エレベーター
私は親友に会いに行くために高い高いマンションの最上階にいた。本当はエレベーターがあるのだが、何故か使う気にもなれず、一歩一歩階段で上って来たのだ。だが夢の中だからか、不思議と疲労感はなかった。人と遊びに来たという漠然な気持ちだけで、嬉しくも、悲しくもなかった。
マンションの廊下から見える空には太陽がまだ高い位置にあってとても眩しい。嫌いだとは言わないが、眩しいのは苦手で薄目になり、中ほどの影になっている場所を通ることにする。早歩きになり、とてつもなく長い廊下をなんの違和感もなく歩き、私はようやく目的地に着いた。
極々普通のマンションのような、灰色の扉に古風な郵便受け。それに親指サイズの覗き穴。アパートとマンションが混ざったような、不思議な扉だ。もしかしたら、私の記憶が曖昧すぎてごちゃ混ぜになってしまったのかもしれない。空が明るいので不気味な感じはしなかったが、不思議と心地よさを感じた。
私は親友と呼べるその友人としばし談笑した。その内容はつややかな黒髪を褒めたり、今日は何をして遊ぼうかといった世間話のような類であったり、あれこれとどれが面白い。あれは好きじゃないなどといった他愛もないことだ。内容は良く思い出せない。
親友は純粋で、正直者で、心地よい距離感を掴むのが得意な人だった。
やがて用事も終わり、沢山遊び倒した後にそろそろ家に帰ろうということになった。確か、「今日は下まで送る」だとか、そんな感じのことを言った親友の厚意に甘えて一緒に部屋を出たのだ。
相変わらず異常に長い廊下をお喋りしながら歩き、何個目かの部屋の前を通り過ぎる。そして、前方に立ち尽くし、こちらを睨む老婆に関わりたくなくて足早に通り過ぎる。
「あんた、そろそろ死ぬよ」
追い抜き様にそう言われて立ち止まる。先程まで穏やかに話していたのが嘘のように思えるほど私はイラついて老婆を睨む。親友は少し歩いた後、立ち止まった私に気がついて同じく立ち止まった。
「それはどういうことですか?」
老婆は暗い濁った瞳で私を指差して「あんただよ。あんたが死ぬのさ」と言い切った。それに少々勝気な性格で正直者な親友が怒り、老婆をその強い瞳で睨めつけた。それから、有無も言わせぬ強い声色で言った。
「失礼よ。この子が死ぬわけないじゃない」
断言して親友がこちらに歩み寄る。私は先程の怒りがまるで吸い取られたかのようになくなっているのに気づき、戸惑いながらそれを見ているだけだ。
「そりゃあ、いっつも暗い顔してるかもしれないけどこの子は死なない! 私が保証する!」
そこまで言われて嬉しくないわけがない。
親友は言い終わるのと同時に私の腕を掴んで強引にその場から歩かせた。掴まれている腕には力が入っていて、痕が残りそうなほど痛かった。
エレベーターホールに着き、下向きのボタンを押す。親友は、まだどこかイライラとしているようだった。そうしてエレベーターを待っているうちに老婆が追いつき、隣に立つ。老婆はどこかにやにやしており、嫌な感じがした。
ちん
エレベーターが到着し、開く。親友はジャンプしてエレベーターに乗り、老婆はおくの手すりに掴まった。最後に私が乗り、エレベーターの扉が閉まる。
瞬間、世界が反転した。
逆さまになった親友は儚く笑っていた。背中に強い衝撃を受け、思い切り頭を打って意識が飛びかける。視界の隅でエレベーターの扉が完全に閉まったのが見えた。
置いてけぼりを食らった。
一人だけ取り残された。
私は、親友に全力で背中を押され、エレベーターの外へと放り出されたのだった。
文句を言おうとして、しかしそれは叶わなかった。
ぎゃりぎゃりぎゃりと嫌な音が響き、次に閉まった扉の内側からガタンと、本当に嫌な音が鳴った。
次の瞬間鳴り響く悲鳴。恐怖からの全力の絶叫。その悲鳴は合唱のようにぴったりと合わさって耳を塞ぎたくなるような大音量だった。しかし、それはたった二つの声から成り立っていた。即ち、老婆と親友の。
この世の終わりじゃないかというくらいの、絶叫という言葉では足りないほどの断末魔だった。そしてそれもやがて聞こえなくなる。
静かになった廊下で私は呟いた。
「ああ、私は死んだんだ」
夢の中の親友は自分の別人格って話をどっかで見たのでそれかなって。