8 残酷な運命
翌朝、ジェイクが目を覚ました。
「……ダドリーは?」
クライブ、アルガン、アネッサが無言で首を振る。クライブは上半身を包帯で覆われ、アルガンとアネッサは目と鼻の周りを真っ赤にしていた。
「瘴魔鬼は?」
「俺が気が付いた時は消えていました」
「そうか……ダドリーがやってくれたんだな」
ジェイクは確かに見た。最後の瞬間、ダドリーが腹を貫かれながらも瘴魔鬼に抱き着き、天恵を使った大魔法を発動したところを。
「くそっ……リリ達に何て言やいいんだよ」
ダドリーではなく自分が死ぬべきだった。だが、自分では瘴魔鬼を止められない事も分かっていた。あの場で瘴魔鬼を倒せるとしたら、間違いなくダドリーしか居なかったのだ。
それでもジェイクは後悔する事を止められなかった。幼馴染で唯一の親友。ミリーの夫でありリリとミルケの父。甘い部分もあるが、心優しくて責任感の強い男。ジェイクにとってダドリーは兄弟のような存在だった。
そんなダドリーはもう居ない。
「くそっ、くそっ、くそがっ!」
ジェイクは自分の太腿に拳を打ち付けながら涙を流した。クライブ達三人も同じように涙を流す。
「ジェイク、無事で良かった……」
そこに現れたのはミリーだった。リリとミルケは居ない。リリにミルケを任せ、一人で救護所を訪れたのだった。
「ミリー……すまない、ダドリーは――」
「分かってる。あの人はみんなを守る為に自分を犠牲にしたんでしょ? あの人はそういう人だもの」
気丈にそう言ったミリーだが、突然その場に泣き崩れた。
「ダドリー……ああ、ダドリー!!」
その病室にミリーの慟哭が木霊した。
憔悴した様子で家に帰って来た母を見て、リリは父に何かあったのだと悟った。
「お母さん! お父さんは大丈夫? 怪我が酷いの?」
「ああ、リリ……」
自分の前に膝を突き、泣きながら抱きしめてきた母の様子に、リリはいやいやをするように首を振ってそこから逃れようとした。
「いや……嘘でしょ……そんなこと信じない。お父さんは生きてるよね? 生きてるって言ってよ、お母さん!?」
「……リリ……お父さんは……あの人は死んじゃった」
「いやだ! そんなの嘘だ! お父さんが死ぬ訳ない! お母さん、酷いよ!」
「嘘じゃないの……リリ、お父さんは死んでしまったのよ」
「いや! そんなのいやよ!」
リリはミリーを振り切って家を飛び出した。追い掛けねばならない、頭では分かっていても、ミリーの体は動かなかった。ダドリーを失ったショックで体が動く事を拒否していた。何も考えたくない。何も考えられない。ミリーは呆然とリリを見送った。
家を飛び出したリリは泣きながら通りを走った。足は自然と西へ向かっていた。
お父さんが死んだなんて信じない。この目で遺体を見るまでは絶対に信じない。あんなに優しくて強いお父さんが、私達を置いて死ぬ訳がない。きっと怪我をして動けないんだ。森の中で苦しんでいるかも知れない。私がお父さんを助けないと。
もう一人の殺人犯がガルベストリの森で目撃され、それを捕縛する為にダドリー達が森へ向かったのは知っていた。そこで何か大きな騒ぎが起き、沢山の人が死んでジェイク達も大怪我を負ったと聞いた。だからダドリーも怪我を負ったのだろう。リリはそう考え、止めようとする衛兵の脇を擦り抜けて西門を出て、小さな体で森へ向かった。誰もお父さんを探さないなら私が探す。私には靄が見える。お父さんだって見付けられる。
リリはただただ走った。肺は焼けそうで、足は今にも縺れそうだ。でもお父さんを見付けないと。お父さんが待ってるんだから。
ダドリーが瘴魔鬼に「爆炎」を放った時、瘴魔鬼はその魔法ごとダドリーを取り込んだ。
瘴魔より格段に強い瘴魔鬼がどのように発生するのか、これまで誰も知らなかった。まるで自然災害のように捉えられていたのである。
瘴魔鬼は、瘴魔が人間を取り込む事で発生する。最初に取り込んだのは、言うまでもなくもう一人の殺人犯、ガルステッド・ラムダである。右の肩口から生えていた頭の持ち主だが、今は完全に取り込まれてその姿が消失した。
人間を多く取り込めば、その分力を増すのが瘴魔鬼だ。ダドリーを取り込んだ事で更に脅威度が跳ね上がった。瘴魔鬼はより多くの人間を取り込み、やがて瘴魔王になるべくマルデラの町を目指そうとした。
だが、ダドリーの意識がそれをさせなかった。「爆炎」で瘴魔鬼の力が相当程度削がれたことが、ダドリーの意識を残す要因だった。
それでも瘴魔鬼の体は修復され、町に向かって動こうとしている。ダドリーは残った意識の全てを動員してそれを阻んでいた。自分の意識が残っているうちは、お前を町に近付けるものか。少しでも長く時間を稼ぎ、家族が逃げる時間を作り出す。死して尚ダドリーは愛する家族の為に戦っていた。
しかし時間はそれ程残されていない。ダドリーが瘴魔鬼に完全に取り込まれ、その意識が消え去るまで、残された時間はあと僅かだった。
リリは森を彷徨っている。普段なら危険な魔物が居る森だが、瘴魔鬼の気配で魔物達は遠くに逃げていた。そんな事など当然知らないリリは、ただ懸命に父を探した。そして遂に、木々の上に立ち昇る黒い靄を見付ける。
この前見た黒い靄よりも激しく渦巻いて見える。だがそこに、僅かだが淡いピンクの靄が混ざっていた。憎悪の塊の中に親愛? しかもそれは、見慣れた色合いのピンクだった。
リリは恐る恐る黒い靄に近付いた。そして木々の向こうに見えたのは三メートルはある黒い人型。それが、前に踏み出そうと傾いた形で止まっていた。動いているようには見えない。様子を探る為、遠巻きにその人型の周りを一周する。そこでリリは見てしまった。人型の左の肩口から生えている顔を。
それはリリが良く知っている顔。この世界で一番好きな男性。愛して止まない父の顔だった。
「お父さん……」
「リリ……」
ひび割れているが、それは間違いなく父の声だった。
「リリ、すまない。こんな事になって」
「いいの。お父さん、痛くない? 一緒に帰ろう?」
「それは無理なんだ。ごめんな、リリ」
「そんなことない。お母さんとミルケも待ってるよ?」
「ああ……二人にも謝っておいてくれるかい?」
「そんなこと言わないで……お父さん、一緒に帰ろうよ」
リリは一歩瘴魔鬼に近付いた。
「近付くな!」
聞いた事の無いような厳しい声で言われ、リリは身を竦めた。
「リリ、本当に危険なんだ。離れなさい」
「いや……いやだよぅ……」
リリはその場で泣き始めた。
「リリ、よく聞いて。君ならこの瘴魔鬼を倒せるだろう?」
「倒す? そいつを倒したら一緒に帰れる?」
リリにはぼんやりと光る白い球が見えていた。それは左胸の辺り、ダドリーが埋まっているとしたらその胸の中心辺りだった。
「もうお父さんは死んでるんだよ」
「嘘だ。ちゃんと喋ってるもん」
「これは、こいつに生かされてるだけだ。こいつが死ねばお父さんも死ぬ」
「じゃあ倒さない」
「リリ、良く聞きなさい。倒さなくても、お父さんはもうすぐこいつに飲み込まれてしまう。そうなったら、こいつは町を襲う」
「……そんな」
「お父さんからの最後のお願いだ。リリ、こいつを倒してくれ」
「いや……いやだよ、おどうざん……」
「頼む……お父さんを人間のまま逝かせてくれ」
「おどうざん、おどうざぁん!」
「ああ、もう時間がない……急ぐんだ」
リリは大粒の涙を流しながら右手を拳銃の形にした。その指先に魔力が集まる。
「それでいい……リリ、愛してるよ」
「おどうざん、わだじもあいじでる」
涙で前が見えない筈なのに、リリのブレットは白い球の真ん中を正確に撃ち抜いた。
「ああ…………ありがとう、リリ」
黒い人型と父がだんだん薄い靄になり、ふっと消えた。
「おどうざん、おどうざん、おどうざぁーーーん!!」
リリはその場で蹲り、額を地面につけて泣いた。
こんな悲しい思いをする為に、私は転生したのだろうか?
大好きな父を自分の手で殺す為に、私は転生したのか?
こんなのは耐えられない。こんな思いを抱えてこの先生きていける気がしない。
リリは右手の指先を自分の頭に向けた。だが、その右手を何かが優しく包んだような気がした。確かに感じる温もりは、何度も感じた父の手のようだった。
もしこの世界にあの世があって、お父さんがそこで私を見守っているのなら、こんな事はしちゃ駄目だ。
リリは右手を下ろし立ち上がった。もう一度、父が消えた場所を見つめ、それから東に向かって歩き出した。
リリが家を飛び出して一時間後、ミリーはいつまでも戻って来ない娘の事が心配になった。ダドリーを失い、その上リリまで失う訳にはいかない。ミリーはミルケを抱き、救護所に走った。果たしてそこに、アルガンとアネッサが居た。ジェイクとクライブはまだ動けるような状態ではない。
「アルガン、アネッサ! リリが居なくなってしまったの!」
「何だって!?」
「行先に心当たりは!?」
「……もしかしたら、ダドリーを探しに行ったのかも」
「そりゃ大変だ」
「すぐ探しに行きましょう」
アルガンとアネッサにとっても、リリは妹のようなものだ。
「おい待て二人とも。ギルドに協力を仰げ。なるべく大勢で探すんだ」
横になったジェイクが二人に忠告する。動けない自分がもどかしい。本当なら自分が真っ先に探しに行きたい。
森と言っても広大だ。そんな中で一人の少女を探すなら、なるべく沢山の手を借りた方が良いに決まっている。
「依頼の形にしてもいい。金は俺が出す」
「いや、それなら俺が」
「いいから、早くギルドに行くよ!」
こうして、三十分後にはリリの捜索隊が編成され、冒険者だけでなく町民までがそれに加わった。総勢百人で森を捜索する事になったのだった。