91 美容治癒、本格始動!
学院に入学してひと月が経った頃。
「リリ、三人とも全身の美容治癒をご所望やで! リリの休みに合わせて相手のスケジュールも押さえたからな!」
「遂に本番って感じだね」
「まだまだ序の口や。三人が綺麗になって社交の場に出てからが本番や!」
あと一か月ほどで年末を迎える。スナイデル公国では、年始が一年で最も盛んな社交シーズンらしい。もちろん貴族の話である。マリエルは、そのシーズンに合わせて三人のご婦人の肌を生まれ変わらせ、口コミで新たな顧客を獲得しようと画策している。
休みの日、早速一人目の顧客のもとへ向かうリリとマリエル。一人目はアリシアーナの母、キャスリー・メイルラード侯爵夫人である。前回同様、ダルトン商会でカノン・ウィザーノットに変装し、マリエルが御者、カノンが一人で客車に乗り、馬車で貴族区へと赴いた。
「マリエルさん、カノン先生、ようこそいらっしゃいました」
「本日はよろしゅうお願いします」
「よろしくお願いいたします」
「あら? カノン先生、お声が」
「あ、あの、前回は少し風邪気味で」
「そうだったのですね。お体にはお気を付けくださいまし」
屋敷に着くと、たくさんの侍女とアリシアーナを伴ったキャスリー夫人自らが出迎えてくれた。カノンの言い訳にマリエルとアリシアーナは顔を背けて肩を震わせていた。
全身の美容治癒は、一度で全て終わらせるか、数回に分けて行うか本人の希望に応じて施術を行う。だがキャスリー夫人と残り二人の夫人は三人とも一度で終わらせることを望んだ。
施術直後の猛烈な痒み、その後一週間は瘡蓋が剥がれて見目がよろしくないこと、これらは避けようのない副作用である。だが、最初に手の施術を受けたキャスリー夫人がやったように、施術直後に氷水に浸けると痒みが和らぐようだ。それと、どうせ一週間人前に出られないのなら一度で終わらせたい、というのが本心らしい。
秋も深まって空気も冷たくなってきたが、そんな中で氷風呂なんて大丈夫だろうか? カノンはそこが一番心配であった。
「今日はこちらでお願いしますわ」
そこは風呂が併設された客室の一つ。なんと浴槽が二つ準備されていて、一つは氷風呂、もう一つは適温の湯が入った普通の風呂であった。さすが高位貴族。体を張ったお笑い芸人のような真似はしないのだな、とカノンは前世で見たテレビ番組を少し思い出した。
二人の侍女だけを残し、マリエルも含めて他の侍女たちが退室する。
「カノン先生、立ったままがよろしくて? それとも横に?」
「どちらでも、楽な姿勢で問題ありません」
「まぁ、頼もしい。それでは横にならせていただくわ」
そう言うと、侍女の手を借りてキャスリー夫人が服を全て脱ぎ去る。カノンは失礼のないよう後ろを向いた。友達のお母さんの全裸を見るのは気まずい。
「カノン先生、もうよろしいですわよ」
浴槽のすぐ傍に置かれた寝台に、一糸纏わぬ姿で横たわるキャスリー夫人。四十八歳とは思えぬ張りのある乳房、くびれた腰、形の良いヒップ。日頃からお手入れやスタイルを保つ運動を行っているのだろう。
「とてもお綺麗です」
「ありがとう。でも年齢には勝てませんのよ?」
「そこはお任せください。では早速。目は閉じていただけますか?」
カノンはキャスリー夫人が目を閉じたことを確認し、まず軽く浄化魔法を掛ける。そして両の掌を少し前に翳し、治癒を発動させた。
怪我をしている訳ではない。従って、血管や神経、筋肉などを修復する必要はない。ただ全身の皮膚を生まれ変わらせるだけだ。それでも事前に作り上げたイメージを丹念に辿り、全神経を集中して魔力を送り込む。
客室は目も開けられない黄緑色の光に満たされる。二人の侍女が慌てて目を閉じた。たっぷり二分ほど経ち、ようやく光が収まる。
「終わりました」
その言葉を待ち焦がれていたかのように、夫人は侍女の手を借りてすぐさま氷風呂に飛び込んだ。体だけではなく、頭の天辺まで水に浸かる。息の続く限り潜ったら、また侍女の手を借りて隣の温かい風呂に潜る。それを十分繰り返し、最後には普通の風呂で寛ぎ始めた。
「カノン先生、このような恰好で申し訳ありません」
「いえ、お気遣いは不要です」
「分かってはいましたけれど、足の裏から頭の天辺まで万遍なく痒くなりました。これは氷のお風呂がなければ気が狂いかねないですわね」
キャスリー夫人が笑いながらそう報告してくれる。マリエルにも伝えなければ、と心に刻んだ。
「ですが、この痒みと引き換えにお肌が生まれ変わると思えば耐えられます」
「そう言っていただけて何よりです」
既に右手で経験しているからか、キャスリー夫人は何とも言えない満足そうな微笑みを浮かべた。今のままでも十分綺麗なのに、お肌が生まれ変わったら更に磨きがかかるのだろう。
「実は、加齢と共に衰えると言われる筋肉も修復しています」
「まぁ! そうなんですの!?」
瞼を持ち上げる挙筋。口角を引き上げる大頬骨筋と口角挙筋。乳房を持ち上げる小胸筋。お尻を引き上げる大殿筋。これらの筋肉を修復した。サービスである。一週間後には、恐らく二十歳以上若返って見えることだろう。
「日光はなるべく避けて、日中お外を歩く時は日傘をお使いください。これは瘡蓋が全て取れても出来るだけお続けください。太陽の光はお肌には大敵ですので」
「心得ました。お肌が生まれ変わったら、ぜひ遊びにいらしてくださいな」
「その時はマリエルにお声がけください」
ひと仕事終えたカノンは、侍女の案内に従って応接室に移る。そこでは、マリエルとアリシアーナが待っていた。
「カノン先生、終わりましたか?」
マリエルが妙に丁寧な感じで話すので、カノンも同じように返す。
「ええ、恙なく。そうそう、氷風呂がなければ痒みで気が狂いそうと仰ってました」
「ほう! それは他のご婦人にも伝えんといけませんなぁ」
応接室にいた侍女がカノンにお茶を淹れてくれると、アリシアーナがその侍女に部屋から出るよう告げた。三人になってから、アリシアーナが徐に話し出す。
「リ、カノン先生。母がお世話になりましたわ」
「いえいえ、こちらこそ。お仕事ですから全力を出すのは当然です」
カノンは余所行きの声で慇懃に返した。
「全力ってカノン先生、何しはったん?」
「ん? 加齢で衰える筋肉の修復」
「おぉ!? そんなことまで出来るんや」
「せっかく肌が生まれ変わっても、たるんでたりしたら勿体ないでしょ?」
「おぅ……たしかにそうや。これは絶対当たる。大儲けの予感がビシバシするで!」
「しぃー! 声が大きい」
マリエルのダダ洩れの本音にアリシアーナは手を口に当てて上品に笑い、カノンは大慌てである。そうこうしているうちに応接室の扉が控え目にノックされた。
「お嬢様、失礼いたします。奥様がお客様方とお話されたいと」
「分かりましたわ。では参りましょうか」
侍女を先頭に、また別の応接室に案内される。一体いくつ応接室があるんだろう? 素朴な疑問を抱きながら案内された先には、すっかり身支度を整えたキャスリー夫人が待っていた。促されて腰を下ろしたソファは、恐ろしく座り心地がいい。
「カノン先生、マリエルさん。本日はありがとうございました」
「こちらこそ感謝申し上げます。ありがとうございました」
「ありがとうございます」
カノンはマリエルと一緒に頭を下げた。
「お二人に少しお聞きしたいことが。肌が生まれ変わった後のことですが、社交の場で他の貴族子女に聞かれましたら、お二人のことはお話してよろしいの?」
「はい、もちろん! あ、出来れば名前を出すのは私だけにしていただけますか?」
「ええ。カノン先生は大変お忙しいんですのよね? マリエルさんが窓口におなりになるのね」
「はい。先生には治癒に専念してもろうて、私が細々した一切合切をやろうと思うてます」
「ええ、ええ。それが良いでしょう」
フフフ、と上品に笑いながら夫人が言葉を続ける。
「年始には新年の祝賀パーティーがあります。国内の貴族がほとんど集まるのですよ? とっても楽しみですわ」
カノンは一瞬、背筋がぞわりとするのを感じた。横にいるマリエルはニコニコと微笑んでいる。まさか依頼が殺到したりしないよね? 大丈夫だよね? マリエルの可愛らしい微笑みが黒い笑みに見えてきて、カノンは悪い想像を振り払った。
その後、少し雑談してからカノン達は侯爵邸を辞去した。ダルトン商会に戻ると、元の姿に戻ったリリが更衣室の椅子に座ってふぅーっと長い息をつく。
「リリ、おつかれさん。ちょっとお茶していかへん?」
「うん。ありがとう」
更衣室の隣には休憩室がある。侯爵邸の応接室とは比べるべくもないが、気を遣わなくて良いこちらの方がリリは好きだ。
「ねぇマリエル」
「うん?」
「依頼が殺到したりしないよね?」
「それはまだ分からん。けど、可能性はあるやろなぁ」
「私、そんなに依頼が来たら死んじゃうかも」
危険がある訳ではないし、体力的に厳しい訳でもない。ただ、貴族と会って話をするというのが精神的に非常に疲れるのである。
「アハハ! 安心しい、どんだけ依頼が来ても月に最大四件、通常は二件程度に抑えるつもりや」
「そ、そう……それなら安心、かな?」
「そのうち慣れるって!」
「ならいいんだけど」
マリエルが淹れてくれた紅茶を飲む。貴族家で出される紅茶は香り高く甘みがあって美味しいが、味わう余裕があまりない。ダルトン商会が扱う紅茶はガブリエルの出身国、ベイヤード共和国産で瑞々しい花の香が特徴。これを飲むと心からホッとするのだ。
「あー、美味しい……そうだ、マリエルに相談したいことがあったんだ」
「どうしたん?」
「あのさ、瘴魔祓い士って何でパーティ組まないのかな?」
「そらぁ…………何でやろう?」
マルベリーアンとコンラッドのような師弟関係を除き、瘴魔祓い士は基本単独で討伐に当たる。もちろん大規模な瘴魔の出現では複数の祓い士がチームを組むが、数体程度が相手だと基本的に一人で討伐に赴く。一人と言っても護衛の騎士はいるのだが、彼らは瘴魔と戦うために同行する訳ではない。
リリは瘴魔祓い士よりも冒険者を多く見てきた。ジェイク達「金色の鷹」はもちろん、ほとんどの冒険者がパーティを組んでいる。だからパーティを組む方が自然に思えるのだ。
「アンさんにも聞いたんだけど、はっきりとした理由はないみたいなの」
「昔からそうやった、とか?」
「そうそう。討伐報酬もあるから、たしかにパーティ組んだら収入は減るかも知れない。だけど生存確率はかなり上がると思うんだよね」
「せやな。いくらお金を稼いでも死んでもうたら元も子もないもんな」
他に何かパーティを組まない理由があるのだろうか? 祓い士のプライドとか? それとも犠牲を最小限に抑えるためとか?
大規模な討伐などでチームを組むとなった時、即席では誰がどのくらいの力を持っているのか分からない。口でいくら説明しても、そんなものでは「金色の鷹」のような連携は取れないのだ。長年共に戦ってきたからこそ、言葉を交わさずとも自然と体が動く。それが本物の連携だろう。リリはそんな考えをマリエルに伝える。
「ウチはいいと思うで、瘴魔祓い士のパーティ」
「だよね? 今度プレストン長官に言ってみようかな」
「しかし、リリは真面目やな!」
「うーん……真面目っていうのとはちょっと違うかも。今一緒に学院に通ってる子たちがいるでしょ?」
「うん」
「その子たちが死ぬなんて絶対嫌だもん。だから、何かいい方法がないかなって考えるの」
「そっか。リリは優しくて真面目なんやな」
「っ!?」
普段の茶化すような感じではなく、真剣な調子でマリエルに褒められて、リリは思わず顔を赤くして俯いた。
「そんなリリが、ウチは好きやで~!!」
そう言いながら、マリエルがリリを擽り始める。
「ひゃぁ! やめてっ!」
真剣かと思わせてすぐにお調子者の顔に戻る。そんなマリエルがリリも大好きだ。
「なんか新しい仕組みを作ってもいいかも知れんな」
「ちょ、マリエル? くすぐるの止めて!」
マリエルはリリを擽る手を止めることなく頭をフル回転させる。商売だけでなく、何か新しいものを生み出すことに燃える性質なのだ。
「マ、マリエル、お願い!」
「なんや、ここか。ここがええんか?」
マリエルのおっさん臭い台詞とリリの嬌声が休憩室の外まで響く。一緒にお茶をしようとやって来たガブリエルはその声を聞きながら、完全に中に入るタイミングを見失って立ちすくむのだった。
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