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9 アルゴ

 捜索隊が町を出発した頃、リリはガルベストリの森で迷っていた。何となくこっちかなーと思いながら足を進めたら、全く見覚えのない場所に居た。


(ここどこ……?)


 泣きながら歩いていたので仕方ない。父の事を考えながら泣いて、時折立ち止まり、木に寄り掛かって座り、また泣きながら歩いた。森を歩いた経験など殆どない八歳の少女がそんな風に歩いていたら迷うのも当然だ。不安になり、寂しくなって更に泣く。もう自分が何故泣いているのか分からない。


 陽がだいぶ傾いてきた。夜の森が昼間よりずっと危険な事くらい、リリも知っている。太陽があっちに沈んでいるから、向こうが東だ。そう思って歩みを速める。


 と、そこでガサガサと動くものがあった。リリは固まってその場から動けなくなった。


 背の高い草むらから出て来たのは、リリより大きな……犬?


(いや、これ犬じゃないよ! 狼じゃん!)


 傾いた陽光を反射してオレンジ色に輝く見事な銀毛の狼。いや、ワンチャン犬かも知れない。わんちゃんだけに。


(って、そんなくだらない事考えてる場合じゃないっ)


 だが不思議なことに、この狼はリリから少し離れた場所でお座りをして尻尾を緩やかに振っていた。そして今気付いたのだが、狼の顔の周りには淡いピンクの靄が大量に纏わりついている。人間ならそれは親愛の証だ。狼も同じとは限らないが。

 自分の勘を信じて、リリは恐る恐る狼に近付いた。リリが近付くとその大きさに改めて戦慄する。すると狼は伏せの体勢になって、リリを上目遣いで見つめ始めた。


「か、かわいい……」


 ゆっくりと手を伸ばし狼の首の辺りに触れる。想像していた手触りと異なり、さらさらでフワフワだ。そして温かい。狼はリリが触れてもじっとしている。それを良い事にリリはわしゃわしゃと撫で始めた。首から徐々に頭の方に手を移し、耳と耳の間を撫でる。心なしか尻尾の揺れる速度が上がった。

 そのうち狼は横にごろんと転がり、リリにお腹を向ける。喉を優しく触り、お腹の柔らかい毛の感触を堪能した。


 リリは堪え切れなくなり、狼のお腹にダイブした。


「わふっ!?」


 狼が変な声を出す。それでもリリに対して攻撃しようとはしない。リリの顔は半分ほどお腹の毛に埋もれた。頬擦りし、胸いっぱいに匂いを嗅ぐ。獣臭さは微塵もなく、お日様に干した布団のような懐かしい匂いがした。


 優しくて強い父を失った直後に現れたこの狼は、父か、父の代わりに神が遣わしてくれたのではないだろうか。

 リリは忘れているが、転生時に神にいくつか願い事をした。その一つが「でっかいわんちゃんを飼いたい」というものであり、このタイミングでようやくそれが叶えられたのである。だから、リリの認識は殆ど合っていた。

 ただ、リリに恩を感じている過保護な神のため、遣わされたのは犬でも狼でもなくフェンリル(神獣)である事をリリは知らない。知らない方が幸せかも知れない。


「ねぇ、あなたは町の場所、分かる?」

「わふっ」

「連れて行ってくれる?」

「わふん!」


 どうやら狼(とリリは思っている)が町へ案内してくれるようだ。冷静に考えれば有り得ない状況である。ガルベストリの森にも狼は生息しており、多くはブラックファングという名の魔物だ。獣は勿論、街道を通る人間を襲う事もある。単体でも脅威度D、群れだと規模によってC~Bの魔物だ。

 脅威度とは、同じランクの冒険者が四人以上のパーティを組んで倒す事が推奨されている指標である。毎年何人もの人が狼に襲われて亡くなるくらいには恐ろしい存在だ。もし冒険者が狼とリリが一緒に居る光景を見たら青くなるだろう。


 銀毛の狼はリリの少し前を歩き、リリがちゃんと付いて来ているか度々振り返る。そんな様子がまるで庇護者のようで、やはり父が私の為に遣わしてくれたのだ、という思いを強くした。


 やがて日が暮れて、森の中は月明かりも届かない闇に吞まれてしまった。狼は夜目が効くがリリはそうではない。足元が見えないと危険が増す。


「ねぇ狼さん。暗くなっちゃったからどこかで休めないかな?」

「わふ?」


 狼は一頻り鼻を鳴らして周囲に魔物が居ない事を確認した。そしてリリの服の袖を軽く噛んで引っ張る。大きな木の根元まで行き、そこで横に寝そべった。


「ここで休むってこと?」

「わぅ」

「大丈夫かな……」

「わふっ」


 狼は太い前足を器用に使ってリリを自分の懐に抱え込んだ。逆の前足に頭を乗せ、リリは体の殆どが狼の毛に埋まる。そこは驚くほどフカフカで温かい。お腹が空いていたけれど、リリはそれ以上に疲労していた。あまりの心地よさにすぐに眠りに落ちるのだった。





 アルガンとアネッサは捜索隊とは別に、二人でリリを探していた。門兵からの情報で昨日の昼過ぎにリリが西門を通った事は分かっている。ミリーの話からするとリリはダドリーの死を信じられず、恐らくはガルベストリの森にダドリーを探しに行ったと思われた。


 リリの気持ちは痛いほど分かる。アルガンとアネッサの二人も、ダドリーが命を落としたなど未だ信じられなかったからだ。

 しかし、ジェイクとクライブから聞いた話では、ダドリーが死んだというのは間違いない。町を、仲間を、家族を守るために自分を犠牲にしたのだ。

 頭ではそれを理解しても心は簡単に受け入れる事が出来ない。自分達でさえそうなのだから、幼いリリが簡単に受け入れられないのは当然だろう。


 日が沈み、真っ暗となった森を二人は進む。魔法具のカンテラは最低限の範囲しか照らさないがそれでも無いよりはましだ。リリは明かりさえ持たず彷徨っているに違いない。父を失ったばかりなのに、こんな暗い場所にリリが一人きりで居ると想像するだけで胸が張り裂けそうになる。


 焦る気持ちとは裏腹に捜索は遅々として進まなかった。カンテラで照らしながら、見落としがないよう丁寧に歩いているからだ。幸いなことに獣や魔物がやけに少ない。瘴魔鬼が出現した影響かも知れない。普通の獣は積極的に人を襲わない。魔物もこれだけ遭遇しなければリリが生きている確率はぐんと上がる。

 春の夜は冷えるが、森を中腰になって進んでいる二人の額からは汗が流れる。もう一人の殺人犯捕縛依頼からずっと動いている為疲労もピークに達している。それでも、弱音も無駄口も叩かず黙々と探し続ける。


 リリの太陽のような屈託のない笑顔。それを頭に浮かべ、二人は探し続けた。


 やがて東の空が白んで来た頃。


「……なぁアネッサ。俺が見てるのは幻じゃないよな?」

「……私にも見えてる。あんな大きな狼、見た事ないんだけど」

「その腹の所でリリが寝てるように見えるのは俺だけか?」

「いいえ、私にもそう見えるわ」


 一際大きな木の根元に横たわる巨大な銀毛の狼。その腹に半ば埋もれるように横になっているリリ。胸が定期的に上下しているから生きているのは間違いない。


「……どうしたらいいんだ、これ」

「応援を呼ぶべきかしら」


 離れた場所から様子を窺う二人だが、片目を開けた狼と目が合った。アルガンは剣の柄に手を掛け、アネッサは弓に矢を番える。しかし狼は興味なさそうに再び目を閉じ、リリの頭に自分の顔を擦り付けた。


「リリ! リリ、起きろ!」


 アルガンが囁き声と言うにはやや大き過ぎる声でリリを起こそうとした。すると狼が今度は首をもたげてアルガンとアネッサをじっくり眺め、それからリリの頬をぺろんと舐めた。


「うぅ……うーん」


 中々起きないリリを、狼がペロペロ舐める。アルガンとアネッサは気が気でない。


「うぅ……くすぐったい……あれ、私寝てた?」

「わふぅ」

「守ってくれんだね、ありがとう……って、アルガンお兄ちゃん!? アネッサお姉ちゃんも!?」


 少し離れた場所から自分をじっと見ているアルガンとアネッサに気付き、リリは急に気恥ずかしくなった。狼に話し掛けるなんて変じゃないかな?


「リリ……無事か?」

「怪我はない?」

「うん、大丈夫。……でもお腹空いたぁ」


 リリの暢気な様子に二人はひとまず安心した。


「リリ、ゆっくりこっちに来るんだ」

「?」


 アルガンが腰を落として手招きするが、リリはこてん、と首を傾げた。二人の普段と違う真剣な様子を見、振り返って狼を見る。なるほど、巨大な狼に捕まってるように見えるのだろう。


「心配ないよ、この子は……あれ? 名前付けてないね」

「わふ?」


 リリはその場で立ち上がって伸びをして、狼を伴って二人に近付いた。二人はのけぞるように後退る。


「昨日森で会って、ずっと私を守ってくれたの」

「守って?」

「うん。……多分、お父さんか神様が遣わしてくれたんだと思う。お父さんの代わりに私を守るように」


 リリの言葉を聞いて、二人は胸の奥がぎゅっと引き絞られるようだった。


「本当に危険じゃないのね?」

「うん。この子がその気ならとっくに食べられてるよ」

「まぁたしかに」


 二人が近付いても攻撃はおろか威嚇するような素振りさえ見せない。眠っているリリを守るように横たわっていたし、何となくリリと会話が成立しているような気もする。それに今もリリの隣にお座りしている姿は、まるで護衛のようだ。リリに懐いている事は間違いない。


「アルガンお兄ちゃん、アネッサお姉ちゃん。もしかして私を探しに来てくれたの?」

「ああそうだよ」

「お母さんも凄く心配してるよ?」

「……二人とも、ごめんなさい」

「謝らなくていい。とにかく無事で良かったよ」

「本当に安心したわ!」


 そう言って、アネッサがリリをぎゅっと抱きしめた。アルガンはリリの頭を撫でている。


「よし、まだ探してる奴も多いだろうから早く帰ろうか!」


 アルガンがリリの手を引こうとするが、そこでリリが立ち止まる。


「……この子も連れて行っていい?」


 アルガンとアネッサはお互いの顔を見て困ってしまう。父を亡くしたリリは偶然出会った人懐っこい狼に父の姿を重ね合わせているようだ。ギリギリで均衡を保っているリリの心が、狼と引き離したら壊れてしまうかも知れない。

 だが、これ程巨大な狼……Sランク冒険者の自分達でさえ最初に見た時は恐ろしかったのだ。町の人が受け入れられるとは思えない。


「……アルゴ! 名前、アルゴでいい?」

「わわふっ!」

「ウフフ! 気に入ってくれたの? アルゴも一緒に町に来てくれる?」

「わおぅ!」

「町の中では大人しくしなきゃ駄目だよ? 大丈夫?」

「わふ!」


 リリはアルゴと名付けた狼の顎から首にかけてわしゃわしゃと撫でた。名前まで付けてしまった。アルゴをここに置いて行けなんて、とてもじゃないが言えない。アルガンとアネッサは頭を抱えた。


「ええい、何とかなるだろ!」

「ええぇ……」

「ジェイクさんとクライブさんに相談だ。それしかねぇ!」

「そ、そうね……あの二人なら何とかしてくれるかも」


 完全に人頼みで、三人と一頭はマルデラの町へ向かうのだった。

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