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第三話

 うっ……ううう。

 小日向ロロナは、地面に腹ばいになった状態でうめくのがやっとだった。全身が痛みに襲われている。この場から、すぐには起き上がれそうになかった。

「すおう……先輩……」

 あの先輩なら、すぐに助けに来てくれるかもしれない、そう思った。しかし、助けを呼ぶには、ロロナの声は小さすぎた。鬱蒼とした木々に阻まれ、この森にこだますることはなかった。

 蘇芳先輩、無事だといいけど……。

 先輩がいっこうに助けに来ないことが分かると、自分より、先輩の安否が気になった。彼女を一人にしてはいけない気がした。だって、魔物が出現するかもしれない。

 魔物――ヒト、動物に次ぐ第三の種族。いつ、いかなるタイミングでこの世に現れたのか定かではないが、有史以来の歴史書には、人と魔物との争いが克明に記録されている。魔物自体に実体はなく、触れることはできないが、その姿を目視することはできる。まるで、炎のようだと人々は言う。宙に浮遊し、意思を持って、あらゆる手段で人や動物に危害を加える。あるときは、人の脳内に入り込み、記憶や感情を操作し、もとは善良だった人間を凶暴化させた。またあるときは、自らの姿を実際の炎や雷に変え、人や動物を無差別に焼き殺した。魔力を変幻自在に操り、この世界に干渉する。それが魔物だ。魔物の圧倒的力を前に人類の個体数が激減した時代もあった。槍やとがった石などの物理干渉は一切魔物に通用しなかったのだ。原始、魔物の圧倒的な力を前に人はなすすべがなかった。しかし、魔物とて完全無欠ではなかった。のっとった人間の体で、普通の人間への性的干渉を行ってしまった。その結果、魔力を持った人の子が世界各地で誕生した。魔力を得た者たちは、次々に自然の摂理を覆す魔術を生み出していき、魔物に対抗した。彼らは『魔狩人』として、人々に崇められた。魔狩人の人口に占める割合が増えるにつれ、人類は魔物の殲滅を望みだした。魔狩人たちが、人間らしく集団で統率のとれた行動を取ったのに対し、魔物たちはそれができなかった。魔物に仲間意識というものはなかった。数で人間は魔物を圧倒した。魔狩人たちは、地道だが確実に魔物の数を減らしていった。そして現代、魔物は人類の存亡を左右するほどの驚異的存在ではないものの、しかし一定数はいる。都会の町中だろうと、こんな山奥だろうと、神出鬼没に出現する。そばに魔狩人のような魔物狩りのプロがいればよいが、ここは人里離れた山奥だ。魔物から守ってくれるであろう学園からも、先ほどの爆風でかなり離れてしまった。

 蘇芳先輩、大丈夫かなぁ……。

 やはり、先輩のことが気になった。先輩は、魔術師でもなんでもない。関西弁をしゃべる、ちょっと陽気な一般人だ。何かあってからでは遅い。ロロナ一人で、責任を取りきる自信はない。

 先輩を残し、自分一人で学園の普通科を出るべきだった。あえて危険を冒し、魔物の餌食になるのは自分だけで良かった。

 後悔。その言葉しかない。しかしこうなってしまったからには、何か行動を起こさないと。このまま、地面をなめ続け、魔物にやられるエンドはあまりに無様だ。

 ロロナは、体の至る所の痛みをこらえ、何とか立ち上がることができた。周囲は闇に支配されつつあった。森の中を少し歩いてみたが、学園の光を見つけることはできなかった。やはり、学園からかなり離れたところまで来てしまったようだ。

 フルール友和学園普通科は確かに抜け出すことができた。しかしこのまま、特別科への道を探す気にはなれなかった。確かに、ロロナは、特別科に編入したくてしかたがない。そのためなら、多少の損失は仕方ないと思っていた。しかし、こうやって蘇芳先輩と別れてしまい、心が揺らぎに揺らいでいる。先輩なんてどうでもいい、そんな気持ちには到底なれなかった。寮での生活で、先輩と過ごす時間が一番多かったからか、先輩がいないと心細くてしょうがない。ロロナは今になって、先輩に抱擁されて守られているような感覚にいつもはあったことに気づいていた。

 いやに静かな森で、さみしさが増幅する。寮に帰りたくなった。

 夜は、無理みたい……とくに先輩のいない夜は。

 地図もなければ方位磁針もない。こういったとき、とりあえず夜明けを待つのがベターなのかもしれないが、こんな暗くて陰湿な森の中、じっとしていてもマイナス思考にしかならない。それよりかは、あてどなく歩いて気を紛らわせていった方がいい。

「蘇芳先輩、いませんかー! いたら返事してくださーい」

 ときおり、こうやって先輩の名を叫ぶ。

「すこしぐらい、返事してくれたっていいのに……」

 その度に気落ち。

 目覚めた場所から歩き始めて、もう何時間は経過した。歩き疲れて、大木の根元に腰を下ろした。

「はあ……」

 どうしてわたし、寮抜け出しちゃったんだろ。

 自責の念しかなかった。自分の軽率な行動を後悔した。

 まあ、もとはといえば、今日……いやもう昨日のかもしれないカレー。あれを食べてしまったばっかりに、わたしはおかしくなってしまった。特別科に行きたい、魔術を学びたい、こういった強い欲求に支配されてしまった。その結果、無計画に寮を飛び出してこのざま。なんたるざま。無様で惨めとしか言えない。

 ……ていうか。わたし、これからどうなるんだろ。だって、この、森の中をさまよってる状況、遭難したとしかいえないし。どうしよう、本当に。わたし、このままだったら、のたれ死んじゃう? それとも、魔物のおもちゃかな、へへへ……。あんまり、笑えない。

 ロロナは、ただただうつむき、現実逃避気味にそばの雑草を引き抜くことしかできなかった。それがあまりに惨めで、いたたまれなくって、だけどどうしようもなくって、ひざを抱えてひとりさめざめとするほかなかった。泣いたら、誰かが助けてくれる。そんなことを思うぐらいに甘ちゃんだった。

 現実は、甘くない。女の子だからって、いつでも助けがもらえるわけじゃない、そうだよね、それが現実……。

 今だったら、助けどころか、危険がやってくる……魔物という圧倒的危険。

 暗闇のどこか、しかし、ロロナからけっこう近いところで、さわさわと草をかき分けるような音がした。

 魔物だと、一瞬肝をつぶしかけたが、「違う」と自分で自分を落ち着かせた。だって魔物には実体がないから。魔物が、悪行もしていないのに物音を立てるなんておかしい。

 とすると、けもの、あるいは――

 人。

 人間だった。ロロナの前に現れたのは、たいまつを持った男、というよりロロナと同い年ぐらいの男子。身長は一七○程度で、すらりとした体躯をしている。人なつっこさそうな、人受けしそうな中性的な顔立ち。そして、彼が着ている制服は――

「人っ!」

 そう短く言葉を発し、男子はロロナの目の前で片膝をついた。

「こんなところで、一体」

「大丈夫。そんなことより、近いから」

「おっと」

 ロロナの言葉を受け、男子は即座にあとずさった。そのままロロナをおいてどこかに行くつもりはないらしく、ロロナをしげしげと見ている。

「キミ、名前は?」

「ん……」

 あまり素直になれなかった。確かに、誰かの助けは求めて、こうして運良く助け(?)が現れたのだけれど、相手は男子だ。男子は、正直言って苦手だった。なにをしでかすかわかんないし。ロロナにとって男子はトラブルメーカーというイメージしかなく、あまり関わりたくなかった。

「ボクは、児玉有起。人の気配がして、ここに来てみたらキミがいた。キミの身に、なにかあった?」

 ぐいぐい話を進めようとする男子で、ロロナには絶対に合わないタイプだと思った。これが学園の中だったら、こんな男子無視を貫き通す。でも、状況が状況だ。それに一つ気になることもある。

「……わたしは、小日向」

「ほう小日向ちゃん、下の名前は?」

「どうでもいいでしょ」

「はは、それもそうだ。それで、キミは一体」

「それより、わたしから聞きたいんだけど」

「む? そうきたか。聞こうぞ」

 へんなひと……。そう思いつつ、ロロナはさっきから気になっていたことを口にする。

「その制服……、あなた、特別科、だよね? フルールの」

「あなたではなく、できれば児玉と呼んでいただきたいものだが、確かに、そうだ。この制服はフルール友和学園特別科のものだ。見たところ、小日向ちゃんのは、普通科のもののようだ」

「……やっぱり」

「なんだ? もしや特別科に興味ありと?」

「それは……、うん……いいや、ううん!」

「どっちつかずは困る。しかしながら、もしやのもしや、小日向ちゃんは特別科を見てみたいのか?」

「いや……特別科は……。今は――」

 普通科に帰りたい、この言葉をロロナは飲み込んだ。今戻っても、蘇芳先輩も戻ってるとは限らないし、それに、きっとわたしはしかられる。寮長とか、いろんな大人に。

「決めかねているのか? ならば、ボクと一緒に特別科に行くことを強く勧める」

「なんで、そんな無責任な……」

「ここからだと、特別科に向かった方が普通科に向かうより遙かに近い。目と鼻の先だ。見たところ、小日向ちゃんはかなり参っているようだ。特別科の養護室で休息をとるとよいな」

「そんなに、すぐ近くなの?」

「歩いても十分とかからん。さあ、どうする、小日向ちゃん」

「ん……」

 迷っていてもしょうがない。今は、特別科だろうと普通科だろうと、どこかに避難しなくては。

「魔物に、殺されたくない、ただそれだけだから」

「ほう……」

「ん? なに」

「いや、なんでも」

 男子が差しのばした手を無視し、ロロナは一人で立ち上がった。

「小日向ちゃん、歩ける?」

「それぐらい。ていうか、さっさと案内して」

「わかった。行こう」

 ロロナは青年に後ろからついて行った。

 別に、この男子とおしゃべりしたいわけじゃないけど、これだけは確認しておかないと。

「あなた、」

「児玉だ」

「分かってるし。そんなじゃなくて、わたしが聞きたいのは、あなたは魔術使えるのかってこと」

「ほう、ボクは試されているのかな」

「試すっていうか、あなたみたいな人が、魔物やっつけられるのって」

「やっつけられる、いや浄化できるといった方がいいかな。ボクの専門は、聖水による霊的干渉だ。この森に出現する魔物程度なら大丈夫だろう」

「変な自信……まあ、魔術師はよっぽどの自信家か生まれながらの天才って決まってるけど、あなたは前者っぽいね。少なくとも天才じゃないでしょ? だって、聖水の扱いなんて、頑張れば一般人でもできることでしょ? 聖水をいかにして魔物に浴びせるかは、ちょっと範囲指定、範囲制限の考えがいるけど、それだって、基礎魔術の内でしょ? 聖水が扱えるからってちょっと過信しすぎじゃないってわたしは思う。侵奪者マンイーターとか、天の怒り(シン・ブレイカー)みたいな魔物が出てきたらどうするの? 聖水、効かないけど」

「……ほう、これは驚いた。小日向ちゃん、キミは実に魔術の造詣が深いようだ。頭が下がる」

「まあ、こう見えて、魔術師の子だから……って、今はどうでもいいでしょわたしのことなんて。で、侵奪者とか来たらどうするの?」

「逃げるほかなかろうぞ。勝てない相手にははじめから背を向ける主義だ」

「わたしを置いて? サイテーね」

「まさか。魔術師たるもの、人を助け魔物をくじく」

「別にあなたは、特別科の学生ってだけで本物の魔術師じゃないでしょ? なにを偉そうにって感じなんだけど」

「はは、申し訳ない。それとボクは児玉だ、あなたではない」

「はいはい、わかったから。まあ、ちゃんと特別科の養護室だっけ? そこまで届けてくれたら、わたしはなんも言わないから。で、そろそろつきそうなわけ?」

 歩き始めてから、もう五分は経ったとロロナは思った。

「ん? まあ、安心してかまわない。まもなくだ。ほら、そこに高い壁が見える。あの先だ」

「……結界も張られてるんだ」

「人の侵入は壁で事足りるが、魔物にはそれ専用の『壁』が必要だからな。それにしても、よく気づいたな。普通結界は目視できないようだが」

「感じるの」

「小日向ちゃんは、魔術師の子、だったか」

「そうだけど」

「それは大変だ」

 この児玉という男子はそれ以上のことは聞いてこなかった。ロロナのことに、興味がない、というより、これ以上踏み込んではならないと察したようだ。

 ――わたし、いやそうな顔でもしたかな?

 ちょっと心配になったが、今後二度と会わないであろう児玉に気を遣うこともない。なにも言わずに、ただ児玉の後ろをついて行った。

 馬鹿みたいに高い壁の前まで来た。児玉によると、この先に特別科があるらしいが、入り口らしきものは一切なかった。

「XuiLei処在魂開魏々蒼々」

 馬鹿みたいに高い壁の前で、児玉が呪文のようなものを唱えた。しかし、壁に穴が開いたわけではなく、一見するとどこにも変化はない。それでも児玉は、「行こうぞ」と言って、何の躊躇いもなく、灰色の壁をすり抜けていった。

 まあ、こんなことだろうと思ったけど。続いて、ロロナも若干躊躇いながらも、壁をすり抜けて向こう側へ。魔術によるすり抜けは初体験だった。

 そして、ロロナの目の前に広がるこの光景も初だ。

「ここが、特別科……」


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