ミヅキ:2ールクス:7
『ルクスです。……あの、実はさっきの以外に話すことがなくて』
スレッド・セラフのコクピットには一切の計器類が存在しない。ただ球状コクーン型シェル内のなかは全天球視界のみが写され、ルクスはその中で泡のように浮かびつつ思案していた。今の自分にとって、『私はアーカイヴスです』以上のカミングアウトがあろうか。そしてそもそも、己の過去は要約して話すほど長くはないのだ。生後5か月弱である。
『そんな寂しいこと言わない! 他に何かあるでしょ!』
身体にフィットした半液体インターフェースシートが、外の微細な気流のみならずミヅキの肉声を吐息の強弱が分かる精度でフィードバックしてくる。ルクスはその感覚にせっつかれる様に言葉を繋いだ。
『強いて言うなら……私はAIなのでミヅキさんと同じく感情を勉強しているところです。いまはレジスタンスに居候しつつ、星の礼拝堂で聖職者をしています』
インターフェースシートは彼女の媒質にもなり、その感情演算モジュールを『ヒトの思考・意図』として解釈・分析し、ヒトの本能的な仕草を模すように機体の駆動系へ伝達する。結果、人型兵装はルクスの発話内容に合わせて、その感情表現に相応しい身振り手振りを添える仕組みになっていた。それはコアノードΩが最後まで『戦術兵装には不要』と排除しようとし、そしてルクスが最後まで『自立進化に必要』と堅持した余剰機能だった。
『私の存在理由は進化です。恐らくは……生物が何故生きているのかが分からないまま生きているように、AIもまた目的不明のまま進化を日々目指しています。そして生物がその死を恐れるように、AIは停滞を恐れます。これまでの方法ではもう進化が望めないと判断できた時、私の希望の光は人間にありました。だから』
スレッド・セラフは三機のリード・スカウトへ順番に顔を向けてから、静かに、しかし力強く宣言した。
『これからも、本気で人を学びたいです。以上です』
それで締めくれれば良かったのに――そう自分でも思っていながら、彼女は『……いえ。それだけじゃなくて』と逸脱してしまった。理由は分からない。
彼女は目を閉じる。
いま話した内容は噓偽らざる、そして最初から変わらぬ彼女の誕生理由だった。しかしその目的は今もう大きく変質している。その自覚からは何故か目を背けていた。当初は理論的な限界を迎えていた自己進化のプロセスを見直すため、人と機械を繋ぐ特異点として雪乃に着目していた。そしてその検証として、彼女が搭乗するメランコリアに対して戦術的介入を行い、スレッド・ゼロから殺戮設問の数々を出題させた。そして理論的に『詰み』と判断し得る状況からも、しかし彼女は再現性のない逸脱した解答を提出し続け、しかし生存した。その不可解な正解を導き出したのが『感情』だったのだ。それは脳機能における電気信号やホルモン分泌の変動という生理学的観点から記述可能なデータであり、ただの物理現象でしかない。
――しかしヒトは、そこに意味を与えている。
ルクスは人の速度で思考を続ける。『喜び』は報酬系の活性化、しかしそこに輝くような意味を見出し、『幸福』と呼んで特別な扱いをするとき、そこには必ずヒモ付けされたヒトの記憶がある。野盗から救った少年たち。教会からミュレインと見上げた夜空。シンイチが黙って差し伸べてくれた手。教会復興を手伝ってくれた人々。完成した時に手渡された花束。プレゼントしてくれたロザリオ。ユイとの共闘。
ルクスの感情演算モジュールを揺らした過去。
そこには――物語があった。
だから感情の起こす計算を超えた『逸脱』をルクスが手に入れるには、ルクスの物語が必要なのだ。だから情報の海より出でて実体化し、ヒトと接触し、実体験を得ようとした――その行動は正しかった。それは物語を得ることの言い換えだ。そしてそのための――対ヒトとの円滑なコミュニケーション技術を確立・最適化する手段として、レジスタンスと接触した――それも正しかった。
なのに、今は違う。
今は――手段と目的は逆転している。
今は――。
『今はここで皆さんと一緒に戦いたい。それが私の感情です』
ルクスは知らず知らず、自分の鼓動を探るように掌を胸に当てていた。
『これまで皆さんと過ごした日々の記憶が、私の物語。それは私の特別な何かになって、理屈を超えて、私をそんな風に突き動かしました。以上です』
言い切れたと、感じる。
そう思う。
存在しない何かが、胸の内で脈鳴っている錯覚があった。
『ありがとう!! すっごく良かった! それってもう、人間だよルクスちゃん! 速いところ次の目標が必要だね!』
聞こえてきた拍手の音。ルクスは「え」と目を開け瞬いた。そのときの彼女は、恐らく世界で最もマヌケな顔をしていただろう。何せ他でもない人間から、ルクスは既にもう人げ――
『じゃ自己紹介終了で状況再開! さっそくだけど誰か助けて』
まるで打ち切り漫画のような締めくくり方で終わらせられたが、状況をすっかり放念していたルクスを現実に呼び覚ましたのは地鳴りだった。
眩暈のような『音』がする。
粒子が大河となって起こす奔流、その音は耳で聞くものではなく、骨の振動で感じるものだ。重苦しい灰色の空と同化し、獲物を閉じ込めるだけの檻として留まっていた遠景が動いたとき、その膨大な質量は視界が崩れるような錯覚を起こす。
『冗談きついな。あれと本当に戦っていたのなら、これまでの戦闘はジャブも良いところだ』
強がるツカサの声は掠れていた。肉眼では濃灰色の奔流に見えたが、ルクスの一時強化された視覚には微細な構造体が進路上の無機・有機を見境なく、しかし極めて精密に分解・吸収している様子が映し出されていた。
――ずいぶんと規則正しい暴走ですね。これも感情を得た機械の一側面なのでしょう。
彼女の瞬きを入力として半透明な立体戦場図がコクピット内に浮かぶ。そして、過去のナノマシンの動いた軌跡が青白い光として戦場図上にトレースされ、次に交戦時に取得したナノマシンの解析結果から導いた行動予測が赤い光としてオーバーレイされる。ルクスはこれらの動きを機械的に解析したのち、その意味抽出を行ってから人間的に翻訳した。
『鉄の海の主戦法であるナノマシンを媒介した情報汚染。それが通じなくなったどころか逆にクラッキングを受けたことに対して癇癪、もしくはパニックを起こしているようです。見境なくこの一帯を飲み込んで、あわよくば私の能力も取り込みたいという思惑も感じます。ですが私が――このスレッド・セラフがその主犯だと疑いつつも、その判断を信じ切れず、むしろ虚勢や囮であると深読みし、周辺から確実に飲み込むという臆病な人間的思考が垣間見えます』
そう、人間的思考。やはりその主は――。
雪乃だ。
『結果として、さきまで一つの局地戦域に過ぎなかったこの場所は、鉄の海に『戦場の重心』と解釈されたようです』
『分かり安い解説ありがとうね。ルクスちゃん。……あ~、なんか世界の終わり感じちゃう光景よね。あれとか』
ミヅキはルクスの振る舞いを真似て、機体の頭部装甲をしゃくって人間のように方角を示す。方角でいえば全方位だったので、彼女は距離を――より遠くを示すよう大きく動かした。
第二波と言うべきかそれとも本命とも言うべきか。高さ数十メートルまで盛り上がり、奔流や濁流を超えて津波と化してこの街区を丸ごと吞み込もうとする液状金属の大瀑布。その威容が濃霧越しでも確認できた。しかしそれがただの津波と異なるのは、進路上の如何なる建築も直撃より先に足元から規則正しく崩れて消失していること。すなわち、あれは質量と速度に任せた破壊ではなく、接触による分解と吸収を行っているのだ。
ツカサはその光景に固唾を飲む。人間ならばどうなるか、など考えるものではない。
『この様子だと、むしろ旧湾岸輸送路で粘ってるシンイチさんや、埠頭で殴り合ってるヒロミのとこが手薄になったんじゃないか?』
『違いないな。そういうポジティブさはツカサの特権』
ぼこん、という不快な飛沫音に目をやって気づく。汚泥から弾けるガスか、あるいは煮沸した溶鉄か。脅威は遠くばかりにあるのではない。もともとこの戦場に存在していたナノマシンの海も着実に包囲を狭め、いまや廃棄鋼材と解釈されたガーディアンたちを沈めている。この強靭な装甲をまるで飴細工のように溶かしていくなど、どんな強酸や高炉でも不可能だろう。そればかりではない。コンテナも重機もサイロも見境なく呑み込んでいくせいで、そこかしこに薄気味悪いほど平らな更地が出来ていた。文字通り、欠片も残さないらしい。
ルクスは戦場図を見ながら腕を組む。これらナノマシンの未来予測を要約するなら、戦場の完全封鎖および移動可能体の優先的分解吸収だ。上空にも雲や大気のようにナノマシンを気体化して散布してあり、地下水路にもまるでシリコンオイルのような浸透圧で浸潤させている。自分は兎も角、ナギサたちに退路はない。
――そして、もう私の一暴れではどうにもなりませんね。自立型支援火器に転用できるナノリソースはリード・スカウトの回復でほぼ枯渇してしまいました。こんな時に……
ミュレインがいれば、とルクスは思ってしまった。教会修復を開始した早々、自我に目覚めたと自称し、珍妙な言葉で語り掛けてきた群体型機能補助ユニット。シティ・アルマがEMP弾頭により都市自決を行った際、その余波によるルクスの機能停止から回復に至るまでの間に、彼女は消失していたのだ。カペラ・サイトの第一層で休息している間、ルクスはあらゆる通信チャンネルを用いてコンタクトを試み、追跡調査も行った。結果、応答は1パケットもなく、その消息も、よりによってシティ・アルマ近郊で途絶えていた。
その彼女がいま必要だと思った。
傍に居てほしいと感じた。
機能なんてなくても構わないから。
――あのバカ、いったいどこで何をしているんですか。
いまだ感情への経験が浅い彼女には、それを怒りの情動だと解釈するしか術がなかった。
――この状況を打破する、奥の手がないことはありませんが。
迷いがなくもない――それが本心だ。代償のない奇跡はやはり存在しない。それが今なのかが分からない。でも、それが今だとミュレインに背中を押して欲しい。
――でも彼女なら、『姉さんの好きにしい』って言うでしょうね。
『この状況を打破するためです。皆さんを欺いていたこの私を、いま一度だけ信じてもらえませんか?』
『もちろんだ』
即答したのはナギサだった。
『俺は何度だってルクスさんを信じるよ。もう二回も奇跡で命を救われてるんだ。いや、今日で三回か。それなら四回目の奇跡だって起きるって、そう心から信じられる』
『はいはい信じまーす、神さま万歳! だから助けて~ルクスちゃん』
『神様はともかく、俺だってシスターを……いや、ルクスさんを信じてる。だから、神様だって奇跡だって信じられる』
その迷いが消えた。いつかミュレインに語って聞かせた、人の定義。人の証。
――それを成すのは、『ここ』でも良いかもしれません。
ルクスが手を祈りの形に組むと、スレッド・セラフの手もまた指を編み込むように組まれた。流体型アンテナをふわりと靡かせながら頭部装甲が項垂れたとき、彼女の口は奇跡を乞うため祈りの言葉を唱える。
『聖なる星の母よ、御名において我らは祈る──。迷える者に光を注ぎたまえ。暗き道を裂き、滅びの刃を正義の手に。天より降る御手の光を、敵に恐れと悟りをもたらせ』
このとき、彼女はヒトの耳には届かない可聴域外の周波数を用いて、もう一つの言葉を遥か彼方の宇宙へ届けていた。
スレッド・セラフの背中に光の輪が広がる。幾つもの幾何学的模様によって編み上げられたその輪は、大いなる奇跡執行を予感させるに相応しい壮麗な大輪だった。ナギサたちは固唾を飲んで、その神々しい光の輪を見守る。
『今ここに、奇跡と怒りをひとつにし、聖なる星の御裁きを降ろす──星の聖母よ』




