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52 エバーデンの騒動

 東区の貴族街にほど近い宿に泊まったリリは、朝食を終えてから城へ向かった。早めに行けば足止めされないかな、と思って午前八時くらいに行ったのだが、やはり足止めされて辺境伯の執務室に案内された。


 ベイルラッド様、こんなに早くから仕事しちゃ駄目ですよ?


「おぉー、リリ! 来たか!」


 ボームスとは異なる執事に案内されたリリは、執務机の書類から目を挙げた辺境伯に優しい笑顔で迎えられた。


「お久しぶりです、ベイルラッド様。お忙しいところすみません」

「忙しくなどないぞ! 書類仕事で退屈していたところだ」


 傍に控えていた文官が眉を顰めるのが見えて、リリは思わずクスッと笑ってしまった。

 辺境伯は、リリをまるで親戚の娘のように気安く扱ってくれる。リリとしても、恩人だと言われ続けるのはムズムズするのでこっちの方がマシだった。


 執務室の前に置かれたソファに誘われ、侍女が淹れてくれた紅茶をいただく。リリの近くに寝そべったアルゴを辺境伯が無言になって撫でている。しばらく撫でて名残惜しそうにソファに座り直した。


「ボームスの見舞いに来てくれたのか」

「はい。お世話になった方ですから。それに、お仕事をしていないボームスさんなんて想像できません」

「ハハハ! そうだな、仕事が生き甲斐の男だ。執事服を着て仕事中にぽっくり死ぬのが夢だと言っていた」

「アハハ……」


 それは生き甲斐というより、もはや中毒では?


「ところで、カリナン様のご様子は?」

「うむ、最近は衛兵に混ざって訓練までしている。まさか腕白過ぎて手を焼くようになるとはな」

「アハハ……お元気そうで何よりです」


 腕白なのは私のせいじゃないもん!


「妻とも会ってくれ。カリナンも訓練が終わったら来るだろう。昼食を一緒に食べて、午後から私がボームスの家に案内しよう」

「え、ベイルラッド様がですか!?」

「不都合があるか?」

「……いえ。お願いします」


 まさか辺境伯自身が案内してくれるとは。暇な人なら誰でも良かったのだが、辺境伯様は暇なのかな?

 お互いの近況を話した後、侍女に連れられて四階の居住区へ。ケイトリンはリリが来ていることを知らされていたようで、ソワソワしながら待っていた。


「リリさん! ようやく来たわね!」

「ケイトリン様、こんにちは」


 ケイトリンは殊更にリリを可愛がり、ドレスやら靴やら宝石やらを毎回プレゼントしようとするが、いつも何とかお断りしている。


「リリさん、少し見ない間に……何だか大人っぽくなったのじゃない?」

「え、本当ですか!? 嬉しい!」


 リリは、マリエルと比較してずっと幼児体型で悩んでいたのだ。最近は少し曲線が出て来たかな? と思っていたので、辺境伯の妻から認められて大層喜んだ。

 侍女が淹れてくれた紅茶と茶菓子をいただきながらケイトリンと話していると、ダダダッと廊下を走る音がして部屋の扉がバーンと開かれた。カリナンである。


「リリさん! 来てくれたのですね!」


 別にカリナン様に会いに来たんじゃないです、とは言えない。


「カリナン、ノックもせずにドアを開けるとは何事ですか!」

「あ……申し訳ございません、お母様」

「全く……それに訓練後の汗をかいたままでは、リリさんに嫌われますよ?」

「うっ!? ……ゆ、湯を浴びて来ます! リリさん、まだ帰らないですよね?」

「あ、ベイルラッド様から昼食を一緒に、と誘っていただいたので」

「分かりましたっ!」


 カリナンは嵐にように去って行った。一年少し前まで車椅子生活だったとは思えない活発さだ。それに、ここ一年でだいぶ背も伸びた。リリに寄せる好意も高まっている気がするが、もっと成長すれば他に好きな女の子が出来るだろうと思って放置している。

 しばらくすると頬を上気させて髪が濡れたままのカリナンがやって来た。その姿を見てケイトリンが嘆息する。


「全く、あなたって子は……リリさんは逃げませんよ?」


 何を言われているのか分からずきょとんとしているカリナンに、リリとケイトリンは顔を見合わせて笑った。


『ここは居心地が良いな。飯も旨いし。もちろんリリの作る料理には敵わんが』


 床に寝そべって様子を見ていたアルゴの呟きが聞こえる。リリは椅子から立ち上がってアルゴの横に膝を突いた。


「アルゴも、ここは居心地がいいって思ってるみたいです」

「それは嬉しいわ」

「アルゴはいつ見てもカッコイイですね!」


 二人もアルゴの傍に膝を突いてわしゃわしゃと撫でる。辺境伯もアルゴを好いていて、三人で寄ってたかって撫でまくるのも見慣れた光景だ。アルゴはリリに好意を寄せている人間に対しては寛容なので、いつも好きにさせているし満更でもないようだ。

 そうやって楽しい時間を過ごしていると昼食になり、辺境伯家の三人と一緒に食堂でいただいた。アルゴには焼いた骨付き肉とたっぷりの野菜を供してくれた。


「それではボームスの家に案内しよう」


 辺境伯家の紋章が入った馬車は、前後に二名ずつ、騎乗した護衛に守られている。御者も護衛である。辺境伯自身、護衛は不要なくらいの強者だが、立場が許さないそうだ。

 ボームスの自宅は貴族街の端、街の中央寄りに位置しているらしい。馬車と護衛の一行がゆっくり進んでいると、何やら遠くで騒ぎが起こっているのが聞こえた。


『リリ。街の中に瘴魔……いや、瘴魔鬼かも知れんのが一体いるぞ』


 いち早くアルゴから言葉が届いた。騒ぎに気付いた辺境伯が、御者台の護衛に指示を出している。そうしているうちに騒ぎがこちらに近付いて来る。街を巡回している衛兵が護衛に走り寄り、状況を説明していた。


「辺境伯閣下! 街中に瘴魔が出現したそうです!」

「なんだと!?」

「この道は危険です。城に戻りましょう」

「む……」

「ベイルラッド様。私とアルゴで何とかします」

「は?」


 リリは辺境伯の答えを待たずに馬車から飛び出した。エバーデンは領都なだけあって住民が非常に多い。そんな街中で瘴魔、或いは瘴魔鬼が出現したら大惨事である。


「リリ! 戻りなさいっ!」


 辺境伯の言葉を振り切り、リリとアルゴは前方の喧騒に向かって駆けた。直ぐに騒ぎの中心に辿り着く。そこでは、「金色の鷹」の五人が瘴魔鬼を足止めし、騎士や衛兵が住民を避難させている最中だった。

 瘴魔鬼は、胸と腹に生気を失った人間の顔を携えていた。左右の拳が真っ黒な剣に変化し、ジェイク、アルガンの二人と打ち合っている。アネッサは風、ラーラは小さい炎の障壁を作り出して瘴魔鬼の動きを牽制し、クライブは後衛の二人に攻撃がいかないよう守っている。

 神官が二人いて浄化魔法を時折発動しているようだがその範囲に瘴魔鬼が入らない。街中のため最上位の炎魔法が使えず決め手に欠ける状態だった。


 リリは靄が見えるように念じる。ぼんやり光る白い球は、左脚の付け根にあった。隣でアルゴが低く唸り、いつでも飛び出せる体勢をとっている。


ブレット(弾丸)は貫通する……向こう側に誰もいないタイミングで……えっ?」


 リリがそう考えた時、ふいに上から俯瞰している映像が頭に浮かんだ。眼前で繰り広げられている光景とダブっている訳ではない。まるでPCのモニターが一枚増えたかのように、別の光景としてはっきり区別出来る。


 俯瞰映像では、瘴魔鬼の向こうに人が居ない場所がよく分かった。二次被害が出ない角度に位置取りし、瘴魔鬼の動きを見る。


「えっ」


 さっきまでジェイクやアルガンと激しい剣戟を交わしていた筈なのに、突然その動きがスローモーションで見え、音が遠のく。さらに瘴魔鬼と二人が次にどう動くのかが直感的に分かった。


「ここだ」


 リリはブレットを放った。無属性の魔力弾は、ジェイクの右脇腹とアルガンの左脇腹を掠めるように飛び、真っ直ぐ白い球に吸い込まれる。リリの目には、ブレットが直撃した球が弾ける様まではっきりと見えた。次の瞬間、世界が速さと音を取り戻した。


「リリ!? こっちに来たら駄目だっ」

「リリちゃん、そこから動かないで……って、あれ?」


 ジェイクとラーラがリリに気付いて声を掛けるが、その時には瘴魔鬼がさらさらと黒い粒子になって崩れていた。「金色の鷹」の五人と、周囲にいた神官や騎士、衛兵達が目を丸くしてそれを見ている。


「リリ……もしかして、これはお前が?」

「…………うん」

「一体どうやって……いや、その話は後だな。他にも瘴魔がいるかもしれねぇ。リリ、俺達から離れるな――」


 ジェイクが最後まで言う前に、リリの背後で叫び声が上がった。辺境伯の乗った馬車を護衛騎士が取り囲み、その前で男が二人の騎士から槍で押さえつけられている。しかし、男が懐から薄い木箱を出し、その蓋を開けるのが見えた。その瞬間、木箱から真っ黒い靄が噴出する。


 あれ、見たことある!


「アルゴ!」

「わふっ」


 リリは咄嗟にアルゴの背に飛び乗り辺境伯の方へ向かった。二百メートルは離れていた距離が数秒で縮まる。リリは心を落ち着け、山頂の厳かな神社をイメージする。


「浄化!」


 以前ラーラと試した時、リリの「神聖浄化魔法」は半径五十メートルの効果範囲だった。だからアルゴに乗せて貰って急いで近付いたのだ。

 しかし、今リリが放った魔法は――東区の半分を覆う程に広がった。魔法陣はリリとアルゴを中心に直径二メートル程度の大きさなのに、目の届く範囲全てが神聖浄化魔法による金色の光で溢れる。

 木箱から噴出した真っ黒な靄は、金色の光の粒子となって空気中に溶けていった。辺りが金色に染まるという異変に、辺境伯が馬車から身を乗り出し、アルゴに乗っているリリと目が合った。


「これは……やってしまった気がする」

『さすがはリリだな! これだけの範囲を浄化するとは!』


 アルゴは大層嬉しそうだが、リリは少し寒気を感じる。後ろからジェイク達が、前から護衛騎士に囲まれた辺境伯がやって来る。思わず逃げ出したくなった。


「リリちゃん! 今のは神聖浄化魔法だよね!?」

「リリ……どういうことかちゃんと説明してくれるよな?」


 テンションの高いラーラと、いつもより声が低いジェイク。


「リリ……今のは君がやったのか?」


 アルゴの背から降りたリリは、額を押さえながら空を仰いだ。別に隠していた訳ではないが、きちんと説明しなければならないだろう。ジェイク達が心配するのは火を見るよりも明らかだし、辺境伯がどう動くかは予測がつかない。……気が重いが仕方ない。


「あの……ちゃんと説明します」

「うむ、じっくり説明してもらおう」


 リリはジェイク達と辺境伯に挟まれ、城に連行された。





「つまり……ダドリーが死んでからずっと、一人で瘴魔を倒してたのか?」

「……はい」

「スナイデル公国で瘴魔と瘴魔鬼を倒し、特級瘴魔祓い士と共にルノイド共和国まで瘴魔の氾濫を収めに行った、と」

「…………はい」

「だから公国から帰って来た時に大金を持ってたんだな……」


 リリは応接間のソファで小さくなっていた。周りを大人達が囲み、リリの話を確認してくる。何一つ悪い事はしていない筈だが、何故か責められている気がする。


「これまで瘴魔をどれくらい倒したのだ?」

「えーと……百体くらい?」

「「「「「「ひゃ!?」」」」」」


 大人達が変な声を出した。


「その、リリだけに見える『弱点』っていうのは……」

「あ、それが弱点とは限らないよ? ただそれを撃ち抜いたらいつも倒せるから、私が勝手に弱点だと思ってるだけで」

「しかし、無属性の魔力弾でそんなことが出来るとは」

「リリちゃんの魔力弾は私も見せてもらったけど、とんでもない威力と精度だったわ」


 ラーラには初めて会った時にブレットを見せている。


「……辺境伯様。リリのこの力だが、伏せておくことは出来ますでしょうか?」


 ジェイクが、腕組みをして目を閉じている辺境伯に尋ねる。


「恐らく無理だろう。さっきの騒ぎで多くの人間が目撃した。大半はリリの力だと思わないだろうが、近くで見ていた者は気付くかも知れない。緘口令を敷いたとしても、情報の流出を完全に防ぐのは不可能だろう」

「あの、ベイルラッド様……」

「ん? どうした、リリ」

「私はどうなるんでしょう?」

「どうなる、とは?」

「何か罰が与えられるんでしょうか?」

「何を言っている? 君は街を救った英雄だ。それに私の命も。そんな君に罰を与えるなんてとんでもない。褒賞をどうするか考えているところだよ」


 よかったー。捕まるのかと思ったよ。


「ただなぁ。類稀な治癒魔法に加えて、人類の敵である瘴魔を一人で倒せる力。それを知れば、君を欲する者が押し寄せないとも限らない。ジェイク達もそれを心配しているのだろう?」

「おっしゃる通りです」


 リリはソファでますます身を縮こまらせた。嫌な貴族とか貴族とか貴族が押し寄せたらどうしよう?


「国にとって有益な人間であることは間違いない。しかし、今の王家がリリをまともに扱うかどうかは疑問なのだよ……」


 辺境伯はそう言って嘆息し、瞼の上から目を揉んだ。


「ジェイク、二人で少し話がしたい。時間はあるか?」

「もちろんです」

「リリ、他の者に案内させるから、ボームスの見舞いに行ってやってくれないか? その後は宿に戻りなさい」

「はい。……あの、ベイルラッド様」

「うん?」

「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」

「いや、謝る必要はない。さっきも言った通り、君は英雄だ。その英雄をどうやって守るかをジェイクと話すだけだ。心配するな」

「はい……ありがとうございます。ジェイクおじちゃんも、ありがとう」

「気にすんな。また後でな」

「うん」


 辺境伯とジェイクを残し、リリ達は城を後にした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分の拙い策の後始末もできていないなんて、この程度の人物が辺境伯でこの国大丈夫なのだろうか。
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