魔王とは何かについての考察
この小説はあくまでも私の考えであり、完璧な答えを導き出す物ではありません。あくまでも個人的な物なので、皆さんのご意見は聞き入れますが「絶対に違う!」と言う完全否定はお勧めしません。
この小説が皆さんの考えるきっかけとなれば、幸いです。
ファンタジー作品でおなじみの存在、それが魔王である。
魔王は様々な形としての呼び名がある。
魔を総べる王、最強の魔物、魔物を従える魔物、魔の国の王、災厄を振りまく意思ある天災、邪悪の体現者、勇者達の被害者、神と敵対する者、リーダー。
このように様々である。
一言に「魔王」と言っても、様々な形が存在する。
過去だとゲームに登場するボスモンスターな立ち位置が定番であったが、最近だと魔王を主人公にした小説や、勇者召喚を行った国が作った虚像の敵など様々な用途がある。昔ほど『魔王=敵』でなくなった節がある。
なので今回は今の、現代のファンタジーにおける魔王について、私なりに考察していきたいと思う。
ファンタジー小説や伝記小説の類では、魔王とは悪魔、魔物、妖魔、魔族などと呼ばれており、しばしば人間に害を与える種族、それらの統治者として存在する、言わば悪の塊である。これは昔のファンタジー作品の目的が勧善懲悪を目的とされる小説が多かったからである。
勧善懲悪とは「善を勧め、悪を懲しめる」ことを言い、善を勧め、悪を戒める典型的なヒーロー小説の事を指す。この時、悪とは平和を乱して正義を好まない人物や組織の事を指し、一般に強大な力を持つ者の事を指す。これと似たような物として、悪者が別の悪者を倒して、結果的に他者の視点から見て正義を成す事を勧悪懲悪と言う事らしい。
ちなみに、この魔王とは、本来は仏教用語である。
色欲、貪欲、財欲など欲望に囚われた生物が住む世界、欲界と呼ばれる場所で、第六天にあたる他化自在天である。
第六天、これは欲界の最高位であり、つまりはあらゆる欲望の終着点に当たる場所に存在すると言う事である。
これが神話や伝説における邪悪な神格の頂点、また悪魔や妖怪などの頭領として現れる存在へとなったのである。ちなみに魔王の中の魔王として、「大魔王」と呼ばれる者も存在はしている。
本来の意味で言えば、魔王とは欲望の権化、または欲求の頂点として存在する。しかし、昨今の小説では魔王が仲間になったり、主人公が魔王の側に着いたり、魔王が主人公となる作品も多くなっている。
これは何故なのだろうか?
これは昔とは違って、主人公そのものが変わって来たからである。
今の小説の主人公はほとんどの場合、転生者などと言う物がほとんどを占める。
この転生者は未練や前の世界で出来なかった事を為すために、あるいは神様や王国による彼らの都合の良い口車に乗せられて行動するのがほとんどだろう。つまりは彼らもまた欲望の権化である。
先の定義設定で言えば、欲望で動く今の小説の主人公達こそが魔王である。
欲望の類義語には、希望、願い、望みと言った言葉も存在する。この3つは勇者が持っている者であり、同時に勇者はこれがあるからこそ勇者たらしめていると言っても過言ではないだろうか?
今の転生小説では完全なる勧善懲悪と言う話は少なく、主人公が正義を行ったり悪を勧めたりなどと矛盾した立場にある事が多く、彼らもまた欲望の頂点に君臨する物だろう。
これは前から私が思っていた事なのだが、魔王とは魔界と呼ばれる場所の様々な種族を管理、統治する立場にあり、その統治力は普通に賞賛に値するべき物だと思う。
魔王とは何か?
それは希望、願い、望みを体現した、魔界の良き統治者であると言っても過言ではないかも知れない。
P.S.
ちなみに正義を行ったり、悪を勧めたりと言った矛盾的な存在の事を、俗にトリックスターなる用語で呼ばれたりもする。