49 ベイルラッド・クノトォス辺境伯
ジェイク達「金色の鷹」は、クノトォス辺境伯から冒険者ギルドを通して正式にリリの護衛依頼を受けた。護衛料は伯爵クラスの貴族と同等らしく、「金色の鷹」のメンバーはリリの護衛が出来る上に懐が潤うと大喜びだった。
ボームス・キャリアース執事長の言葉通り、彼が訪れた翌日にはリリとルークに一億コイルの賠償金が支払われた。リリはギルドに口座を持っているのでそこに入金された。これはマルベリーアンから瘴魔や瘴魔鬼討伐の報酬として二千万コイル以上のお金を受け取った際、ミリーやジェイクの薦めで開設したものだ。冒険者ギルドならどこでもお金を引き出すことが出来るし、別の国ならその国の通貨で受け取れる。
レイシアの治療のためにエバーデンを訪れてから約二か月。リリ自身、これほど早くまたエバーデンに行くことになるとは思わなかった。ボームス執事長がリリを訪ねて来てから四日後、一行はエバーデンに向けて出発した。
出発までの四日の間にリリは服を仕立てた。キュロットスカートやパンツスタイルを好むリリだが、辺境伯と会うのにドレスを用意した方が良いだろうと周囲に言われたのだ。マルデラで一番腕の良い仕立て屋で濃紺のドレスとヒールの低いパンプスを大急ぎで作ってもらった。
「アルゴ、いつもごめんね」
「わふ?」
自分だけ馬車に乗って楽をしているような気がして、リリはアルゴに謝った。馬車に乗れないアルゴはいつものように後ろからついて来る。アルゴにとって馬車と並走するのは全く苦にならないので、何故リリが謝るのか分かっていない。
今回用意されたのも貴族が乗るような立派な馬車だった。以前アルガンが言っていた「可愛い馬車」とは、真っ白に塗られてあちこちに金色の装飾が施されたものだったらしく、リリはそれを全力で拒否した。あれではお姫様が乗っていると思われる。そんな馬車から降りるのは恥ずかしい。
「今回は辺境伯が用意してくれた宿に泊まる。東区の宿だな。明日の朝迎えが来るから、それから領城に向かう」
「みんなで行けるの?」
「城の中まで一緒に入るのはラーラとアルゴだけにした。あまり大勢で行くのは失礼に当たるから」
「そうなんだ……って、アルゴも行って大丈夫なの?」
「片時も離れない従魔って説明したら、一緒にどうぞって言われたぞ?」
「じゃあいいのかな」
城にぞろぞろと護衛を引き連れて行くのは、相手を信用していないみたいで確かに失礼だろう。でもアルゴはいいのかな? まぁ向こうが良いって言うんだから良いのだろう。
エバーデンに到着した翌朝。辺境伯が用意してくれた高級宿に、領城から迎えがやって来た。
「リリアージュ殿。ご足労いただき感謝いたします」
「ボームスさん! 知ってる方が来て下さって良かったです」
ボームス執事長自らが客人を迎えに来るということは、その客人が辺境伯にとって重要であることを意味する。リリはそんな貴族の慣習は知らないが、知った人が案内してくれるのが分かって少しホッとした。
リリが知っている貴族はクズーリ・ギャルガンだけなので良い印象など持ち得ない。辺境伯はクズーリと違って本物の貴族、しかも上位貴族だ。正直言って、どんな無理難題を言われるかとかなり警戒している。ラーラとアルゴが一緒なので危険はないと思いたいが、どんな手を使ってくるか分からない。
ボームスに促されて辺境伯家の紋章が入った豪奢な馬車に乗った。同乗するのはラーラとボームスのみ。アルゴは馬車の横を歩いている。後ろからジェイク達も馬車に乗って付いて来てくれた。辺境伯家の馬車の周りは全身鎧の騎乗した騎士が護衛している。城門が近付くとジェイク達が離れて行くのが見え、少し心細くなる。リリの手をラーラが握ってくれた。
「リリちゃん、大丈夫よ。辺境伯様は誠実な方だから」
「……はい」
城門を通る時、門兵がアルゴを見て少し腰が引けていた。事前に通達があったのか、武器を向けるような者は居なかった。城門の先は左右に見事な庭園が続き、しばらくすると馬車がゆっくりと停まった。馬車を降りると、明るい灰色の石材で作られた無骨な城が目の前だった。
「では閣下のもとまでご案内いたします」
ボームスの後ろを歩いて城に入った。入口の左右に立つ衛兵はアルゴを見ても全く動じない。ただ、リリには濃い黄色の靄と薄っすらと青い靄が見えていた。強い警戒心と僅かな恐怖。それでも一切表情を動かさないのは凄いな、とリリは思った。
城の中は思ったよりも人が多い。所々に衛兵が立っているが、それよりも多くの文官と思しき男女が書類の束を手に忙しなく行き交っている。
前世も含めて初めて「城」というものに立ち入ったが、もっと豪華絢爛で煌びやかな場所だと思っていた。実際には、ここはまさしく「役場」のようだ。皆がやるべき仕事があり、目的を持って飛び回っている。広大なクノトォス領の中枢なのだから、役場のような印象は間違いではないのだろう。
ただ、城の中を三階まで上ると途端に人が少なくなった。
「一階と二階が文官の仕事場で、三階が辺境伯閣下の執務に関わる場所、四階は閣下とご家族の居住区になります」
リリの疑問を見越したかのようにボームスが教えてくれた。辺境伯の三男、カリナンは車椅子と聞いたが、こんなに階段が多いと自由に動けないのではないだろうか? エレベーターなどない世界だ。外に行きたい時はどうするんだろう?
「こちらでしばらくお待ちください」
案内されたのは上品に飾られた応接室のような部屋だった。この部屋だけでリリの家くらいの広さがある。
「リリちゃん、座りましょうか」
「は、はい」
部屋の中央には、コの字に配置されたソファがあった。横に十人くらい並べそうな程巨大で、背もたれも高い。座るとリリは完全に隠れてしまう。大き過ぎて落ち着かないため、リリはぴったりとラーラに寄り添うように座った。アルゴはしばらく部屋のあちこちで匂いを嗅ぎ、リリとラーラが座るソファの横に寝そべった。
「アルゴはこんな場所でも堂々としてるね」
「わふ?」
「ここに来るまでも、まるでリリちゃんを守る騎士みたいに凛々しかったわ」
「そうですよね」
「わふっ!」
場内では、リリの右側を付かず離れずの位置でゆったりと歩いていたアルゴ。威風堂々という言葉が似合い過ぎた。
柔らか過ぎてお尻が落ち着かないソファで、何とか姿勢を良くしようと奮闘していると「失礼します」と外から声がして侍女がワゴンを押しながら入って来た。綺麗な所作で紅茶を淹れてくれる。リリはその一挙手一投足に見惚れてしまった。どうぞ、と目の前に置かれたカップを手に取ると、花のような良い香りがする。
「わぁ、いい香り」
リリが思わず呟くと侍女も笑みを浮かべる。
「こちらは辺境伯様のお気に入りなんですよ」
「そうなんですね。この紅茶はどこの物でしょうか?」
「何でも、ベイヤード共和国の紅茶らしいです」
ベイヤード共和国と言えばマリエルの父ガブリエルの出身地だ。もしかしたら、この紅茶はダルトン商会がアルストン王国で販売しているものかも知れない。
「今度ガブリエルさんに聞いてみよう」
「え? マリエルちゃんのお父さん?」
「はい。ベイヤード共和国出身だから、この紅茶も知ってるかも」
侍女が出て行ってしばらく紅茶談義に花を咲かせていると、コンコンコンと扉を叩く音がした。
「ベイルラッド・クノトォス辺境伯閣下がご入室です」
ラーラが立ち上がったので、リリも慌てて立ち上がる。アルゴものっそりとお座りの姿勢を取った。
ボームス執事長が扉を開けると大柄な男性が入って来る。うわぁー、ジェイクおじちゃんより背が高いし体がゴツい。肌は日に焼けて、白に近い金色の髪は短く、薄青い目は射貫くような鋭さがある。
ただ顔回りの靄を見る限り、見た目ほど怖い人じゃないのかも知れない。好奇心の黄色が殆どだけど、親愛の情を表す淡いピンク色も少し混じっている。
「ベイルラッド・クノトォスだ。座ってくれ」
「ラーラ・ケイマンと申します」
「リリアージュ・オルデンと申します」
リリとラーラは深く頭を下げながら名乗り、促されるままソファに腰掛けた。ベイルラッドは向かいのソファに座り、ボームスがその後ろに控える。靄を見る限り二人とも敵意や悪意はない。リリは内心ホッとした。
「ここは私的な場だからそう固くならないでくれ」
辺境伯の言葉に、リリとラーラは無言でコクコクと頷く。
「リリ……リリと呼んでも?」
「は、はいっ!」
「フフフ。緊張するなと言っても難しいか。私のことはベイルラッドと呼んでもらって構わんぞ」
「ベ、ベイルラッド、様」
「うむ。ところでリリの……従魔で良いのか? 従魔は非常に立派だな」
辺境伯がそう言いながらアルゴを見ると、ゆったりと尻尾を振っていた。
「はい! アルゴって言います。とっても強くて賢くて優しいんです!」
アルゴの尻尾を振る速さがグンと上がる。その様を、辺境伯は目を細めて眺めた。
「……これほどの従魔を従えながら、リリは優れた治癒魔術師だと聞いたのだが」
「私は……自分では優れているとは思っていません。ただ、やるからには全力で治療したいと思っています」
「ふむ。治療が成功するとも失敗するとも言わないのだな?」
「カリナン様の状態を見ていませんし、そもそも初めて行う治療なのでやってみなければ分かりません」
リリは辺境伯の目を真っ直ぐ見ながら答えた。辺境伯もその目を見返す。
「ふぅ~。私に正面から見つめられても動じないとは。子供だと侮ってはいけないようだな。気に入った、カリナンの所へ案内しよう」
だって靄がそのままだったし、悪意が全然ないから。普通に目を見て話したら気に入られた。淡いピンクの靄が増えたから気に入られたのは間違いないようだ。
辺境伯とその家族の居住区へ続く階段は簡単には見付からない隠し扉になっており、尚且つ精強な衛兵四人がそこを守っていた。壁にしか見えない部分に辺境伯が手首をかざすと、石壁が奥にずれ、そのまま右にスライドする。
「すごい」
「フフフ。家族とごく一部の者だけが開くことが出来る魔道具だ」
素直に感嘆の声をあげたリリの様子が嬉しかったらしく、辺境伯が微笑みながら教えてくれた。
四階へと階段を上ると、そこは外観からは想像出来ない温もりに溢れた場所だった。絨毯は敷かれず、代わりに焦げ茶色の床板、内壁は白っぽい石材で腰板にも床と同じ色の板が使われている。大きな窓から日差しが入り、廊下のあちこちに花が活けられていた。見えるところには美術品の類はない。廊下に絨毯が敷かれていないのは、きっと車椅子のカリナンに配慮しているのだろう。
真っ直ぐな廊下の中ほどで辺境伯が立ち止まり扉をノックした。
「カリナン、私だ。治癒魔術師を連れて来た。入って良いか?」
入室するのに自分の子に許可を求めるとは。この方は本当に子供思いなんだ。リリがそんな風に思っていると、内側から扉が開いた。開けたのは侍女のようだ。辺境伯に促されて一緒に入室する。アルゴも静々と後に続いた。
先程の応接室に比べれば狭いが、それでも十分に広い。そして、明るい陽の光が入る窓辺に車椅子に座った少年が居た。その隣には美しい女性が立っている。
「リリ、それにラーラ。アルゴも。妻のケイトリンと息子のカリナンだ」
「はじめまして、リリアージュ・オルデンと申します」
「はじめまして、ラーラ・ケイマンと申します」
「わふっ!」
リリ達が順番に挨拶する。アルゴの声に、カリナン少年の目が輝いた。
「ケイトリン・クノトォスよ。よろしくね」
「カ、カリナン・クノトォスです!」
二人は高位貴族の妻と息子らしからぬ気さくな人柄のようだ。ケイトリンは好奇心と警戒、少しの親愛。カリナンはアルゴに好奇心を向けているが、薄い青、つまり悲しみの靄が見えるのが気になった。
「カリナン様、こちらは従魔のアルゴです。撫でてみますか?」
「いいのですか!?」
「アルゴ、いいかな?」
「わふ!」
「アルゴもいいって言ってます」
「本当に大丈夫なの?」
「はい、人を襲うようなことはありません。悪い人じゃない限り」
しまった。ナチュラルに煽るようなことを言ってしまった!
「ウフフ! じゃあベイルラッド以外は大丈夫ね」
「なっ!?」
ケイトリンの言葉に、辺境伯が鼻白む。
「辺境伯様……ベイルラッド様はとても良い方だと思います」
「あら。リリさん、まだ子供だと思ったのに人を見る目があるのね!」
はい。色付きの靄を見る目があります。アルゴと一緒に、リリはカリナンの傍に寄る。カリナンの手が届く所まで近付くと、彼は恐る恐るアルゴの頭に手を伸ばした。
「うわぁ! お母様、すごくフワフワしてます!」
「まあ。私も触って良いかしら?」
アルゴに目で問うと大丈夫のようなのでケイトリンにそう告げる。
「あらまぁ! 本当にフワフワでサラサラね!」
カリナンとケイトリンがアルゴを撫でる姿に、辺境伯がうずうずしている。
「ベイルラッド様も撫でてみますか?」
「よ、良いのか?」
「いいよね、アルゴ?」
「わぅ」
「いいそうです」
最初はおずおずと手を伸ばし、「おぅ!」と似合わない声を出した辺境伯だったが、次第にわしゃわしゃと撫で始める。妻と子よりもアルゴの感触を堪能する姿に、リリとラーラはいつしか緊張を忘れて和んだ。




