逆襲と侵略
カザリア大陸西方諸国では、冬になれば雪が珍しくない。
ダリアスの故郷ギルシア共和国は大陸最南端に位置する島国のため、あまり雪を見る事はなかったが、それでも一冬に一度くらいは一面の銀世界を目にすることが出来たものだった。
「しかし、こう暑いと聖夜祭も風情が出ないな。」
ダリアスの故郷と違って、一年中ヤシの木が生い茂る常夏のパサディナでは、雪はまず期待出来ない。
「どうだ、そう思わんか、カルロッタ?」
大理石の床に置かれた籐製のソファーに寝そべり、使用人たちのマッサージを受けながら、ダリアスは傍らに腰掛けた身重の妻に問いかけた。
「私は、寒いのが苦手ですからここの気候がちょうど良いのです。」
「そうか。」
同意が得られなかった事にも、さして残念そうな様子はない。
「もし、どうしても。と仰せであれば、魔道士ガルバルディに命じて雪でも降らせてみては?」
「はははは!それは面白い。今度提案してみよう。」
冗談とも本気ともつかない妻の提案に、ダリアスは鷹揚に応じた。
確かに、雪は無理だとしても、降雨量を少々調節するだけで、農作物の出来高には大きな影響が出る。
せっかく魔道士が部下にいるのだから、やってみる価値はあるな ──半ば本気で考え始めたダリアスだったが、それは急使の訪れによって中断されてしまった。
「申し上げます!昨日、植民都市コルヴァの軍隊およそ600が土小人の集落へ侵攻、返り討ちにあった模様です!」
「分かった、すぐに軍議を開く。ベルフォント隊長にも伝えよ。」
ソファーから飛び起き、ダリアスは部下に早口で命令を下した。
────
北部の植民都市コルヴァは包囲されていた。
こうなるまでの経緯は実に単純であった。
強力なバスカー一族をたった100人の兵で平定したパサディナの話はすぐにコルヴァまで伝わり、コルヴァ総督ファブリツィオ・カペレッティは土小人の住むミスリル鉱山征服を即決した。
「パサディナは、たった100人足らずの兵で広大な領地を獲得した。そして、我がコルヴァの東方にはミスリル銀が眠る鉱山がある。
何を迷う事があろうか?これはチャンスだ!!」
拳を振り上げて熱弁をふるう彼の演説に市民たちは熱狂し、人口たった25000の都市で集まった義勇兵は400人にも上った。
都市の防衛に200人の警備兵のみを残し、正規軍200、義勇兵400の合わせて600人を総督自らが率いて、意気揚々と鉱山へ向かった。
それからわずか2週間。
今や遠征軍の姿は影も形もなく、留守を預かる副総督にも上司の安否すら分からない状態で町は包囲された。
「一体どういう事だ……」
執務室をぐるぐる歩き回りながら、この日何度目かになる呟きを、彼は発した。
「副総督閣下、敵は小人どもだけではありません!」
偵察に出ていた騎士が、あまり楽しそうではない情報を持ち帰って来た。
「続けろ」仏頂面で副総督が促す。
「はっ!小人族の軍旗は大地の巨獣ビヘイモスを描いた茶色の軍旗ですが、それとは別に、風の精霊王ヴェルナーの蒼い軍旗が翻っております!」
「何だと!?」
副総督の顔面は蒼白になった。
土小人だけならまだ良い。この種族は土を操る魔法が使えるのが少々厄介だが、彼らの人口は2、3万で兵力はせいぜい350である。身長もせいぜい4フィート(約120cm)と人間よりかなり小さく、戦闘力は低い。
従って、彼らだけなら遠征軍が勝てぬ相手ではない。
しかし、風の精霊王ヴェルナーを信仰するジェトリック一族までもが敵に回ったとあらば話が違ってくる。
彼らは人口15万、兵力3000を擁する遊牧民族で、その馬術と武勇は鳴り響いていた。
中でも現族長ヴェリウス・ジェトリックは、バスカー一族の竜騎兵隊を撃ち破った事もあるほどの戦上手で、にわか作りの遠征軍が到底敵う相手ではない。
「閣下、いかがいたしましょう?」
「むぅ……やむを得まい。」
苦渋に満ちた表情で、彼は降伏を決断した。
というよりも、降伏しなければ市民たちを巻き込んで玉砕戦をやる他はなく、それを選ぶほど副総督はバカではなかった。
大急ぎで降伏文書を作成し、一応の軍装を整えて彼らは城門へ向かった。
「?」
悲壮な覚悟を決めて城門へ向かった副総督と護衛の騎士数名が見たものは、かなり慌てた様子で引き揚げ準備をしている包囲軍の姿であった。
「一体、彼らはどうしたのだ?」
「さて……どうしたのでしょう?」
コルヴァの首脳部には全く事情が飲み込めないうちに包囲は解かれ、兎にも角にも町は救われた。
────
包囲軍の主力を占めていたジェトリック一族の長ヴェリウスにもたらされた凶報は、全軍を浮き足だたせた。
彼らの本拠地が竜騎兵400と歩兵2000によって荒らされている。というのである。
「竜騎兵だと!?」
その兵種からして、襲撃者の正体は明らかだった。
周囲に外敵はいない。との判断から、ヴェリウスが本拠地に残してきたのはたったの500だった。バスカー軍2400に敵うはずがない。
一旦コルヴァの包囲を解き、本拠地の敵を叩く ──彼の決断は早かった。
その日のうちに軍をまとめ、一路本拠地へ向かったのである。
遊牧民族であるジェトリック一族に定住地はなく、彼らは天幕を張った簡単な家を建て、数年単位で本拠地を転々とする生活を送っていた。
この時の本拠地は、ちょうどミスリル鉱山と山1つを隔てた平原で、山と山との間にある細い渓谷を通れば、全軍騎兵のジェトリック軍ならば、コルヴァから半日足らずで戻れる位置にあった。
土小人たちと共同で侵略者を壊滅させてからおよそ2週間。
この速さからして、敵もおそらくこの渓谷を通ったであろう ──ちらりとそう考えたヴェリウスだったが、本拠地の窮状に焦っていた彼は、斥候も送らず、ただちに全軍を率いて渓谷へ入った。
ジェトリック軍の先頭が渓谷の半ばに差し掛かった時、悲劇は起こった。
軍の最後尾目掛けて、左右にそびえる崖から巨大な岩が10数個、転がり落ちてきたのだ。
「敵襲ーッ!!上だっ!」
大将ヴェリウスの絶叫は、続いて襲ってきた20騎ほどの翼竜の雄叫びにかき消された。
発火性の毒液を口から吐いて頭上から攻撃する翼竜の襲撃パターンは、さながら魔法使いの放つ火炎弾のように敵を焼きつくす。
しかも竜の鱗は鋼のように硬く、生半可な弓を下から上へ向けて射たところで、そう簡単に傷を負わせることは出来ない。
岩によって既に退路は絶たれており、頭上からは翼竜たちの火炎攻撃である。
怯える馬を何とか制して先へ進み続けるしか彼らに道はなかった。
先頭に立って馬を疾駆させるジェトリック一族の大将ヴェリウスの眼前に、一騎の翼竜が舞い降りる。
「そうは……させるか!!」
正面から火炎を浴びせようと大きく口を開いた翼竜に、彼は馬上から練達の弓を放った。
ひゅんっ!
風の精霊の力を宿した魔法の矢は翼竜の喉元に深々と突き刺さり、火炎の毒液を吐くことなく翼竜は倒れた。
周囲を舞っていた仲間達が恐怖におののき、一斉に高度をとる。
「今だ!皆の者、突破せよ!!」
このタイミングを逃すヴェリウスではない。崩壊寸前だったジェトリック軍の騎兵達は再び統制をとり戻し、翼竜の舞う渓谷を突破していった。
「敵襲!今度は上に弓兵!」
翼竜の猛攻を何とか切り抜けた騎兵隊を、今度は左右の山岳に展開した数百の弓兵が迎え撃つ。
頭上から降り注ぐ数百もの矢にもはや応戦する余裕もなく、彼らは盾を頭上にかざし、ひたすら馬を駆って渓谷を走り続けた。