最悪の場合魔物である可能性もある。
椅子から立ち上がって警戒を露わに揺れる藪を見つめるシャーロット。そして彼女の眼前に現れたのは、全身に傷を負い、息も絶え絶えに倒れ伏す奇妙な姿をした小さな魔物だった。
「あれは……キメラでしょうか?」
シャーロット自身、魔物に詳しいわけではないが、知識の中にある魔物の特徴とはどれにも当てはまり、どれにも当てはまらない魔物の登場に困惑する。
大きさはシャーロットの腕の中にすっぽりと収まる程度だろうか。竜の頭と胴体と腕。鳥の翼に獣の脚、蛇のようなウロコが生えた尾という、幾つもの動物や魔物のパーツを強引に繋ぎ合わせたかのような歪な姿をしていた。
似たような魔物にグリフォンやマンティコアなどを代表とするキメラと言う総称で呼ばれる魔物たちが居るが、このような組み合わせのキメラなど聞き覚えは無い。
そんな奇妙で小さな存在は、血を流しながら遠目からでも弱っているのが感じられた。
「た、大変っ!」
呆気を取られて身動き一つとれなかった体が復活し、シャーロットは毛布を持って急いで庭へ飛び出し、小さな魔物の元へと駆け寄る。
訓練されたり、一部例外な存在を除いて、基本的に魔物は人を襲う凶暴な害獣でしかない。
シャーロットは本来屋敷の者に報告して駆除させるべきだったのだが、それを理解し切った上で令嬢自ら駆け寄った。
あの傷付き、倒れた姿を見た時、それが今の自分と重なって動かずにはいられなかったのだ。
安い同情であることは理解している。しかし、理屈だけで動けるほどシャーロットは冷淡にはなれない。
「もう大丈夫ですよ」
助けたことで襲い掛かられても文句は言わない。そう覚悟を決めてキメラに手を翳すと、淡い光が発せられる。
《エイド》という、基本的な治癒魔法だ。光を浴びた傷は徐々に塞がっていき、荒い息を吐いていたキメラの呼吸が穏やかなものとなる。
「……助けたのはいいけれど、これからどうすれば……」
一先ず、毛布に包んで部屋まで連れてきたのは良いものの、これから先の事を考えずに行動してしまったシャーロット。
時刻はもうじき夕刻時。とりあえず、何か栄養になるような物を侍女に用意する様に頼むことにした。
「ケリィ、申し訳ないのですが、夕食を持ってきてもらってもいいですか?」
「……承りました」
つい先日まで、まるで本物の姉妹のように親しかった侍女の嫌々とした返事にシャーロットの気分は暗く沈んでいく。
何時もよりも早く運ばれてきた料理を見て、食堂に呼ばれることも無く部屋で食べる様に父母から申し付けられた時の事を思い出してしまったが、鬱屈とした気持ちを何とか押し殺し、スプーンで掬ったスープをキメラの口に寄せる。
「あ……食べた」
低い唸り声を上げるが、食欲が勝ったのか鼻をヒクヒクと動かし、スプーンを噛むように口に含む。
それを掬う料理を変えては何度も繰り返し、夕食の半分も食べ切らない内に寝息を立て始めるキメラの子供。
如何に凶悪で奇妙な姿の魔物と言えども、子供と言うのは可愛いもので、訓練されていれば共存が可能な生物である事も踏まえて此処に置いても良いのではないかとシャーロットは本気で考える。
「難しい事であるのは分かりますけど……部屋から出さないようにして躾ければ大丈夫ですよね……?」
癒しが欲しい。それを魔物に求めるほど追い詰められていたシャーロットは、このままキメラを自室で匿うことを決めた。
相談相手は居ない。誰一人として味方が居なくなってしまった彼女は貴族院の図書室や屋敷の書庫と自室を往復し、魔物の使役について学び始めたのだが、意外な事にキメラは非常に大人しかった。
怪我や疲労の事もあるのだろうが、不用意に部屋から出たり鳴き声を上げたりもせず、シャーロットに危害を加える様子もない。
むしろその目に知性らしきものが宿っていることに気付いたのは拾ってから一週間後の、誤って机から本を落としてしまった時の事。
「ギャウ」
「え? 拾って、くれたのですか?」
本を咥えて差し出すようにするキメラは首を上下に振る。人とは違う価値観を持つ魔物とは到底思えない行動に、シャーロットはもしやと思って問いかける。
「貴女はもしかして、私の言葉が分かりますか?」
「っ! ギャウ! ギャウギャウッ!」
その言葉を肯定するかのように何度も何度も頷き返す。
いくら訓練されているとはいえ、本来魔物が人間の言葉を介するには年単位の長い期間が必要になる。
しかし信じられないことに、このキメラは子供でありながら人の言葉を介するほどの高い知能を持っているらしい。
「凄い……まるで魔物じゃないみたいです」
「ガアッ!?」
思わず胸元に強く抱き締める。苦しいのか身動ぎしているが、少し力を弱めるだけで離そうとはしないシャーロット。
それからと言うもの、キメラはシャーロットの感情の機微を察したかのような行動を取っているということが分かるようになった。
シャーロットが辛い時は黙って隣に座り、温もりが恋しい時は寄りかかる。やけに人間臭い行動をとる奇妙な姿の魔物に、多くの人に手のひらを返されたシャーロットが愛着が湧くには時間が掛からなかった。
これが親バカと言う感情なのか。不運に継ぐ不運に涙すら枯れるのではないかとばかりに悲しみに明け暮れたシャーロットは、本当に久しぶりに笑った。泣きながら笑った。
冷たくなった彼女の世界に温もりを取り戻してくれた魔物を一頻り抱き締めると、思い出したかのように視線を合わせる。
「そうです。貴方にはちゃんと名前を付けなくてはなりませんね」
最早この魔物を手放す気が無いシャーロットは、何時までもキメラや貴方と呼ぶのは良くないと感じて名前を与えることにした。
「ニルホルメテウスと言うのはどうでしょう?」
「ガウッ!」
キメラは首を振る。
「駄目ですか? それではキティと言うのは」
「ギャウッ!」
言い切る前にキメラはまた首を振る。
「えぇ……可愛いと思ったのですが。……ではマリアンヌは」
「ギャウゥッ!」
またしても首を振るキメラ。
奇をてらい過ぎた名前も良くないし、地味すぎたり長すぎたりするのはあえなくキメラ本人(?)に却下される。
幾つもの候補を思い浮かべ、何度も何度も吟味して、彼女は最後に子供の頃に好きだった寓話から思いついたとっておきの名を口にした。
「貴方の名前は、ゼオ。私が好きな童話の主人公で、古い言語で『勇敢なる者』という意味を持つゼオニールからとったものです」
こうして、薄幸の令嬢であるシャーロットとキメラのゼオの秘密の生活が始まった。
愛情を注いでくれた家族から冷たい視線を向けられ、信頼していた使用人や学友からも軽蔑の念を送られ、愛する婚約者であるリチャードまでにも侮蔑される日々。そんな中で、ゼオはシャーロットにとって唯一の支えとなった。
「ゼオ……お願いですから、貴方だけは私の前から居なくならないでください。……一人になるのは、少し疲れるんです」
「……ガァ」
今でも情が残る人たちから、今日も今日とて酷い罵倒を受けた。その代わりに、リリィには自分が受けていた信頼や愛情を全て注がれるようになった。
いくら次期王妃として貴族の義務を叩き込まれたシャーロットであっても、この周囲の変化には悲しまずにはいられない。狭く暗い部屋に押し込められた少女の、今にも泣きだしそうな淡い笑みを消すかのように、ゼオは鳥の翼を広げてシャーロットの背中を優しく撫でた。
(安心しろよ、お嬢。アンタを虐げる奴は、俺が一人残らず全員ざまぁしてやっから)
しかしシャーロットは知る由もなかった。このキメラのゼオに、人間としての前世の記憶と人格があることなど……ましてや、自分の為に周囲に〝ざまぁ〟をしてやろうなどと画策しているなど、夢にも思わなかった。
書籍化作品、「元貴族令嬢で未婚の母ですが、娘たちが可愛すぎて冒険者業も苦になりません」もよろしければどうぞ。




