第七章 封じられた記録
俺は、あの日から悪夢に取り憑かれたように旅館のことを調べていた。もう、心霊現象を「偶然」や「気のせい」で片付けられる段階ではなかった。友人たちの異変、妹の怯え、母の不可解な言動――それらがすべて、あの廃旅館と結びついていることは明白だった。
昼間の街を歩きながらも、頭の中には常にあの廃旅館の姿がちらつく。鳥居のような門、ひび割れた木の看板、夜の暗闇にぼんやり浮かんだ廊下――あの鈴の音、畳の濡れた一列。思い出すたびに背筋がぞくりとした。俺は無意識のうちに、あの場所のことを避けるようにしていた。けれど、調べずにはいられなかった。
ネットで「廃旅館 失踪事件」と検索すると、古い掲示板に数件の投稿が残っていた。昭和50年代、宿泊客の失踪が相次ぎ、最終的には火災で閉鎖された、と書かれている。火災の詳細は曖昧で、記録として残っているのは数行程度。しかし、地元の噂としては「旅館は信仰儀式の隠れ蓑だった」という話が根強く残っている。異様に古びた神棚や、奥の部屋に散乱する蝋燭の痕跡――あの旅館に漂っていた空気は、ただの廃墟とは明らかに違った。
俺はさらに図書館に足を運び、古新聞のマイクロフィルムを繰った。埃をかぶったフィルムの中に、ぼんやりと文字が浮かぶ記事を見つけた。『旅館地下に降りた客が戻らなかった』――昭和53年、夏の事件だった。見出しだけでも寒気が走るのに、本文を読んだときには手が震えた。
記事には、地元の旅館で不審な出来事が続いたこと、ある夜に客が地下に降りたまま行方不明になったこと、そしてその後宿は火災に遭い閉鎖されたことが簡潔にまとめられていた。しかし、それだけでは済まない。記事の片隅に、かすれた文字でこう書かれていた。
「関係者によると、旅館の地下は単なる貯蔵庫ではなく、不可解な儀式に使用されていた可能性がある。詳細は不明。」
「儀式…」俺はその言葉を何度も反芻した。あの旅館で聞いた鈴の音、宴会場の濡れた畳、廊下に残る焦げ跡……すべてが、この言葉と繋がる気がした。
その夜、家に帰ると妹が小さな声で言った。
「お兄ちゃん…その女の人、また来たよ。」
俺は無意識に鏡に目を向けた。だが、そこにはいつもの自分の姿しか映っていない。そう思った瞬間、スマホが震えた。通知音ではなく、画面の中で誰かが歩く音――いや、違う。自分のスマホの画面に、知らない女の顔がちらりと映ったのだ。保存されていない写真なのに、次々と増えていく。
恐怖と好奇心が交錯する中、俺は気付いた。もう後戻りはできない。廃旅館の過去を調べることで、俺たちに降りかかる異変の輪郭が少しずつ見えてきた。だが、それが明るみに出るということは、同時に、女の影が俺の生活に深く食い込んでいるということでもある。
「俺は…これを、止められるのか?」
答えはまだ出ない。ただ、静かな夜の中で、窓の外に揺れる影が、じっと俺を見つめているような気がした。俺は覚悟を決める。次に廃旅館へ足を踏み入れるとき、もはや冷やかしでは済まされないことを――。