81 最終試験
とうとう学院の最終試験の日が来た。今日に限って、最終試験の受験者は北門の前に集合である。
デンズリード魔法学院が用意してくれた馬車は八台。馬車と言っても乗合馬車で使われている幌馬車タイプだ。ただ、こんな風に学院が用意してくれた馬車を見ていると、前世の遠足を思い出す。校庭に何台ものバスが並んでいたものだ。
受験者は八十四人いるので、一台の馬車に十人から十一人が押し込められる。試験官達が乗るのはしっかりと客室のある箱馬車だ。まぁこれは仕方ないだろう。
リリ、シャリー、アリシアーナは近くに固まっていたので同じ馬車になった。受験者全員が乗り込んだことを確認し、一団が出発する。北門から北北西に伸びる街道を一時間進んだ所にある演習場が試験会場である。シャリーにはそこに行ったことがあると絶対に言わないよう事前に何度も口止めした。
「シャリーは瘴魔を倒したことがあるんですわよね?」
アリシアーナはすっかり打ち解けてシャリーも呼び捨てにする仲になった。
「おう、あるぞ!」
「私もリリのおかげ――むぐっ」
リリは慌ててアリシアーナの口を塞いだ。セバスがいたら睨まれていただろうが今はいない。
あの件は二級瘴魔祓い士が緊急出動する事態になった。あわや大騒ぎである。ウルは仕事をせずに出動手当がもらえてウハウハだったかも知れないが、自分がその原因であることをわざわざ喧伝する気はない。
「アリシア、その件は内緒で」
「わ、分かりましたわ」
それにしても、あの演習場にいた瘴魔はせいぜい十数体。八十四人の受験者には全く足りてない。どんな風に試験を行うのだろうか。
「実際に瘴魔を倒すってことだけど、そんなにたくさんいるのかな?」
リリが見た瘴魔の氾濫でも五十体ほどだった。一人一体倒したとしても八十体以上必要だ。それほど広くないあの演習場に八十体もいたらギュウギュウじゃないかと思う。
「受験者は五人前後で組になって一体の瘴魔を相手するらしいですわよ?」
「五人? 倒せた組は全員合格?」
「いえ、各組に試験官が最低一人ついて、各自の動きを見るらしいですわ。それによって、もし倒せなくても合格になる場合があると」
「へぇ、そうなんだね」
アリシアーナは侯爵令嬢なだけあって事前に情報を掴んでいたらしい。最終試験は毎年同じらしいので、過去の受験者から情報が伝わっているのだろう。
「オレが最初にぶっ飛ばしたらダメなのか?」
シャリーもだが、リリも同じ懸念がある。簡単に倒せてしまうので、同じ組の他の人が活躍する余地がない。リリはむむむ、と考え込む。
「うーん……どんな人と同じ組になるかっていうのもあるけど、試験官に相談した方がいいかもね」
他の受験者は将来がかかっている。最終試験まで残った者はこれまで努力を重ねてきただろう。その結果を披露する機会を奪いたくない。
どうするべきか悩んでいるうちに演習場に到着した。受験者達が馬車から降りて固まった体を解している。
「リリアージュ・オルデンとシャリエット・クルルーシカ・バルト・モルドールはこちらに来なさい」
リリとシャリーはお互い顔を見合わせてから名前を呼んだ係員のところへ行く。何も悪いことはしていない……筈だ、たぶん。
「君たち二人は他の受験者と差が大きい。よってそれぞれ単独で試験を受けてもらうことになった」
「あ、なるほど。分かりました」
「おお、これで気を遣わなくていいな!」
それなら出発前に教えてくれたら良かったのに。悩んでいた時間を返して欲しい。
残された八十二人は、二次試験までの成績で三人から七人の組に分けられた。三人組が二つ、五人組が四つ、七人組が八つである。アリシアーナの事前情報とは少し違うが、受験者の力量によって人数を変えるのは合理的と思える。アリシアーナは見事三人の組に入った。
演習場に入るのは一組ずつ。受験者達、試験官が一人から二人、現役の瘴魔祓い士が一人という構成である。瘴魔祓い士は二人来ていたが、どちらもリリは見たことのない人だった。最初の七人組が演習場に入っていく。
お互いの能力も知らず、いきなりパーティを組んで実戦って考えられないよなぁ。自分の力を誇示したい人とか、自分だけ良ければいいって人がいたら最悪だ。連携なんてあったもんじゃないよね。自分と仲間が出来ることをちゃんと把握して、しっかり自分の役割を果たさないとパーティは機能しない。もちろんリーダーも必要。
リリはジェイク達「金色の鷹」の戦いを思い出した。全員が自分の役割を全うし、声を出さずとも見事な連携を行っていた。もちろんSランク冒険者と自分達を比べるのは失礼な話だが、それでももしリリがパーティを組むなら「金色の鷹」を目指す。
そう言えば、複数で組んでいる瘴魔祓い士さんっていないのかな……?
リリがパーティによる連携について考えていると、五分も経たずに最初の組が戻って来た。七人全員が生気のない虚ろな顔をしている。中には試験官や瘴魔祓い士に背負われている者もいた。
「大変だ――」
瘴魔の攻撃を受けてしまったと思い込んだリリは、彼らを治療するために動こうとしたが、強い力で肩を掴まれた。
「はなし……長官!?」
振り払おうと顔を見ると、そこにはプレストン・オーディが立っていた。唇に立てた人差し指を当てて「しぃー」という仕草をしている。お忍びというやつだろうか。
「彼らは瘴魔から攻撃されたんじゃない。恐怖でああなっているんだ」
リリは一瞬ポカンとしたが、合点がいってポンと手を打った。
そうか。あの七人は、みんな初めて瘴魔を見たんだ。
「毎年あんな風になる受験者が大勢いる。実力を出せない彼らは可哀想だが、瘴魔祓い士になりたいのなら受験の前に恐怖くらいは克服してくるべきだ。そうは思わないかね?」
「そ、そうですよね」
そのために騒ぎを起こしかけたので、リリはプレストンの真っ直ぐな視線から目を逸らした。
「まぁ君みたいに全くの平常心というのもおかしいがな」
プレストンがくつくつと肩を震わせる。はぁー、とリリは心の中で嘆息した。普通の女の子なら、瘴魔を見て悲鳴の一つも上げるだろう。自分にはそういう可愛さが完全に欠落している。本当にどこかおかしいのかも知れない。
シャリーを探すと、地面に座り込み木の幹に体を預けて居眠りしていた。ああ、ここにも普通じゃない女の子がいた。ちょっと安心してしまうリリである。アリシアーナは同じ組の二人と話し合いをしている。きっと二人の能力を聞いて作戦を立てているのだろう。さすがアリシアーナだ。
「瘴魔が怖くないって……やっぱり普通じゃないです?」
大きな体のプレストンを見上げながらリリが口にする。すると、ポンポンと優しく肩を叩かれた。
「普通じゃない。だからこそ、君は希望なんだ」
意味が分からず、リリは盛大に首を傾げた。
「はっはっは! 今は分からなくていい」
そう言いながらプレストンは天幕の方に去って行く。何だろう、冷やかしかな?
そんなことをしているうちにも試験はどんどん進んでいた。演習場入口のすぐ傍に大き目の天幕が張られており、恐怖でやられてしまった受験者がその下で簡易寝台に寝かされている。いつの間にか寝台がほぼ埋まっていた。七人の組は全て試験終了したようで、五十人くらい横になって休んでいるようだ。
普通の人が瘴魔を目にする機会は殆どないとは言え、プレストン長官が言うように、これから瘴魔を倒す仕事をしようとするならば、確かに恐怖を克服してくるべきだろう。
この最終試験はそういった心構えを見ることが本当の目的なのかも知れない。初めて遭遇した瘴魔に対する恐怖で、心が折れてしまう者もいそうだ。そういった者は当然ながら瘴魔祓い士には向かない。得意な魔法を活かして別の仕事をした方が良い。それがその人のためでもある。
改めて普通の人達の反応を目にして、リリはアリシアーナに申し訳ない気持ちになった。瘴魔に慣れろ、なんて軽々しく言うべきではなかった気がする。初めてなのに七体もの瘴魔が現れるなんて、荒療治が過ぎる。リリは一言謝ろうと思ってアリシアーナの方に歩きかけて足を止めた。
「大丈夫ですわ! 瘴魔には慣れてますの!」
アリシアーナの自信に満ちた声が聞こえた。その顔には、作り物ではない余裕が浮かんでいるようにも見える。
荒療治が役に立った、のかな……? 間違ってなかったのならいいな……。
五人の組も次々と演習場に入り、しばらくすると出て来る。まだ青い顔をしている者もいるが、さすがに背負われて戻って来るような者はいなくなった。
そして三人組の一組目が入っていく。壁越しに戦闘音が聞こえ、あっという間に三人が出て来た。三人とも晴れやかな顔をしている。
そしてアリシアーナの組が呼ばれた。リリは胸の前で小さくガッツポーズを作り、彼女を見送る。アリシアーナもリリと目を合わせて右手で拳を握って頷きを返してくれた。三人が演習場に入っていく。
壁の向こうからは派手な音は聞こえない。三人とも浄化魔法使いかも知れない。アリシアーナなら大丈夫だと自分に言い聞かせるが、どうしても心配になってしまう。シャリーと話したいが、彼女はまだ居眠りしている。いい加減起こさないと。肩を揺らすとパチリと目を開いた。
「シャリー……もしかして起きてた?」
「…………起きてるぞ? 精神統一してたんだ」
メチャクチャ嘘っぽい。居眠りしてた人がする言い訳ナンバーワンではなかろうか。
「起きてたならいいんだけど、もうすぐ試験だと思うよ」
「分かったぜ!」
そしてアリシアーナが試験を終えて出て来た。その顔は少し上気して興奮しているようだが、残りの二人がアリシアーナにお礼を言っているので上手くいったのだろう。目が合うと、リリに向かって遠慮がちに親指を立てた。リリも同じようにして返す。
「シャリエット・クルルーシカ・バルト・モルドール!」
「お、呼ばれた。姉御、行ってくる!」
「うん、がんばって!」
試験官と瘴魔祓い士を伴って、シャリーが演習場の中に消えて行く。一分を過ぎた頃に大きな爆発音が轟いた。そしてスッキリした顔のシャリーと、やや疲れた顔の試験官、瘴魔祓い士の二人が出て来た。
「おかえり!」
「ただいま! ちゃんと倒してきたぜ!」
「なんか、一緒に行った二人が疲れた顔してるけど」
「う~ん、なんでだ? ちゃんと威力も調整したし、目の前に来た奴と離れた所にいた奴を合わせて三体ぶっ飛ばしただけだぞ?」
「そ、そっか。たぶん、離れた瘴魔まで倒すとは思ってなかったんだろうね」
「なるほど!」
瘴魔を倒し過ぎて不合格なんてことはないだろう。単独で試験を受けさせたということは、他者との連携は関係ない筈だ。瘴魔に対する恐怖心がないか、実際に対峙した時に落ち着いて対処できるかを見ているのだろう。
「そういえば、白っぽい球みたいなの見えた?」
「近いヤツをちょっと観察したんだけど見えなかった」
「そっかー」
エルフは魔力が見えると言うので、もしかしたらと思ったがやはり見えなかったか。そもそも瘴魔は瘴気の塊だし、魔力とは異なる性質なのだろう。そもそもあの白い球が何なのか、リリも分かっていない。
「リリアージュ・オルデン!」
「は、はい!」
突然名前を呼ばれて焦る。いや、試験を受けに来たのだから呼ばれるのは当然だ。受験者の最後の一人として、リリは演習場の門に向かう。
「姉御、やり過ぎるなよ!」
「わ、分かってる」
後ろからシャリーに釘を刺された。
「よろしくお願いします」
試験管と瘴魔祓い士に向かってぺこりとお辞儀をする。二人とも男性で、これまで見たことはない人だ。試験官はリリに軽く頭を下げたが、祓い士の男性は目も合わせない。ちょっと嫌な感じがしたので、靄を可視化した。
祓い士の男性は、黒に近い灰色と濃い赤紫の靄を顔の周りに纏っていた。試験官の方は濃淡のある黄色い靄なので、こちらは普通だろう。祓い士の方は普通ではない。会ったこともない人に、強い悪意と激しい妬みを抱かれているのは普通とは言えないだろう。
リリはすかさず俯瞰視を発動した。男性たちは後ろから付いてくるので不意打ちを食らわないためだ。
「では試験を始める。自分のタイミングで瘴魔を攻撃しなさい」
「分かりました」
靄を可視化しているし、俯瞰も使っているのでどこに瘴魔がいるか全て把握した。演習場には八体の瘴魔が残っている。ブレットでも神聖浄化魔法でも、いつでも殲滅できる。
広範囲に神聖浄化魔法を発動すると、演習場で管理している瘴気溜まりまで浄化してしまう。かと言ってブレットで倒した場合、ちゃんと自分が倒したと見做されるだろうか?
無属性の魔力弾で瘴魔を倒すというのが非常識であることは、リリも十分に分かっている。ここは無難に手近な瘴魔を「神棚」で倒すのが吉か。
時間にして二~三秒の間、リリが考えを巡らせていたその隙に、背後から放たれた中位炎魔法、豪炎がリリを襲った。




