囚人
私が目を覚ますと、周りは薄暗くて、とても埃っぽかった。
たった一人でそこに座っていて、私は、ぼろの白い布を着ているだけ。その部屋の中も少しの毛布と、厠代わりの穴が空いているだけだった。コンクリートの床は冷たくて、布一枚しか纏っていない私は勿論寒くて、ずっと震えていた。
そうやって震えていると、壁の向こうから声がした。
「生きているかい?」
男の声だった。
妙に細い声で、壁の向こうにすらりとした若い男がいるんだろうと勝手に想像した。
「生きているわ」
私は答えた。
私の声は、ずっと水を飲んでいなかったようにカラカラに乾いていて、少し上ずっていた。
「そうかい。そりゃあよかった」
男はそれきり黙った。
私も黙り、そのまま鉄格子のかかった小窓から差し込む光を見ていた。それから、光を眺めているうちに時間は過ぎて、小窓から差し込んでくるのは月光に変わっていた。
「なあ……」
壁越しに声がした。
「どうかしたのですか?」
「俺達は、何のために生まれたのだろうなあ。こんな所で惨めに囚われていてさ」
「分かりませんね」
私は、男が何を言いたいのか分からずに応えた。
「人間ってのはみんな役割があるもんだと思っていたんだが、違ったのかなあ」
「はあ、あなたがそう仰るならそうなのでしょうね」
私は一泊置いて壁に身を預けた。
「きっと役割はあるのでしょう。今はまだ、分からないだけではないでしょうか」
「そうだよなあ、ああ、なんだかあんたと話しているとこう、考えているのが馬鹿らしく思えてくるよ」
声は、含み笑いをするようにくくくっと音をたてて壁をコンと叩いた。
「それはよかったわ」
私も握り拳にして、壁を音がなる程度に叩いた。
「あんたとは会ったこともないが、明日会える気がするよ」
「楽しみですか?」
「ああ、楽しみだね」
男は笑う。しかし、私は無表情のままに壁に背をもたれたまま膝を折った。それっきり会話もなく、朝はやって来た。
朝、暫く小窓から覗く日光を見ていた。
そうしたら、頑丈な硝子の扉から入って来た屈強な男が「こちらへ来い」と言った。それに従わない理由もさして見当たらなかったので立ち上がり、裸足でペタペタとその後をついて歩いた。
やがて、強い光が薄暗さに慣れてしまった目を焼いてしまうのではないかと思うほどに太陽が照っていた。一瞬目を閉じて、また光に慣れてから開くと、そこは競技場のような場所だった。
一足先に来ていた、腕のない見知らぬ男が言った。
「俺はなんだか、自分の役割を見つけたような気がするよ。ああ、これはきっと俺にしかできないことだ。なあ、そう思わないかい?お嬢さん」
「あなたがそう思うのならそうなのでしょう」
見知らぬ男は笑って、私は笑わなかった。
「俺の番だな。俺の頭は丈夫なんだ。そう簡単にやられてたまるかよ」
そう言って見知らぬ男は光の中に消えて行く。
その後は、目隠しをされてしまって何があったのか、皆目検討もつかなかった。
私は、寒さで震える腕を抱いてしゃがみこんでいた。
暫く経って、目隠しが外された。
男はどこにもいなくなっていた。
私は、背中を押されて光の中に押し出されていた。上を見上げると、太陽は白い光に塗りつぶされていて見えなかった。
競技場の真ん中あたりにまで来て、足を止める。そして、静かに歩いて来る先程の屈強な男。私はすぐに押し倒された。私は抵抗しない。ただ、男が持っている真っ黒な斧を見つめるだけだ。
腕を足で踏みつけられて、動かせなくなった。それから、先程の目隠しを口に入れられる。これで、なんにも喋れなくなってしまった。
斧は真っ黒いのに、日の光が白すぎてなんにも見えなかった。
一度、二度、三度と振られる斧に何の感慨も湧かなくてただ見つめる。右足は焼きごてを当てられたかのように熱かったし、太腿を流れる血の感触が気持ち悪かったが、やはり何にも感じなかった。
しかし、痛覚には何の変化もないのに、意識だけは保てなくなって、私は目を閉じた。
つぎに目を覚ましたのは、あの薄暗い部屋だった。右足を一本なくし、這いずって壁際まで寄り、一度ノックをしてみたが、隣からはなんの返答も返って来なかった。小窓からは月光が降り注ぎ、次に日光が降り注ぐ。それからは時間が加速したかのように過ぎ去って行く毎日だった。暇つぶしに一日目、二日目と数えていたものの、そのうち日を数えるのも億劫になった。
そして、私は小窓から覗く日の光を見つめて祈った。きっと、それは私にしかできないことだから。
そのうち、外から小窓を閉じられてしまって本当に真っ暗闇になってしまったが、私は祈り続けた。
そうしているうちに段々と息苦しくなり、目を開くのもやっとだったが、それでも小窓があった位置を見つめていると、ゆっくりと、小窓が開いて日の光が入る。
私は、息をするのもとうとう億劫になって目が焼かれるのも気にせず小窓を見つめ続けた。
「ああ、会いに来てくれたのですね」
祈りが通じたと感じた途端、私は微笑んで眠りについた。




