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重力を失ったかのように身体が軽くなった後、程なくして地に足が付く感覚が訪れた。
ゆっくりと目を開けると、そこには、多くのゲームプレイヤー達が夢見た止まなかった世界が広がっている。当然、俺もそのうちの一人だった。
見渡す限り深緑色の草が敷き詰められた、美しい草原。
その先には、剥き出しの岩々が覗く山脈。
その上空を、雪のように真っ白な雲が、音もなく流れていく。
小鳥が心地よさそうに宙を飛び交い、吹く風と共にその歌声を響かせた。
「~~~~~ッッ!!」
全身が騒めくこの感じ。鳥肌が止まず、心臓の鼓動は収まりそうにない。
一歩、草原へと足を踏み出す。草を潰したリアルな感覚、身体に纏った衣服が擦れる感触、微々たる変化ながらも一歩進んだ分だけ変動する視界。
勢いに任せて一歩、また一歩と進み、次第にその速度は増してゆき、気付けば夢中になって草原を走り回っていた。元いた世界とは違って、息を切らすこともなければ疲労感もない。このままどこまででも走っていけそうな気がする程に、俺は一瞬でこの世界に魅了された。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
激情に任せて声を放つ。残念ながら、山脈に反響してこだまする事は無かったが、わざわざカラオケボックスを借りる必要がなくなる程度にはストレス解消になる。
VRMMORPG―――バーチャル リアリティ マッシブリー マルチプレイヤー オンライン ロール プレイング ゲーム。長ったらしい名前だが、つまりは、多人数参加型オンラインRPG、そのフルダイブ型の事だ。
世間を騒がせていたVR技術を更に改良させ、さながら本当にゲームの中の世界に入り込んだ感覚を味わうことが出来るゲームが開発されたのは、およそ一年前の事だ。
選考に選ばれた僅かなプレイヤーは、開発からおよそ半年で遊ぶことが出来たようだが、何の特徴も実績も無い平凡な男子高校生の典型とも言える俺は、当然ながら選ばれる事は無かった。我慢に我慢を重ね、予約が殺到する店舗に前々日から並び始め、そして記念すべき今日、ようやく念願叶い、こうしてプレイすることが出来たという訳だ。
この機を逃せば転売により値段は跳ね上がるだろうし、そうなればただでさえ高価なゲームは倍以上にも根が張るだろう。学生の身分では到底手の届かない領域に踏み込む前に、何としてでも手に入れる必要があったのだ。
「長かった……、このゲームの為に、昼飯を減らし、小遣いやお年玉を溜め、家の手伝いも積極的に頑張って……」
高校生にもなればアルバイトも出来たのだが、発売発表時点で中学三年生であった自分には、とにかく時間が足りなかったのだ。
せめて発売が、入学して数か月後であればやりくり出来たのだろうが、よりにもよって四月―――入学式明けて三日後だとは。
まあ、少しでも早くゲームをプレイできるのであれば最早文句など言うまい。
気持ちを切り替え、余計な事は考えず、思う存分、ゲームの世界を堪能するとしよう。
次に俺は、自分の服装に目を向けた。
初期装備という事で、その見た目は非常にラフだ。安っぽい黒の長ズボンに、紺色の無地のTシャツ。腰には革のベルトで、短剣を収めたホルダーがぶら下がっていた。
試しに短剣を引き抜くと、僅かな重量感と共に、太陽の光を浴びて刀身を光らせる刃が姿を現した。ゲームを進めていくと、当然ながら短剣以外の武器カテゴリーに触れる機会も訪れ、刀や西洋剣、槌に手甲、銃や弓、杖や触媒、その他にも多くの武器種が存在し、あらゆるプレイヤーのニーズに対応できるというのがこのゲームの売りの一つだ。
とりあえず手甲が欲しい。
いや、まだ慌てる様な時間じゃない、と自分を宥め、まずは短剣の扱いに慣れようとしたその時だった。
「よー、待っとったで夜月」
背後から聞き覚えのない声が届く。振りむけば、そこにいたのは見知らぬ一人の男。
俺の服装の色違いで、灰色のズボンと赤色のTシャツを着ていた。
「誰、でしょうか」
「さて、誰でしょうか」
オウム返しをかまされて、けれどその回答で、相手が誰だかおおよその予測は付いた。
「節峰 旭」
「正解。そういうお前は、伏見 夜月で間違いないよな?」
幼い頃から仲の良かった、俺、伏見 夜月の数少ない友人の一人、節峰 旭。昔からいつも二人遺書に行動していて、基本的に旭が俺を連れまわし、俺がそれについていくという事が多かったのだが、俺自身、別にそれが嫌だったわけじゃないし、楽しくもあった。悪戯ばかりを繰り返す旭を、ストッパーである俺が止めるという流れが常であり、それは高校生になった今でも変わらない。
きっと旭から俺へ向けられる信頼は厚いものだし、逆もまた然りだ。
だからこそ、俺はこの男をゲームに誘ったのだ。
「俺もさっき始めたところやけど、このゲームって職業選択せーへんのやな。刀使いたかったのに、こんなしょぼい剣つけられても使う気せんわ」
この通り、幼い頃の育ちがそこそこの田舎だったことで、言葉の隅々が方言で染まっているが、俺の通う小学校に転校してきてから数年付き添ってきただけあって、その話し方に愛着がわく程度にもなった。今では旭が標準語で話しているのを聞くと違和感しか覚えない。
「ちょっと進めば使えるようになるよ。モンハンみたいに」
「あー、自室のボックスで自由に変えられるみたいにな。そういやあれも初期片手剣やったな」
「にしても、そっちから話しかけてくれて助かったよ。見た目も声も違うし、特徴の見分け方って言ったら、話し方くらいしか思いつかないから」
「お前のソレ、顔と声のパターン1番やろ? 拘る癖にへんなとこ適当やからすぐわかったわ」
そう、このゲーム、あらゆる感覚がリアルすぎて忘れがちになるけれど、顔や声は設定で決められるのだ。例え隣人や、顔の知れた友人であっても、会って話すまでは正体がまるで分からない。オンラインゲームの常識ではあるが、なれるまでに時間がかかりそうだ。
「つーか話し方で特徴掴んでも、どうせ話しかけられへんやろ」
「うーん、た、確かに」
「コミュ障やもんな」
「コ、ココ、コミュ障ちゃうわ!」
「口調移っとるで」
旭がケタケタと笑って俺を茶化す。せめて人見知りと言え、人見知りと。
「人によってはそこらにおる奴等に話しかけて、媚び売って強めの装備ちゃっかりもらったりするらしいけど、流石に俺もそこまではなりたくないからな。コミュニティ形成するのはええけど、クレクレは基本どのゲームでも嫌われるから」
「ハチミツください」
「やめーや」
「それで? いきなり平原に飛ばされたわけだけど、チュートリアルとかあるんだろ。どうすりゃ出てくるんだ?」
「視界の右下にアイコン点滅しとるやろ。それ触ると出てくる」
「ほお」
気付かなかったが、確かに旭の言葉通り、視界右下に白い輪が波紋を広げていることに気がついた。世界の広さに夢中になるあまり、細かな変化に気がつかなかった様だ。
試しにそれに触れてみると、突然、眼の前に大きなウィンドウが現れる。
水色のウィンドウには、プレイヤーの俯瞰映像と共に《LIFE WORLDでの暮らし方 その一》と表示され、次のページへと進む矢印が自己主張を繰り返していた。
画面をタッチすると、《概要》というタイトルと、説明文が表示されると共に、説明文を読み上げる女性の声が再生された。
『LIFE WORLDの世界へようこそ。この世界は、プレイヤーに第二の人生を送っていただく為に、戦闘以外にも数多くの要素が盛り込まれています。例えば、食事を摂らなければ飢え、剣を手入れしなければサビ、休息をとらなければ行動不能になります。これらは、出来得る限り現実世界で起こる事象に準拠しており―――』
「言うなれば、現実世界の自分がそのまんまこっちに来たみたいなもんや。一応ベッド休息とか飲食店的なところで回復できるらしいけど、そういうの大体アイテム使って回復した方がぶっちゃけ早いっぽい」
「身も蓋もないな」
「戦闘に慣れてない奴なら、敵倒して金稼ぐのもしんどいやろうし」
「戦闘以外の要素って言うと、農作とか商人とかだよな」
それらはゲームの前情報で既に判明していた部分だ。
このゲームの場合、商人という一つの職業が確立している。自分で手に入れたアイテムをオークションや露店形式で売る事は他のゲームでも出来たのだが、本作の場合、アイテムや武器、防具の流通面が非常によく作り込まれている事から、《アイテムを安値で買って高く売り、稼いだ金を娯楽につぎ込む》なんて遊び方も出来る。
運営が開催するイベント等で武具の消費が事前に分かっていれば、予め買い込んで、イベント当日に売り捌くことだって出来るし、状況に合わせたアイテムを安い時期から買い込んでおけば、大きな収入を期待できるという訳だ。
……まあ、流通面が作り込まれている、なんて言ったところで、俺自身そういう事に詳しくないから、あまり細かく説明できたものではないのだが。
アイテムの販売は戦闘メインで遊んでいる人にも可能なのだが、やはりそこは、その道のプロフェッショナル。大量販売においては敵わず、採取が面倒なアイテムを調合してより上質なアイテムに変えて売っている、調合師・錬金術師 兼商人も多い。
割合としてはそういった人の方が多く、効率よくゲームが出来るテンプレの一つとして、いくつかのサイトで紹介されているのを見た。
その他にも商人には、販売の際の、いわゆる消費税を減額させたり、街毎の物販許可を得る際に必要な税金を零にするスキルがあるそうだ。そういったスキルの多さが、各職業の差別化を図っている。
剣士ならば切れ味の消耗を抑えたり、攻撃範囲を広げるスキル。
手甲ならば持ち前の攻撃速度を更に上げたり、回避行動の無敵時間を底上げするスキル。
槌ならば武器の重量を軽減させたり、一撃分だけ攻撃力を大幅に上げるスキル。
各武器を使って経験値を稼ぐことで、それぞれのスキルポイントを稼ぎ、好きに分配して理想のキャラクターを作り出すことが出来るのだ。……と言ってしまえば簡単そうだが、レベルはそう易々とは上がってくれず、スキルポイントも溜まりが速いのは序盤だけだ。
ステータス振り分けは非常に慎重に行わなければならない。
『フィールドに点在するモンスターを討伐する事で、食料が手に入ることもあります。しかしそれらはそのまま食べるよりも、《調理》することでより効果を高めます。《調理》は専用アイテムを使用するか、自室で行うことが出来ます』
「あー、マイクラね」
「食わな死ぬとこも一緒やな」
『続いて睡眠についてです。睡眠は自室、または宿、もしくは専用アイテムを使用することが可能で、スタミナを最大値まで回復します。スタミナは攻撃や防御、ダッシュの際に消耗し、零になると回復に著しく時間を要しますので注意してください』
「これはダクソか」
「あれの自動回復はもっと速いけどな。このゲームは回復くっそ遅いから、アイテム使った方が速い」
「またアイテムか」
「基本どのゲームでもアイテムゲーなのは変わらんやろ。それにこのゲームの場合、アイテムの需要が高まれば高まる程、商人活躍するし。割とわざとっちゃう?」
確かにその意見には納得できる。何をするにしてもアイテムが付きまとうのは面倒ではあるが、モノの種類が増えれば、それだけ他の職業の人間が儲かるのだ。文句は云えまい。
『最低限必要な知識は、《食事》と《睡眠》、以上の二つです。説明を見返したい場合は、メニュー画面の《ノート》をご覧ください。なお、メニュー画面は、左腕に右掌を当てる事で展開されます。続いては―――』
説明通りに左腕に触れると、小さなウィンドウが空中に展開された。成る程、これがいわゆるメニュー画面であり、ステータスや装備を変更する際にはこの画面を経由しなければならないのだろう。
興味本位でステータス画面を開くと、そこには人型のシルエットが表示され、《始まりの短剣》、《布の服》、《布のズボン》と表示されていた。
これからここに、様々な装備がセットされるのだろう。これを眺めているだけで胸が躍った。
「んじゃあ、後は街の説明とか、世界観とか細かいこと説明されて終わりやから。ウィンドウ閉じてさっさと街行こうぜ」
「そうなのか。でも街ってどっちだ?」
「あっちやあっち。向こうに見える塔から、まっすぐ下の方見てったらあるわ」
「塔……」
旭の指さす方向へグルリと視線を回すと、そこには天高く聳える、高い高い塔があった。頂上には雲がかかり、果てを窺い知る事は敵わない。外壁は茶色く、どのような材質を使って作られたのか、この距離では判別することが出来ない。
だけど、確実に分かる事がある。
あれは、俺がこのゲームに最も期待していた最高のダンジョンだ。
「もしかしなくても、あれが……」
「俺もそこまで説明聞いてないけど、まあ、そうやろうな」
100階ダンジョン、神の塔。
このゲームを極めた者しか辿り着く事の出来ない領域。
「基本ギルドかチーム組んで挑むんが普通らしいな。そんぐらい難易度高いって言われれば、テンションも上がるわな。当然やるやろ?」
「おう。頂上に着く頃には何歳になってるか分からないけど、絶対に登り切る」
「楽しみやな」
「ああ、すっごい楽しみだ」
街を探すことも忘れて、ただただ圧倒的な存在感を放つ塔に、息をのむ。
どれだけ先になるのかは分からない。ゲーム先発組が二十階層で進行を妨げられているというその塔に、計り知れない期待をぶつけながら。
「よしっ」
そして俺は、歩み出す。
新たな世界への挑戦の、第一歩を。
「いくかー!」
「いえーい!」
俺と旭。二人で力を合わせれば、きっと―――