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雪乃:4ー斎賀:2

 旧湾岸第21区域廃棄領域は、旧都市部においても特に濃密な霧と磁気嵐が支配する禁域の一つだった。かつては政府管轄の軍需倉庫群が密集して栄えた湾岸工業帯の一部だったが、旧政府連合機構と未確認情報生命群との激戦の末にあらゆる生命を拒絶する鉛色の海となった。錯綜したナノマシンが地平の彼方まで埋め尽くし、腐海のごとく堆積する生きた墓場。その密度は大気にまで滲出しており、通常の生身では数時間の滞在すら許されない。腐蝕・神経侵食・情報焼却――その影響は物質媒体のみならず電磁波的情報にさえ及んだ。そこを遊泳している鉄屑はアーカイヴスや企業・レジスタンスらが破棄した機械群だった。四肢を失った人型兵装。胸部が空洞となった支援戦闘機。船のように横たわったまま腐る輸送ポッド。旧戦車のシャーシ。変形したドローン。それらは人工的な周波数にゆすられながら、しかし今も人知れぬ活動を続けている。一帯の様子を目撃した数少ない生存者の証言から、ここは『鉄の海』と呼称されていた。

 その『海岸』。機械的に寄せては返す鉛色の波のすぐ上で、奇怪な人型兵装が浮遊・静止していた。全長は8m強程度の小型であり、兵装というには滑らか過ぎるラインと複雑さを有している。まるで樹木の枝葉が複雑に絡み合いつつ人型を成したように見えるそれは、時折その背面に浮かんだ薄緑色したホログラム状の光輪を瞬かせていた。樹皮を思わせる半有機装甲は呼吸するように僅かな収縮を続け、その意思を探ろうと頭部に目をやれば確かに人を思わせる双眼式のセンサーが見られる。最も、その額には第三の目のようなもう一つのセンサーが今は閉じられているのだが。しかしそれよりも、後頭部や背部から広がる枝状の突起を見れば、やはりこれはその人型を以てしても樹木を連想させる外観だった。

 この――シティ・アルマによって秘匿・開発されていたこれは果たして機体なのか。開発設計を担ったアストラ・スパイン地下第六技術棟のメンバーをして定かではなかった。特性のみを知らされた素材。理解の遥か先にあった仕組みとそのすり合わせ。既知科学では説明困難な挙動が試作段階で幾つも見られたこれには、『ソラからの落下構造体『カルン・アーク』由来の技術断片が含まれているため』という要領の得ない説明のみで納得させられたという。開発終了時、その責任者を含めたメンバー全体は、『我々は作ったのではなく、発芽させてしまった』という不可解な報告を最後に消息を絶っている。その得体の知れぬ心臓位置で、有機的な海に目を閉じて沈む雪乃は、次世代型の戦術AI連動型精神移譲技術メンタルトランスシステムにより、『これ』の核となっていた。今や雪乃の人格は深緑の深淵に沈み、機能的な思考のみが浮上している。これ――『ユグドラシル』と呼称される人型半有機兵装の魂『E-02』。その生命活動を循環させるためのOSとしてのみ機能していた。

 その存在を異物と理解した、鉄の海の住人たる機械仕掛けのアンデッドたちが姿を現す。数は12体。歪んだフレームを覆う皮膜のような再生装甲。その足元から湧き出るオイルを含んだ鉄粉のような流体はナノマシンの残骸だ。制御の狂ったそれは再生する傍から剥がれるフレームに対して腐食した皮膜を繰り返し張り付けている。いずれもアーカイヴスに破棄された試作戦闘機体だったが、既にその演算中枢は腐り、制御系も断絶している。だがこの『鉄の海』に適応し、変異し、戦い抜き、あまつさえ支配者として君臨するに至った廃棄物の王たちだ。

 距離は140m程。それらに向け、ユグドラシルは滑るように前進した。既知科学の先を行くそれは無重力を獲得し、波の上を僅かに浮かびながら滑走する。そして先制は彼女からだった。 

腕部と思しきそこが構えられ、掌をかざす。それで敵の一体が膝から崩れた。

ユグドラシルにおける『射撃』は単なる戦闘行為ではない。

 敵対者の未来そのものへの干渉である。既知外の演算結果が『射撃』という形で現実化すれば、目標の時間軸はそこで途絶する。故にこの一撃は破壊が目的ではない。ただ可能性に対する編集行為だ。ユグドラシルの額の目が僅かに虹色に染まったのみで、発砲音はない。ただ世界が1ピクセルだけ欠落した。

尋常ならぬ事態を悟った残りの11体は一斉に散開し、ユグドラシルを包囲するように移動する。普段はいがみ合うこの亡霊たちが非常時故に無言の共闘を宣告したのだ。しかし未だユグドラシルにとって彼らは敵対者ではない。愚か脅威ですらない。幼児が身近なものに触れ、口に含み、この世界と自身を理解・実感するための行動を認知するままに遂行しているのみだ。そしてユグドラシルの包囲を終える頃に、敵の数が3体まで急減していることに誰も気づかなかった。



「凄まじいという他ない。何が起きているのかさえ理解の外だ」


 アストラ・スパインの最上層。企業第三区域戦術中枢の管制室で、この様子を中枢パネルのスクリーン越しに目撃していた行政局の高官たちは驚嘆していた。斎賀は老いた彼らを一瞥する。高監督官・機構管制官・財務技官に保安統括官。いずれもシティ・アルマの表向きの支配者ながら、実態としては何の権限もないシュレディンガーの犬、あるいはその触手。彼らには敬意は無論、侮蔑的な感情さえなかった。


「ユグドラシルは疑似的な時間旅行を実現しています。我々人間よりも存在の次元が一つ高く、空間に近い自由度で時間軸の認知とそこへの干渉ができます。……例えば、我々は現在のリンゴしか掴むことが出来ませんが、ユグドラシルは少し先の、未来のリンゴを握り潰すことが出来ます。結果、その世界が破綻しないように現在のリンゴは消滅します。つまり、あの敵機たちが消滅したのはユグドラシルが原因ではあるものの、本質的には世界による矛盾解消を目的とした修正力となります」


 通り一辺倒の説明をする。世界がここまで崩壊し、人類が存亡の危機に瀕した今でさえこうした無駄な手続きを求められることを、しかし斎賀は不快とは思わなかった。これが人類の本質であり、効率追求の果てにあるのは人類の否定と機械化だ。無駄は尊重しなければならない。その為に最小限の犠牲を選んだのだから。


「これが、私がユグドラシル駆動のOSと成り得るE-02に人格が不要だと提言してきた理由です。あれがメランコリアのような反乱を起こした時、我々はそれを感知さえ出来ぬまま消滅してしまいます。ユグドラシルは量産化の前に完全な制御下に置かなくてはなりません」


「……あくまでE-02が必要なのか? 人間ではなくAIではだめなのか?」


 怯えた目を向けてくる男は財務技官だ。名目上の役割は資源配分と維持予算の策定。だがシティ・アルマの資金フローは既に自動化されているため、彼の役割は定期報告書への承認のみだ。


「ユグドラシルは兵器ですが完全な機械ではありません。魂なき半有機体です。そこに天才科学者氷川澪が戦術AI連動型精神同期技術メンタルリンクシステムという機械に魂を授ける稀有な技術を確立させ、その改良によって今に至ります」


「なぜ彼女を同席させないの? 彼女の見解も聞きたいのだけど?」


 強気を装っているこの女は保安統括官だ。かつては旧政府空軍の中佐にまで上り詰め、現在はシティ・アルマの施設安全管理を担っている。最も、その防衛システムは全てブラックボックス化されてあり、彼女の指示系統は全て内部で切断されている。


「氷川研究主任は極度の過労状態のため、セクターMのスリープタンクで数週間前から療養中です。メインサーバー室の裏で意識を喪失していることが監視カメラ映像から確認されました。本人に対して医師がヒアリングを行いましたが、その時の記憶も欠落している様子でした」


「そう。では氷川博士が復帰するまでE02への白蝕剤投与は中止を提言するわ。ただでさえ不安定な彼女にこれ以上リスキーな行為は容認できない。これは保安統括官としての意見よ」


「しかしだ。しかし事態は一刻を争う。レジスタンスやアーカイヴスの動きも活発化し、敵はもう一つや二つではないのだ。E02における氷川研究主任の信頼性に疑問の余地はないが、他にも優秀な研究者はシティ・アルマに大勢いるだろう? 彼らをE02の新たなケアマネジャーに添えたらどうだ?」


 この老人は機構管制官。名目上はアストラ・スパインの中枢AIに対するインターフェース役だが、実際の権限は『閲覧』のみであり、重要なアクセスを試みた場合は全て無効化されている。


「では折衷案と行きましょうか。ユグドラシルの試験および量産化に向けた開発はこのまま続行し、E02には新たなケアマネジャーを氷川博士のサポートとして付け、新薬の使用に際しては氷川博士の体調が良い時に意見を伺う。これでどうでしょうか?」


 この軽口の男は外部連絡管だ。もう存在の確認されていない他機関や外部企業との折衝窓口とされているが、その連絡さえ『AI経由』による強制フィルタリングを受けているため、実質的に外交的役割はない。


「斎賀くん、君はどう思う? この研究全体の統括本部長としての意見を聞きたい」


 脂肪を貫禄と勘違いしているこの男は高監督官。全体の運営指針を決める役職でありながら、実際は決定済みの意思を通達するだけの、言わば最たる『名誉職』だ。


「……それでは僭越ですが、私見を述べます。私は外務連絡管の意見に賛同します。そして氷川博士のサポート及びE02の新たなケアマネジャーには私が適任だと考えています。生体脳神経インタフェース分野においては彼女に遠く及びませんが、彼女とは蛍雪の功を共にした仲です。そして私は、E02の幼少期を生物学上の父として見守ってきました」


 白々しいどよめきが起きた時、それは起きた。


「おい待て、ユグドラシルの様子が」


 ぱちゅん、という果実を潰すような音。そして、かつて外部連絡管だった肉体がテーブルに突っ伏し、手前に置かれていた冷めた有機珈琲のカップを倒す。円卓に座していた傀儡たちは事態を理解できず静止し、スクリーンを呆けたように見ていた。そこには、まるで愚かな観測者たちを見透かすように、こちらに掌を向けている首なしのユグドラシルが明滅している。弾けた軽口の頭部などには誰も興味がなく、次の標的が誰であるかにさえ関心がない。次の瞬間、スクリーンのユグドラシルは身悶えするように身を捩り始める。斎賀がコートの内で押していたスイッチが、ようやくユグドラシルに作用を始めたのだった。


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