ユイ:0-1
旧・レジスタンス拠点『ミネルヴァ・ネスト』の訓練区画。冬の初めにも関わらず空調の効かない地下階は、夏は涼しく冬は極寒という極端な室温であり、常に冷たいコンクリートの匂いと金属の錆に包まれていた。
その一角には戦術人型兵装タイタンの保管区画が間仕切りされ、なかの空きスペースではいま、優衣が白い息を吐きながら赤茶けた髪をポニーテールに縛って、一人の少女を相手に白兵戦戦闘訓練を始めようとしていた。人工照明に照らされた少女の顔は人形のように整い、そして人形のように無表情だ。その白い吐息がなければ、長い白藍色の髪もあって本当に造り物のような錯覚を見る者に与える。
優衣は左手にラバーナイフを掲げ、右手に訓練用パルスガンを下げて斜めに構える。少女に対する表面積を減らしつつ、急所をカバーしたセオリー通りの構えだ。片や少女は、同じ武器を手にしながら真正面を向き、両手はだらりと下げたまま。
「それじゃ、アンタからおい――」
「了解した」
優衣が言い終わる前に少女が急接近し、ふっと上半身が消失。直後に鞭のようにしなった蹴りが想定外の角度から打ち下ろされる。優衣は一瞬面くらったが、銃は撃たずにナイフの峰で蹴りを受け流し、彼女の軸足を払って転倒させる。少女は素早く受け身を取ったが、既に優衣の銃口が額に向けられているのを確認し、「参った」と感情の欠落した応答を返す。優衣はうなずいてから少女の手を取って引き起こし、
「次は撃つし斬るから、そのつもりでね。アンタもそのつもりで来なよ」
もう一度、最初の間合いで対峙する。
「それじゃ、もう一回おい――」
「了解した」
少女は躊躇わずに発砲する。訓練用とは言えパルスガンだ。小型ジェネレータから射出されるエネルギー弾は音速に迫り、殺傷力こそないが大人一人を吹き飛ばすのに十分な衝撃力がある。しかもこの距離なら体感速度は実銃と変わらない。一発・二発・三発・四発。しかし当たらない。狙いは正確だが、まるで優衣は動きを予知するように身体を捻って弾をかわしている。少女は混乱して銃を捨てるとナイフを逆手に構えた――その拍子に手のひらで衝撃が爆ぜ、ナイフは霜の走った地面を滑っていく。優衣の撃ったパルスガンだ。
「銃の弱点はね、弾が点なこと。短距離では真っすぐしか飛ばないこと。だから今みたいにタイミングよく射線の外に身を置いてやると、全然当たらないんだよ」
優衣が歩み寄って、少女の額を人差し指で優しくなぞる。
「アンタの目は射線を真っすぐ見てるし、撃つタイミングも銃身のブレが収まった直後にリズム良く、だった。あたしからしたら『撃つから避けて』って言ってるようなもんだよ」
でこぴん。すると、少女はやや落ち込むように俯いた。
「……どうしたらいい?」
「強くなれば良いんじゃない?」
即答されて、少女はきょとんと優衣の表情を見返した。
「そのためにあたしはアンタを呼びつけたんだよ。今までは整備中のお友達が上手くやってくれてたんだろうけど、肝心のアンタにこの辺の基礎技術がないとさ、戦術AIが故障したときに棒立ちになるだろ? まずはその基礎がふんだんに詰まったダンスを一緒に勉強しよう」
優衣は胸に手を当て恭しく、芝居がかったお辞儀をする
「シャル・ウィ・ダンス?」
「ダンス?」
「殺陣ともいう」
優衣は少女が落としていたパルスガンを拾い上げて渡すと、彼女の隣に並び、銃とナイフを組み合わせた白兵戦用の基礎戦闘技術を、まるで舞踏のような流麗さで動いて見せた。
仮想敵を相手にした最小動作の回避、その勢いを利用した打撃・斬撃。消しきれない隙をカバーするためのけん制を兼ねた射撃。緩急の織り交ざった躍動の様を、少女は食いいるように見つめる。一挙手一投足を見逃さずに吸収し、いち早く己の技術にしようという貪欲さの表れだったが、それ以上に彼女は魅入られていた。優衣の洗練された技の数々に。
横目にそれを見た優衣が得意げに笑う。
「初めて見るいい顔だね。そろそろさ、名前教えてよ。『アンタ』は言い飽きたから」
「ない」
即答だった。優衣は動きを止めて改めて少女を見る。聞きそびれたと勘違いした少女は、再び繰り返した。名前は「ない」のだと。
「ない」
辛さも悲しさも滲ませず、まるで持ち物検査に対する回答を端的に示すような口調が、少し優衣の胸を締め付けた。それならと、優衣はこの寒さの中で、静かにふわりと存在する白い少女に、適切な名前をあげることにした。
「雪乃」
「ゆきの?」
「そう。それがアンタの名前。だから『ない』はもうなしね」
「『ない』はもうなし?」
「そう。雪乃だからね」
「雪乃」
「そうだよ、雪乃」
「雪乃」
「そうだよ、雪乃」
「雪乃」
「そうだとも、雪乃」
彼女から無自覚に零れているだろう涙を何も言わずに、優衣は少し乱暴に親指で拭ってやった。
「そして、私は優衣。でも雪乃に取っては、ユイ姉」
「ユイ姉」
優衣は大きく頷くと、また少女――雪乃の隣に並んだ。すると雪乃もそれを鏡とするように、同じようにナイフと銃を見よう見まねで構える。
「戦術人型兵装はヒューマンインターフェースの極致だよ。だから人らしく動かすことで最高効率の運動が得られる。だから雪乃が白兵戦に強くなれば自然と……イリスに乗っても強くなるよ」
雪乃は大きく頷き、その柳眉をきゅっとひそめる。
「ユイ姉を信じる」
「やだ可愛い」
優衣は武器を放って、雪乃の頭をくしゃくしゃと両手で掴んだ。
*
「雪乃のやつ。忘れてんだか。覚えてんだか」
低く唸る風が地上の瓦礫をさらって舞い上げる。朽ちた貨物駅の残骸と崩落した鉄骨の影が、濃霧に溶け込むように歪んでいた。ここは〈星の墓標〉――旧首都圏の外縁。地下式輸送ハブ跡地に築かれたレジスタンスの一拠点であり、シティ・アルマの観測地でもあった。その地上部は自然と人工の境界が曖昧な世界が広がり、またそれを覆うような霧と磁気嵐のせいで常にセンサー類は妨害されていた。故に、今のところここを『生きた拠点』として特定されることはなく、レジスタンスの仮設拠点の一つとなっている。
そして、地上に施された光学迷彩に惑わされること無く、地下へと続く搬送リフトから降りていけば、中には外とは異なる空気が満ちている。旧エネルギー備蓄管区を再構築した防衛中枢区。その中央ホールでは今、シティ・アルマへの強襲で亡くなったタイタンパイロットたちを弔う『継火の儀式』が行われていた。再利用されたプラズマ炉の青白い光が炉心から立ち上り、そこで燃えているのは回収できたタイタンの破片や戦死したパイロットたちの遺品だ。優衣はその火を遠くから見つめながら、かつてシティ・アルマに潜入・拉致し、雪乃と名付け育てた妹のことを回想していた。
「カズサワ・リュウジ。ハクアイ・カナ。シマナガ・マサシ……」
死亡したパイロットたちの名が司祭役の男によって読み上げられると、何処からともなくすすり泣きの声が響いてくる。
「ごめんね……私、あなたたちを守れなかった……」
優衣は静かに謝罪した。しかしいまその胸中に浮かぶのは戦場で交錯した白い機体――メランコリア。信号を感知した瞬間に行方不明になっていた雪乃だと確信し、本部の指示を待たず無我夢中で飛び出した。イリス搭乗後からあらゆる手段で通信を試みたが、全てが磁気嵐と敵戦術ドローンによるジャミングによって遮蔽された。唯一残されたコミュニケーション手段は、二人で何千何万回と繰り返した白兵戦の殺陣しかなかった。
――完璧だったな。
優衣が拳を握ったとき、背後から小走りの足音が響く。
「ユイ姉ぇ! 戻ったよ!」
「バッカ! 儀式中にでかい声出すな!」
倉庫棟の隙間を縫って現れたのは、自称『物資回収班』の少年二人、ケイジとケイタだ。彼らは埃まみれの顔に興奮気味な笑顔を浮かべながら、背負った袋を下ろした。
「例の東側コンデンサ棟で少しだけ電子部品が残ってた。けど、ヤバかったんだ……」
「ヤトウに囲まれてさ……もうダメだって時に、現れたんだよ。シスターが!」
少年たちに有りがちな要領の得ない話に、とりあえず「シスターね、うんうん」と優衣は相槌を打つ。
「真っ白と真っ黒なひらひらの服を着てて、すっごい綺麗で、でもめっちゃ強くて! 一人で全部、ヤトウを追い払っちまったんだよ!」
とりあえず随分と話を盛っていることは理解したぞ、と思いながら、優衣は「あー、やばいね、そのシ
スター。うん分かる。この時代にシスターはそれだけでヤバい」と相槌を続行。
「そう! なんかもう動きが人間じゃねぇんだよ! 足音も無くて、ものすごい速さでやってきてさ! そしてヤトウの武器をスパ! スパ! って斬ったんだよ!」
何故かそのフレーズに優衣は胸騒ぎを覚えた。じくりと右腕の幻肢痛が起きたのは、イリスが準・感応式兵装であったことの名残だろうか。想起されたのはあの戦いで、理由不明の介入をしてきた戦術人型兵装。第四層の観測班によれば、あれはアーカイヴス所属の自立型兵装の可能性が高いという報告を挙げていたが。
「それから言ったんだよ! 『私は貴方たちを傷つけに来たわけではありません。ただ無益な争いを止めに来ただけです。』 って!」
優衣は頷いた。
「……とりあえず、そのシスターには助けてもらった御礼をしないとね。名前は聞いた?」
「もちろんだよ! シスター・ルクス!」
「人の光を学ぶもの、って言ってた!」
炉心の灯がふわりと吹き上がる。青い火の粉が薄暗い拠点内部を瞬くように照らし、かすかに優衣の横顔にも淡い光を当てた。ルクスの意味は光。同じように光を意味する言葉を優衣はここ最近、何度も耳にしている。アーカイヴスの母性中枢コアノードΩから自立進化した『観測触手』『人格的化身』。そのAIの名はリュミエール。人を観測するモノ、と自らを名乗っていた。




