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斎賀:3

 シティ・アルマの医療施設『セクターM』は地下第4層にあり、そこに『白の心臓』と呼ばれる区画があった。エレベータを降りてから完全無菌処理された通路を抜ければ、ガラスと白色照明に覆われた無音のホールが広がる。冷却機構と循環型電磁遮断装に守られたその空間の中央には、スリープユニットが一つだけ置かれていた。グラフェン複合樹脂と強化アルミニウムの外殻を持つその中には、白衣の正装をした氷川澪が穏やかな表情で眠っている。ユニットにより意識レベルをコントロールされ、適量のオレキシン受容体拮抗薬を投与されている彼女はいま、きっと幸福な夢を見ているに違いないと、その寝顔を見つめながら傍にいる男――斎賀貴臣は願っていた。


「あの子は解放されたよ、澪」


 これは誰も知らない、かつての氷川澪のみが知りえる斎賀貴臣の真実。共に研究を進展させ、倫理や人道は真実の前では無価値と誓い合い、禁忌を開拓しながら支えあってきた二人。『機械に命を、知性に心を』。誰もが陰で嘲笑したこの言葉を真摯に追求し続けた。

斎賀はユニットの観察窓越しに氷川の額を撫でる。


「プロトタイプのメンタルトランスシステムが完成した時、ほかの誰でもない我が子に、これを使いこなしてほしいと、君は願っていたね」


 二人の生殖細胞を採取し、胚設計プログラムにおいて性格特性因子から運動特性まで調整した完全デザインドベビー。人類の復興・存続・防衛のためだという大義名分を笠に、二人は胚段階から我が子に脳神経適応実験を行っていた。それは先端科学に対して寛容なシティ・アルマにあってもタブーだった。

斎賀は微かに項垂れる。


「いつからだったか。君が、母としての本能に抗えなくなったのは」


 科学者として機械的な実験を我が子に行いながら、その一方で親として心身を案じる矛盾。成長を喜びながらも、それは静かに両の親の心を蝕んでいき、まずは母が音を上げた。


「そして取返しのつかない成果を出してから、君は願ったんだ。この子を自由にしたいと」


 許されるべくもなかった。研究価値を失った被験体の末路は破棄処分。例外はない。幾たびも繰り返してきたそれを、二人が今更拒否する道理も退路もなかった。二人がなし得た最大限の抵抗、それはこの研究計画の最高責任者となって完全な管理下に置くこと。ただし我が子としてではなく、あくまで被検体のサンプルとして。故に二人は最大の罰を受け入れた。


 それがE-02(二人の誤ち:Error of 2)。

 そうとしか呼ばない。

 子に名を付けて良いのは親だけなのだ。


「でも、君は優しすぎた」


 実験の過程で日に日に感情を失っていく我が子の様子に耐え兼ね、服毒によって命を断とうとした氷川。斎賀は彼女を救命し、落ち着かせてから、選択的な記憶削除・改竄を行う記憶制御薬『N-Mem』を秘密裏に投与した。このスリープユニットを使用して。それによって氷川から母である記憶は消え、代わりにケアマネジャーとしての記憶が上書きされた。彼女はそれによって心身を回復させたが、斎賀が愛した氷川澪は死んだのだ。


「記憶を失っても、君はあの子の母親だったんだ」


 研究の進展とE-02の成長に伴い、氷川は母性としか言いようのない感情を持って接するようになった。実験が終わるたびに言葉を掛け、抱擁し、寄り添おうとしていた。挙句の果てには二人の絆とも言うべき研究計画を非難し、E-02にも人間性を認めるべきだと主張するようになった。この研究計画もメンタルトランス(精神移譲)ではなく、メンタルリンク(精神同調)に軌道修正するべきだと。あまつさえ、彼女はユイと名乗る得体の知れないレジスタンスと内通し、シティ・アルマを襲撃させ、E-02を試作機イリスと共に拉致させたのだ。

 数年後、自らの足で戻ってきたE-02は自らを雪乃と名乗るようになっていた。その姿や振る舞いは、かつて斎賀や氷川が叶わぬ願いとして夢見た、自由に育った我が娘の片鱗を備えていた。斎賀は辛うじて狼狽を隠し通したが、氷川は完全に魅入られてしまった。手に入れようとして叶わなかった健全な娘の幻の、虜となってしまったのだ。


「でも、本当の君の願いは違ったはずだ」


 斎賀は覚えていた。かつてない執着を見せた我が子さえも研究の生贄とし、それで成した研究成果を喝采するシティアルマを氷川は笑顔のまま受け入れ、しかし静かな呪詛を呟いたのだ。


『いつか報いを受ける。私も、あなたも、この世界も。自由になったあの子によって』


 その時に見た横顔の美しさ。形容すべき言葉は斎賀になかった。そしてこれこそ、最愛の人が絶望の果てに残した最後の(ねが)いであると斎賀は信じて疑わなかった。ならばそれを叶えるためだけのシステムになろうと、斎賀はあの日――氷川澪の記憶を書き換えた日に誓ったのだ。そのためなら我が子への情も愛も断ち切り、最愛の人の呪詛だけを原動力に生きていこうと。

 そしていつか、本当にそれを遂行するためだけのシステムに成り代わった己は、かつて愛した者の残骸には何の感情も抱かなくなっていた。ただそこにいたのは、二人の計画を阻むだけの障害物がいたのだ。


「もうゆっくり休むんだ、澪」


 スリープユニットの隣にある制御端末に手を伸ばし、掌を生体認証パネルにかざす。即座に幾つもの警告が表示されるが、斎賀は迷いなく手を動かした。画面が暗転して『Euthanasia Protocol(安楽死機能)』プロトコルが立ち上がる。最終確認のウィンドウで少し指が震えたが、意志までは揺るがなかった。

 ユニット内部で静穏性の高い冷却弁が閉じ、脳波制御ユニットから徐々に信号が断たれていく。程なく神経伝達遮断フィールドが彼女を覆い、意識レベルはゼロ点に沈み込む。誰に知る由もない彼女の最後の光景(ゆめ)は、不器用な男が発した一つの言葉だった。


『それじゃあ、僕も地獄に堕ちてもいいかな?』


 心拍は徐々に間隔をあけ、やがて完全に停止した。表示パネルの生体波形は直線となり、静最終ログが表示される。その表情は最後まで穏やかなままだった。


「約束通り、僕もすぐそっちにいくよ。……最後の仕事を終えたら」


 斎賀は立ち上がると、振り返ることなく『白の心臓』を後にした。無音の部屋では、冷却装置の駆動だけが静かに鳴いていた。


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