涼子(1)
『幸福と絶望は人生の中で同じぶんだけ訪れる。だから今絶望に直面しているとしても、いつかは幸福が訪れる』
誰かは忘れたが、こんなことを言っていた人がいた。
この話を聞いたときは確か、小学校中学年だったか。あの頃はその言葉を鵜呑みにして前を向き続けていたが、年齢を重ね、社会というものを理解していくほどに天沢涼子の中では、それに対して「否」と唱える自分が生まれ、強くなってきた。
世界はそう単純じゃないという「否」。
自分には幸せの『し』の字も訪れたことがないという「否」。
そして、そんなことを言えるのは一部の心が豊かな人間だけであるという「否」。
数々の「否」を胸中に抱えながらもしぶとく生き続け、涼子はあと二年で三十路を迎える。元々何をやっても上手くいかないタチだったが、両親が数年前に事故死してからというもの、ますます上手くいかなくなった。
先月にも情緒不安定になっていた涼子を見かねたのか、友人の一人に精神科に行くことを勧められた。診てもらうと鬱病と診断される始末で、処方された精神安定剤を服用するようになってからは情緒は落ち着いたものの、薬が切れると以前から感じていた世界中から自分が必要とされていない感覚に拍車がかかった。
今、涼子は草の茂る土手の上で膝を抱えながら、ゆるゆると流れる川を見下ろしている。真上から振り下ろされる満月の光が川面で反射し、揺らめいて幻想的な空間を作り出している。
小一時間ほど前に精神安定剤を飲んだばかりだから、情緒も多少は安定して、情緒不安定なときに感じられる頭の中に靄がかかっているような感覚もない。
「綺麗……」
そんな言葉が無意識下で発せられる。
こうしてぼうっとしている間にも、世界では過激派の宗教集団があちこちでテロを起こし、想像を絶するほどの飢餓で子供が倒れ、死んでいっているかもしれないのにこの光景の美しさはなんということか。
こんなにも美しいと思える光景を見せてくれるとは、神様も少しだけ優しくしてくれたらしい。
いまなら死ねる。
いつの間にか頰を伝っていた涙を拭った涼子は、トートバッグから小瓶を二つ取り出す。手のひらより少し大きめのそれの一つ中には大量の睡眠薬が、もう一つには持ち運びが便利なように小瓶に移し替えた酒ーースピリタスが入っていた。
過去に販売されていた睡眠薬の中には筋弛緩作用を持つものがあり、そのような睡眠薬を大量に服用すると死に至るものもあったが、現在ではそのような作用を持つ睡眠薬は存在しない。
よって睡眠薬を利用して死のうとした場合、アルコール度数の強い酒と睡眠薬を飲み、野外で寝てしまうのが一番簡単な方法だ。酩酊状態でかつ睡眠薬の作用で意識が無くなり、野外で眠ることで低体温症に伴う心停止、いわゆる凍死に至ることが可能になるのだ。
涼子は最初に睡眠薬を噛み砕き、飲んだ。小瓶に入っていた全てを服用すると、次はスピリタスの出番だった。
七十回以上もの蒸留を繰り返すことで、95度という高アルコール度数に仕上げられたそれは、アルコールにめっぽう弱い涼子なら小瓶程度の量でも酩酊状態へ誘ってくれる。
小瓶二本をバッグにしまうと、涼子はゆっくりと目を閉じた。