第九章 孤立
俺は気づけば、誰ともまともに話せなくなっていた。
友人たちは次々と距離を置き、以前のようにLINEの通知も来なくなった。最初は「忙しいのかな」と思っていたが、ある日、共通の知人から耳にした話で、状況の深刻さに気づかされた。
「……お前、最近後ろに女がいるって言われてるらしいな」
その瞬間、心臓が凍った。そんなはずはない。俺は普通に歩いているだけなのに、誰かに監視されているような視線を感じることはあった。だが、まさか同級生までが俺から距離を置く理由にしているとは思わなかった。
学校の廊下を歩いても、誰も俺と目を合わせない。声をかけられても、必ず一瞬の躊躇がある。まるで、俺の背後に誰かいるのを見て、怖くて近寄れないかのようだった。
家に帰ると、母はいつも通りに微笑むが、その視線にはどこか疑念が含まれているように見えた。妹は以前より口数が減り、俺の部屋の扉をそっと閉めることが増えた。家族の温かさすら、いつの間にか遠ざかってしまったように感じた。
俺自身、何かがおかしいという感覚は日に日に強くなっていた。夜中に目を覚ますと、部屋の隅が妙に暗く沈んで見える。廊下の明かりが届かない影の中で、髪の長い女がちらりと立っているような気がして、思わず息を詰めた。だが、振り返ればそこには何もいない。
夢も現実も混ざり始めた。眠っているはずの時間に、俺は廃旅館の暗い廊下を歩いている。焦げた畳、割れた鏡、鈴の音――すべてが鮮明に目の前に広がる。夢だと思おうとするたび、背後から小さな足音が近づき、息遣いが耳元で聞こえる。目を覚ますと、部屋にはいつも通りの物があるはずなのに、知らない髪の毛が床に落ちていたり、窓際のカーテンが不自然に揺れていたりする。
友人たちはもはや、俺の存在を避けるようになっていた。LINEの既読はつかず、電話をかけても留守電に繋がるだけ。学校でも、教室の隅から俺を見つめる目があるが、誰も近づいてこない。孤独の感覚が胸に重くのしかかり、吐き気がするほどの圧迫感を感じた。
ある日、放課後の教室で机に突っ伏していると、耳元でささやくような声がした。
「もう、逃げられないよ……」
思わず振り返ると、誰もいない。だが、空気が冷たく、身体中の血の気が引くようだった。まるで、俺の存在そのものを誰もかれもが拒絶しているかのような孤立感。友人も家族も、そして学校の人々さえ、俺を守ってはくれない。俺は、この世界で一人取り残されてしまったのだと、初めて痛感した。
その夜、ベッドに入っても眠れなかった。夢に見た廃旅館の廊下が頭から離れず、目を閉じれば暗闇に沈む影がじっと俺を見ていた。手元のスマホには、また知らない女の写真が増えている。前回よりもはっきりと、顔が歪み、こちらをにらみつけていた。保存した覚えはないのに、どうやら俺の存在に呼応するかのように現れるらしい。
鏡に映る自分の顔も、どこか疲弊し、怯えているように見えた。鏡越しに背後を確認する癖がついてしまったが、振り返っても当然誰もいない。だが、あの写真の女――どこかで見たことのある、廃旅館の奥で見かけた不気味な顔――が、徐々に現実の世界に侵食している気がしてならなかった。
孤立は俺を確実に蝕んでいた。友人も家族も逃げる中、俺だけが取り残され、見えない存在に付きまとわれ続ける。心霊現象を笑い飛ばしていたあの日の自分は、もう遠い昔の話だ。現実に、逃げられない恐怖が確実に押し寄せている。
そして、俺は気づいた。これは、まだ序章に過ぎないのかもしれない、と。
逃げようとしても、逃げ場はどこにもない。廃旅館の女は、もう俺の世界に入り込んでしまったのだ――。