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84 バレる? バレない?

 翌日、リリは朝からダルトン商会にお邪魔していた。従業員用の更衣室を借りてカノン・ウィザーノットになるためだ。

 ラベンダー色のウィッグと伊達メガネを着け、ラーラからもらった漆黒のコートを羽織る。もう秋の入口なので、このコートもギリセーフだろう。


 自宅で着替えないのは、カノンとリリを結び付けられないようにするためだ。せっかく変装しても自宅から出る所を誰かに見られたら無意味である。同じ理由でアルゴも付き添えない。


「リリ、準備できた?」

「うん、できたよ」


 更衣室の外からマリエルが声を掛けてきて、リリが返事すると彼女はドアを開けて顔を覗かせた。


「うん、バッチリやな! 下に馬車用意しとるから、行こか」

「おっけー」


 清潔なタオルを五枚ほど入れたカバンを肩に提げ、マリエルと一緒に階下へ降りる。商会の従業員が馬車を見てくれており、マリエルが礼を言って御者台に座る。カノンは客車へ乗り込んだ。


 馬車は四人乗りの中型サイズ。これはダルトン商会が所有するものだ。ファンデルの街中を移動する際に使うらしい。カノン・ウィザーノットは凄腕の治癒魔術師という設定なので、この馬車で貴族街に行くという訳だ。


 貴族街の出入りは衛兵によって見張られている。もちろん貴族以外は身分証の提示を求められる。ただ、貴族の招待状がある場合はそれを示せば簡単に通行できる。マリエルはキャスリー・メイルラード侯爵夫人からしっかりと招待状を預かっていた。抜かりはないのである。


 貴族街の入口は利便性を考慮してたくさん設けられている。マリエルはダルトン商会から一番近い入口を選び、招待状を示して馬車を進めた。メイルラード侯爵家の屋敷は貴族街北区の中心より少し北寄りにある。平民区をぐるっと回るより貴族街を抜けていく方が早いそうだ。


「北区の北寄り……学院がほんとに近いんだねぇ」


 デンズリード魔法学院は平民区の北区南寄りに位置する。リリの家から徒歩だと一時間ほどかかる距離。アリシアーナの屋敷からだと、徒歩十五分くらいらしい。それでも彼女は馬車で来るだろうけれど。あのセバスが歩くことを許すとは思えない。


「もうすぐ着くでぇ」


 御者台から振り返ったマリエルが、客車の窓越しに教えてくれた。思っていたより早い。三十分もかかっていない。


 馬車の窓から見える景色は、マルベリーアンの家がある辺りの雰囲気にそっくりだ。ただ一軒一軒のお屋敷がさらに大きい。門には各貴族家の紋章が象られており、誰の屋敷か分かるようになっているそうだ。もちろんカノンには一つも分からない。


 馬車は一軒の屋敷の前で一度停まり、マリエルが門兵に招待状を見せる。門兵はそれをじっくりと検分してから門を開き、馬車ごと中へ進んだ。屋敷の前には噴水があり、それを中心に小さなロータリーのようになっている。マリエルは馬を操って噴水を右側から回り込み、玄関の前で停車させた。すぐに使用人らしい人が寄って来て、一人はマリエルから手綱を預かり、もう一人が客車の扉を開けてくれる。カノンは使用人の手を借りて馬車を降り、玄関を見て声が出そうになった。


 開け放たれた巨大な玄関。その前に数名の侍女、それにセバスとアリシアーナが立っていた。


(ななななんで? なんでアリシアとセバスさんがいるの!?)


 屋敷に到着して数秒で身バレの危機である。カノンは慌ててコートのフードを被った。余計怪しい。


「ようこそ。アリシアーナ・メイルラードと申しますわ。あなたがマリエルさんね? お友達のリリからよくお話を聞いておりますの」

「マリエル・ダルトンと申します。本日はキャスリー様にお招きいただき感謝申し上げます」


 さすがマリエル。微塵も動揺の気配がない。右手を左胸に当て、アリシアーナに向かって深く腰を折る。カノンも慌てて同じようにした。これまでアリシアーナに対してそんな礼をしたことなどない。


「そちらの方は……?」

「カノン・ウィザーノットと申します」


 カノンは精一杯低い声を出した。アリシアーナとは目を合わさないように少し俯いている。


「カノン先生は少し人見知りなんですわ。失礼があったら許したってください」

「まぁ、そうなんですのね。では早速母のところにご案内いたしますわ」


 いや、案内はいいよ。侍女さんがいっぱいいるじゃん。なんでアリシアが案内するのさ!?


「さ、先生。行きましょか」


 マリエルが作ったような笑みを顔に貼り付かせてカノンの腕を取った。うぅ、マリエルめ……絶対楽しんでるよね?


 アリシアーナが先頭、その後ろにマリエルとカノン、すぐ背後にセバス、その後ろから侍女がぞろぞろ付いてくる。逃げ場はない。カノンは追い詰められたような気分になった。まだ襲撃犯に狙われていた時の方がマシである。


「こちらですわ。お母様、マリエルさんとカノン先生をお連れしましたわ」


 精緻な彫刻が施されたドアの前で、アリシアーナが中に声を掛けた。部屋の中にいた侍女がドアを開き、アリシアーナに続いて中に入る。小さめの応接室という感じで、落ち着いた雰囲気だ。だが調度品の数々はきっと目が飛び出るほどお高いのだろう。


「ようこそ、マリエルさん。はじめまして、カノンさん。キャスリー・メイルラードです」

「本日はお時間をいただきありがとうございます」

「はじめまして、カノン・ウィザーノットと申します」


 カノンとマリエルは、先程アリシアーナにしたのと同じ礼をする。もちろんカノンは限界まで低い声を出した。


「お母様、私も見ていてよろしいですか?」

「私は構いません。マリエルさん、カノンさん、よろしいですか?」

「大丈夫ですよ」

「はい、問題ありません」


 問題あるわ! て言うか問題しかないわ! だが侯爵夫人から聞かれて拒否なんてできない。ここはさっさと終わらせて帰るしかない!


「では早速」


 高価そうな椅子に掛けている侯爵夫人に近寄り、右手に向かって治癒(ヒール)を発動する。事前にイメージはしっかりと作ってきたので問題ない。皮膚だけを再生するのは、これまでの治療に比べて難しいことではなかった。黄緑色の強い光が部屋に満ち、光の粒子が夫人の手に吸い込まれていく。夫人本人、アリシアーナ、部屋の中にいた侍女がその光景に目を丸くした。


「終わりました」


 マリエルがさっとタオルを取り出す。激しい痒みがあることや、一週間の間に古い皮膚が瘡蓋のように剥がれ落ちることなど、注意点は事前に説明済みである。

 夫人は痒みのことを聞いて、事前に氷水を用意させていたようだ。慌ててそれに右手を浸し、時折水から出してタオルで擦っている。氷水が入っているボウルさえお高い品に見えた。


「あんな強い光を見たのは初めてです」

「私も。あれは本当に治癒魔法なのですか?」


 キャスリー夫人とアリシアーナがカノンに問い掛けた。カノンは助けを求める目をマリエルに向けるが、彼女はそっぽを向いている。助けてくれる気はないようだ。ちくしょう。


「はい、治癒魔法で間違いありません。皮膚を新しく再生するというのは、火傷や古傷を治療した際に副産物として生まれたものです。まるで赤子のような肌になるのをマリエルさんが見て、これを美意識の高い方に提供してはどうかという話になりました」


 低い声を出し過ぎて喉が痛い。限界が近い。これ以上は話す事はない、とカノンはキリッとした顔で口を真一文字に結んだ。それを見て、ようやくマリエルが話を継いでくれる。


「カノン先生は自分の気に入らない方は治療しないんですわ。今回はウチが無理言って来てもらいました」

「まぁ、それはありがとう」

「礼は一週間後、生まれ変わった右手のお肌を見るまで取っておいてください。それから全身をやるか、残った左手だけやるか決めてもろたら結構ですから」

「フフ。そうね、そうさせていただくわ。ゆっくりお茶でもと思いましたけど、こんな状態ではゆっくりともいかないから、次にお会いする時にお茶をご一緒しましょう」


 右手を氷水に浸けたまま夫人がニッコリと微笑んだ。


「では私とお茶をご一緒しませんか?」


 嘘でしょ……? カノンはごく小さくフルフルと首を横に振った。だがマリエルはそれを無視するように明るく言った。


「それはええ! カノン先生、アリシアーナお嬢様とお茶しましょ?」

「えぇぇ……」

「カノン先生もそうしたいみたいです。ぜひお願いします」


 そうして、カノンとマリエルは上機嫌なアリシアーナによって別室に連行された。





「リリ、何をしていますの?」


 先程より二回り小さな応接室に案内され、お茶と茶菓子を運んでくれた侍女がいなくなってから、アリシアーナに詰問された。バレてた。


「うぅ……これには事情があるんだよぅ……」

「ええ、そうでしょうとも。さっさと白状なさって?」


 アリシアーナの声が柔らかくなって、リリは少し安心する。ここでマリエルが説明役を買ってくれた。


「アリシアーナさん、リリを許したってください。リリの治癒魔法は、身分を隠さんといかんくらい強烈なんです。優秀な治癒魔術師が匙を投げた、何年も前の火傷痕をきれいさっぱり治したり、死にかけた人の傷を治したり。最近では怪我でほとんどなくなったおっぱいを元に戻したり」

「つまり、名前が広まると身の危険がある、と?」

「はい。治癒魔法だけやあらへん、瘴魔祓い士としても特級のお墨付きや。魔物だって軽々と狩ってしまう。こんな優秀な子、無理矢理でも欲しがる輩が出ると思いません?」


 リリはまるで悪い事をして怒られているように小さくなっている。


「リリ、私は怒ったりしていませんのよ? ただ、友達として先に言って欲しかっただけですわ」

「そうだよね、ごめん。ただね、あんまり広めたくないんだ。巻き込んじゃうかもしれないから」


 リリは自分の身は自分で守れると思っている。だが、大切な人達を四六時中守ることは出来ない。そんな考えをアリシアーナに伝える。


「……シャリーも知らないんですの?」

「シャリーは……治癒魔法については知ってる。あの子を治したから」


 それだけ聞いて、アリシアーナはピンと来たようだ。


「なるほど、分かりましたわ。では、私にもリリの秘密を共有させてくださいまし」

「え? 危険かもしれないよ? 実際この前も襲われたし」

「それでも、ですわ。これでも侯爵家、そこそこ力がありますのよ?」


 アリシアーナはリリの手を包み込むように取った。


「私をもっと頼ってくださいまし。友達ではありませんか」


 リリはアリシアーナの真剣な瞳を見て、ゆっくりと頷いた。


「うん。ありがとう、アリシア。頼らせてもらうね」

「はい!」


 アリシアーナはリリの手を上下にブンブンと振る。そして思い付いたようにマリエルに宣言した。


「マリエルさんも、私のことはアリシアとお呼びになって?」

「じゃあ、ウチのことは呼び捨てで」

「はい!」


 頼もしい仲間が増えた。リリはほっと肩の力を抜き、ようやくいつもの微笑みを浮かべた。





「アリシア、ええ子やなぁ」


 ダルトン商会に帰り着き、変装を解いて元の姿に戻ったリリ。マリエルはリリにお茶を差し出しながら呟いた。


「でしょ? やっぱりもっと早く言っておくべきだった」

「まぁ、こういうのはタイミングや。結果的に良かったやん」

「うん。騙してるみたいで嫌な気持ちだったから、バレて安心したよ」


 今日は本当に疲れた。体力的にではなく精神的に。


「ククク。それにしてもリリ、なんやあの声」

「し、仕方ないじゃん! バレないように一生懸命だったんだから!」

「次にキャスリー夫人と会う時どうすんの?」

「…………この前は風邪気味でしたって言う」


 ギャハハ、とマリエルの笑い声が響く。今日は所々でマリエルがリリから求められた助けを無視したが、それは思惑があってのこと。マリエルは既にアリシアーナにリリの正体がバレていると見抜いていた。だから敢えて三人で話せるように助け船を出さなかったのだ。全てが終わった後、リリにもようやくマリエルの考えていたことが分かった。


「さて、リリの入学式までに、あと二人ちゃちゃっと終わらすで!」

「えぇぇ……」


 こうして、リリとマリエルの新しい商売がスタートした。いったい何足の草鞋になるんだろう? 瘴魔祓い士、冒険者、治癒魔術師……まだ増えそうで怖い。あまり深く考えるのは止めて、この商売についてはマリエルにお任せしよう。リリは改めてそう決意するのだった。

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