斎賀:1
アストラ・スパインの地下第九層『エンクレイヴ・R9』から接続する非公開層『C-Null Zone』には、シティ・アルマの行政・軍事データベースには存在せず、地図にも記録がない『情報的盲点』となる区画がある。それも行政官や研究主任クラスでは認知さえ許されない、特種権限『クレアランス・コード・シュレディンガー等級』を持つ異能者のみが集う空間だ。既存の地形や重力概念さえ無視したような断絶された世界に、『ヴェイルルーム』と呼ばれる会議領域は浮かんでいた。
仰げば漆黒の虚空が無限に広がり、俯けばガラス状の床面に電子ノイズの波が不規則に流れている。空間そのものが呼吸しているかのように脈動する低周波のうねりが、斎賀の靴底を伝って骨まで響く。
彼はひとり、その中心で重力の縛りを受けて立っていた。先端兵装統括本部長の肩書を持つ彼でさえ、ここではただ一時アクセスを許可された部外者に過ぎない。そして彼を囲う八方向に配置されたホログラフィック・チャンネルには、正体不明の存在たちが接続されている。いずれも仮想的なシルエットで人形を模してはいるが、その動きも影も潰した紙のように歪み、その背景は認知を阻むようなノイズが走っている。彼らがここの主たちだ。人数も不明、存在さえ確率的に知覚され、会議ログを残すことは愚か、退室後には記憶が曖昧となり、『人数さえ思い出せない』状態となる。
斎賀は一礼する。そもそも彼らが『人間』であるという保証さえないのだ。無機物かあるいは外宇宙の思念体か。まだアーカイヴスのAIの方が遥かに対話的だと斎賀は感じている。
そのようななかで、斎賀は静かに口を開いた。
「進捗を報告します」
瞬間、足元の床が淡く発光し、彼の前にメンタルリンクシステムの立体図が出現した。光の神経網が空間に広がり、中央に「Subject:E-02」とタグ付けされた人格構成モデルが浮かび上がる。その中枢近くには『Noise source:YUI』と名付けられた異物が赤でハイライトされていた。
「第六遮蔽防衛戦でE-02反乱の引金となったのは、予想通りE-02の記憶に残存するユイと呼称されるレジスタンスの構成員です。メンタルリンクシステムの同期率が87%を超えた場合、E-02は自身の挙動を刺激としてユイを深層意識化で想起することがシンクチューブのデータ解析により明らかになりました」
『反乱? 暴走dedeはなイのか? 神経hahakuku離型ブレードシステムを主因とシたメランコリアno暴走。我々haそウ理解kakakaしているが』
変調処理の成された中性的な合成音が斎賀を詰問する。
「はい、戦闘は苛烈を極めましたが、E-02もメランコリアも暴走などしていません」
斎賀の頭上にホログラフィックスクリーンが出現し、第六遮蔽防衛戦が俯瞰図から再演される。
「この映像は作戦領域より回収できたアーカイヴス所属の正体不明機の映像ログを統合し、再構成したもう一つの真実です。」
雪乃らの部隊がレジスタンスの先行部隊と交戦している一方で、レジスタンス本隊の重装型タイタン8機とイリスは既に正体不明機3機と交戦していた。
「重装型タイタン8機の高火力支援と7機の犠牲を背景に、イリスは正体不明機3機を撃退しました。その後、レジスタンス本隊はE-02率いるガーディアン部隊と交戦します。重装型タイタン1機とはガーディアンが、そしてメランコリアとはイリスが。このとき、メランコリアとイリスは互いを確認するような殺陣を演じたのち、イリスは増援として現れた正体不明機に右腕部を破壊され、一時撤退」
戦闘はやがてあの瞬間に、神経剝離型ブレードシステムによって完全戦闘形態に移行したメランコリアの状況を映し始める。メランコリアは獣のような挙動でアーカイヴスの正体不明機3機を破壊すると、その直後にイリスが再び現れたのだ。
「メランコリアが正体不明機を撃破している間、イリスが取っていた行動は撤退ではなく哨戒です。それもメランコリアの護衛が目的であると正体不明機の計算ログは結論付けています」
そしてイリスはメランコリアと僅かに対峙した後、二機は阿吽の呼吸で連携・共闘し、残りの正体不明機の増援11機体を次々と撃破していく。
『こkoまでは我々も把握しteいる。暴走とはkoの後のメraンコリアにyoるガーディaaン部隊と支援部隊への攻撃のこtoを指していル』
斎賀は「趣旨は把握しています」と短く答える。映像では全ての正体不明機の撃破を終えたメランコリアとイリスが再び向かい合って静止している。そして再び、何かのコンタクトを測るようにイリスが左手を伸ばした時、榴弾と中距離長銃による集中砲火がイリスに降り注いだ。D-09『ハウンド部隊』とガーディアン2機による一斉射撃だった。回避しきれなかったイリスは脚部を損傷。これ以後、メランコリアはイリスの撤退を援護するかのように反転、その牙をシティ・アルマに向けた。
「御覧の通り、E-02はブレードシステムによる暴走ではなくイリスの防衛、否、ユイの防衛を目的とした反乱を実行しました。無論、神経剝離型ブレードシステムにより理性は著しく低下していましたが、重要なのはその引き金です。ユイがE-02の内と外に存在する限り、感応式戦術人型兵装のOSは完成を見ません。本作戦でも適合候補住人の処分とE-02の出撃情報を餌にユイを誘い出しました。そして、ガーディアン部隊とハウンド部隊には秘密裏にイリスの破壊を命じていましたが、御覧の通りE-02の反乱によって失敗に終わりました」
『E-02かraraのユイ消去必須。絶対確実必須。可及的可及的速度ドド』
「すでにハードとソフトの両面から計画を実行中です。まずはE-02への継続投与を続けている記憶制御薬
『N-Mem』は『アグノシン-L4白蝕剤』に切り替え、一部の電脳化も視野に入れます」
『急げge。第go五諧調ノ声はもU地球全域ni波及していルRU。滅びゆク世界を見よ。もう一度かの『名■も伏セ難Kei意思』が訪れタなRa、人類はそnono在り方ヲ変えざるをえない』
「次なる情報汚染の前に完全自立型感応兵装の完成とメランコリアの次世代量産機、ユグドラシルは完成させます」
斎賀の心はアストラ・スパインの外、荒れ果て、壊れ果てたこの世界の、さらに外側に遍在する何かを見据えていた。
同時刻、旧地下輸送網の廃棄通信室。錆びついたターミナルラックと剥き出しの光ファイバー群の中で、氷川は静かにヘッドセットを外した。崩れかけたコンクリート壁の隙間から差し込む非常灯の赤い明滅が、彼女の頬を照らす。白衣の袖は埃とオイルで汚れ、額には冷や汗が滲んでいた。
「狂人たちの犠牲になんかさせない」
彼女の眼前の携帯端末には密室会議の全音声ログが記録されている。雪乃の人間性剥奪や記憶改竄のみならず、電脳化さえ視野に入れた計画に氷川は決心を固めた。
――ここにもう、あの子の居場所はない。
しかし異変は突如として訪れた。保存していた音声ログの消去が開始されたのだ。氷川は強制停止のコマンドを繰り返し打つも止まる気配はない。携帯端末は既にオフラインでありセキュリティにも異物検知の痕跡はなく、原因不明だ。
「なによ、これ……」
名状しがたい悍ましさが背筋を撫でていく。しかし真の異変がやがて現れる。自分がいま何を聞き、何を恐れ、何を嫌悪したのかが穏やかに曖昧化されていく。あれほど衝撃的だった会議の内容に霞がかかっていき、誰が何処に何人いて、誰が犠牲になろうとしていて
「私はいったい……」
なぜ、自分がアストラ・スパインの狭苦しいメインサーバー室の裏側に挟まっていたのかも思い出せない。ここのところ雪乃に対する心配が絶えないから、たまに自分は様子のおかしい行動を取ってしまう。疲労困憊にも程があるが、さすがにこれは限度を超えていないか。自身に苦笑しつつ立ち上がろうと手を床に着いたとき、鋭い痛みが手首の内に走る。
ワイヤーで切ったのかを顔を顰めて確認すると、そこには確かに切り傷があった。ただその傷は生々しい強さで、こう読めた。『ユキノヲニガセモウイチド』。




