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黒竜の帝国  作者: タク
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遠征


「遠征だと!?」


 年が明け、聖ラドリア暦1000年を迎えた3月、総督アレッツォは新しい婿の提案に眉をそびやかした。


 確かに、訓練された植民地軍はいるが、周辺の諸部族は概して友好的で、都市建設以来紛争らしい紛争は1度たりとも起きていない。

 年に1、2度程度の割合で沿岸警備隊が海賊討伐を行ってるくらいで、要するに軍は暇だった。

 婿に引き継ぐまでは司令官を兼任していたアレッツォ自身、これまで戦場に立ったことなどただの一度もない。


 「な、何故いきなり──」


 「植民地の平和と繁栄のためです、閣下。」


 義父のセリフをさえぎるように、ダリアスは地図を広げて説明を初めた。


 「我が植民都市パサディナの周辺には、北から順にレピ族、モレ族、サビーニ族の集落があります。」


 「ふむふむ。」


 「これらはいずれも小部族で、それぞれ2、3万の人口です。パサディナ市民4万とこれら全て合わせても人口は12万。南西部の湖に居を構えるケータ族とほぼ同数です。」


 「ケータ族?この者たちは戦を仕掛けては来るまい?」


 総督は、黒檀のデスクの前で腕を組んだ。


 彼の指摘どおり、水の精霊女王レダを信仰する彼らは用がない限り水上都市ケルティウムから出て来ることはない。平和で閉鎖的な民族として定評があった。


「問題は、サビーニ族の真南に拠点を持つバスカー一族です。」


「ふむ、バスカーか……」


 バスカー一族 ── 20万の人口と5000の兵力を有し、脚竜レッグ・ドラゴンを駆って狩猟と略奪を繰り返す戦闘的な部族である。

 これまでケータ族に被害がなかったのは、単にバスカー一族が船を有していないからだと言われていた。


 「幸いにして我がパサディナにも、そして北部の植民都市コルヴァにも実害は出ておりません。が、サビーニ族には既にいくばくかの被害が出ているようです。」


 「サビーニ族の事に、我々が口を出す事もあるまい?」


 「仮にサビーニ族が殲滅されてしまえば、次は我々の番ですよ。」


 彼は義父の反論をピシャリと封じた。


「しかしだな……」


 総督アレッツォはなおも渋った。

 何と言ってもパサディナの地上兵力は350、対するバスカー一族の兵は5000である。

 正面きってまともにやりあえばまず勝ち目はない。

 ここまで何とか平和に植民地を統治してきた彼が、そんな大博打、というより荒唐無稽と言っていいような話にそう簡単に乗るはずもなかった。


 「ご安心ください義父上、ちゃんと策はあります。兵はそうですな……100人もいれば十分です。初めから事を構えるつもりはありませんので。」


 「ふむ……」


 腕組みをし、無言のままアレッツォはしばし考え込んだ。

 目の前の男はなるほど確かに娘婿だが、借金棒引きと引き換えに政略結婚した元平民だ。しかもまだ子供はいない。

つまりこの男が任務に失敗して死んだところで、特にアレッツォにも娘カルロッタにも実害はないのだ。


 「もし私が失敗したら、助けなど不要ですので義父上は知らぬ顔をしていてください。パサディナを守る事だけに専念していただいて結構です。」


 2時間におよぶ交渉の末、結局このセリフが決定打となった。


 ようやく義父の許可を得る事に成功した彼は、早速騎士ベルフォントと魔道士ガルバルディ、そして100名の兵を引き連れ、一路南へと向かった。


────

 

「実際に戦闘が始まれば、半分くらい逃げ出しそうですな。」


「はははは。半分も残りますかね。」


 主と馬を並べて進むベルフォントは、圧倒的に不利どころか全滅は必至と思われる戦場へ赴くというのに、どこか楽しげであった。


 2人の将とは対象的に、兵士たちの足取りは重かった。

 状況を考えれば無理のない話である。


 相手方は50倍の兵力で、なおかつ数百騎は竜騎兵、加えて自分たちの大将は軍隊経験もないなんちゃって貴族ときている。


 これで逃げようと思わない兵士がいたとしたら、勇敢というよりむしろ変人である。


 隠密行動もとらずにまっすぐ南下していたパサディナ植民地軍は、バスカー一族の斥候によっていとも簡単に発見された。

上空に、大きな翼と鋭い2本のかぎ爪を持つ翼竜ウィングドラゴンの舞う渓谷に入って3マイルも進まぬうちに、彼らは300騎の竜騎兵と1000人の歩兵による、敵の盛大な出迎えを受けた。


 周りより一回り大きな脚竜レッグ・ドラゴンに乗り、羽根飾りのついた兜をかぶった敵の指揮官が器用に竜を操り、一歩前へ進んだ。

 合わせてダリアスも馬を進め、反対にパサディナ植民地軍の兵士たちが一斉に数歩後ろへ下がる。逃げる気満々だ。


 バスカーの指揮官が突撃の号令をかけるために剣を抜き、同時にダリアスはダークブラウンの杖を高々と掲げる。


 次の瞬間、信じられない事が起こった。


 走るために進化した強靭な後ろ足を踏みしめ、突撃の体勢に入っていた脚竜たちが騎手を放り出し、一斉に頭を垂れてダリアスに服従の姿勢をとった。

 そればかりか、上空にいた20騎ほどの翼竜たちまでもが、降下してきて同じポーズを示したのだ。


 元々、翼竜と脚竜は、地竜アースドラゴンという共通の祖先を持つ近似種である。

 四つ足で蜥蜴のように歩く地竜から前肢を蝙蝠の翼のように発達させたのが翼竜、逆に前肢を小さく退化させ、後肢を強靭に進化させて二足で走るようになったのが脚竜である。

杖の神通力が同じように通用するのも不思議はなかった。


 ともかくダリアスは、わずか1日にして彼らの神となった。


 無血の遭遇戦から2日後、岩をくり貫いて作ったバスカー一族の要塞内で、パサディナ植民地軍司令官ダリアス・シャイロニアとバスカー族長ブエルとの間で、厳かに調印式が行われた。


 パサディナ側の条件は6条である。


1 バスカー一族の略奪は、本日ただいまよりこれを禁止する。


2 バスカー一族は、全ての収益について、毎年10分の1税をパサディナへ納める。


3 バスカー一族は、人口1人当たり銀貨6リーブルを、毎年12月1日にパサディナへ納める。


4 バスカー一族は、竜騎兵400、歩兵2000をパサディナに提供する。

経費は、パサディナ負担とする。


5 パサディナ及びバスカー一族は、互いに交易と信仰の自由を保証する。


6 パサディナは、バスカー一族の安全と繁栄について責任を負う。


 パサディナの義務と言えるのは最後の項目くらいで、しかも相当に抽象的である。

 一方的どころか、属州扱いといって良いほどの条約であったが、炎の竜神バイロニルを信仰するバスカー一族にとって、彼は既に神の化身であった。


 彼の提示した条件は即ち神の掲示であり、逆らうなど考えられない事だった。


 金銀、ルビー、象牙、それに金糸豹や黒豹の毛皮を贈られたダリアスは、2500人に増強された兵を率いて、バスカー一族の集落を後にした。


 これで、奇跡的に無事、パサディナへ帰れる ── 最初について来ていた100名の兵士たちはほっと安堵の胸を撫で下ろしたが、彼らの意に反してダリアスは、故郷ではなく西の湖に進撃を命じた。


「……我らが隊長殿は一体どういうつもりだ?」


「さあな。何か策があるんだろうけど。」


「……今隊長に逆らったらバスカーが敵に回るぜ。俺ぁそっちのほうがよっぽどおっかないね。」


 バスカー一族遠征前ならいざ知らず、今となってはダリアスに逆らう兵士は誰もいなかった。


 歩兵騎兵合わせて約2500の将兵は、2日かかって40マイル離れたケータ族の集落に到着した。


 湖畔にずらりとバスカーの竜騎兵隊を並べ、さらに上空に20騎ほどの翼竜ウィングドラゴンを舞わせた状態で待っていると、ほどなくして水上都市ケルティウムから小舟がやって来た。

交渉の使節である。


 やって来た使節に対してダリアスは、社交辞令以上の言葉を交わす事もなく、族長宛ての降伏勧告を手渡した。


 略奪禁止条項がない点と、兵の提供が騎兵100、歩兵900、水兵500である点を除けば、バスカー一族に提示したのと同じ内容である。

 しかも期限はたったの2日で、拒否又は返答なしの場合、総攻撃を開始するとの但し書きまでつけてあった。


 「……これで本当に上手くいくんです?ベルフォント卿。」


 ケータ族征服を決めたのはダリアスだが、作戦を立てたのはベルフォントである。


「ご安心ください閣下。」


不敵な笑みを浮かべて、彼は答えた。


「ケータ族は平和的、かつ排他的な部族として定評があります。平和的で排他的、ということは、要は臆病だという事です。」


「しかし……期限が2日とは性急に過ぎませんか?」


「この作戦に4日以上かけると、兵の食糧がもちません。」


「ふむ……。」


 なるほど、飢えては戦えぬ。


「万が一奴等が降伏しなかった場合、総攻撃に最低1日は必要。であれば、期限は2日以内でギリギリです。」


 結果的に、ベルフォントの読みは正しかった。

 2日目の夕刻になって、ケータ族は条件を受け入れる旨の使節を寄越したのだ。


 ダリアスは、騎士ベルフォント1人を伴い、使節と共にケルティウムへ向かう小舟へ乗り込んだ。調印式に出席する為である。


 暗殺の恐れもあったのだが、「契約の魔眼」を持つ者がダリアス1人である以上、調印式に他の者を差し向けるわけにもいかない。


 幸いにして、降伏したケータ族の中には、交渉相手を手にかける様な剛の者はおらず、ダリアスは1500の兵と十分な食糧、それに金銀と数百個に及ぶ淡水パールを献上され、ようやくパサディナへの帰途についた。


────


 「閣下、パサディナに向かって軍勢が押し寄せて来ております!」


 「何だと!?、数は?」


 「およそ4000!」


 見張りの絶叫で、総督アレッツォは椅子から飛び上がった。


 しばらくして、彼の元へ第2報が入る。


 「軍勢の先頭にいるのは、ダリアス隊長です!良かった、味方ですね。」


 「そうであったか……」


 とりあえずはひと安心というところである。

 しかし、娘婿となった男がまさかたったの100人で真正面から戦って全滅するほどバカではないにしても、相手との交渉に失敗してひそかに行方をくらましてしまう事を少しだけ期待していた彼にとって、驚天動地の出来事である事に変わりはなかった。


「隊長万歳!」


「ダリアス隊長の凱旋だ!」


 緊張から一転、安堵した市民たちの歓呼で迎えられたダリアスは、遠征で獲得した財宝のおよそ3割にのぼる、金貨5000枚、銀貨60000枚を投じて華やかな凱旋式を挙行した。

 用意周到な彼は、市民たちへのサービスも忘れない。


 町の醸造場から何樽ものワインを仕入れて市民たちに酒を振る舞い、大金を投じて闘技大会まで行った。


 市民たちは彼を熱狂的に称えたが、総督アレッツォからの使いは遂に来なかった。


 凱旋式を挙行した翌日、港付近に構えた邸宅から、総督の呼び出しを受けてダリアスは悠々と城へ出向いた。


 昼前に到着した凱旋将軍を出迎えたのは、義父と妻だけであった。全く普段どおりの対応をする家臣や衛兵たちに案内され、彼は謁見の間に入った。


「この度の遠征、ご苦労であった。」


「いえ、軍司令官として当然の責務を全うしただけです、閣下。」


「まあ、その事なのだが……」


 総督が続けた内容は、ダリアスを驚かせた。


 「まず、バスカー一族征服の功として、総督府が所有する武装商船2隻を与える。

次に、遠征によって得た財貨は、パサディナ市の金庫へその全額を納める。」


 「は?」


 ダリアスは文字通り目を丸くした。遠征で獲得した財宝に比べて、褒美があまりにも少ない。


 「なお、凱旋式で使用した分は、汝が私財をもって弁済すること。」


 「お、お待ちください総督……」


 ダリアスの抗議をまるで聞こえないかのように、アレッツォは続けた。


 「最後に、ケータ族への無用な戦については、明らかに越権行為ではあるが、平和的に事を収めたゆえ今回は特に不問とする。」


 「……。」


 もはや一言も発せず、ダリアスは一礼して総督の部屋を辞した。


────


 「貴方が無事に戻って来た事を、私は大変嬉しく思います。」


 娘婿と一度も目を合わせなかった総督とは対照的に、妻カルロッタは微笑すら湛えて夫の無事を祝ってみせた。


 (この女、役者だな……)


 無論、口に出して言うほどダリアスは間抜けではない。


 莫大な財宝が全て召し上げられる事に、彼は歯噛みする思いであったが、確かに総督の言うことは一応の筋が通っていた。


 ちゃんと褒美を与え、地位もそのままであるから市民は納得する。しかも凱旋式でバラ撒いた費用を、市民は返さなくて良いのだ。


 ここで抵抗しても、ダリアスの負けは明らかだった。


 義父アレッツォにまんまとしてやられたダリアス・シャイロニアだったが、彼は転んでもタダで起きるような人間ではなかった。

元々、商才はあった男である。


 バスカー、ケータ両部族降伏の報を聞いて、パサディナの傘下へ入る決断をしたレピ族、モレ族、サビーニ族の対応を義父に任せ、彼は褒美として貰った武装商船で貿易を始めた。


 バスカー一族からは金糸豹や黒豹の毛皮に象牙、ケータ族からは絹や淡水パールを買い付け、ハドリア海を渡ってギルシア共和国のフィエンツァへ持ち込めば、5倍の値をつけても飛ぶように売れた。

 その売上金を使ってフィエンツァではラム酒、望遠鏡、懐中時計等を仕入れてパサディナへ持ち帰り、今度はそれを原住民に3倍の値段で売り付けた。

 最初の仕入れ代金が船1隻につき1万リーブル程度でも、航海終了後には15万リーブルにもなっているという寸法である。


 しかも念の入った事に、ダリアスは司令官の地位を利用し、沿岸警備隊長フランチェスコ・ファルティゴに命じて商船隊の出港日に必ずパトロールをさせていた為、彼の船は常に安全だった。

 最初に2隻だった商船は数ヶ月後には6隻にもなっていた。


 一方で、元々ゴールドラッシュに沸いていた新大陸アヴァロニアの評判はさらに広まり、ギルシア共和国のみならず、カザリア南部のレヴァント公国、中央部に位置する神聖ラドリア帝国やヴァロア王国、更には北方の島国アストランド王国からまで、一攫千金狙いの冒険者が続々と押し寄せるようになった。

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