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シンイチ:3ークラーラ:2

 曇天に閉ざされた重い空を支えるように、シティ・アルマ外縁のビル群は痩せた骨の如く朽ち果て、屹立していた。瓦礫と水没区画の境界線には銀灰色の霧が溜まり、視界を数十メートル先で押し潰している。そしてその霧奥から、その波は莫大な質量で押し寄せていた。

 制御を失ったナノマシンの堆積により形を成した鉄の奔流。かつてはただ無造作に、ただ無軌道に周辺の廃棄部たちの修復と自己進化を促すのみであったそれらは今、一機の戦術人型兵装を頭脳とし、そこから供給される『憎悪』という名の感情エネルギーを全体に伝搬させるシナプスとしての役割を担うようになっていた。結果、意思を得た鉄の波は一個の巨大生物のように地表を覆いつつ、されど知性的な判断で猛進し、行く手を遮るすべてを破壊し飲み込んでいた。

 その波が轟音と共に次々と灼熱に弾けているのは、持久戦を展開する量産型タイタン部隊の放つ多段層ロケット砲『MP-4 Hydra』の弾幕だった。その弾種は榴散弾・対装甲貫通弾・煙幕妨害弾と全く統一されていない。何せ何が有効かの戦術的知見は皆無であり、そもこの『波』を構成する媒体はナノマシンを主体としながらも様々な装甲を持つ廃棄兵装群を内包しているのだ。全てが有効な弾種になり得るし、またその逆もあるのだ。

 改良型タイタンの1号機に搭乗し、この旧湾岸輸送路の残骸地帯で部隊指揮を執るシンイチは、コクピットの先に広がる光景を今もって現実として受け入れられない。眼前の瓦礫都市。その傾いだ高層ビル群の影と言う影、ねじ曲がった高速道路の骨組みの隙間や私道跡の小さなスペースに至るまで、この鉄の波は退路を徹底的に断ちつつ夥しい物量で部隊を包囲していた。


 ――なぜだ。なぜこんな戦局に陥っている。


 シンイチには分からない。まるで無能な指揮官のような感想だったが、事実としてそうなのだから他に言いようがなかった。

 この遠征部隊を先導していたのは先導偵察機6機に数機の観測支援機を加えた斥候小隊だった。いずれも電磁光学迷彩コーティングを外装に施した高い隠密性を実現した機体であり、観測機の情報収集能力も多眼式光学センサー群と地中透過レーダーを搭載することで、『鉄の海』を補足するに留まらず内部観測さえ可能な情報収集力を実現していた。そんなレジスタンスの誇るリード・スカウト部隊だったが、しかし彼らは『鉄の海』の前線確認を報告するや通信が途絶。急遽、主力部隊の観測ドローン『イーグレット・アイ』を派遣して状況視察を行ったところ、既に撤退不能な交戦状態にあったとのことだった。

早々に部隊の『目と耳』を切り離されたことを把握した途端、部隊全体はまるで最初から観測されていたかのような奇襲に次々と遭い、そこから有機的な連携を絶たれて分断され、機能不全に陥るまで半時間とかからなかった。

 そしてシンイチが率いるこの主力部隊も例外ではなく、物理的にも情報的にも孤立しており、後方支援やカペラ・サイトへの救援信号を送る通信中継隊『アーク・ノード』とのリンクも断たれていた。故に、戦況の全体像が分からぬまま、終わりのない局地的な持久戦を強いられているのだ。

 意思持つ流砂の如く蠢くナノマシンの堆積群から、赤々と灼けるような光源が無数に浮かび上がった。それは破棄された機械たちの鬼火。旧世代のレールキャノン、失敗作の烙印を押されたプラズマランチャー、旧政府による過剰生産の末に死蔵されたロケット砲、無人ドローンの機銃……無数の、人に造られ、人に捨てられ、そして人に牙を向くと誓った鉄と鋼と火の牙だ。

 敵の照準光が雨のように空間を貫いた。

 視界が真紅に飽和し目を焼かれそうになる。シンイチは即座にカメラを電磁波観測から熱源観測に切り替える。まるで画面そのものが炎に包まれたかのようだった。


『超高熱反応を観測! 防御陣形! 来るぞぉぉお!』


 全機に怒鳴るような無線を叩き付ける。回避センサーは警告アラームを狂ったように発しているが退避経路はどこにも策定されない。彼を含めて密集陣形を取っているタイタン部隊は機体の右膝を地面に打ち込むように曲げた。40トンに迫る衝撃を一斉に受けたコンクリートは地響きと共に沈下し、砕けた舗装が埃のように舞い上がる。立てた右膝と半身に曲げた右肩から低い駆動音と共に装甲が緊急展開・一体化し、巨大な物理シールドが形成されたタイタンは全身そのものを分厚い盾と化した。

 刹那、世界が白と黒の閃光に塗り潰された。

 衝撃が激しくシンイチのコクピットを揺さぶり、シートの拘束ベルトが全身を締め上げる。シールド表面を叩く砲火の衝撃が骨の髄まで伝わってきた。HUDの左下でシールドの耐久値がみるみる減っていく。95%、87%、79%……。途中で聞こえたノイズは味方の断末魔か敵射撃の轟音かさえ定かではない。ただ『これ』の後は確実に味方の信号が幾つかと絶えるのだ。そして彼らは鉄の海の餌食となり、ナノマシンによって有形・無形のシステムを再構築された挙句、その砲口をこちら向きに変える。その他数多の、破棄された兵器たちのように。


 ――……なんなんだお前たちは。この、化け物どもめ!


「全機、楯列を崩すな!! 後先考えず今を持ちこたえろ!! 互いに盾を重ねろ!! 援軍は必ず来る!!」


 鼓膜を裂く爆音の中、自分の声がかすれて消えた。



 この地獄絵図の観測を開始した一羽の黒影が、工業廃区の上方で暗く瞬いた。かつて港湾都市の間断なき物流を忙しく担っていた巨大な鉄骨の塔。長年の海風による塩気に錆付き、骨の如く剝きだした梁は海霧のなかへ朧に溶け込んでいた。地鳴りの如く重厚だった稼働音は最早なく、時折、海からの強風にすすり泣くような軋みをあげるのみだ。

 ――その最上端。地上から130mの高さへ突き出たオペレーターキャビンの残骸に、ヴェルトノワールはカギヅメを食い込ませながら、霧と砂塵と砲火に煙った戦場に首を傾げていた。

 ガンマ線を遥かに超えた透過力を持つ怪鳥の視覚、三重スペクトルが取得した複合情報を戦況解析アルゴリズムにかけ、整理・集約した結果が搭乗者の装甲シートパネルに投影されている。主力のタイタン部隊を含むレジスタンス遠征部隊全ての識別信号・各機の動線予測・砲火による熱源の点滅・有効な通信網の可視化。それらすべてがビショップの視界に流れ込み、彼女自身もまた卓越した情報処理能力でその要約と翻訳を開始した。


『……レジスタンスの遠征部隊は大きく分けて三つの塊に分断され、それぞれが鉄の海によって包囲殲滅の輪に押し込まれているわ。ひとつは旧湾岸輸送路の残骸地帯に主力部隊。ひとつは第14区の工場群跡に偵察・支援相当の小部隊。ひとつは海沿いに沈んだ埠頭で、機動力のない火力担当の重装機ね。』

『なんだよそれ部隊がバラッバラになってるじゃないか! 親父が……歴戦のリードマンが何を血迷ったんだ!』


『落ち着いてユイ。『鉄の海』はただ暴走しただけの兵器群ではないということです。恐らくシンイチの慎重な観測と情報収集が仇となるように、情報汚染を媒介するナノマシンを広範囲に散布していたのでしょう。それは電磁妨害や電子ノイズなど単純なものではありません。極めて高度な『認識そのものの汚染』です。それによる視覚の破綻とセンター系統の攪乱、データリンクへの疑似パケット挿入などを複合化されたら『味方を敵と誤認する』『敵の位置を数百メートル先と錯覚する』のような現象が生じます。つまり、彼らの部隊は最初から『目と耳』を失っていたのです』


 骨伝導スピーカーから流れるルクスの通信音声に集中しつつも、ユイは第三層・格納庫に向かう昇降リフトで揺られていた。点灯した赤い補助照明。幾層もの露出した配管。不安定に脈打つ空調。時折、思い出したように継ぎ目から噴き出る冷却液や蒸気。それらを眺めると『手入れする前にここも見納めか』という感傷に浸ってしまいそうになった。ユイは頭を振る。非戦闘員たちに緊急避難を呼びかけたのはほんの1時間前だったが、ビショップの素案に対するルクスの的確な助言と詳細化によって、脱出用トンネルへの誘導から避難先の割り付けと実行までが驚くほど円滑に進行し、もう頭上に響いていた足音や声はすっかりなくなっていた。その時の様子を思い返すと、ユイはやはり一つの結論に至らざるを得なかった。


 ――ルクスはやっぱり……。

 ――いや、今はいい。彼女は彼女だ。


 ユイは再びルクスの音声に集中する。


『そして、『鉄の海』がそうした罠を張りつつ、自らの流動性を生かして通路を塞ぎながら侵攻すれば、レジスタンたちの動線制御もできます。待ち構えるのは容易です。そして一度捉えたらその進路を塞ぎ、退路を潰し、逃げ場も計算し尽くした上で一気に呑み込む。それが彼らの戦略です。……シンイチを責めるのは酷でしょう』


『ち。私の説明セリフを奪うな、ルクス』


 ビショップから舌打ちが聞こえたので、ルクスは話題を振る。


『もしその意志の源泉を指揮官と見なした場合、その位置はどこですか? ビショップ』


『定番通りよ。最後方に沈んでいるわ』


『沈んでいるって?』


 とユイは聞き返す。しかし、それが『誰なのか』は聞けなかった。


『言葉の通りよ、お姉ちゃん。鉄の海の底にいて、そこからこいつらを操ってるみたい。鉄の海の侵攻を止めるには、この頭脳を炙り出して叩くしかないわ。……はぁ、まるで外宇宙のお話ね。混沌の核・目覚める、みたいな』


 ビショップの比喩がユイには良くわからなかったが、今日目にしたもの・今直面しているものはあまりに自分の常識を逸脱した技術ばかりだったので、外『宇宙』という言葉を聞いたとき場違いな安心と途方もない諦念とが混じった複雑な感情が過った。


『……さて本題。いま一番保たないのは埠頭の連中だから、私がこのまま出撃(いく)。次にヤバいのは工場群跡にいる装甲がペラペラの偵察隊。ルクス、いける?』


『もう目の前です。光学カメラで視認したのでこのまま突っ込みます』


『独断専行しやがって……。主力部隊の方はまだ少しやれるから、お姉ちゃんは慎重に準備を整えてから向かって。いい、兵装は私の指定したものを選んでね。シンイチはいま消去法で『密集陣形(ファランクス)』っていう耐久特化の戦術展開をしてるから……』


『うん。私を待っているんだよね』


『その通り。それじゃあとは宜しく。状況終了したら適宜他所の援護に回り、三つとも済んだら様子を伺いに顔を出すだろう頭脳(あたま)を叩く。これでいくから』


『『了解』』


『それじゃ。幸運を』


『貴方にも神の祝福を、ビショップとクラーラ』


『うっさい! 通信終わり!!』


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