80 デモンストレーション
二次試験翌日。午前中のうちにマルベリーアンとコンラッドに二次試験合格を伝えてから、リリとアルゴは約束の場所に赴いた。今回、アルゴに隠密を駆使してもらい、街中から背中に乗せてもらっている。特に騒ぎが起きることもなかったので、アルゴの隠密の凄さを改めて実感した。
約束の十四時より少し前に目的地に到着する。街道横の草地に座っていると、南から馬車がやって来るのが見えた。リリは立ち上がってお尻を払う。待っている間にラルカンがリリの肩に転移してきた。
『やあリリ!』
『ラルカン、今日は無理言ってごめんね』
『無理じゃないよ!』
やがて馬車が目の前まで来た。御者は昨日も見た男性で、馬車の中からセバス、そしてアリシアーナが降りて来た。
「リリアージュさん、ごきげんよう」
「こんにちは、アリシアーナさん、セバスさん」
セバスが慇懃に礼をしてくれる。挨拶も済ませたので、早速街道から離れることにした。アルゴを先頭に西方向へ移動する。
尻尾を振り振り前を歩くアルゴに付いて行くことおよそ十分。遠くに林が見え、疎らに背の高い木が生えている場所に着いた。
『あの林から瘴魔が出ることを装えば良いだろう』
『分かった! じゃあ連れて来るね!』
一瞬のうちにラルカンが消える。
「リリアージュ殿、ここで待てばよろしいのですか?」
「はい。あっちの林から瘴魔が出てくるはずです」
セバスの問いに答えたあと、アリシアーナの様子を窺う。彼女は口を真一文字に引き締め、林をじっと睨んでいる。
『リリ、もうすぐ林から出て来るよ!』
『ありがとう、ラルカン』
リリも靄を可視化して準備する。やがて林の樹冠越しに立ち昇る黒い靄が見えた。
「もうすぐ――あれっ?」
立ち昇る黒い靄が一つ、二つ、三つ……だんだん増えてるけど?
『ラルカン、何体連れて来たの?』
『んー、何体かなぁ? まとめて転移させたから数えてないや!』
数えてないや! じゃないよ、ラルカン。いや、ラルカンのせいじゃない。一体でいいって言わなかった私が悪い。
たくさんいるなら、一体だけ残して先に倒してしまおう。
『リリ、七体いるぞ』
『ありがとう、アルゴ。瘴魔鬼はいない?』
『いないな』
アルゴが何体いるか教えてくれた。瘴魔鬼がいないなら危険度は低い。
「アリシアーナさん、瘴魔が七体いるようです。六体は先に倒しますね」
「え? ええ!?」
林から瘴魔が出て来た。距離は五十メートルほど。これくらい離れていれば恐怖心もかなり抑えられるのではないだろうか。そう思ったリリがアリシアーナをチラッと見ると、彼女は顔面蒼白になってプルプルと震えていた。セバスも脂汗を流して青い顔をしているが、気丈にもアリシアーナを背中に庇っている。
この距離でも怖いかー。そっかー。
初めて瘴魔を見る者にとって、一体でも死を予感させるのに十分である。それが七体も現れたのだ。多少離れたところで、瘴魔が纏う命を否定する圧倒的な力に抗うのは難しい。
だが怖さを感じないリリは、瘴魔を近付けさせた。今回の目的は瘴魔に慣れることだ。もっと言えば、恐怖を克服すること。そのためにはあまり離れていても駄目だろうと思った。
「リ、リリアージュ殿!?」
セバスの口から悲鳴のような声が上がった。瘴魔との距離は二十メートル。
「あと五メートル近付いたら倒します」
リリの口調は普段と変わらない。一方でアリシアーナとセバスの恐怖は絶頂に達しようとしていた。死がそこまで迫っている。
「はい。じゃあ倒しますね」
ブレット六連射。近くにいた瘴魔から順番に、二秒と掛からず白い球を撃ち抜く。濃密な黒い靄が解け、さらさらと塵になって消えていく。
「じゃあアリシアーナさん――」
ぱたり、と音がした。リリが振り返ると、セバスとアリシアーナが折り重なって倒れていた。恐怖のあまり気絶してしまったのだ。それでいいのか、セバス!
「ええぇ……」
これでは目的を達せられない。
『アルゴ、ラルカン。二人のそばにいてくれる?』
『承知した』
『いいよー!』
リリは残った瘴魔の前に神聖浄化魔法の壁を作り出した。注連縄のイメージである。瘴魔は壁の前で止まり、どうしようか逡巡しているように見える。そして横に移動を始めた。それに合わせてリリも動き、壁も移動させる。
リリはアリシアーナが起きるまで、瘴魔をこの場に留めようと考えたのだ。最後の一体、できればアリシアーナに倒してもらいたい。
瘴魔が諦めて林の方に逃げようとすると、そちらに回り込んで壁を生み出す。アリシアーナ達の方に行こうとしたら、瘴魔の眼前に「神棚」を置いて妨害する。普通に倒すより何倍も疲れる作業である。それに瘴魔を苛めているようで居た堪れない気持ちになってきた。そうやって五分ほど経ち、もう倒しちゃおうかなと思った頃、アルゴから念話が届いた。
『リリ、女子の方が起きたぞ』
「よかったぁ。アリシアーナさん、立てますか!?」
アリシアーナの上に覆い被さって気絶したセバスは、アルゴに咥えられてすでにポイっとどかされていた。ラルカンはアリシアーナの胸の上で小首を傾げるように彼女を見つめていた。あざと可愛い。
「リ、リリアージュさん?」
「最後の一体、アリシアーナさんが倒してくれますか!?」
アリシアーナはフラフラと立ち上がり、リリと金色の壁に阻まれている瘴魔を見た。ぶるりと体が震えるが、さっきほどの恐怖は感じない。
ああ、これがリリアージュさんの言った「慣れ」ですの? とても不思議ですけれど、恐怖よりも私に失態を演じさせた怒りの方が勝っていますわ!
しっかりとした足取りで、アリシアーナはリリの隣に立った。
「準備いいですか? この魔法を解除したらすぐに浄化魔法を当ててください」
「分かりましたわ!」
「じゃあ行きますよ? さん、にぃ、いち――」
「浄罪!」
金色の壁がリリのカウントダウンで消え去り、アリシアーナが放った浄化魔法の淡い青色の光が瘴魔を包んだ。効果範囲は半径二十メートル。瘴魔はそこから逃れようともがくが、範囲から出る前に消滅した。
「やった! やりましたね、アリシアーナさん!」
「やりました……私、瘴魔を倒しましたわ!」
リリとアリシアーナが手を高く上げ、お互いの手の平を打ち合わせた。
「リリアージュさん……リリさん、とお呼びしても?」
「全然いいです。さんもいらないです」
「いえ、それは駄目ですわ。リリさんのおかげで恐怖を克服できたのですから。私のことはアリシアとお呼びになって?」
「はい、アリシアさん!」
リリとアリシアーナは街道に戻りながらウキウキと喋っている。少し離れた後ろをセバスがトボトボとついてきた。アリシアーナを守るべき立場が、一緒になって気絶したことに激しく落ち込んでいたのだった。
ラルカンには何度もお礼を言って、今度家に来たらクッキーをご馳走する約束をして別れた。ラルカンは非常に上機嫌で帰って行った。
アリシアーナはリリが瘴魔を倒すところを見ていなかった。恐怖でそれどころではなかったのだ。だが、瘴魔が七体いたことは何となく覚えており、それが残り一体になっていたことから六体はリリが倒したのだろうと推測した。
「リリさん、ごめんなさい。私、あなたの実力も知らずに失礼なことばかり言ってしまいましたわ」
「構いませんよ? 私みたいな子に実力があるって信じられないのが普通ですもん」
間もなく十三歳になるとは言え、まだまだ幼さが色濃いリリ。小柄で華奢な姿は強さや威厳といったものとは縁がない。強く見えなくて当然である。
「それに、アリシアさんは私のためを思って言ってくれたんでしょう? だから全然気にしてません」
「良かったですわ。恩人に嫌われたらイヤですもの」
間もなく街道沿いで停まって待っていた馬車に辿り着く。一緒に乗って行くか、という誘いを丁重に断って、リリは馬車に手を振って見送った。
こうしてこの日、一人の少女が自信を獲得し、一人の侍従が自信を喪失したのだった。
『背に乗らぬのか?』
『たまにはゆっくり歩こうよ』
『うむ』
綺麗な感じで見送ったのに、アルゴに乗せてもらったらアリシアーナの馬車を追い越してしまう。それが何だか申し訳ないような気がして、リリはアルゴと一緒に歩いて北門に向かっている。
夏の終わり、少し陽が傾いたこの時間の風には秋の気配が多分に含まれていた。ここファンデルは少し前まで住んでいたマルデラと比べて少し北の方に位置するので、その分秋の訪れが早いように感じられる。まだ真昼は体を動かせば汗ばむ陽気だが、この時間は丁度良い。
「そういえば、ファンデルに来てからあんまり体を動かしてない気がする」
『……そうかも知れんな』
くっ、そこは否定して欲しかったよ。でも実際そうなんだよね。ファンデルは広いから、どこかに出掛ける時は乗合馬車を利用することが多い。マルデラでは冒険者ギルドで薬草採取の依頼を受けて森へ行くことがしょっちゅうあった。ファンデルに来てからは冒険者ギルドには本拠地変更の手続き以来行っていない。これはヤバいかも知れない。意識的に体を動かさないと太っちゃう。
「太りそうだったら私を注意してね?」
やや他人任せなリリの発言に、アルゴが少し首を傾げて答える。
『リリはもっと太った方が良いのではないか?』
リリは立ち止まってアルゴにビシッと人差し指を突きつけた。
『それ! 女の子に言っちゃダメなセリフ!』
『そ、そうなのか? すまぬ』
リリだってボンキュッボンになりたい。だが身体各所の膨らみはまだささやかである。
男の人って簡単に「もっと太った方がいい」って言うよね? 女性が言う「太った」と男性が言う「太った」には大きな隔たりがあると思う。もっとデリカシーを持たないとダメなんじゃない?
自分から言っておいて、デリカシーのある答えを要求するとは何と理不尽なのだろう。世の男女の価値観の違いとは、かくもままならないものなのだ。
プリプリしながら歩くリリだが、三分もしないうちに何に腹を立てていたのか忘れた。アルゴはリリの雰囲気が柔らかくなったことを敏感に感じ取って話し掛ける。
『リリ、そろそろ背に乗らぬか? 陽が暮れてしまう』
「んー、もう少しだけ歩いてもいい?」
『うむ、承知した』
更に数分歩くとファンデルの白い防壁が見えてきた。来る時はアルゴに乗せてもらってあっという間だったから距離感が分からなかったけど、意外と近かったな。
そんなことを考えていると、何やら北門の辺りが慌ただしくなる。一般の人が出入りする門の隣が開き、騎乗した騎士と一台の馬車が出て来た。そのままリリ達の方に迫ってくる。
「何かあったのかな?」
『慌てているようだな』
リリとアルゴは邪魔にならないよう街道から草地に避けた。騎乗した騎士が四人、馬車の御者も武装した騎士のようだ。何だか非常に既視感のある構成である。一団がリリ達の横をかなりのスピードで過ぎ去ったが、少し進んで全員が止まった気配を感じて振り返る。
「リリちゃん!?」
「え、ウルさん! お久しぶりです!」
馬車から顔を覗かせたのはウル・ハートリッチ。最後に会ったときに二級瘴魔祓い士に昇格したと聞いた。真っ赤なストレートヘアが艶めかしいグラマーなお姉さんである。ちなみに仕事から離れるとダメな大人になる人だ。
「あ、そう言えばカクタスのみんなが移住するって言ってたわ。もうこっちに来たのね」
「はい、ひと月半くらい前です」
「そっかぁ」
「ウルさんはどうしたんです?」
「街道を巡回中の騎士が、この先で瘴魔らしき群れを見たらしいの」
「瘴魔の群れ」
「うん。リリちゃんは見てないよね?」
「え、えーと?」
リリの目が面白いくらいに泳いだのを見逃さなかったウルは、何かを察して馬車から降りた。騎士から少し離れた場所にリリを引っ張っていく。
「リリちゃん、何か知ってるんでしょ」
「えーと、ウルさんが聞いた群れと私の知ってる群れが同じとは限らないですけど」
「うんうん」
「ここから二キロ行かないくらいの場所、街道から西に十分ほど歩いた林の手前、そこにいた七体の瘴魔なら、もう倒しました!」
リリは少し早口で一息に言いきった。ウルがニンマリと笑う。
「リリちゃん、ナイスよ! それが今回呼ばれた瘴魔だわ。二級になるとね、瘴魔を倒さなくても出動手当が出るのよ。ノーリスクで稼げたわ!」
「えーと、良かったです?」
「うん。一応現場には行かなきゃいけないけど。リリちゃんが倒したのは内緒ね!」
そう言って、ウルは颯爽と馬車に乗り込み北へ向かって行った。
ウルが駆り出された瘴魔はリリが呼び出したようなものだ。もちろん悪気はなかったが、場合によっては大事になっていたかも知れない。
今後、ラルカンに転移で瘴魔を連れて来てもらうのは控えよう、と固く決心したリリ。しかし考えようによっては、騎士の皆さんには申し訳ないがウルの小遣い稼ぎに貢献したとも言える。
悪いことをした後のような、僅かな罪悪感とドキドキを感じながら、リリとアルゴは北門の入街の列に並ぶのだった。




