38 初めての治癒魔法
「ジェイクおじちゃんのせいで恥かいた」
「え? 恥って何だよ恥って」
「牧場が危険って言ったでしょ? だから豚さんは狂暴なのかなって思ったの」
「いや、危険だろ? いくら豚と言っても突進してきたり噛み付いてくるかも知れん」
自分は間違った事を言っていない、と素で言い返すジェイクに、リリは頭を抱えそうになる。心配してくれるのは有難いが、限度というものを教え込む必要があるかも知れない。子離れ、という言葉についても。今のところ聞いてくれる気がしないが。
「ラーラさん。豚さんは二頭いるんですよね」
「うん。病気のと怪我してるのと」
「はぁ……ちょっと緊張してきました」
「大丈夫。出来なくて当たり前なんだから」
隣にトテトテと小走りで寄って来たリリの頭を、ラーラは思わず撫でてしまった。枯草色の髪はサラサラで柔らかい。馴れ馴れしかったか、と焦ったが、本人は嫌そうではない。寧ろ嬉しそうにしていて安心した。
するとアルゴも寄って来て自分も撫でろと言わんばかりに顔を押し付けてくる。ラーラは苦笑しながらアルゴも撫でた。もっとゴワゴワして固い毛かと思ったら、想像と違ってフワフワで柔らかい感触だったので驚いた。
「着きましたよ、こちらです」
聞けば、普段は出産する雌豚を世話する小屋なのだと言う。扉はなく、屋根と三方に木の壁があるだけの簡素な小屋。地面には藁が敷き詰められ、恐らく今日も交換されたのだろう、不快な臭いはしなかった。
そこに力なく横たわる二頭の豚。思っていたより大きいので、リリは少したじろいだ。知らない人間が来たので警戒したのか身動ぎするが、かなり弱っているようで殆ど動けない。それほど広い小屋ではないので、ジェイク達は遠巻きに見ている。
「怪我してる子からやってみます」
そう言って、リリは右側の豚にゆっくりと近付いた。観察すると、左後ろ足の太腿に大きな傷がある。既に出血は止まっているが、傷がじくじくして黄色い膿が出ている。
「多分、柵を止めている釘に引っ掛けたんだろう」
牧場主が教えてくれた。この世界の釘は金属製だ。錆びた釘の頭で抉れたような感じである。傷自体はそこまで深くはないが、前世で言う破傷風になっているかも知れない。あれは確か菌が原因だった筈。
「先に浄化を掛けます」
傷をアルコール消毒して清浄にすること、豚の体に害のある菌やウイルスに抗菌や抗ウイルス作用のある薬剤を投与し、死滅させることをイメージした。範囲は目の前の豚一頭。リリの足元に金色の魔法陣が現れ、豚の下まで届く。淡い金色の光が小屋に満ちた。すると傷の膿が消え、生々しい傷が表れる。金色の光がゆっくり消えていく。
「治癒魔法、やってみます。……治癒」
抉れた筋肉、神経、血管、脂肪、皮膚を再生するイメージ。今度は淡い黄緑色の魔法陣が足元に現れる。優しい黄緑の光が豚の足を包んだ。まるで逆回しの映像を見ているように傷が修復されていく。傷口が綺麗に塞がり、どこに傷があったか分からなくなった。
豚は何が起こったのか理解出来ず、直ぐには動かない。やがて左の後ろ足を横たわったまま曲げ伸ばしする。そして自分で起き上がり、確かめるようにゆっくり歩き始めた。
「やった……リリちゃん、やったわね!」
「成功、ですか……?」
「文句なく成功よ! 見て、この豚さん。ちゃんと歩いてるわ」
「信じられん……」
ラーラが自分の事のように喜び、牧場主が呟きを漏らした。ジェイク達も驚き、一言も声を発せないでいた。
「よかった……。じゃあこっちの豚さん行きます」
病気らしい豚と相対する。先程の怪我をした豚よりも明らかに衰弱していた。呼吸音が荒々しく、目の焦点も合っていない。症状を見ても、豚の病気について一つも知らないリリにはそれがどんな病気なのか分からなかった。だが、やれる事をやるだけだ。
「浄化!」
怪我をした豚と同じように、この豚の体内に潜む害のある菌やウイルスを死滅させるイメージ。小屋が再び金色に染まる。
「治癒!」
浄化魔法で原因を取り除いた後は、体力を回復させる。元々この豚が持っているであろう免疫機能を活性化、弱った内臓、特に今にも止まりそうだった心臓が活力を取り戻すイメージ。今度は小屋が淡い黄緑色に染まった。
リリは目の前の豚を助けたい一心で魔法を使った。恐らくその思いが強過ぎたのだろう。或いは初めて使う治癒魔法を何とか成功させたいと張り切り過ぎたのかも知れない。リリの目の前が突然真っ暗になった。
「あっ……」
普通は覚えるのに何年も掛かるのに、素質があったとは言え初めて使って成功させたのだ。それはリリの膨大な魔力量による「ゴリ押し」だった。
「リリちゃん!?」
倒れそうになるリリを、ラーラが慌てて受け止めた。ジェイクが素早く駆け寄って、ラーラに代わってリリを抱き上げる。
病気だった豚も、先程までの様子が嘘のように小屋の中を歩き回っていた。リリは生まれて初めて魔力枯渇に陥ったのである。本来なら使えない筈の治癒魔法を二度連続で無理矢理成功させた反動であった。
一番騒ぎそうなジェイクがこの場で最も冷静だった。長年の経験で、リリの症状が魔力枯渇であると分かっていたからだ。ゆっくり休ませて魔力を回復させる以外に対処方法はない。
「大丈夫、魔力枯渇だ」
「えぇ!? そんなに魔力を使ったの? 豚に?」
「そうだな。豚に治癒魔法を掛けて魔力枯渇するなんて、世界中探してもリリくらいだろうな」
魔力枯渇は病気ではない。休むしか方法がないものの、逆に言えば休みさえすれば回復するのだ。ラーラはほっと胸を撫で下ろした。アルガン達は少し焦ったが、すぐに魔力枯渇だと気付いたので慌てる事はなかった。ただ牧場主だけがオロオロしている。
「そ、その子は本当に大丈夫なのかい?」
「ええ。少し休めば目を覚まします。お騒がせしてすみません」
「いや、だったらいいんだが……そうだ、何かお礼を」
「いえ、こちらからお願いした事ですから。お礼には及びません」
年端もいかない少女が懸命に治癒魔法を使って、気を失いながらも二頭の豚を救ったのだ。牧場主として感謝を示したいと考えても不思議ではない。
ラーラ達は牧場主に礼を言って帰る事にした。リリはジェイクに抱かれたまま眠っているようだ。こうなると、馬車を手配したアルガンに皆が感謝した。
「いやぁ、まさか本当に成功するとは思ってなかった」
馬車に乗り込み、座席にリリを座らせたジェイクが口を開く。その言葉にアネッサとクライブもコクコクと頷いている。
「私も実は半々くらいだと思ってました。素質はあったからもしかしたら、という期待半分、さすがに初めてでは成功しないだろうという予想が半分で」
「ほう。成功しなかったらどうするつもりだったんだ?」
ジェイクの問いには責めるような調子は含まれていない。純粋な興味のようだ。
「うーん……多分、同じ事を何度か繰り返したと思います。神官にアドバイスを仰ぎながら、ですけど」
「そうか。まぁ成功はしたんだ。ラーラだったな、礼を言わせてくれ。リリの為にありがとう」
アネッサとクライブも「ありがとう」と口にした。御者をしているアルガンだけが蚊帳の外だ。
「いえ、成功はしましたが実用には程遠いと思います。リリちゃん程の魔力の持ち主が魔力枯渇を起こすなんて……今後はいかに少ない魔力で治癒魔法を使うか、ですね」
「そうだなぁ。切り傷くらいで毎回ぶっ倒れてたら世話ねぇもんな」
こうしてリリの初めての治癒魔法は成功を収めたが、同時に課題も残ったのだった。
それから三時間後、リリは自宅のベッドで目を覚ました。
「……あれ?」
「あ、おねえちゃんが起きた! おかあさーん、おねえちゃん起きたよー!」
ベッドのすぐ傍に座っていたミルケが走って行く。恐らく母を呼びに行ったのだろう。二頭目の豚に治癒魔法を掛けた所までは覚えている。牧場に居たのに、何故自宅のベッドで寝ているのだろうか?
「リリ、起きたわね。まずは治癒魔法の成功おめでとう」
「あ、ありがとう……お母さん、私どうしちゃったの?」
「魔力枯渇を起こしたのよ。ジェイクがここまで運んでくれたの」
あちゃー。魔力枯渇ってこんな風になるのか。今度ジェイクおじちゃんに会ったらお礼を言わないと。
「詳しい事はラーラさんから聞きなさい?」
「え!? ラーラさん、居るの?」
アルゴがのっそりと寝室に入って来た。リリの様子を見て尻尾を揺らしている。アルゴにも心配を掛けたようだ。心の中で謝りながらアルゴの首を撫でる。
「ええ、リリが目を覚ますまで待ってるって。だったら夕飯を一緒にしようって言ったら、一度着替えて来ますだって。もうすぐ戻ると思うわ」
リリは起きて顔を洗い、髪を直した。そしていつものようにミリーの料理を手伝い始める。
「あら、ゆっくりしていなさい」
「ううん、もう全然大丈夫。むしろ元気なくらいだよ」
「もう……少しでも具合が悪くなったらすぐ横になるのよ?」
「はい」
今夜は唐揚げのようだ。お母さん、私が倒れたのに結構ガッツリしたメニューなんだね……。まぁ魔力枯渇は病気じゃないから別に良いのか。ミリーが下味を付けた鶏肉に纏わせる衣を準備している横で、リリは手早くスープ作りを始めた。唐揚げに少し疑問を持った割りに、濃厚なオニオンスープを作ろうとしている。
薄くスライスした玉ねぎを飴色になるまでじっくり炒める。そこに牛骨から取ったスープストックを加え、塩・胡椒で味を調える。小さく切って両面をこんがり焼いたパンを浸し、上にチーズを乗せてから薪のオーブンに入れた。チーズが溶けたら完成である。
リリがチーズを焦がさないようスープを見ている間に米が炊き上がった。さすがお母さん、分かってる。唐揚げにはお米だよね。もうすっかり病人気分は抜けていた。分厚いミトンを嵌めてスープを取り出してからサラダの準備に取り掛かる。
「こんばんはー、お邪魔します」
一階からラーラの声がして、リリは千切っていたレタスをボウルに放り投げて出迎えに行った。
「ラーラさん!」
「お、リリちゃん。起きたんだね」
「はい! 迷惑かけてごめんなさい」
「ううん、迷惑なんかじゃないわよ。ジェイクさんは……いや、あれはむしろご褒美って顔だったわ」
ラーラの言葉を聞いたリリとミリーが思わず吹き出す。ミルケはきょとんとしていた。アルゴは定位置の踊り場でゆらゆらと尻尾を揺らしている。
「詳しい話は食事をしながらでも。さぁ、ラーラさん座って」
「あ、はい」
客人が到着したので、ミリーは早速唐揚げを揚げ始めた。食欲をそそる香ばしい匂いが漂って来る。リリはサラダを仕上げてテーブルに運ぶ。続いてスープ、よそった白米も運んだ。そして待つ事数分、ミリーが大皿に山盛りにした唐揚げを運んできた。
「お待たせ。さぁ召し上がれ」
「「「いただきます」」」
スープを口に運び、目をカッと見開くラーラ。いったんサラダを食し、次に見慣れない茶色の食べ物に挑戦する。リリ達三人が食べる様子を真似てそれにかぶりつく。最初はカリッとした衣の触感、次に熱々の肉汁が口の中で弾け、肉の旨味が広がった。三人に倣って白米を掻きこむ。米の味が唐揚げの脂っこさをさっぱりと流し、いくらでも食べられるような気持ちになる。ラーラは子供のように夢中で食べ続けた。気付けば山盛りだった唐揚げが一つ残らず消えていた。それを見て、ようやくラーラは我に返る。
「お口に合ったかしら?」
「こんなに美味しい鶏肉料理は生まれて初めて食べました」
「あら、それは良かった。ね、リリ?」
「うん! 考えた甲斐があった!」
「え、これリリちゃんが考えたの?」
「そうです。前から作ってたんですけど、少し改良したんです」
具体的には、衣にも味付けを施したのと、下味に漬け込む時に卵を入れたのが改良点である。しばらく前からオルデン家の唐揚げはこのパターンが定番になった。因みにジェイク達は既にこの唐揚げを何度も食べている。
食事の時に牧場の話をしようと思っていたのに、料理があまりにも美味しくてすっかり忘れていた。食後のお茶を淹れてくれるリリを見ながら、ラーラはようやく思い出した。
「リリちゃん、今日の結果なんだけど」
「はい」
「一頭目の豚さんの事は覚えてるよね」
「ええ」
「二頭目の豚さんもすっかり元気になってた。つまり、リリちゃんの治癒魔法は成功したって事」
「ほんとですか!?」
目覚めた時にミリーからおめでとうと言われたのだが、それよりも自分の状況が分からなくてちゃんと聞いていなかったリリである。
「ただし、今のままではとても上手く使えたとは言えないわ。理由は分かるよね?」
「はい……魔力枯渇を起こしたからですよね」
「うん。リリちゃんが魔力枯渇するって相当だと思うのよ。どんなイメージをしたの?」
リリは説明した。菌やウイルスと言っても意味が分からないだろうから、「体に悪さをしているもの」と言い換えた。リリも菌やウイルスについて詳しい知識を持っている訳ではない。そして話しながら気付いた。目に見えない漠然としたものが消えるようにイメージしたから、必要以上に魔力を使ったのではないか、と。
実際、電子顕微鏡レベルの微生物を選別して浄化したのだ。二頭の豚は怪我や病気の前よりも健康になった。普通に考えてそれは「やり過ぎ」である。治癒より浄化魔法の方で魔力を消費したのだった。
これはやり方、考え方を変える必要がある。リリはそう思った。
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