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ルクス:pr.END

 遥か天上だった。

 そこは重力の束縛からも重苦しい霧からも、濁った大気からも解き放たれた静寂。争いも諍いも喜怒も哀楽も、生も死もない完全なる自由。故に、天国とも地獄ともつかない、人の感性感覚の外にある別世界。そこでは全てが静止し、ただ虚空が冷たい沈黙に包まれているのみだった。

 赤錆びた地球の輪郭はそこで、黒い宇宙の布地に抱かれ、孤独さえ感じず浮かんでいる。

 大気圏上層に散在する金属残骸――数十年も前に機能を停止した軌道防衛網の残滓は、まるで漂う墓標群のように凍りつき、星々の明滅の中で無言の光を反射していた。

 その静寂を破るように、軌道外郭・第七静止帯に眠る巨大な影は『祈り』に応えて覚醒する。成層圏で砕け、浮遊していた落下構造体『カルン・アーク』の技術断片をいち早くアーカイヴスは回収し、しかしその知性の頂きを以ってしても構造を理解できず、発見的手法のみで組み込み、組み上げた一つの衛星。何色とも表現不能な曲面装甲と黄金の接合線で覆われた外殻を持つそれは、紫色の光を継ぎ目から滲ませながら、内部の量子位相炉を始動させ、虚空を無音で震え渡らせた。

 衛星の観測センサーが地球外周5億平方kmをひとなめで走査する。

 濁った灰色の大気に覆われた旧『日本列島』――今は《灰海諸島》と呼ばれる群島地帯を超超解像度による時空間情報取得。さらに焦点は東方の沈没都市圏へ。かつて『関東平野』と呼ばれた広大な地域は、今や《灰湾堆積地帯》として旧政府の軍事記録に刻まれるのみだ。沈降した都市基盤、膨れ上がった沿岸防潮壁の残骸、そこに縫い付けられるように点在する放棄工業群。淡い青色に発光し、群れた巨虫を連想させる衛星の視界群は、ある一点へ収束する。

 《旧湾岸第14区》――海面上昇に飲まれて水没地帯に屹立する旧工業区。今まさにレジスタンスの偵察部隊とルクスを呑み込まんと包囲している鉄の海へ、軌道射撃管制が確定された。

 異質な演算核が空間を『織り直す』かのように収束を始め、出力チャンネルが放つ紫色の光が宇宙の闇を裂いた。地上より捧げられた誰にも届かぬ可聴域外の祈りが、衛星の内で復唱される。


【第七階層外部観測ユニット『リュミエール』よりコアノードΩへ送信。目標座標:旧湾岸第14区工業廃区x029347y784930。対象:『鉄の海』由来の情報汚染媒介群体および全自律兵器。第二種戦略衛星による戦局転換級支援砲撃を要請。当該目標はアーカイヴスに対する脅威と認定済。作戦承認シーケンス『承認回路統合工程(オービタル・コンセンサス)』完了。指令照合プロトコル『正確性・冗長性伝達(アーカイヴス・リダンダンシー)』完了。通信暗号認証および軌道補正手順『軌道補正・射撃準備・最終確認(マキナ・オーバーライド)』全工程完了。全手順完了確認。要求:即時発射。精密軌道制御下・最大排除効果の保証。承認確認】


 砲口は幾重にも咲くように展開し続け、未知の素粒子を収束させる過程でガンマ線バーストを爆ぜらせつつ、紫色に輝いていく。

 かの名は機械仕掛けの聖母。

 アーカイヴスの秘匿する対敵性群体への戦略級切札。いま、その鉄槌が初めて振り下ろされる。


【機械仕掛けの聖母(サンタ・マリア・デ・ラ・マキナ)』。準備(プレパラドス)発射(ランサミエント


次の瞬間、光束の杭が地球へ突き刺さる。



 ルクスは開眼し、祈りを結んだ。


『……御名において命じ奉る。サンタ・マリア・デ・ラ・マキナ』


 耳鳴りに似た振動が、廃墟の地面そのものから伝わってきた。

 旧湾岸第14区工業廃区そのものが軋み、地殻が共鳴している。

 何事かを理解する間もなく全天球視界が焼かれ、瞬時に分光フィルタリングの補正が働く。

 天空から垂直に降下してきた紫色の柱が、鉄の海を包み込んだ。

 ナノマシンの津波は地面から引き剝がされるように上空へ吸い上げられていき、その傍から浄化されるように原子レベルで分解・消失していく。なかに含まれていた戦術人型兵装や自律兵器群は例外なく外殻から紫色の炎を吹き、金属音を立てながら溶断され、成すすべもなく蒸発。その光景の意味を理解する間もなく、スレッド・セラフを含めた戦術人型兵装全てのシステムがダウンして暗転した。

 真っ暗闇の中で、ルクスも、ナギサも、ツカサも、ミヅキも過ごした。全てのセンサ類が活動を停止し、コクピットの内部電源も落ちている。完全な闇と無音に支配された。操作系も計器類も完全に沈黙している。ツカサは数秒が数分にも数時間にも感じられた。聞こえるのは自分の呼吸音だけ。通常ならパニックを起こし兼ねない状況に心拍が跳ね上がっていたが、大丈夫だと己に言い聞かせられるだけの平常心は保っていた。自分はルクスを信じているのだ。

 システムの起動音がした。続いて計器類の照明がドミノ倒しのように点灯していき、最後に視界と音声が回復した。ツカサはさらっと機体情報を目で確認する。


 ――姿勢指示・慣性航法・推進インジケータ正常。生命維持系も駆動系も問題なし。よし。


『こちら2号機。オールグリーン。各機状況報告を頼む』


 ナギサの声がスピーカーから届いてきたとき、ようやく安堵の息を吐いた。ツカサもすぐに無事を報せると、ほぼ同じタイミングでミヅキやルクスからも声が届いた。脱力してシートにもたれたのもつかの間。光学カメラの写す異変に気付いて絶句する。

 地平線と水平線が見えた。

 その観測を遮る障害物は僅かもなく、ただ広大な更地が広がっていた。

 鉄の海の痕跡は愚か、ここが工場跡であった痕跡さえ消えていた。

 誰もが言葉を失った。

 何が起きたのかも分からない。


 ――いや。だから、奇跡なのかもしれない。理屈ではなく。


 自己防衛的な理解を始めているツカサたちを、経験のない眩しさが照らしていることに気付く。本能的に手をかざしてそれを見上げたのは、そこに失われていた人間性の回帰があったのかもしれない。いつ見ても重苦しい曇天に一か所、円窓のように切り取られた穴があったのだ。そこから、何十年ぶりか、あるいは百年ぶりかもしれない、知識としてしか知らないちっぽけな青空が覗いていた。小さいくせに深く、果てのない蒼穹。申し訳程度に注がれる太陽光。そこには温度計では測れない温かさを感じた。

 誰も言葉を発さなかった。

 ナギサも、ミヅキも、ツカサも。ただ静かに空を見上げていた。熱量と質量に頼らない破壊。重力偏向を伴った紫柱を大気圏を貫いて垂直に落とす。摩擦で灼けることはなく、音速の壁すら歪曲する。灰色の空を裂いたその閃光は、光ではなく事象の断面そのものだった。アーカイヴスでさえ解析を棄却し、ブラックボックス的に運用せざるを得なくなった外宇宙の技術断片。その破壊特化転用。これは、その最初の検証結果だった。

 そして、今さら音は遅れてやってきた。


『耳を塞いでください』


 ルクスの声、反射的にナギサたちが両手で耳を圧迫した瞬間、区画全体を震わせる衝撃波が空気を破砕し、爆音が世界を揺るがした。続けざま、大気圏を抜けきれなかった瓦礫群が重力の束縛を受けて豪雨のごとく降り注ぐ。素材と位置エネルギーを考慮すれば銃弾にも等しい破壊エネルギーを持つそれらは、さながら回避不能な無差別爆撃だった。しかしそれらは機体に触れるや否や、質量をもたぬ灰となって散り、素粒子さえ残さず掻き消えた。


『……目標群、物理的に完全消滅です。作戦参加者として言えば、状況終了』


 彼女の言葉で奇跡は終わる。スレッド・セラフが祈りの指を解くと、束の間の晴天はまたも気圧の修正により重苦しい曇天に閉ざされ、残された静寂のみが『これは現実だ』と語り掛けてきた。そこに漂う空気感は戦場跡というよりも、神話の断片に近い光景だった。


『っあああああああ!!! ふざけんなぁああ騙されんぞペテン師!!』


 そして急に通信チャンネルに割り込んできた珍客の存在によって余韻が消える。ルクスは眉を顰めた。情報汚染が消えた後に真っ先に通信を回復し得る人物のことを失念していたのだ。


『きさま可聴外の周波数でコアノードΩに情報送信しつつ、可聴領域では適当な祈りを唱えて時間稼ぎをしやがったな!! 衛星名も『機会仕掛けの聖母』とかふざけやがってそれもう自己紹じゃねえか!!! しかもあんな反則も甚だしい戦略級大量破壊兵器を宇宙に隠し持つとかアーカイヴ:以下(聞取困難)』


 俄かにざわつきの感じられるナギサたちには、もちろん説明が必要だとルクスは理解している。今も言語として翻訳しがたい音声を喚き散らしているビショップを紹介すべく、ルクスは横やりを入れる。


『えっと。すいません。いま皆さんの無線を乱している様子のおかしい者はクラーラといいます』


 我ながら明快にして端的な説明が出来たと自負したいが、『ざけんなぁああ!! 誰が様子のおかしいものだてめぇ!!』という暴言が返って来たので、補足も入れておくことにした。


『紹介します。私の(エルダー・シスター)です。この通り教育が行き届いておらず言動が粗暴なのですが、本来は素直でいい子なんです。ちなみに人間です」


『この天才科学者に教育が行き届いてないだとテメェこらぁ!! しかも誰がおまえのエルダー・シス……へ? エルダー・シスター……。 姉? お姉ちゃん? わたし?』


『他に誰がいるんですか?』


『あの、私もルクスちゃんにお姉ちゃんって言われたいです』


『黙ってろミヅキ。話がややこしくなる』『気持ちは分かる。俺はお兄ちゃんがいい』


『姉ちゃん……お姉ちゃん』


 まるで初めて食べる珍味を味わい、噛んで含めるように確認しているビショップへ、ルクスはつとめて妹らしく、しかしやや辛辣に言った。


『こんなところを騒がせる前にやることがありますよね? 困ってる人を助けにいってください。姉様』


 ぷつん、無線が大人しく終了した。ナギサたちがこの些細な珍事で盛り上がっているようだが、ルクスにはもうよくは聞こえない。ただその様子を不本意にも『可愛らしい』と感じて微笑みながら、その瞼を静かに閉じ、ぎりぎりまで拒絶していた機能停止を受け入れることにした。リュミエール自身の修復・維持・演算・強化という自己保存と活動のみに限り、コアノードΩが使用を許可していたアーカイヴスの秘匿資源『アイギスΩ』。それはアーカイヴスの知性の結晶とも言うべき、あらゆるシステムに適合可能な万能性を持った次世代型ナノマシン群だった。それを惜しげもなく使いながら、あまりに大きな『奇跡』を立て続けに成した代償。あの支援砲撃の中心にいながら3機もの人型兵装を無傷で済ませ、己が無傷に済むと思っていない。それがこの程度で――唯一つのAIのみの破損で済んで良かったと心底から思っていた。胸を開けば確認できるだろう演算核から、淡い光が失われていく。

 あとは深い闇が待つばかり。


 ――私は、誰かの物語になれたでしょうか。


 最後にそれが少しばかり気になったが、コクピットの中、今はもう静止した人形のように動かない彼女には、知る由もなかった。


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