93 新たな能力
冒険者の装備、と言っても動きやすい服、頑丈なブーツ、軽い革製の胸当て、そして背嚢を背負ったリリは、アルゴと共に冒険者ギルドの前にやって来た。今日は「紅蓮の空」と約束した「群狼の迷宮」へ行く日である。「紅蓮」の四人は既に到着していた。
「すみません、お待たせしました!」
「大丈夫、俺たちも今来たとこだから」
「リリちゃん、来てくれてありがとう!」
ブリクスとハンナが明るく出迎えてくれ、グノンとフィエスはニコニコしながら頷いてくれた。
「迷宮まで馬車が出てるんだ。それに乗って行く」
「へ~。そんな馬車があるんですね」
「群狼の迷宮」と行き来しているのは、冒険者ギルドが借り上げている馬車らしい。初心者を支援する施策だそうだ。街中の乗合馬車と同じ幌馬車で、頑張れば十二人くらい乗れる。同じような他の初心者も乗り込み、馬車はぎゅうぎゅう詰めだ。リリはハンナとフィエスに挟まれるように座った。
「リリちゃんの従魔……アルゴだっけ、大丈夫かな?」
「アルゴなら大丈夫です。馬車で移動するときは、いつも後ろから付いて来てくれるので」
「へ~、賢いんだね!」
アルゴのことをウルフ系魔物の特異体だと思っているハンナは感心したように口にした。賢いどころか、人間では到底敵わない叡智を備えているのだが、それは言わなくても良いだろう。
移動すること約一時間。窪地状になった林の手前で全員が馬車から降りた。どこからともなく現れたアルゴがリリに寄り添う。リリはアルゴの首の辺りをそっと撫でた。
「結構街から近いんですね」
「そうだな。行き来が楽だから初心者が稼ぐには打って付けなんだ」
周囲を見ると、同じ馬車に乗って来た者達が二つのグループに分かれ、装備を確認している。「紅蓮」を含めて三つのパーティが乗っていたようだ。みんな若く、リリが言うのも何だが初々しい。リリが知っている冒険者は大人ばかりなので何だか新鮮に感じる。
「みんな若いなぁ」
「いやいや、リリちゃんが一番若いからっ!」
ハンナに突っ込まれた。むぅ、たしかに。
「みんな、準備はいいか?」
「うん!」
「はい!」
「「……」」
グノンとフィエスは真剣な表情でコクコクと頷く。そう言えば、この二人の声ってまだ聞いてないような……いや、「ええ!?」とか「なるほど」とか言ってたな。でも四人一緒だったから二人がどんな声か分からないや。まぁいっか。
隊列は、魔術師っぽいが実は斥候のフィエス、剣士のブリクス、盾役のグノン、後衛で弓使いのハンナ、そして殿がリリとアルゴの順。リリはあくまでお手伝いなので、危なくない限り手は出さないつもりだ。それはアルゴにもお願いしている。
窪地に下っていくと、真ん中辺りにこんもりと盛り上がった部分があり、屈めば通れるくらいの穴が開いていた。フィエスが躊躇なくその穴に入って行き、ブリクス達が続く。これ、アルゴ通れるかな? 心配になってアルゴを振り返ると、伏せに近い姿勢になって器用に進んできた。さすがはフェンリル……いや、フェンリルは関係ないかも知れない。
穴の奥に向き直ると、少し下った先がぼんやりと青白く光り、リリの背の二倍以上高さのある空間が広がっていた。
「これは! 壁が光ってます!」
これぞファンタジー! ダンジョンの定番だ!
「リリちゃん初めて見た? これは虫の死骸が光ってるんだよ」
虫……。あんまりファンタジーっぽくない……。リリは壁を触ろうと伸ばした手を引っ込めた。迷宮にロマンを求めちゃいけないって、前回思い知ったじゃない。これはお仕事。あくまでもお仕事だ。
冒険者に憧れる小さな子が聞いたら泣いてしまいそうなことを考えながら、リリはハンナの後を付いて行く。
先頭を行く斥候役のフィエスは魔力探知が使えるそうだ。実はリリの母、ミリーはこの魔力探知の優れた使い手である。自分の魔力を薄く引き伸ばすように周囲に広げ、ほかの魔力を探知するのだ。ミリーレベルになると、探知できる範囲は半径五百メートルにも及ぶらしい。
リリは魔力探知を試したことがない。と言うか、探知に関してはアルゴが非常に優秀なので、これまで必要だと感じたことがなかった。
「前方から二体!」
おおぅ。これがフィエスさんの声か。女性にしては少し低めで凛とした響き。かっこいい系の声だな。
「紅蓮」の四人に緊張が走る。一方で一番後ろにいるリリとアルゴには緊張感の欠片もなかった。
『ブラックウルフだな。まぁこの者達でも問題あるまい』
『どんな風に倒すんだろうね』
通路の幅は約八メートル。乱戦になると槍は厳しいだろうが、二体なら槍も問題なく振り回せる。短剣や長剣なら言わずもがなだ。
やがてザッ、ザッ、という軽快な足音が聞こえ、少し先の曲がり角から二体のブラックウルフが現れた。直後にハンナが矢を放ち、一体の肩に命中する。二の矢を放つより前に、フィエスが魔物に向かって走って行った。正面からぶつかりそうになった瞬間左に躱し、すれ違い様に胴体を斬りつける。もう一体はブリクスの方に向かっている。彼はその場から動かずに長剣を横構えしていた。慎重に間合いを測り、ウルフが飛び掛かった瞬間に一閃。首を深く切り裂いて致命傷を負わせた。気付けばフィエスが向かって行った一体にはもう一本矢が刺さっており、既に倒されていた。グノンは最後まで盾を構えてハンナとリリを守る位置にいた。危なげない勝利である。
「すごい! みなさんすごいです!」
リリがキラキラした目で小さく拍手し、純粋な称賛を送る。四人ははにかんだような笑みを浮かべ、手分けしてブラックウルフから魔石を採取する。魔物の体内にある魔石は、大抵が心臓の横にあるらしい。小さな魔石だが数が集まればそこそこの稼ぎになるそうだ。
「よし、この調子で行くぞ」
その後、一階層では三回の戦闘があった。最大で三体のブラックウルフ、それにブラックボアが単発で二体。いずれも完勝である。
『Dランクって結構強いんだね!』
『いや、魔物が弱いのだ。リリなら一人でも余裕だぞ?』
『ええぇ……』
たしかに、ブレットを使えばさして苦労はしなさそうとは思っていた。でも余裕とまではいかないのでは? やっぱり索敵する人がいて、遠隔攻撃の人がいて、後ろを守ってくれる人が……あれ? 後ろから魔物が来たらどうするんだろう?
倒したブラックウルフから魔石を取っていたフィエスが急に顔を上げた。
「しまった! 後ろから三体来る!」
最後尾にいるのはリリ。後ろから魔物が来た場合、盾役のグノンはリリの後ろにいることになる。彼も油断して別のウルフから魔石を採取している途中だった。慌てて盾を手にしてこちらに走って来る。
「あ、大丈夫ですよ」
三十メートルほど先の曲がり角から現れたブラックウルフは、角を曲がり切る前にリリのブレットに頭蓋を貫かれ、ズザーと横滑りして壁に当たる。残り二体も全く同じ末路を辿り壁際に三体の骸が積み上がった。
「え? 今何した?」
アルゴはリリの隣でお座りの姿勢で寛いでいる。
「えーと、魔力弾で倒しました」
「「「「魔力弾!?」」」」
やっぱ仲が良いよね!?
「まぁまぁ、細かいことは気にせず。魔石取って来ますね」
「いやいや、リリはここにいてくれ。魔石は俺が取ってくるから」
ブリクスがそう言ってリリを押し止め、壁に積み上がったブラックウルフの方へ走って行った。
「ねぇリリちゃん、魔力弾って?」
ハンナから聞かれる。やっぱり気になるかー。
「無属性の魔力弾です。私の魔力弾、ちょっと威力がおかしいらしくて」
「「「ちょっと!?」」」
毎回声が重なるのが面白い。リリは何とか笑いを堪えた。
迷宮の中で詳しく説明するのも、と言ってその場はなんとかごまかし、二階層へ続く階段の手前で少し休憩を取った。
「なぁ、リリが前衛でもいいっつったのは、あの魔力弾があるからか?」
「そうですね。遠くにいるうちに倒せるので」
「……お前、うちのパーティに入んない?」
迷宮に行くたびに、どこかのパーティに誘われるなぁ。
「私、冒険者になるつもりはないんです」
「そっか、瘴魔祓い士になるんだもんな。悪ぃ、忘れてくれ」
「いえ、お誘い嬉しかったです」
そう言ってニッコリと微笑むリリに、ブリクスは目を奪われた。
「ちょっと、ブリクス?」
「な、なんだよ?」
「今リリちゃんのこと可愛いって思ったでしょ」
「なっ!? そ、そんなことねぇし!」
顔を赤くして慌てるブリクスを見て、他の三人がクスクスと笑う。いいパーティだな、と心から思えて、リリも自然と笑顔になった。
「に、二階層に下りるぞ!」
メンバーの三人から揶揄われていたブリクスが宣言し、またフィエスを先頭に二階層へ続く坂道を下る。下りきった先は壁で、道は左右に続いていた。
『この地形だと、いきなり挟撃される可能性があるね』
『我がいれば問題ない』
『いつもありがとうね』
アルゴの首周辺の柔らかい毛に手を差し入れてその感触を堪能しながら、リリは考える。
私の俯瞰視は、こういう閉じた場所ではあまり役に立たない。学院の講堂でもそうだったけど、天井があると高い場所から見えないんだよね。
もちろんアルゴがいてくれたらほとんど問題はないんだけど、こういう場所でも敵の居場所や動きが分かったらすごく便利だと思うんだよなぁ……。
「う“え”っ!?」
リリが突然変な声を出したので、前の四人が一斉に振り返って武器を構えた。
「す、すみません。何でもありません」
恥ずかしさに頬を染めながら謝罪を口にする。
『どうしたのだ?』
『あのね、変な……地図みたいのが見えたの』
『地図? ひょっとして、色の着いた点が表示されている奴か?』
『そうそう! ……アルゴ、これが何か知ってるの?』
『そうか……リリにも見えるようになったのだな……。それは、メルディエール――聖女と呼ばれた者も見えていた。彼女は「さくてきまっぷ」と呼んでおったな』
『聖女様――メルディエール様って、溢れかえった瘴魔から世界を救ったっていう?』
『そうだ。初めてそれが見えた時は「げーむかよ!?」と騒いでおったぞ』
さくてきまっぷ――索敵マップ。ゲーム画面で左上とかに常に表示されているアレ。味方が青、敵が赤、中立が黄色の点で表示されるアレだ。それがリリの視界に映っている。
そして索敵マップという呼称、ゲームかよというツッコミ。たぶん、千年前に聖女と呼ばれたメルディエールは、リリと同じ転生者だ。
わぁーぉ。新たな能力の発現と同時に、聖女様の正体に気付いてしまった。
メルディエールについては、今度ゆっくりアルゴに聞いてみよう。どんな人だったのかかなり気になる。とりあえず今はこの索敵マップだ。
黒い背景に、グレーで道が示されているが、先の方は途切れている。通ったことのない道は表示されないようだ。中心に六個ある青い点は私たちだろう。左右に分かれている道は、だいたい五十メートルくらいで曲がり角になってる。ということは、このマップに表示されている範囲は……。
『半径五百メートルくらいが表示されてるのかな?』
『メルディエールも最初はそのくらいだと言っておった気がする』
最初は、ってことは、もっと範囲が広がる可能性があるのか。半径五百メートルでも十分だと思うけど。……あ。これでお母さんと同じくらいの索敵ができるのか。すっごい便利そう。
「右と左、どっちが良さそうだ?」
ブリクスがフィエスに尋ねる。リリのマップにも、曲がり角より先の道は表示されていない。だが、その先の赤い点は既に見えている。それが魔物を示すとしたら、右に行くと魔物が多い。
「んー、左から行こう」
勘なのか魔力探知の結果なのか分からないが、フィエスは魔物が少ない左を選んだ。
「目的の薬草が生えてるのは三階層に下りる手前なんだ。たぶん一時間かからないくらいだよ」
ハンナが小声で教えてくれた。リリはハンナに頷きを返しながらもマップから目が離せない。角を右に曲がるとマップが更新され、グレーの道が伸び、途中で丁字路や十字路があるのが分かった。
選ばなかった右の道をだいぶ先に行った辺りには、黄色い点が四つある。恐らく他の冒険者パーティだろう。三つの赤い点と重なっているので交戦中のようだ。
「右の道から魔物が来る! 三……いや、四体!」
フィエスが警戒を促す声を上げた。リリのマップにも、少し先の丁字路に四つの赤い点が表示され、こちらに移動しているのが分かった。
わぁ、これ面白い。
赤い点はやっぱり「敵」で間違いなさそう。リアルタイムで動きが分かるから余裕を持って対処できるよね。この「敵」表示、魔物だけじゃなくて人間も赤い点になるのかな?
「ちぃっ! すまん、一体抜けた!」
ブリクスの声に顔を上げると、リリの前にグノンが立ちはだかった。大盾を構えて腰を落とし、衝撃に備えている。ハンナが慌てて矢を放とうと構えるが、敵は左右に進路を変えて狙いを付けさせない。
前方ではブリクスとフィエスが三体のブラックウルフを相手にしていて、重傷ではないが出血するような傷を負っている。二人で三体だと分が悪いようだ。
こちらに迫る魔物に向かって、グノンが前に出た。ハンナは矢を射るのを諦めて後ろに下がろうとするが、そこでブラックウルフがぐんと加速し、ハンナに向かって大きく跳躍した。タイミング的にこれは危険だ。
リリは跳躍したブラックウルフの前に、直径二メートルほどの水球を出現させた。
ブレットで仕留めることは出来たが、それだとハンナに激突すると判断した。ブラックウルフは目前に現れた水球を避けることが出来ず、そのまま飛び込んだ。加速と跳躍の勢いを殺され、突然水に囲まれて呼吸も出来ず、大量の水を飲み込んだ。そのまま意識を失ってボトリと水球から落ちる。
ハンナとグノンはその光景に目を丸くしていたが、目の前に落ちて来た獲物にグノンが反射的に槍を突き出して止めを刺した。
前方では一体を仕留めたものの、まだ二体を相手にブリクス達が戦っていた。戦闘が長引いて疲れが出ているのか、動きに精彩を欠いている。このままでは大怪我を負ってしまうかもしれない。リリはその場から二発のブレットを放つ。激しく動いていたブラックウルフ達は一瞬ビクリと痙攣し、その場に崩れ落ちた。魔物が倒れたのに気付き、ブリクスとフィエスもその場に尻餅をつく。
「治癒します!」
リリは急いで二人の所に駆け付けた。




