第2話 漆黒執事と少女のある契約
フルーラは執事であるシリウスに抱きかかえられて、森の奥まで逃げてきていた。
「はあ……はあ……」
記憶を取り戻した彼女の息は荒い。
まだ混乱で脳が錯綜する中、彼は彼女に気遣う。
「お嬢様、一旦休憩いたしましょう」
「ダメよ、追いつかれる」
「大丈夫です、だいぶ遠くまで来ましたから」
シリウスの言う通り、王宮からの追手が追いつかないほどには遠くに二人は来ていた。
彼の言葉に静かに頷いた彼女を、シリウスは近くの木の幹にもたれかからせる。
森の奥で佇むフルーラとシリウスの上では月が煌々と輝いていた。
「少しお休みください、膝枕しますから」
「やだ」
きっぱりと断ったフルーラとシリウスの瞳が交錯する。
「…………」
「…………」
沈黙の中、シリウスはフルーラから瞳を逸らさない。
無言の圧力に負けたのは、フルーラだった──。
「わかったわよ。肩だけ貸して、ちょっとだけ休むから」
「ふふ、素直なお嬢様も可愛いです」
(よくそんな甘ったるい言葉をいけしゃあしゃあと……)
そう思いながらもフルーラは木の幹に座ったシリウスの肩にもたれかかる。
(なんだかんだ、シリウスが傍にいると落ち着く……)
じっと月を眺めている二人──。
ふとフルーラは昔のことを思い出した。
「ふふっ」
「どうかなさいましたか?」
「似ていない? ここの森。あなたと出会ったあの日の森に」
「そういえば、そうですね」
フルーラは微笑みながら言葉を続ける。
「騙されたわ。あなたがまさか『悪魔』だなんて」
そうしてフルーラは彼と出会った10年前のことのことを思い出した──。
少女はある森の奥で一人歩いていた。
すると、木の幹で息も絶え絶えになっている一人の男を見つける。
『ねえ、だいじょうぶ?』
彼は何も言わない。
少女はなおも問いかける。
『しゃべれる?』
彼女の視線の先には、ひどく傷を負った彼の右手がある。
頭からの血が流れており、彼が瀕死の状態であることは少女の目にも明らかだった。
『離れろ』
『どうして? けがしてるよ』
『直に治る……お前は、俺が怖くないのか?』
『なんで? おにいさんはいい人だよ?』
そう言って少女は彼に近づき、薬草でできた軟膏を腕にぬってあげる。
『これ、たぶんきくから』
『…………』
彼の怪我は実を言えば時間経過で治癒するものだった。
しかし、少女の想いを感じ取った彼は、少女に告げる。
『借りを作るのは嫌いなんだ。何か願え、俺に』
『おねがい?』
『そうだ。なんでもいい。金持ちになりたいとか、おもちゃがほしいとか』
しかし、少女から帰ってきた言葉は意外なものだった。
『私だけの執事になって』
少女の真意が見えず、彼はじっと彼女の目を見つめる。
『私を独りにしないで。傍にいて。ずっと……』
さっきまでの少女の様子とまるで違う。
誰かにすがるような、寂しそうな表情、瞳──。
どうしてそんなことを願うのだろうか。
そう思いつつも、彼は彼女の願いを叶えることにした。
『いいだろう。これから俺はお前の執事となる。そして、お前を生涯守ると誓おう』
こんな幼い少女の戯言だ。
自分の「寿命」のわずかな時間をこの少女に割くのも暇つぶしになるだろう。
そんな少女と彼の出会いが、全ての始まりとなった。
そうして、彼が少女の執事となったすぐ後のこと、彼は少女にある「願い」をされたのだった。