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気狂い魔王と廻る勇者

作者: 久坂 薫

 自由なんてない。あるのは使命だけだった。その使命も、自分の意志で引き受けたつもりだけれど、本当は引き受けざるを得なくて、言い訳のように自分の意志だって言い聞かせていただけだった。

 自由なんてない。私の人生は、生まれる前から決まっている。古の誓約。誰も覚えていないくらい昔から続いている。始まりも分からなければ、終わりも見えない。

 自由なんてない。笑えるぐらいに、ない。使命の為だけに私は生まれ、そして、死ぬ。終わりの見えた人生。終わりの決まっている人生。否、使命さえ果たすことが出来たならば、今生の終わりぐらいは自由なのかもしれない。けれど、本当の自由は永遠に得られない。



 人々の話声で騒がしかった町の出入り口が、一頭の馬の嘶きで静まり返る。太陽の光に反射して、私の腰に差していた剣が鋭く輝いた。自然と人々の注目が集まる。

「勇者様だ……。勇者様がいらっしゃった」

 誰かの呟き声が、静かな町の出入り口ではよく響いた。その呟き声をきっかけに、そこは再び騒がしさを取り戻す。

「勇者様、どうか私たちの世界に再び平和を!」

「勇者様、魔王を倒して、私の旦那の仇を取ってください!」

 勇者様、勇者様。至る所から聞こえてくる声援。それは同時に、助けを求める人々の声でもある。そして、私はそれに応えなければいけない。なぜなら、私は『勇者様』だからだ。 

 すっと掲げた右手。ぴたりと静まり返る人々。

 私はゆっくりと息を吸って、顔を上げた。

 打倒魔王。生まれる前から決まっていた使命を、いよいよ果たす時がやってきた。私は、旅立たなければならない。


「ごめんね、リオウ。こんなところまで付き合わせちゃって」

 暗い世界。気を抜けば自分がどこから来たのか、どこへ行くのかわからなくなってしまいそうな世界。人々が懼れ、魔が喜び蔓延る世界。そこを、人間は魔界と呼ぶ。

 そう、私とリオウはたったの二人で、魔界の魔王の城を目指し、馬を走らせていた。

 他の人は誰もついてきていない。それが伝統だからだ。

「いいえ、勇者様。魔王の元まで案内するのは私の役目ですから。むしろ、これは光栄なことです」

 リオウの模範的な言葉に、私は乗っていた馬の腹を蹴った。私を案内するために前を駆けていた、リオウの馬の横に並ぶ。不思議そうにこちらに視線を向けてきた、彼の碧い瞳に自分の複雑そうな顔が映った。

「……リオウ、気持ちは嬉しいわ。ありがとう。けれど、私の言いたいこと、分かるかしら?」

「ああ。ごめん、つい癖で。……エリュティーナ、僕は君に付いて行くよ。これは、僕の意志だ」

 勇者様然とした微笑みを向ければ、リオウは直ぐに察してくれた。導き人としてのリオウも嫌いじゃないけれど、最期くらい、やはり友人としてリオウと過ごしたい。もっとも、そんなことを言っていられるほど魔界は優しいところではないけれど。

「本当に、リオウがいてくれたよかった。リオウがいなかったら、きっと私は魔王の城まで辿り着けないもの」

「そう言ってもらえると、僕も導き人として嬉しいよ」

「……でも、真剣な話、ここまであなたを付き合わせてしまって、本当に悪いと思っているのよ。だから、というわけではないけれど……」

「エナ?」

 勇者である私を名前で呼ぶ人も十二分に限られているが、愛称で呼ぶ人なんてもっと限られている。友人であり、導き人であるリオウすら、ほとんど呼んでくれない。

 彼が私を愛称で呼ぶのは、私を心配してくれているときだけだと、私は知っている。

「魔王の城が見える所まで着いたら、リオウは帰って。あなたを闘いに巻き込むわけにはいかない。魔王と闘うのは、勇者である私の役目だから」

「そんなっ! ……僕に君を置いて行けと言うのかい? いくら君の頼みだろうと、そんな言葉に僕が頷くとでも?」

 そうだと言えたらどれだけよかっただろう。

 私は生まれた時からリオウと共にいる。リオウの事なんてよく知っている。リオウがこんな言葉に頷いてくれるような人ではないことも、嫌というほどに理解している。

「それでも、逃げて。私はあなたに死んでほしくなんてないの。私は魔王と闘う……、殺し合うのよ。リオウはただの導き人で、聖術もろくに使えないんだから……」

「……導き人は普通の人間とは違う。聖術ぐらい使えるよ」

「嘘つかないで。昔の導き人は確かに使えたのかもしれない。でも、リオウは使えないでしょう。リオウが隠しているのを知っていたから今まで何も言わなかったけど、私、知っているのよ」

 勇者と導き人と、導き人として選ばれなかった天使だけが使える魔法を、私たちは聖術と呼んでいた。そして、それを使えることが、普通の人間とは違うことの証であり、魔族ではないことの証であるのだ。また反対に、魔王をはじめとした魔の生物が使う魔法を、私たちは邪術と呼ぶ。

 聖術を使えないリオウが、本当は導き人に選ばれるはずがなかった。もっといえば、リオウは天使としても失格で。

 ただの普通の人間か、それとも。

「知っていたのなら、どうして。僕が、魔族だったらどうしてたの。……いや、こんなこと話している場合じゃない、か」

 前を向いた視線の先にあるのは、遠目からでも分かるほどの夥しさを纏う城。その恐ろしさは、全てが気味の悪い魔界でも群を抜いていた。例え知識のない者であろうとも、一目でそれだと分かるだろう。

 あれが。あの恐ろしい城が。

「魔王の城、だね」

「ああ、そうだよ。……導き人としての役目はここまでだ」

「なら、リオウ!」

 さすがのリオウも、あの城の不気味さを前に考えを改めてくれたのか。けれど私の期待をよそに、リオウはゆっくりと、しかし、はっきりと首を横に振った。

「ここからは、ただのリオウとして一緒に行くよ。言っただろう。僕は僕の意志で君に付いて行くよ、と」

 強い意志の色を映す碧い瞳。リオウの意志を覆すことは難しそうだった。 

「はあ。死ぬかもしれないのに、馬鹿でしょ。今までずっと一緒だったから死ぬ時も一緒、とでも言うつもり?」

「いいや。それも悪くないけど。まだ、死ぬとは決まっていないさ」

 冗談交じりの私の言葉に返ってきたのは、あまりにも前向きで、楽観的な台詞で。なんだか、覚悟までしている自分の方が馬鹿みたい。

『勇者様』は私のはずなのに、リオウの方がよっぽど似合っている。そう思った。


 導き人とは、勇者をその魂の色を手掛かりに見つけ出し、魔王の元まで導く天使の事だ。聖術を使え、魂の色を見ることのできる天使の中でも、最も優れた者だけが就くことの出来る役目といわれている。天使は皆、導き人になることを目指しているといっても過言ではないほどだ。

 私が生まれた時に、どの天使よりも早く私を勇者として見つけ出したのが、リオウだった。だから、リオウは導き人に選らばれた。勇者を見つけ出すことが、導き人として最低限の条件だからだ。

 リオウはそう言っていた。他の天使と会ったことがないため分からないが、リオウはたとえ聖術が使えなくても優秀だったということなのだろう。

 そして、その時から私とリオウはいつも一緒にいた。つまり、私にとっては生まれた時から共にいる人となるわけだ。

 私は、息をするのと同じくらい自然に、リオウに恋をした。

 魔王を殺すために生きている勇者が、恋をしてしまった。

 未来はない。希望はない。それは大げさでも悲観的でもない、事実だ。現に、今の魔王が生まれてからもう何十人もの勇者が挑み、そして死んでいる。私も高確率で死ぬのだろう。

 勇者は生まれる前から魔王を殺すことを使命としており、生まれた時からそのためにあらゆる訓練を受けている。馬術、剣術、体術、聖術。そんな勇者を何十人と殺した魔王は、聖術すら使えない、出来損ないの天使であるリオウが勝てる相手ではない。それはきっと、リオウ自身も分かっていることだろう。

 本当は、リオウには逃げて欲しい。導き人の役目は魔王の元まで勇者を導くことであって、勇者と共に魔王と闘うことではないのだから。自分から死のうとすることはない。けれど、リオウは逃げないと言う。私と一緒に行くと言う。 

 もしかすると、私は幸せなのかもしれない。

 恋する人が自分と共に死ぬと言ってくれているのだから。


 *


 愛した人が実は自分の宿敵だったと知った場合、どうすることが正解なのだろうか。

 自分の愛を信じる? それとも、愛した人を殺す?

「どうして……。今までのことは全部、嘘だったの?」

 真実を知った時、私は何も考えられなかった。頭が真っ白になって、零れたのは陳腐な言葉だった。

「………………」

 黙って目を逸らす彼。今となってはいつも呼んでいた名前すら、本物かどうか分からない。

 全てが馬鹿みたいだと思った。生まれる前から決まっている使命も。繰り返される宿命も。彼に恋した私も。私を愛してしまった、彼も。

「……いいえ。私を愛してくれたあなたは、本物だったわ。それぐらいわかるもの。……私は、私を信じるわ」

「エナ……」

 いつもと変わらず、宝物のように大切に呼ばれる私の愛称。

 彼に名前を呼ばれることが、ずっと好きだった。彼に愛されていることを一番実感できる瞬間だったから。

「でも!」

 迷いを振り切るように張り上げた声。目線の高さまで上げた自身の剣の切っ先にいるのは、愛した彼。

「私はあなたと闘うわ。私が勇者で、あなたが魔王である限り。勇者が魔王を倒すことを望む人がいる限り。私は、あなたを殺さなくてはならない」

「っ――――」

 悲痛で揺れる彼の黒い瞳。何かを言いかけて閉じられた唇。苦しみを堪えるようかのように歪められた表情。

 それら全てが、私を責めたてる。

「……私は、エナ、エリュティーナ、君とは闘いたくない。・・・・・・闘えないよ」

「っ、どうして⁉ あなたは魔王よ。私は勇者よ。あなたは闘えなくても、私は闘えるのよ。私を殺さなくちゃ、私が、あなたを殺すのよ‼」

 私も痛かった。どこが痛いのかわからないほど全身が痛くて、全身が、苦しかった。剣を握る手は力の込め過ぎで真っ白になっていた。

 ただ、彼を殺そうとする自分も。剣を向けられても闘えないと言う彼も。嫌だった。憎かった。耐え難かった。

「それでも、私は君とは闘わないよ」

 どうして私は勇者で、どうして彼は魔王なのだろうか。

 けれど、きっと私が勇者で彼が魔王でなければ、私たちは出会いも、恋もしなかったのだろう。

「……馬鹿。あなた馬鹿でしょ。本当に馬鹿。ありえない」

「そこまで言わなくてもいいだろう。……でも、私はエナが大切だから。君に殺されるなら構わないし、君を傷つけずに済むのなら、馬鹿でも構わないよ」

「っ、本当に、馬鹿‼」

 吐き捨てた言葉は、彼に対してだけでなく、自分自身に対しての言葉でもあった。勇者という役目に縛られて、迷って、選べなくて。私の為なら死んでもいいとまで言ってくれる彼を、一瞬でも裏切った私への言葉。

「私のことを愛しているのなら、私の事も信じなさいよ!」

「えっ……?」

「私があなたを殺さない事を、望みなさいよ、信じなさいよ」

 愛した人が実は自分の宿敵だったと知った場合、どうすることが正解なのだろうか。

 自分の愛を信じる? それとも、愛した人を殺す?

 正解なんてわからない。私の選択はただの逃げで、本当は間違っているのかもしれない。それでも、私は選ぶ。

「私も、あなたを殺せないわ……」

「エナ……」

 正解なんてわからない。だって、誰も教えてくれないから。なら、自分の選択が正解でいいじゃないか。どうせ選ばなくてはならないなら、正解だと思って選ぶ方がいい。

「だから私、死ぬわ」

 きっと、これが一番正しい選択だ。


 *


 カツ、コツ、カツ。暗い廊下に二人分の足音が響く。

「静かだね……。誰もいないのかな?」

「さあ。分からないけれど、魔族が襲ってこないのはいいことだよ。その分、魔王を見つけるのが楽になる」

「そうね……」

 魔王の城に忍び込んだ私たちは、魔王を捜して城の中をさまよっていた。否、リオウは迷いのない足取りで進んでいるため、さまよっているという表現は適切ではないのかもしれない。ただ、廊下は暗く、なおかつどこもかしこも似たような造りのため、私にはどこをどう進んできたのか最早分からなくなっていた。

「もう少しで大広間に着くよ。そこで、きっと魔王に会う」

「……リオウ?」

 だんだんと速くなるリオウの歩調。私は駆け足気味になりながらも、それについて行く。

 間もなくして、私たちは大きな扉の前に辿り着いた。

「この先が、大広間……」

「エリュティーナ、準備はいい?」

 この先に、魔王が……。

 無意識に生唾を飲み込む。死ぬことも覚悟してきたとはいえ、やはり魔王に会うことは少しだけ怖い。

「大丈夫。エリュティーナも、僕も、死なないよ」

「リオウ……」

 いつもと何ら変わりのないリオウの柔らかい微笑み。強張っていた体から、自然と力が抜ける。

 何故だろう。リオウの「大丈夫」に根拠なんて一つもないのに、なんだか本当に大丈夫な気がしてきた。

「よし、行こう!」

 顔を見合わせて、頷き合って。大広間へ続く扉を、開ける。

 中は廊下よりも暗く、見渡しても闇しか見えなかった。ゆっくりと、そっと足を踏み出す。それに合わせて、大広間の壁に備え付けられていた蝋に火が灯った。

 思いのほか広く豪華な大広間には、誰もいない。

「魔王、は……?」

 警戒しつつ捜索するが、魔王どころか私とリオウ以外の人、もしくは魔族の気配すらしない。

 リオウのどこか確信めいた口調に、魔王は大広間にいるとばかり思っていたが、それはリオウの勘違いだったのだろうか。ならば、もう一度城の中を探し回らなくては。

「ねえ、リオ」

「エナ」

 話しかけようと振り向いた先のリオウが、珍しく私の話を遮る。俯いているため分かりにくいが、なんだか笑っているようだ。リオウの様子が、おかしい。

「エナ」

 もう一度、リオウが私の愛称を呼んだ。そういえば、彼が私の愛称を呼ぶことも珍しい。

「……なに、リオウ? 魔王はここにはいないようだから、

 捜しに行かない?」

「魔王はここにいるよ」

「え?」

 ここには私とリオウしかいないはずなのに、魔王がいる?

 嫌な予感がした。昔から私の中にあった、小さな疑いの芽。「魔王は私、リオウだよ。エナ、私のエリュティーナ」

 まさか、当たるなんて。

 聖術が使えないリオウ。他の天使と会わせてくれないリオウ。魔王の城に詳しいリオウ。確信めいた口調で話すリオウ。

「混乱するのも無理はない。けれど、私が魔王であることは事実だよ。エナ、君の中の勇者の魂が知っているはずだ」

 変わった一人称に、変わった私の呼び方。そして、私の中の勇者の魂が叫んでいる。目の前の男は魔王だと。それが、何よりの証拠だった。

「どうして……。今までのことは全部嘘だったの?」

「ああ! エナ、やっぱり君は君のままなんだね」

「え? ……どういうこと?」

 頭の処理速度が追い付かない。

 リオウの事なら何でも知っていて、リオウの考えている事なら何でもお見通しだと思っていたのに。今はリオウの事がさっぱりわからない。

 何を言っているのか、何を考えているのか。

 目の前にいるのが私の恋したリオウだと思いたくない。

「そうだね。エナは何も覚えていないようだから、始めから説明しないといけないね」

「…………」

 そう言ってリオウが語り出したことは、とうてい信じ難いものだった。否、信じたくないものだった。


 魔王が生まれると同時に、世界に勇者が生まれる。魔王は不老不死のようなものなので、勇者の手で殺されない限りは決して死ぬことも老いることもない。そのためか、魔王が死ぬまでの間、勇者の魂は転生し続ける。つまり、魔王と同時に生まれた勇者は、魔王を殺すまでの間ひたすら転生し続けるということだ。勇者は、魔王を殺すことが使命だから。

 けれど、魔王を殺したらそれで終わりかというと、違う。

 魔王が殺され、勇者が死んだ時、二つの魂は混ざり出す。そして、長い時間をかけて混ざり合った魂は、次に再び二つに分かれる。一つは魔王に、もうひとつは、勇者に。

 そしてまた、魔王と勇者が生まれるのだ。

 いつからそれが始まったのか。何故そのようになるのか。

 理由は誰も知らない。ただ一ついえることは、それが遥か昔から続く魂の呪縛で、それを逃れる術はないという事。

 それのみだ。


「それで、もう何万回目かはわからないが、私とエナ、君の魂が生まれた」

「私の、魂……」

「ああ。君は転生し続けているが、私が一度も死んでいないため、魂はずっと初めのままなんだよ」

 今まで、この一人の魔王に挑んだ勇者が何十人もいたことは知っていた。けれど、その全てが私の前世だということは、一切知らされていなかった。説明を受けた今でも、私が何度も転生を繰り返しているだなんて信じがたい。

「私とエナは、互いの正体を知らぬままに恋をした。いや、私は直ぐにエナが勇者だと気付いた。けれど、気付いたのに恋をしてしまったんだ」

 麗らかな正午過ぎ。森の中にある浅く小さな湖。何も知らずに二人は出会う。片方は気付かぬまま、もう片方は気付いたけれど、二人は惹かれあい、いつしか互いを愛するようになった。

「けれど、エナは勇者だ。すぐに魔王を倒すために旅立たなければならなくなった。エナの傍にいる導き人が以前から気にくわなかった私は、旅立ちの慌ただしさに乗じて、その導き人を殺した。そして、一人心細い思いをしていたエナに、導き人の代わりとして同行した」

「あとは今回と同じように、城で正体をばらした?」

「ああ。エナは君と同じように驚いたよ。もっとも、君もエナも同じ魂なのだから不思議ではないけどね」

 不思議だ。今まで記憶なんて欠片もなかったのに。リオウが話すたびに、少しずつあの時のことを思い出す。私は覚えていないけれど、魂が覚えているのだろうか。

「けれど、エナは死んでしまった。勇者としての役目と私への愛に挟まれたエナは、どちらも選べずに自殺してしまったんだ」


 *


「だから私、死ぬわ」

 唐突な自殺宣言に、彼は思いのほか驚いたらしい。見たこともないほど目を見開いて、まぬけにも口を開けている。

「……何故、何故エナが死ぬ必要があるんだい? 私は君を傷つけたくないと言ったはずだよ」

「私は勇者だから、あなたを殺さなければならない。でも同時に、私はあなたを愛しているから、あなたを殺せない。それはわかる?」

 私の問いに、彼はひどく不満そうに頷いた。どうやらよほど、先程の私の自殺宣言が気にくわないらしい。

「だから、どうすればいいのか考えてみたのよ」

「その結果が、あれ?」

「ええ。魔王であるあなたを殺せるのは勇者だけ、つまるところ私だけなのだけど。なにも今の私じゃないといけないわけじゃないって気が付いたのよ」

 ここまで言えば、彼も私が何をしたいのか気が付いたらしい。彼がはっとしたように息を呑んだのがわかった。

「私は、生まれ変わってあなたを殺しに来るわ」

 今の私では愛するが故に魔王を殺せない。そのため、一度死んで転生して、魔王を殺すことにしたのだ。転生すると記憶はなくなるはずだし、転生した私も勇者には違いないのだから。

 これが、私の選択だ。愛も役目も私は選ばない。全てを、次の私に託す。

「エナはひどいな。生まれ変わっても君は君だ。だから、私に君は傷つけられないというのに」

「闘わないのはあなたの勝手だわ。だから、私も自分の好きなようにするのよ」

 私と彼と、二人の視線が絡み合う。それは、来世の約束。

「なら、私は君に殺されないようにしよう。それすれば、君は何度でも私を殺しに来てくれるだろう」

「ええ……。何度でも、何度でも生まれ変わって、あなたを殺しに行くわ。必ずね」

 そして、エリュティーナは自殺した。魔王は、彼女との約束を信じて止めなかった。そして、彼は何千年と待ち続ける。


 *


 約束通り、魔王を殺しに来た私。約束通り、エリュティーナを待ち続けたリオウ。

 全てを、思い出した。

 私の前に魔王に挑んだと言われている、何十人もの勇者。それらの全てが、魔王と会うことなく死んでしまったというのが真実だった。私の数多くの前世は皆、魔族に襲われたり、人間の争いに巻き込まれたり、または魔界に体が合わなかったりして、死んでしまったのだ。誰一人として、魔王に殺された者はいなかった。

「エナが死んでから、私はずっとある研究をしていた。けれど、ようやくその研究も完成したから、君を迎えに行く事にしたんだ。……今まで、本当に長かったよ」

 リオウは、エナが自殺した後も、いつかはエナの魂をもつ者と添い遂げることを夢見て、日夜色々と画策をしていたらしい。その中のひとつが、完成したと言う研究だそうだ。

「私はエナを迎えに行くために、天使を皆殺しにして、導き人に成り代わることにしたんだ。勇者と魔王の魂は、もとを辿れば同じひとつの魂。意識をすれば片割れぐらいすぐに見つけられるからね。聖術を使えない事を誤魔化すのは少し面倒だったけど、導き人に成り代わること自体は簡単だったよ」

 リオウが誇らしげに話すのを、私はどこか他人事のように聞いていた。

「そこからは、エナも分かるよね。私たちはずっと共に生きてきたんだから。エナが私、いや、僕と言った方がいいかな。……うん、導き人の僕を好いてくれていたことにも、気が付いていたよ」

「…………」

「エナ。私が研究していたのは、魔王と勇者の魂の融合を、生きた状態で、なおかつ、二つの体と人格を有したままで成立させる秘術についてなんだ」

 魔王は勇者に殺されない限り不老不死だが、勇者は違う。普通に年老いていくし、寿命もある。

 リオウは、もし私と添い遂げることができたとしても、最後は人間である私に先立たれることが嫌だった。そのため、エナが自殺した後、リオウは魔王の不老不死を勇者にも分け与える方法を考え始めたらしい。その結果が、魂の融合だ。

「秘術は完成した。私とエナは、これから永遠に二人で生きていけるよ。私たちを殺せるのは、自分と、お互いだけだ」

 リオウは私の手を引いて、複雑な魔方陣の上に立つ。

「エナ、エリュティーナ。勇者という役目も、残してきた人々も、人々からの希望も、どうか全部捨ててくれないかい? 私と共に永遠を生きてほしい」

 それは、甘い麻薬のようだった。私の心に絡みついて、離れない。

「生まれる前からの使命も、古からの宿命も、全て私が消してあげる。柵から解放してあげるよ。だから、この手を取って」

 繋がれていた手と反対側の手を差し出された。

 この手を取れば、私は自由になれる。終わりの見えた人生、終わりの決まっている人生から、ようやく逃げ出せる。そして、愛する人と共に生きられる。

 始まりのエリュティーナも、今のエリュティーナも、同じリオウに恋をした。彼が、本当に私が愛する人なのだ。彼が、私が命を賭けられる人なのだ。彼が、きっと運命の人なのだ。

 私は、差し出されたリオウの手を取った。


 愛した人が実は自分の宿敵だったと知った場合、どうすることが正解なのだろうか。

 自分の愛を信じる? それとも、愛した人を殺す?

「やっと……、やっと、君は私の物になったんだね」

「ええ。もう、未来永劫、私はあなたの物よ」

「ああ……。そうだね」

 これが、私の選択だ。

「もう、私に勇者としての役目を押し付けてくる人も、未来を託してくる人も、あなたを殺そうとしている人も。皆、知らないわ」

 愛も役目も私は選ばない。

「私は、自分の好きなように生きるわ」

「それがいいよ。もう今までのように、誰かのために君が傷つく必要はない。他の誰が死のうと、世界滅びようとも、私と君だけは生きていられるのだから」

 私はエリュティーナを、自分自身を選ぶ。

「ええ……。リオウ、愛しているわ」

「ああ。愛しているよ、私のエリュティーナ」

 私は、幸せになりたい。



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