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クラーラ:3

 曇天に縫い留められたように静止した、黒光りする大翼のシルエットがあった。重力制御を併用した最小限の羽ばたきによる違和感のある浮遊。その不吉とさえ感じる緩やかなホバリングをもし見上げるレジスタンスがいれば、史上に刻まれた黒災厄(ブラック・カタストロフ)の再来に膝を折って絶望したことだろう。

 場所は旧湾岸第7コンテナ埠頭にある貨物積載ターミナル跡。かつて国際物流の主要拠点であったそこも、今となっては荒波に削られて半壊したガントリークレーン群と、錆び付いたまま放置されて山塊となったコンテナがその面影を残すのみだ。横倒しになった貨物列車や、半ば海に没した線路。行く手を遮る障害物の数々はここを迷宮に変え、巨体を持つ重装型タイタン部隊のただでさえ鈍重な機動性をさらに阻害していた。その四方も深く幅広な水路で区切られているため、この重装部隊は孤立のうえ、活躍の場も退路も失っていた。

 ビショップは目を閉じて息を吸う。鉄と潮の混ざった匂い。戦場特有の硝煙と焦げた匂い。空気を震わせてくる砲弾の炸裂する音。コンテナの一角が崩れて赤錆の粉塵が舞い、血の味にも似た香りがブレンドされる。


「……くそ、姉様か。厄介なことになってきたが、姉様なら仕方ない」


 先のルクスの対応が想定外過ぎて、姉初心者のビショップはコクピット内でうつ伏せ、火照った頬に手を当てたまま夢想している。戦闘モードになかなか切り替えが出来ずにいた。


「やれやれ。妹の聖職者ごっこ遊びも、生意気な言葉遣いも暖かく見守ってやるか。仕方ないな。くそ、っくふふ。なんか右瞼の痙攣が酷くなってきたぞ」


『こちらアルゴス03! 敵魚雷を感知! 各機衝撃に備えろ!』


 魚雷? と、傍受していた無線が気になり片目を開けたとき、円錐状の水柱が埠頭の一角を下から突き上げるのが見えた。まるで巨人の拳で下から叩き割られたように鋼鉄とコンクリートの支柱が砕かれ、塩と油の濃い水飛沫には爆発で吹き飛んだそれらの破片も入り混じっていた。重装型タイタンは鈍重ながらも多重スラスターを全開にし、辛うじて直撃を回避したようだが、港湾施設全体がいまの衝撃で僅かに傾斜し、水没区画もじわりと増え、いよいよその退路は失われている様子だった。


「……ふ~ん。深侵徹甲魚雷(バリスタ)か。推進はスクリューじゃなく高圧キャビテーション・ジェット。弾頭は二段式炸薬で床を初段で破壊してから二段目の遅延起爆で本丸を狙うと。旧世界のロストテクノロジーを適材適所に運用とは、なかなか鉄の海も小賢しいのね」


 続けて耳慣れない甲高い爆音が連鎖したので目をやる。退避したタイタンをさらに追い立てるかのように、岸壁に設置された多数の三脚式移動砲台たちが自身を這いまわるナノマシンに急き立てられるように猛烈な勢いで火を噴いていた。それらは重装型タイタン部隊が遮蔽物と頼んだ進水前の廃棄タンカーや分厚い係留設備を容易く砕いていき、鉄とコンクリートによる破片を間断なく散らしている。遠目にはまるで霧雨のごとくと見えた。


多脚固定砲座レムナント・タロンか。旧式ディーゼルで発電する歩く180口径。博物館級の骨董品じゃないか。いや、さすがに模倣(コピー)だよな? あの耐熱装甲板を背面に溶接してるナンセンスなギミッ……ってダメダメ! はやく『鉄の海』如きは片づけて、ルクスを迎えに行ってやらないと! 姉として!」


 頭を振ってようやくの切り替えだった。


「それじゃヴェル、始めて。ここはもう『いい』わ」


 『飽きた』という主命を受けて怪鳥が鳴く。その黒翼を構成する地球外素材の羽根一枚一枚が暗く光り始めたとき、時空の波が捻じれ、重力はその意味を失い始める。刹那、戦況に異変が生じた。さきの魚雷による衝撃でいまだ海面から吹きあがっていた波の飛沫は流体のまま凍え、砕けて飛散した船舶や施設の破片は宙で固着。砲台からの硝煙は愚か、発射済みの徹甲榴弾さえ、まるで時を止められたようにそこで停止した。


「ニュートンが見てたら、ウェストミンスターから腐ったリンゴ投げてきそうね」


 ビショップはコクピット越しに、ヴェルトノワールの背を指先でなぞる。怪鳥は眼下全てを睥睨しながら咆哮し、その広げた大翼からダークマターと共に重力波パルスを放射。未知の波がもたらす新たな運動法則により、地球を支配する最も基本的な呪縛(ルール)は歪曲させられた。

 未だ海中にあった魚雷群は軌道を乱され狂ったように迷走し、あらぬ地点で次々と爆発。天を突くような巨大な水柱群が海面を一斉に突き破り、そのまま港湾へ台風もかくやの猛烈な波飛沫を叩き付けるかに見えたが、それも空で凍てついた。だがこれらもあくまで予兆でしかない。施設を構成する構造体それぞれが出鱈目な慣性系に写像され、あらゆる方角へ重力加速度を受けた港湾施設は聞いたこともない軋みを立て始めた。まずはコンテナの山塊が磁石を寄せられた砂鉄の如く崩れ始めて、その一つ一つも踏まれたアルミ缶のように拉げていく。

 ベッドに寝そべりながらつまらぬ旧世代映画でもみているような仕草で、ビショップはそれらを無表情で俯瞰し、淡々と宣告する。


(ビショップ)はクラーラやお姉ちゃん、そして妹のように優しくない。昔からそう、目的の為なら手段を選ぶこともない。その為に生まれたのだから。……もういいから。遊ばず、早くおやりなさい、ヴェルトノワール。それとも、貴方ってこの程度?」


 僅かな叱責を込めた端的な破壊命令。黒鳥は今度こそ主の意を正しく汲み取った。羽ばたき一つ。埠頭全体を射程に収めていた膨大な砲台群が次々と爆ぜ、曇天の濃灰色を茜色に燃え上がらせていく。薬室内の弾丸が強烈な重力加速度を逆向けに受け、砲身内で着弾したのだ。

 続いて長さ600メートルにもなる長大なコンクリートの荷役桟橋が接岸部を破砕しながら宙に持ち上がると、まるで雑巾の如く宙で絞られる。地鳴りのような低音と共に表層のコンクリートは粉々に砕けて、その骨組みとなっていた鉄骨も限界を超えた曲げ強度にねじ切れた。それらはそのまま、まるで成層圏を浮遊する宇宙ゴミや小隕石群のように静止する。

 ビショップは岸よりさらに内陸へ目をやる。そこに広がるのは地盤沈下を起こしている埋め立て地。半ば湿地帯と化しているそこに、走行車両型自律兵器の中規模部隊が待機しているのが見えた。恐らくは後続として控えているのだろう。


黒塔重突砲(オベリスク・ランサー)穿地駆逐車(スコリア・クローラー)。車輪も履帯も使用しない多関節の鉄脚式。こういう甲殻類は大好き。でも『いい』わ、ヴェル」


 突如、その破片群は流星群のように自律兵器たちへ墜落していく。その爆ぜていく炎から一泊遅れて轟く鼓膜を割るような爆音の連鎖も、この距離では遠雷を聞くかのように心地良かった。

 ヴェルトノワールのすぐそばで、ボコボコと打楽器のように鳴っているのは燃料タンクヤードから飛び出し、宙で回転している円筒形タンクの数々だ。まだ残燃料があるらしく、タンクのそこかしこで水漏れのように火を振りまき、蜂の羽音のような音を立てている。続いてビショップの視界を大きく横切り、そのままヴェルトノワールを円心としてごうごうと巡回するような円運動を始めた長大な構造体は、長さ50メートルの港湾管理塔だった。黒い重力のうねりに絡めとられたその軌跡がわずかに煌めいているのは、引き剥がされた外壁階段や通信パネル、そして配管や吹き飛んだ窓ガラスの破片などによる反射光だった。

 そこに吸い寄せられるようにして四方八方から飛んで纏わりついてきたブロック群は、物流において冷蔵や乾燥を担っていた小型倉庫群。なおそこに絡みついていくのは、先に舞い上がっていた燃える円筒形タンクの群れ。


「面白い得物ね」


 建築物の死骸で出来た大質量の一振り。それを彼女は得物と呼んだ。まるで小惑星の軌道でも模倣するかのように、管理棟にまとわりついていた瓦礫群はその周囲を規則的かつ独楽のような速さで公転していく。

 ビショップがそろりと手を挙げた。すると、その鈍器と言うにはあまりに規格外な構造物も公転速度をあげ、火の帯を纏いながら徐々に頭を擡げていく。遠目にそれは、燃え盛る高層建築による竜巻だった。

やがてその回転体はその巨体をほぼ垂直へと起こす。

 ビショップは戦況全体を見渡し、この破壊と壊滅のなかにあって未だ生き汚く活動しているナノマシンの小規模な流体を認め、ほくそ笑んだ。


「あらあら? ルクスったらお残ししたのね」


 手首を下す。

 一瞬にしてそれが視界から消えたのは投擲が音速を超えたからだった。

 着弾の衝撃は港湾施設を中枢まで抉り、全体を呑み込むように半径百メートルの巨大クレーターを瞬時に形成。そのまま一挙に海抜マイナス400メートルまで海没させる――それほどの破壊エネルギーを発生させながらも、しかし一切の爆発も爆音も生じなかった。衝突に伴う爆発的なエネルギーも破砕された地層が起こす地鳴りも可燃物の連爆も、かき分けた大質量の海水が起こす渦も。それらすべてが不可視の檻へ閉じ込められたかのように、クレーターの外へ僅かも漏れ出さない。衝撃波は繰り返し内部へ押し返され、爆炎は膨張も拡張も許されず、金属の悲鳴のような軋みや波の轟きさえ内部で反響を続けている。

クレーターはただ、深く沈黙しながら海の中で真っ赤に開いていた。まるで『破壊』という現象そのものが、一つの独立した運動系に閉じ込められたかのように。微かにそれが暗く濁ったように見えたのは、行き場を失った溶岩だろうか。その不可解な真空の穴を見下ろしながら、ビショップは言う。


「少し、おなか空いたかな」


 素直な感想だった。彼女にとって、依然としてレジスタンスの生存や鉄の海の目的などには関心がない。自分と家族と、自由と。後は幾つかの玩具があればそれで十分だ。

 ビショップはふと視界の端に目をやる。ぽつねんと宙に浮いているのは重装型タイタン6機。いずれも黒災厄の余波を受けて重損し、その全身から火花を弾けさせていたが、ヴェルトノワールによるクラッキング並の計測精度で確認した生命維持系の状況をみるに、搭乗者は全員無傷のようだ。ただ帰還後に相当のメンタルケアを必要とするだろうが、そこまで気に掛ける義理もない。


「……消化不良ね。任務完了ではあるものの、そもそも『鉄の海』の主体はあらかた妹がやっちゃったし。姉としてこれでは大きな顔ができない。司令官を一発殴っておこうか。……行こう、ヴェル」


 一鳴きしてから眩く黒影が羽ばたくや瞬時にその姿が水平線に消え、後から突風と爆音が渦巻いた。ほぼ同時、海面に向け垂直落下を始めた重装型タイタンから人型が射出され、6つの落下傘が可愛らしく開いた。


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