46 いい貴族だっていない訳じゃない
アルガンが出て行ってから、ラーラは自分がどうするべきか分からずに「鷹の嘴亭」に残っていたが、三十分ほどでジェイクがやって来た。
「ラーラ、家まで送る。着替えたいだろ?」
「あ、はい。ありがとうございます」
「もう仲間なんだから、そんな丁寧な言葉はやめろ」
「あ、はい」
「じゃあミリー、夜にまた来る」
「ええ、分かったわ」
ジェイクは大通りを避けてラーラの家に向かう。ラーラが借りている家はここから十分ほどギルドの方へ向かった場所だ。実はジェイクの家はその三軒隣である。
「なんか妙なことに巻き込んじまった。すまん」
「あれは……貴族絡みですか?」
「ラーラも気付いたか。最近は貴族の反感を買うようなことしてねぇんだが」
最近は……以前はあったということか。最近……最近? ラーラとジェイクは顔を見合わせた。
「レイシアの……つまり、リリちゃん?」
「それくらいしか思い当たることがねぇな」
自分を訪ねて来たということは、まだリリの名は知られていない。だが、リリに治療してもらったことがある冒険者なら、善意で名前を出してしまうことは充分有り得る。
普通に治療を頼むくらいなら良い。しかし、リリを利用しようと考えてるんなら……ただじゃ置かねぇ。
ジェイクから放たれた殺気に、ラーラはぶるっと身震いした。さっきの男達と相対していた時は殺気なんて出してなかったのに。
「ごめんなさい。私のせいですね」
「それは違うな。リリが自分で決めたことだし、俺達は誰もリリを止めなかった。止める必要もなかったしな」
「……リリちゃんのことが知られるのは時間の問題ですよね?」
「そうだな。新『金色の鷹』の初仕事だ」
「えっ!?」
初仕事と聞き驚いてジェイクを見ると、その顔には凄惨な笑みが浮かんでいた。それに再び寒気を感じるラーラだった。
「あいつら『ポッポ亭』に泊まってるよ。動いてるのはクズーリ・ギャルガン」
「鷹の嘴亭」では、「金色の鷹」にラーラが加入した祝いの宴という名の飲み会が開催されていた。リリももちろん参加。アルゴも店の中に入り、皆の傍で伏せの姿勢になっている。ジェイクから今日あった出来事を聞いた。それに基づく推測も。どうやら貴族がリリを何らかの形で利用しようと企んでいるらしい。
それにしてもアルガンお兄ちゃん。調べるの早過ぎない?
「ギャルガン? ギャルガン子爵家か? クズーリって名は聞かないが……しかしアルガン、この短時間でよく分かったな」
「ポッポ亭はマルデラで唯一貴族が泊まれる宿でしょ? あそこの店主、貴族にめちゃくちゃ詳しいんだけど……そのクズーリって奴、本名を宿帳に書いたらしいよ? まあ書いたのは本人じゃないだろうけど」
「……馬鹿なのか?」
「馬鹿って言うか……貴族なら何しても許されるって思ってる典型的な屑じゃない?」
ポッポ亭の店主は、クズーリの稀に見る横柄な態度に嫌気が差しており、アルガンが聞いてもいない事まで教えてくれたそうだ。宿の店主としては許されない行為だが、よほどクズーリ一行のことが嫌いなのだろう。
「マルデラに優れた治癒魔術師がいるかって最初に聞かれたけど、知らないって答えたらしいよ」
ジェイクとアルガンの会話を聞いていたリリは首を傾げながら尋ねる。治癒魔術師を探しているのなら治療が目的なのだろう。だったら、丁寧に事情を説明して「お願いします」と頭を下げれば良いのに。
「ねぇ。何でその人達は普通にお願いしないの?」
「……それはな、リリ。あいつらは『お願いする』ってことが屈辱なんだよ」
「は?」
「幼い頃からチヤホヤされて、周囲は自分の言う事を聞く人間ばかり。そんな環境で大人になったクz……貴族は、人に何かを頼むと弱みを握られるって思うんだ」
屑って言い掛けた。ジェイクおじちゃんとアルガンお兄ちゃんは貴族に良い印象がないみたい。
「それは……生き辛そうだねぇ」
「ハハッ。リリの言う通りだな」
誰かに「命令」してその通りに人を動かすということは、その結果に全責任を負う覚悟がなければならない。それが人に命令できる立場というものだろう。血筋だけでその覚悟が自然と芽生えるなんて到底思えない。
前世で読んだ小説やアニメの記憶で何となく貴族が嫌いだったリリだが、この件で益々嫌いになりそうだった。
「ジェイクおじちゃん、いい貴族っていないの?」
「あー、少ないがいない訳じゃない」
少ないんだ。じゃあ貴族は基本的に嫌な人って思った方が安全かな?
「一見いい人に見えても、そうすることが自分の利益に繋がるだけって場合も多い。クノトォス辺境伯はマシなほうだが、それでも油断すると足元を掬われる」
「そうなんだ。はぁー、面倒だな……」
「大丈夫、リリは俺達が守るから」
「うん、ありがと」
ラーラの加入祝いの筈なのに、気が付けば貴族の話ばかりで気分が滅入る。それもこれも全て貴族のせいだと思うとだんだん腹が立ってきた。
「まぁ貴族の話はこれくらいで。『金色の鷹』の新メンバーになったラーラ、一言頼む!」
「えっ!?」
ジェイクから急に話を振られたラーラが固まった。こういう時、あまり時間を空けるとどんどん人の視線が集まって期待も高まってしまう。リリもキラキラした目をラーラに向けた。
「あの、えーと、こ、これからよろしくお願いしますっ」
「えー、めちゃくちゃ普通」
「普通ね」
「普通だな」
ぺこりと頭を下げたラーラの耳にアルガン達の声が届く。
え、普通じゃ駄目なの? 普通でいいじゃん!?
「ラーラさん、おめでとう!」
リリが拍手をしながら満面の笑みを向ける。あー、癒される。
「「「「「おめでとう!」」」」」
「わふっ!」
次の瞬間、全員から祝福された。そこからは、いつも通り楽しい飲み会になった。
*****
「何で治癒魔術師の名前すら分からんのだ!?」
連れて来た騎士がジェイク・ライダーと接触してから三日。マルデラで聞き込みを続けるが、未だに目的の人物を特定できない部下達に、クズーリ・ギャルガンは苛立ちをぶつけた。
「この町の人間ではないのではないでしょうか」
「くっ! それでは何の手掛かりもないことになるぞ?」
ジェイクと接触した三人は子爵領に帰らせた。あいつらが上手くやっていれば、こんな田舎にいつまでも居る必要はなかったものを!
マルデラに居る冒険者のうち二割くらいの者は、短期間のうちにリリの治療を受けた。そしてほぼ全ての冒険者にリリの治癒魔法が優れていることが知れ渡っている。だが彼らは口を閉ざした。好感を抱いているリリを守る為である。彼等は英雄ダドリーの娘が貴族に利用されることが我慢ならなかった。もし口を滑らせてしまえば、ジェイク達が黙っていないことも想像出来た。町の住民達も噂程度でリリのことを知っているが、いきなり町に来た横柄な貴族とリリ、どちらが大事かなど考えるまでもなかった。
クズーリ・ギャルガンが情報に対して大金を払うと示していれば、違う結果になったかも知れない。だが、貴族の言うことを聞いて当たり前と思っているクズーリは、情報に対価を支払うという考えに及ばなかった。優秀な側近の一人でも連れて来ていれば、その側近が提案しただろうが。
「もう良い! 私が直接、そのジェイクという冒険者に尋ねる!」
騎士や兵士は「最初からそうしろよ」と思うが口には出さない。そうして、クズーリは八人の護衛を伴い冒険者ギルドに向かった。ギルドの建物に入ってズカズカとカウンターに歩み寄り、男性職員と話していた冒険者を押し退ける。
「おい! 『金色の鷹』のジェイク・ライダーを今すぐ呼べ!」
「順番をお守りください」
「は?」
「今、彼と大事な話をしていたのです。順番をお守りください」
「貴様!? 私を誰だと――」
「誰だろうと関係ありません。順番を待つのは子供でも分かる事です。それが出来ないならお帰りください」
クズーリは激昂し、腰の剣を抜いた。次の瞬間、ギルド内にいた冒険者全員がクズーリに武器を向ける。八人の護衛はクズーリを守るように囲み、剣の柄に手を掛けた。
「冒険者ギルド職員に対する暴行は厳罰に処されますが」
「知るかっ! お前は貴族に対する不敬罪でこの場で斬り捨ててやる!」
「クズーリ・ギャルガンさん。あなたは単に子爵家の人間というだけで爵位を持ってる訳じゃない。それに、爵位を持っていたとしても不敬罪をその場で適用できるのは自領内だけですよ?」
クズーリは職員から名前を呼ばれたことに驚愕した。職員――ルーク・ペルドットの言葉は全て真実だ。アルストン王国の法では、爵位を持たない者へ不敬罪は適用されない。また自領外で不敬罪に問うには裁判を経る必要がある。自領内であってもその場で殺すなどという蛮行は滅多に行われない。
因みにギルド職員に暴行を加えた者は、高額な罰金から奴隷落ち、最悪死罪まである。加害者が逃亡した場合は賞金が掛けられ、全冒険者に通達される。
「くそっ!」
クズーリは乱暴に剣を納め、ルークに憎しみの目を向けた。一方のルークは涼しい顔をしている。十七歳の新人職員だが、毎日強面の冒険者と渡り合っているのだ。貴族家の三男如きに怖さなど感じない。
それに、二日前に「金色の鷹」から警告されていた。ギャルガン子爵家の三男クズーリの関係者がリリの情報を求めてギルドに来るかも知れないと。まさか本人が来るとは思わなかったし、これほどの馬鹿だとは思わなかったが。
クズーリと護衛達は周囲の冒険者達を睨み付けながらギルドから出て行った。
ポッポ亭の一番良い部屋に戻ったクズーリは怒りが収まらなかった。平民風情から舐められ、指図され、脅されたことに我慢できなかった。ウロウロと部屋を歩き回っているうちに、先程の一件がクノトォス辺境伯の耳に入る可能性に思い至った。
「不味い……このままでは非常に不味い」
クノトォス辺境伯は冒険者ギルドとの協力関係を重視している。騎士や領兵は対人戦を想定した訓練に重きを置いており、魔物との戦闘は不得意だ。そこを冒険者に補ってもらうという考えである。ギルド職員に剣を向けたことは多くの冒険者が目撃しており、名前まで知られてしまった。このまま何の成果もなくエバーデンに帰ることなど許されない。
本当にこの町に探している治癒魔術師はいないのか? それとも町ぐるみで隠しているのか?
「……それなら炙りだせば良い」
クズーリは、治癒魔術師はマルデラに居ると考えていた。それは勘というより彼の願望であった。窮状を脱するには、ここに治癒魔術師が居ないと困るのだ。
「デムラー! デムラーはいるか!?」
「お呼びでしょうか」
クズーリの呼び掛けに一人の男が答えた。黒髪を長く伸ばした陰気な雰囲気のデムラーは、これまで聞き込みやクズーリの護衛に参加していない。この男は表に出せない仕事を専門にしている。
「冒険者ギルドの職員に瀕死の重傷を負わせろ」
「瀕死? 殺してはいけないということですか?」
「そうだ。……発見され、治癒魔術師の到着まで生きていれば良い」
「なるほど……なかなか難しいですね。報酬は弾んでもらいますよ?」
「分かっている!」
デムラーは一つ頷いた後部屋から出て行った。
「カムル!」
「はい」
「冒険者ギルドと救護所に見張りを付けろ」
「デムラーはよろしいので?」
「……それとなく見張れ。あの職員が直ぐに発見されるように仕向けろ」
「承知しました」
自分を馬鹿にした平民を餌に治癒魔術師を誘い出す。一石二鳥とはまさにこの事。クズーリはこの案を思い付いた自分をやはり優秀だと一人悦に浸った。
*****
夕食を食べ終え、ゆったりと寛いでいるリリの元へ突然訪問する者があった。一階の扉が叩かれ、「リリちゃん!」と呼ぶ声がする。
「ラーラさん!?」
ラーラの焦ったような声に、母と一緒に玄関へ向かう。その後ろからアルゴも付いて来た。
「どうしたんですか、ラーラさん?」
「こんな時間にごめん! ルークが酷い怪我をしたの!」
「ルークさんって冒険者ギルドの?」
「ええ! 今スケットルさんが治療に当たってるんだけど助けられないかもって」
「そんな……」
「リリちゃん、手伝ってくれる!?」
リリはミリーに目で尋ねた。
「行っておいで」
「うん! ラーラさん行きましょう」
「馬を借りてきた!」
「アルゴに乗った方が早いので!」
「わふっ」
馬に乗ったラーラが駆け出し、アルゴとリリがそれを追う。それを見送った後、ミリーは玄関にしっかり鍵を掛けてから走り出した。ミリーが目指すのはジェイクの家だ。
「まったく、肝心な時に居ないって何なのよ!?」
ミリーは胸騒ぎがした。リリを探す貴族が町に居るタイミングで、リリの力を必要とする怪我人が出た。もちろん偶然の可能性が高い。だが万が一ということがある。万が一であっても、それに目を瞑るミリーではない。
それに、ジェイクなら勘違いでも笑って済ませてくれるだろう。週に三日夕飯を食べさせているのだ。こういう時こそ働いてもらおう。