83 陰謀の兆し
いつもお読みくださりありがとうございます。
今日から第五章になります。
カフェの名前は「アンティクース」といった。合格発表の三日後、三人の少女がこのカフェに集まった。
「ミートパイは外せないんだぞ!?」
「シャリー、お昼ご飯食べてないの?」
「ん? 食べたぞ?」
「まだ食べるんですの!?」
時刻は午後三時。小腹が空いてもおかしくない時間ではあるが、ミートパイはがっつり食事だよね、とリリは思った。その細い体のどこに入るんだろう。まぁ合格祝いだから、それぞれが食べたいものを頼めばいいか。
リリはアップルパイ、アリシアーナはミルクレープを頼んだ。もちろんホールではなくカットの方である。ちなみにシャリーはミートパイとバナナケーキを頼んだ。育ち盛りか。
実はマリエルも誘ったのだが、彼女は用事があって来ることが出来なかった。今度また機会を作ってアリシアーナと会わせようと思っている。
この場に侍従のセバスはいない。彼はアリシアーナと一緒に店に入って来ようとしたが、彼女から帰された。今日は女の子だけが集まるんですの、と言われたセバスの目からは光が失われていた。不憫である。イケメンの侍従なのだが、リリと出会ってからアリシアーナの彼に対する扱いがどんどん雑になっている気がする。自分のせいではないと思いたい。
「リリは入学式まで何かする予定がありますの?」
ミルクレープを小さく切り、上品に口に運んで飲み下してからアリシアーナから尋ねられた。そんな仕草を見ると、やはり侯爵令嬢なんだなぁと思う。
「そうだねぇ。主に訓練と、あとはマリエルとの商売関連もありそうかな?」
マリエルについて、名前だけはアリシアーナに話している。
「商売? ……もしかして、マリエルってダルトン商会の末の娘さんのことですの?」
「え、ダルトン商会知ってるの?」
「ええ。うちに出入りしている商会の一つですわ。マリエルさんは母と仲が良いので覚えておりましたの」
アリシアーナ……アリシアーナ・メイルラード侯爵令嬢。
そう言えば、マリエルと進めようとしている美容治癒魔術の最初のお客さんにキャスリー・メイルラード侯爵夫人の名前があった。
あっ! アリシアーナの家名を聞いた時、どこかで聞いた気がしたのはこれか!
ん? 私がカノン・ウィザーノットに変装しても、アリシアーナの家に行ったら彼女にバレるのでは? これはマリエルに相談しなければ!
「そ、そうなんだねー」
「どんな商売ですの?」
「マリエルが考えた商売だから勝手には言えないんだ。ごめんね?」
「いえ、それは当然のことですわ。気にしないでくださいませ」
咄嗟の言い訳が功を奏してリリは胸を撫で下ろした。リリとアリシアーナが話をしている間にシャリーは一人でミートパイを完食し、バナナケーキに取り掛かっていた。
「シャリー、よく食べるね?」
「むぐ? |おいひいからひゃいるんだじょ《美味しいから入るんだぞ》?」
「フフフ! なら良かった」
超絶美少女が口いっぱいにバナナケーキを頬張りながら答えた。子供のように無邪気なシャリーを見ると何故か安心する。
「シャリー、こっちも召し上がってみます?」
「いいのか!?」
「ウフフ。どうぞ」
アリシアーナは少し大きめに切り分けたミルクレープをシャリーの皿に乗せた。アリシアーナの目には母性、あるいはペットに餌を与える飼い主のような色が浮かんでいる。リリも自分のアップルパイを切り分けてシャリーの皿に乗せると、アリシアーナの気持ちがよく分かった。仲良し三人組である。
こうして、主にシャリーの食べっぷりに驚きながら、三人はお互いの合格を称え合って祝いの会を終えた。
「アンティクース」の外で隠密を使いながら待ってくれていたアルゴと一緒に、リリは自宅へ向けて歩く。食べた分を消費しなければならない。自宅まで歩いたくらいでは大したカロリーは消費しないが、そこは気分の問題である。少しだけ遠回りして家に到着し、小さな達成感を味わっていると来客があった。
――ポポーン、ポポポーン
リリの家にもインターフォン魔道具を設置した。何とも気の抜ける音ではあるが有用性は高い。
「はい、どちら様でしょうか?」
『特務隊から来たラムリー・ファルナスっていう者っす! こちらはオルデンさんのご自宅でよろしいっすか?』
語尾がちょっとおかしい、気だるげな女性の声。
「あ、そうです。少しお待ちくださいね」
瘴魔対策特別任務隊、通称「特務隊」の人が来るのはプレストン長官を除けば初めてだ。玄関を開けて門の方を窺えば、カッチリしたスーツのような服を着た女性が立っていた。門越しに目礼する。
「リリアージュ・オルデンです」
「うわぁ! 小っちゃくて可愛いって聞いてたっすけど、ほんとっすね!」
小っちゃいは余計だ、たしかに小っちゃいけど。まだこれから成長する予定なのだ。リリが眉を寄せて憮然とした顔になったことに気付いたのだろう。ラムリーと名乗った女性がわたわたと胸の前で両手を振る。
「わ、悪い意味じゃないっすよ!? いい意味っす!」
あ、この人は思ったことをすぐ言っちゃうタイプの人だ。シャリーが大人になった感じだろうか。
「大丈夫ですよ。これから成長するので! それで、どのようなご用件でしょう?」
「ああ、すみません。私がリリアージュさんの担当になったのでそのご挨拶と、長官から襲撃事件の調査報告書を預かって来たっす――うわっ!?」
リリの後ろから隠密を解いたアルゴが急に現れたため、ラムリーは悲鳴を上げて後退った。
「わぁ、その子が従魔っすか! おっきいっすね!」
リリは玄関を開けた時から靄を可視化しているが、ラムリーは嘘も言ってないし悪意も持っていない。純粋な好奇心だけのようだ。これなら家に招いても問題ないだろう。アルゴが姿を現したのも、ラムリーに敵意がないことを証明している。
「今、私しかいないんですけど良かったら中にどうぞ?」
「ありがたいっす!!」
ショートカットにした濃い茶色の髪、瞳はワインレッド。背の高さはシャリーより少し低いくらい。人のことを「小っちゃい」と言えるほど高くはない。ただし胸部装甲はかなり厚めだ、こんちくしょう。
リビングのソファに案内してお茶を淹れ、リリは向かい側に座った。その足元にアルゴが伏せをする。ラムリーはアルゴの方をチラチラ見ながらブリーフケースを膝に乗せ、中から書類を取り出した。
「これが特務隊の隊員証っす。こっちはリリアージュさんのっす」
リリは差し出された紙を受け取った。
「あの、私の担当って……?」
「あ、特務隊では当面の間、瘴魔祓い士一人につき担当が一人付くっす。基本的に雑務は全部担当がやるっすよ。本部との連絡からスケジュール調整、護衛の手配、討伐場所までのルート選定、宿泊場所や食事の手配などなどっす」
簡単に言うと、ラムリーはリリのお世話係という訳だ。
「リリアージュさん、今後よろしくお願いするっす」
「こちらこそ。あ、リリって呼んでください」
「リリさん。じゃあ私のことはラムちゃ――」
「それはダメです! ちゃんとラムリーさんって呼びます!」
リリは危うい所でラムリーを止めた。愛称で呼ぶのはリスクが高過ぎる。主に大人の事情で。
「分かったっす。じゃあリリさん、続けて襲撃事件の報告っす」
ラムリーはブリーフケースから何枚かの書類を出してテーブルに広げた。
「リリさんを襲撃した男の名はイーダス・バイン。二年前、依頼中に人を殺めて逃亡した、元瘴魔祓い士っす」
事件からこの報告まで間が空いたのは、イーダスという男から話が聞けなかったからである。イーダスは最終試験の日、意識が回復すると即座に自害した。自分に向けて豪炎を放ったのだ。幸いすぐ近くに人がいなかったため炎に巻き込まれたのは彼一人だった。
「情報を聞き出せなかったから時間が掛かったっす。どうやら奴はリングガルド王国に逃亡してたようっす。奴は最終試験で護衛をする予定だった別の瘴魔祓い士とすり替わってたっす」
リングガルド王国はスナイデル公国の南に位置する。二十数年前から内乱が絶えず、政情がかなり不安定な国だ。
すり替わられた瘴魔祓い士は自宅近くの空き家で手足を拘束された状態で見つかった。衰弱はしていたが命に別状はなかった。
「隣国に逃げた人が、何故私を襲ったんでしょう?」
「そこなんす」
逃亡犯だから、公国で見付かれば当然捕縛されて罪を問われる。最終試験の護衛役だった瘴魔祓い士とすり替わるなど、情報収集や準備を含めるととても逃亡犯一人で実行できるとは思えない。それが、会ったこともない自分を襲うためだけに行われたとしたら、犯したリスクに見合うとは到底考えられなかった。
『リリに豪炎を撃った男は精神操作系の魔法を受けとったぞ?』
「そうなの!?」
急にアルゴの声が頭に届き、リリは思わず声に出してしまった。
「そうなんす。捕まるのはほぼ確実なのに、何故ほかの受験者には手出しせずリリさんを襲ったのか。リリさんに関する情報が漏れていた可能性が高いっす」
リリはアルゴに返事してしまったが、上手く話しが繋がったようだ。リリの情報と言うより特務隊の情報だが、これは別に機密という訳ではない。国の機関だから、然るべき立場の人間なら公開されている情報は手に入れられる。
「協力者がいるんでしょうね……」
「私らも、そう睨んで調査を継続するっす。それで当面の間、特務隊所属の祓い士のみなさんには警護がつくっす」
「警護?」
「はいっす。警護と言っても姿は見えないから気にしないで大丈夫っす」
なるほど。警護と監視を兼ねているわけか。情報を漏らした者や協力者が特務隊内部の人間である可能性も捨てきれないということだ。
アルゴが教えてくれた、襲撃犯が精神操作を受けていた事実についてラムリーに伝えるか迷う。敵意がないことは分かっているが、今日初めて会った人だ。裏切り者ではないと断言出来ないし、アルゴと念話できるという秘密を打ち明けられる程よく知らない。今日のところは黙っておくことにした。
それから、特務隊の業務について簡単に説明し、最後に身辺に注意するよう促してからラムリーは帰っていった。
ラムリーが帰ってしばらくするとマリエルがやって来た。
「リリ! 明日一発目の仕事に行くで!」
「お、おぅ?」
マリエルを自分の部屋に通すと、開口一番マリエルが宣言した。
「キャスリー・メイルラード侯爵夫人が最初や! 明日大丈夫やろ?」
「うん。それは大丈夫なんだけど……マリエルに紹介しようとしてた子、アリシアーナだけど、メイルラード家の子だって今日思い出した」
カノン・ウィザーノットに変装しても、リリのことを知っている相手にはバレる可能性が高い。
「う~ん……しかし、ウチがキャスリー様と会う時はいっつも侍女しかおらへんで? そのアリシアーナって子も会ったことないし。大丈夫ちゃう?」
「そうかな……そうだよね」
でも、マリエルと商売をするって言ってしまった。アリシアーナは勘の良い子だ。マリエルが家に来て自分の母親に何かすれば勘づくだろう。例えその場で会わなくても、カノンがリリであることはすぐに分かってしまう。
「これは、正直に全部伝えた方がいい気がする」
「そうやなぁ。そもそも変装するんはリリを守るためやから。そこを理解してもらえれば、友達やったら言いふらすようなことはせんやろ」
「うん、そうだね。アリシアーナには全部話してもいい?」
「かまへんで。あー、それやったら先に話した方がよかったなぁ」
「ごめん……名前を聞いたときに思い出せば良かったんだけど」
マリエルが深刻に考えていないので、リリも大丈夫かなと思い始めた。悪いことをする訳じゃないのだから、正直に全部伝えよう。
『我はまた留守番か』
「ごめんね、アルゴ」
「なんや、アルゴはまた拗ねてんのか?」
『す、拗ねてはおらん! リリが心配なだけだ』
「フフフ! アルゴは拗ねてないって。私のことを心配してくれてるの」
「そうかそうか。アルゴはリリのことが大好きやもんな」
マリエルが猫のように目を細めて揶揄うと、アルゴはプイっとそっぽを向いた。
「ごめんて! ウチもアルゴとおんなじやで?」
マリエルはそう言ってアルゴの首辺りをわしゃわしゃと撫でる。思い返せば、初めて会った時のマリエルは私じゃなくてアルゴに興味があった。一方のアルゴも、リリとその家族以外で最初に仲良くなったのはマリエルのような気がする。
「フフ。二人とも仲良しだねぇ」
襲撃犯や、その背後にいそうな得体の知れない何かの存在は気になる。だが、気になるからと言って行動を変えるつもりはない。怯えてやりたいことが出来なくなれば、それこそ相手の思う壺だと思うからだ。
やるならやってみろ。その時は全力で相手してやる。リリはふんす、と鼻息を荒くして決意した。




