43 レイシア
午前七時にマルデラを出発。ジェイク達が用意してくれた馬車は見た目通り快適だった。これはアルゴが風魔法で馬車を少し浮かせていた事が大いに寄与していた。昼過ぎくらいに一度休憩を挟み、予定より早く十七時過ぎにはエバーデンの防壁が見えてきた。道中は魔物や盗賊とは一度も遭遇していない。
「こんなに早く着いたのは初めてじゃねぇか?」
「そうなの?」
「ああ……いつもならあと一時間は掛かるな」
ジェイク達は何度もエバーデンに来た事があるので頻りに首を傾げている。アルゴのおかげなのだが、これはリリもまだ知らない事だ。
防壁はみるみるうちに近付き、門兵に身分証明書をそれぞれ出して街に入る。アルゴの姿にギョッとしていたが、従魔登録証明書を見せると特に何も言われなかった。
「リリ、ここがエバーデンだぞ」
「うん」
「……なんか反応が薄いな?」
「あー……ごめん。この前の旅で大きな街をたくさん見たから」
「ああ、そうか」
少し寂しそうなジェイクに申し訳ない気持ちになる。クノトォス領の領都エバーデンはさすがに大きくて人が溢れていた。大きな街を見るのが初めてだったら、リリも大層浮かれていただろう。
「リリちゃん、宿を決めたら私はレイシアの家に行って来るわ」
「あの、一人で大丈夫ですか?」
「ええ。久しぶりだし一人の方が良いと思う」
「そうですね」
ラーラの話では二年ぶりくらいの筈だ。確かに大勢で行ったら驚くだろうし迷惑かも知れない。
「もうすぐ日が暮れるから、晩御飯を食べたら宿でゆっくりかな」
「そうやなぁ。ジェイクのおっちゃん、エバーデンって美味しいもんある?」
「あー、まぁそこそこ旨い店はあるぞ」
「じゃあ早よ宿決めよ!」
「ねぇマリエル。ガブリエルさん達も居るんじゃない?」
「いや、最近はエバーデンには泊まらんらしい」
「あ、そうなんだね」
「なぁラーラ。友達の家はどの辺なんだ?」
「西区です」
「なら宿もそっちの方が良さそうだな」
ジェイクが御者台に繋がる窓を開け、「西区に向かってくれ」とアルガンに指示を出す。
「ジェイクおじちゃんはエバーデンに詳しいの?」
「ああ、仕事でよく来るからな。西区はギルドもあるからよく知ってるぞ」
「おぉ。頼もしい」
リリから頼もしいと言われて鼻の穴が広がるジェイク。ラーラは二年前まで西区に住んでいたのだが、ジェイクの得意げな顔を見て言わないでおこうと決めた。
北門から街に入った一行はそのまま大通りを南下し、中心部の交差点を右に曲がって西区へと進む。
「ここは領都だから領主様が住んでるんだよね?」
「そうだ。貴族街は東区で、領城もそっちだな」
「領主様以外にも貴族の人がいるの?」
「クノトォス辺境伯家の他に、今は貴族家が二つ? あれ、三つだったか?」
領地を持たない貴族……法衣貴族というのだったかな? クノトォス領はアルストン王国北西部に広大な領地を持っているから、内政を補佐する貴族が居るのだろう。
ジェイクは貴族にあまり興味が無いのかあやふやである。ラーラも今の事情は知らないようだ。
「まぁええやん! 普通にしとる分にはウチらが貴族と関わることなんかないんやからな」
「マリエルの言う通りだ。基本的に関わりたくねぇ」
護衛依頼で貴族と接する機会がそこそこある筈のジェイクでも、あまり関わりたくないらしい。リリも直接関わった事はないのだが、何故か貴族に対して良い印象が無い。それは恐らく前世で読んだ本や漫画の影響だろう。
「もう西区に入ったな。少し先に馬車と馬を預ける厩舎がある。そこからは歩きだ」
ジェイクの言葉通り厩舎に馬車と馬を預けた頃にはすっかり日が落ちた。ただ街灯が多く、道に面した建物から明かりが漏れて思ったよりも明るい。
「ラーラ、宿はどの辺がいいと思う?」
「ああ、もうこの辺りでも大丈夫です。あんまり先に行くと住宅街だから宿がなくなるので」
「ジェイク、確かこの先に『ポロック亭』があったんじゃないかしら?」
「おお! あそこは良い宿だったな」
少し歩くと、アネッサが名前を挙げたポロック亭の看板が見えた。一週間は滞在する予定なので、リリとマリエルが二人部屋、あとは全員が一人部屋を取った。
「じゃあ行ってきます」
「あ、ラーラさん、晩御飯は?」
「私は適当に済ませるわ」
「分かりました。気を付けて!」
それぞれの荷物を部屋に置くと、ラーラは直ぐにレイシアの家に向かった。
*****
ポロック亭から十五分程歩いた所に一軒の家がある。引っ越していなければレイシアはここに住んでいる筈だ。窓からは明かりが零れており、人が住んでいるのは間違いない。玄関の脇では小さな魔道具灯が柔らかい光を投げかけている。
ラーラは玄関扉をノックしようとして振り上げた手を止めた。
二年とちょっと前。ラーラはレイシアが止めるのを聞かず、冒険者パーティを脱退して王都に向かった。レイシアの火傷痕を治せる治癒魔術師を探す為だ。
レイシアは自分がラーラの負担になるのが嫌だった。冒険者になると決めた時、命を落としたり酷い怪我を負ったりする事は覚悟の上だった。ラーラは魔法の制御が上手くいかなかったからレイシアを巻き込んだと自分を責めたが、あの時はああするしかなかった。ラーラのおかげで仲間は全員生きているし、そこにはレイシアも当然含まれる。感謝こそすれ、ラーラを責める気など微塵もなかった。
だがラーラ自身が自分を許せなかった。レイシアや仲間達の制止を振り切って単身王都へ行った。
今ならラーラにも分かる。自分はレイシアから逃げたのだと。幼馴染で親友の彼女が、自分の魔法のせいで一生消えない傷を負った事実から逃げたのだと。そう、つまり自分の罪から逃げたのだ。
あれから一度もレイシアと連絡を取っていない。彼女にどんな顔で会えば良いのだろう? 彼女は怒っているのではないだろうか?
ラーラは急にレイシアと会うのが怖くなった。振り上げた手が動かない。
「うちに用事ですか……ラーラ? もしかしてラーラか!?」
突然後ろから声を掛けられ、ラーラの肩がビクッと震える。恐る恐る振り返ると、懐かしい男性の顔があった。
「ケイネス……」
「やっぱりラーラか! 良かった、生きてたんだな! みんな心配したんだぞ?」
ケイネス・ベンダル。ラーラが所属していた冒険者パーティ「メリダの風」でリーダーを務めていた。確かラーラの二歳上だった。食材の入った大きな紙袋を抱えた彼は、泣き笑いのような顔を向けていた。
「そんな所に突っ立ってないで中に入れよ! レイシアにはもう会ったのか?」
「え、いや」
「あー、そう言えばお前は知らないのか。俺、レイシアと結婚したんだ」
「へーそうなんだ……はぁっ!?」
「いや、知らせたかったんだが、お前がどこに居るか分からなかったから」
「…………だよね、ごめん」
王都に行って仲間と連絡を絶ったのはラーラ自身だ。結婚の知らせを聞いていないと相手を責める事は出来ない。
玄関先でケイネスと話していると、不意に扉が開いた。
「ケイネス、誰と話して――」
ラーラは扉を開けたレイシアとばっちり目が合った。レイシアの目が驚きで丸くなる。ラーラは思わず俯いてしまった。
「ラーラ!? ラーラなの!?」
「……うん。レイシア、久しぶり」
「うぅ……!」
レイシアは顔を両手で覆って泣き出してしまった。
「あ、あ、レイシア、連絡しなくてごめん! 本当にごめん!」
ラーラが謝るとレイシアはふるふると首を横に振った。
「良かった……無事で良かった」
そう言って、レイシアはラーラに抱き着いた。レイシアの方がかなり背が高いので、ラーラの顔がレイシアの胸に埋まる。
「もう! 本当に心配させて!」
「う……ごめん……レイシア、ぐるじぃ……」
「ほらレイシア、ラーラが死んじまうぞ?」
「わぁっ!? ごめんラーラ!」
「とにかく中に入ろう」
「そうね。ラーラ、どうぞ?」
「うん……ありがと」
「じゃあ今はマルデラにいるのね」
「うん」
レイシアが作ってくれた夕食をご馳走になり、今は食後のお茶を頂いている。二人が結婚した経緯を聞いたり、自分がエバーデンを出た後の事をかいつまんで話したりした。
「それでね、レイシア」
「なあに?」
「魔法を教えてるリリちゃんって子なんだけど」
「うん」
「たぶん……いいえ、ほぼ間違いなく、火傷の痕を治せると思うんだ」
「…………ラーラ」
「ごめん、最後まで聞いて! リリちゃんの父親代わりの人が、三年以上前に背中に大火傷を負ったの。私も見せてもらったけど相当な痕が残ってた。それを綺麗に治したんだよ」
ラーラは勢いに任せて一息で話した。
「ラーラ。何度も言ったけど、私は火傷のことは気にしてないわ」
「だ、だけど」
「ケイネスも気にしてない。火傷の痕があっても無くても私は私なの」
「うん、それはもちろん分かるけど――」
「なぁレイシア。ちょっといいか?」
ラーラとレイシアの会話に、それまで黙っていたケイネスが割って入る。
「俺やレイシアは気にしないが、ラーラが気にしてるんだよ」
「…………そうね」
「気にしてるなんてレベルじゃなく、火傷の痕はラーラにとって呪いみたいなものだと思うんだ。俺達がいくら言葉を重ねても、ラーラ自身が自分を許せないんだ。違うかい?」
「……うん。ケイネスの言う通り」
ラーラは少し驚いた。ケイネスがそこまで自分の気持ちを分かっているとは思っていなかった。
「ただ、レイシアも今まで随分辛い思いをしたんだ。治療だって数えきれないくらい試したし、お金も沢山使った。中には治せると言って騙そうとする奴もいた。期待をして、それが叶わなかった時の苦しさが分かるかい?」
ケイネスの言葉を聞いて、ラーラは激しく動揺した。ケイネスもレイシアも、決してラーラを責めている訳ではない。ただ、ラーラは火傷痕さえ綺麗に治れば万事が解決すると思っていた。そしてそれは、単なる自己満足でしかないのではと気付いてしまった。
ラーラの両目からツーっと涙が零れる。
「うわっ!? ごめんラーラ、そんなつもりじゃないんだ!」
「もうケイネス!? ラーラ泣いちゃったじゃないの!」
二人がオロオロしだして、それが何だか可笑しくて、ラーラは悲しみが薄れていくような気がした。
自己満足だったら何だ? 治療を止めるのか? そんな事は絶対にしない。レイシアを、前の綺麗なレイシアに戻すって決めたじゃないか。ラーラは服の袖で両目を拭い、二人に真剣な顔を向けた。
「二人とも。ごめん、これは私の我儘だよ。でも、その我儘に付き合って欲しい。信じてとは言わない、ただ治療をさせて欲しい」
ラーラは二人に頭を下げた。
「はぁ~。こうなったラーラは梃子でも動かないのよね」
「いや、俺は最初からレイシアに治療を受けてみようって言うつもりだったのに」
「あなたが余計なこと言うからでしょ?」
「いや、ごめん。ラーラ、済まなかった」
「ラーラ、ごめんね?」
それでもラーラは頭を上げない。
「分かった、分かったから! 治療を受けるから、頭を上げてよ!」
レイシアが堪らず声を上げる。するとラーラが頭を上げ、ニヤリと笑った。
「言質は取ったよ? レイシア、明日は時間ある?」
「もう、ラーラったら! えーと、私はだいたい家に居るわよ?」
「じゃあ朝九時でも大丈夫?」
「え、ええ」
「俺が居なくても平気か?」
「平気よ! 子供じゃないんだから」
「うん、ケイネスは居なくていい」
「ひでぇ!」
軽妙なやり取りに、ラーラの心が軽くなっていく。まるで昔に戻ったようだ。それから三人は軽く酒を飲みながら思い出話に花を咲かせた。玄関の前で固まっていたのが嘘のように、ラーラは自然に話し、笑った。幼馴染で親友で、冒険者仲間である三人は、離れていた時間を取り戻すように語り合うのだった。
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